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第九話 隠れ家でのランデブー

 すっかり暗くなった街路を足早に通り抜けると、リョーコはステンドグラスの入ったドアを押し開けた。

 メイド服を着た小柄な女の子が、ぱたぱたと駆けよってくる。


「こんばんは、いらっしゃいませー。お一人さまですか?」


 リョーコは、緊張を隠しながら言った。


「あの。フリッツで二名、予約が入ってますか?」


「はい、フリッツ様ですね。お連れの方は先にお越しですよ。ご案内させていただきます、どうぞこちらへ」


 よかった。

 からかわれてるわけじゃなかったんだ。


 店中の照明は暗く抑えられており、低い天井も相まって、リョーコの好みにかなっていた。

 おしゃれというよりは、隠れ家的な居心地の良さがある。


 ふーん。

 フリッツ君、わかってるじゃない。


 メイドは、リョーコを一番奥の窓際の一角に案内した。


「フリッツ様、お連れの方をご案内いたしました。どうぞごゆっくり」


 一礼すると、カウンターの方に引き上げていく。

 通路に背を向けて座っていたフリッツが、振り向きながら立ち上がった。


「来てくれたんですね。お待ちしてました、リョーコさ……」


 言いかけて止まったフリッツを見て、リョーコは不安になった。


「どうしたの、フリッツ君?」


「え、あ、いや。お店の時と、雰囲気違うな―って」


「どこが、どう違うっていうのよ」


 フリッツは言葉に詰まった。

 えっと。

 全く、違うけれど。


 普段はアップにしているサーモンピンクの髪を、ストレートにして軽くリボンでくくり、腰まで垂らしている。

 チェック柄のネイビーブルーのネルシャツに、黒いショートスカート、黒いショートブーツ。

 気合、入りすぎではないか。

 

「いや、単純に、可愛いなって」


 リョーコは頬を染めて、フリッツから視線をそらした。


「いつもと違って可愛いなんて、うまい誉め言葉とは思えないけれど。それにね、フリッツ君」


 リョーコはびしっと人差し指を突きつけて、フリッツをにらんだ。


「な、何でしょうか、リョーコさん」


「女の子に、簡単に可愛いなんて言っちゃだめよ。言われた子、たいてい誤解するから」


 特に、あなたみたいな自覚してない美少年に無邪気に言われたら、ね。


 当のフリッツは、不本意そうに言った。


「言いたいことはその場で言わないと、次にいつ言えるか分かりませんからね。それに僕、そんなに簡単に可愛いなんて言ったりしませんよ」


 もう。

 余計に恥ずかしいじゃない。


「ところでリョーコさん。その白い布に包まれている長い棒、何ですか?」


 フリッツは、先ほどから嫌でも目にはいるリョーコの携帯品について、質問せざるを得なかった。


「あ、これ? ほら、フリッツ君が夜は危ないって言ってたでしょう? だから、護身用にと思って」


 護身用、って。

 普通、女性が護身用に携帯するとすれば、ダガーか、せいぜいショートソードだが。

 あまりにも長すぎる。

 まさか、槍でも持ってきているのか。


 でもリョーコさんって、ちょっと変わった人みたいだし。

 あまり触れずにいたほうが、無難かもしれない。


「まあ、とにかく座りましょう。お腹、すいてますよね? ここの料理、本当においしいんですから」






 二人が座ると間もなく、白いコックコートを着た恰幅のいいあごひげの男が、テーブルに歩み寄ってきた。


「ようフリッツ、いらっしゃい。この前はうちのせがれが世話になったな、ありがとうよ」


 フリッツは椅子から立ち上がると、男と握手をかわした。


「ご無沙汰してます、ブルーノさん。ルカ君は、あれから元気ですか?」


「元気も元気。ほれ、今日も厨房を手伝ってもらってるぜ」


 フリッツは肩をすくめて微笑した。


「それは良かったです。彼、顔半分のひどい油やけどでしたからね。シェフっていうのも、危険な職業だなあ」


「お前さんの治癒魔法のおかげで、何事もなかったように治ってるよ。あの顔のままじゃあ、嫁のなり手も来ないだろうからな。お前さんには、感謝しててもしきれないぜ」


 破顔しながらフリッツと話しこんでいたブルーノは、テーブルに座っているリョーコの前に立つと、丁寧に会釈した。


「『ティッキング』のオーナーでメインシェフの、ブルーノです。本日はご来店いただき、誠にありがとうございます」


 そういってブルーノはあごひげをなでながら、感心したようにフリッツに言った。


「フリッツ、お前さんがこの店に誰かを連れてくるなんて、初めてだな。しかも、すごいべっぴんさんと来た。お前さんも相当いい男だしな、目立ちすぎだぜ、このカップルは」


 それを聞いたリョーコは、どぎまぎしながら答えた。


「あ、あの。フリッツ君とは、ただの知り合いで」


 彼氏、どころではなく。

 友達すら、未満だ。


「お、本当ですかい? じゃあうちのルカなんか、どうです? 料理の腕は俺仕込みだし、お嬢さんさえよければ、将来この店のおかみさんになって……」


 ヒートアップしてきた店主を、フリッツが大きなため息をついて(さえぎ)った。


「ブルーノさん、初対面の女性に失礼なこと言ってないで。僕たち、お腹がすいて死にそうなんですから。早いところ料理、がっつり持ってきてください」


 フリッツの言葉で、ブルーノは我に返った。


「おっと、そうだな。今日はキスのフライとアサリのワイン蒸しがおすすめだぜ。まあいつもの通り、お任せでいかせてもらってもいいかい?」


 キ、キスですか。

 って、何考えてんのよ、あたし。


 フリッツは上機嫌に指を鳴らした。


「いいですね、ぜひお願いします。リョーコさんは、何か嫌いなものは?」


 リョーコは、はっと妄想から覚めた。


「あ、えと。ぜんぜん大丈夫」


 フリッツはきょとんとしながら、注文を続ける。


「じゃあさっそく。後、レモンソーダを二つで」


「了解。しばらくのお待ちを」


 ブルーノは意気揚々と厨房に戻っていった。

 フリッツはその後ろ姿を見送りながら、やれやれと肩をすくめる。


「ごめんなさい、リョーコさん。いい人なんだけれど、ちょっとお気楽なところがあって」


 お気楽、か。

 リョーコは、ふふっと笑った。


「ううん、いいんじゃない。私、こういう雰囲気、好きよ」






「それじゃ、乾杯」


 レモンソーダのグラスを合わせると、二人はしばらく食事に夢中になった。


 うん。

 最高に美味しい。

 田舎の欧風料理って感じで、店長さんもいい人だし。


 ……。

 

 いや。

 落ち着いている場合じゃない。

 これは、情報交換会。


 食事がひと段落したところで、フリッツの顔を探るように見ながら、リョーコが切り出した。


「フリッツ君。いろいろと訊きたいことはあるんだけれど……まずは」


 フリッツは少し姿勢を正した。


「何ですか? 僕が、リョーコさんが言うところの、いわゆる吸血鬼だってことですか?」


「それもあるけれど。どうして、私にキスしたの?」


 フリッツは、肩透かしを食らったような顔をした。


「……初めの質問が、それですか」


 リョーコが思わず立ち上がりかけた。


「それって何よ! 私の、ファーストキスだったのよ!」


 リョーコは自分の声が我知らず大きくなったことに気付いて、あわてて抑える。

 フリッツが、驚いてきき返した。


「え? あれってファーストキスだったんですか? だってあの時、処女じゃないって」


 うん、私。

 そんなことも、言いましたね。


「しょ、処女じゃなくったって、キスしたことがないかもしれないじゃない!」


「そんなレアケース、聞いたこともない……」


「と、とにかく。あれは何だったのよ?」


 フリッツはリョーコから視線をそらすと、窓越しに街の夜景を見ながら、ぼそりと言った。


「……リョーコさんの記憶を、消去しようとしたんです」


「え。記憶」


「そうです。僕、相手を咬むことで、短期間の記憶を消去することができるんです。リョーコさんに、あの場での出来事を忘れてもらいたくて」


 リョーコは、はっとした。


「じゃあ、アンナちゃんに咬みついたのは」


「そうです。あの子の怖い記憶を、消去してあげたいと思って。悪魔に襲われた記憶なんて、悪夢でしかありませんからね。首筋の咬み傷も、僕なら治癒魔法で消すことができますし」


 さらにフリッツは付け足した。


「あと、別に血を吸っているわけではありませんよ。咬みつくだけで記憶が消えるみたいなんで、吸血する必要なんてないんです。そういう意味では、吸血鬼ってのは少し違いますねー」


 フリッツはそう言って、あははと笑った。


 そっか。

 フリッツ君、優しいじゃない。


 素直に感心しかけたリョーコは、そこに何か違和感があることに気づいた。


「ちょっと待って。じゃあ何で私の時は、首筋じゃなくて唇だったのよ!」


「リョーコさん、声が大きいです。……だってあの時、リョーコさん首筋を手で隠してたじゃないですか」


「じゃあ、胸だとか太ももだとか、もっと別の場所から……」


 フリッツはおののいた。

 とんでもないことを言い出す人だ。


「それって唇よりも、もっと問題じゃないですか。それよりも、リョーコさん。僕に咬まれても、記憶、消えませんでしたよね」


 ベーカリー「トランジット」で抱いた疑問を、フリッツが再びリョーコに呈した。


 あ、そうか。

 記憶継承用パスワードRNAの改変。

 やっぱり、私のこれは消せないのか。


 リョーコは両手を頭の後ろに組むと、店の低い天井を見上げながら、憂鬱そうにつぶやいた。


「フリッツ君、私ね。何かを忘れることが、できないんだ」


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