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第八七話 自警団への依頼

「おい、ニール。そろそろ野菜、ぶっこんでもいいんじゃねえか」


 無精ひげを生やした彫りの深い中年男が、ざるの中に盛られた山菜を、その大きな手でわしづかみにした。

 ニールと呼ばれた金髪シャギーの若者は、手に持った木製のひしゃくで、黒い鉄鍋の中身をかき回す。


「どれどれ、と。そうですね、あんこうの方はしっかり煮えているようですから、投入オッケーですよ。団長、よろしくどうぞ」


「よっしゃ。いくぞ、ニール。全軍突撃だ!」


 自警団団長リカルドは、ざるの中の白菜やらきのこやらを、惜しげもなく鍋にぶちまけた。

 沸騰しかけた鍋がいったん落ち着くと、やがてぐつぐつという音が再開し始める。


「しかし、なんですかね。こんな昼間っからあんこう鍋なんて、俺たち暇人過ぎませんか」


 ニールが鍋に塩を追加しながら、彼の上司に疑問を呈した。

 リカルドは豪快に笑いながら、その背中をばんとはたく。


「前にも言ったろう、人生は短い。まずい飯を食うような余裕はねえんだよ。そいつは、機会損失ってやつさ」


 ニールは、はあっとためいきをついた。 


「それは、そうかもしれませんけれどね。あんこうなんてものを探し回らせられる方の身にもなってくださいよ」


「この王都は港町なんだ、探せばあんこうどころか、サメやナマコ、イソギンチャクなんかもすぐに見つかるだろ。次回はそいつらで」


「うーん。団長の悪食にも、ますます磨きがかかってきましたね」


 などと他愛ない会話を交わしているうちに、鍋の中身は完全に仕上がったようだった。

 ニールが鉄鍋を火からおろすと、テーブルの上の鍋敷きにそれを設置する。


 待ち構えていたリカルドは、礼のつもりであろう、自らとニールとのそれぞれの器に具を盛ると、椅子に座って両手をこすり合わせた。

 魚と山菜の混ざり合った芳醇な香りが、彼の鼻腔をくすぐる。


「さあて、それじゃ。いただき……」


「こんにちわー」


 涼やかな若い女性の声が、屯所の入り口の方から聞こえてきた。

 最初の一口という至高の瞬間に水を差されたリカルドは、器を机に置くと、やれやれと振り返る。


「すんません、今少し取り込み中でして。お急ぎでしょうか?」


 扉から顔をのぞかせているのは、黒いショートヘアに、同じく黒い瞳の若い女性。

 彼女は屯所の中をきょろきょろと見まわしていたが、リカルドの顔を見つけると、嬉しそうに小さく手を振った。


「お久しぶりです、リカルドのお兄さん。あら、お昼ご飯でしたのね。私、出直してきましょうか?」


 リカルドは一瞬きょとんとしていたが、来訪者が彼の一推しのダンサーだと気づくと、慌てて腰を浮かした。


「と、とんでもない、ヒルダちゃん! さあ、入った入った。いやー、久しぶりだなあ。最近クラブに出てなかったみたいだから、俺たち心配してたぜ」


 こわごわと屯所の中に足を踏み入れたヒルダは、リカルドにウインクしながら、謝るように両手を合わせた。


「ごめんなさい、卒業試験とかで忙しかったから。でも、ダンスの練習は欠かしていませんわよ」


「そうか、そいつはよかった。ところでヒルダちゃん、昼飯まだだったら、ここで食べていかねえか? ちょうど、鍋が出来上がったところなんだ」


 テーブルの上で盛大に湯気を上げている大鍋を見て、ヒルダは目を丸くした。


「あら、お昼ごはんに鍋なんて豪勢ですこと。そうですねえ、ちょうどおなかぺこぺこだし、お言葉に甘えちゃおうかな」


「もちろん大歓迎だぜ。なあ、ニール」


 めったに感情を表に出さないニールも、微笑で答える。


「喜びです。ただ、ヒルダさん。あんこう鍋なんて、食べれますか? 見た目グロテスクだし、苦手だってうい女の子は多いんじゃないかと」


 ふふ、とヒルダは不敵に笑った。


「グロテスクなものに尻込みしてちゃあ、魔導士は務まりませんから。私たち魔女が夜な夜な何を食べているのかをお知りになったら、さぞかし驚くでしょうね」


 リカルドはぎょっとして顔を上げた。


「魔女の晩餐って。まさか、蛇とかコウモリとかイモリとか」


 ヒルダは明らかに引いている二人をにらみつけていたが、突然ぷっと噴き出した。


「やあだ、そんなわけないじゃないですか。ちゃんとまともなもの、自分で作って食べてますよ。ちなみに昨日は、ガーリックトーストとビーフシチューでしたし。そのうち、何か差し入れ持ってきて証明してあげますから」


 ヒルダはそう言うと、再び腹を抱えて笑いだした。


「なんだよ、ヒルダちゃん。脅かしっこなしだぜ」


 リカルドは安どのため息をつくと、ヒルダの器を取りに厨房へと立ち上がった。






「さて、と。ヒルダちゃん、食べながらで良かったら、話聞くぜ。ただの顔見せで寄ってくれたわけじゃ、ないんだろう?」


 手元の器に目を落としながら、リカルドが言った。

 鍋をつついていたヒルダのフォークの動きが、一瞬止まる。


「お察しが良いですね。さすがはリカルド・ザ・アイアンフィスト、王国軍の元特務部隊員さんってところかしら」


「俺のこと、調べてくれたのかい? 一介のファンに過ぎない俺に興味を持ってくれるなんて、うれしいねえ」


 リカルドは口をもぐもぐと動かせたまま、鍋の中を物色し続けている。

 ヒルダはフォークを一度置くと、両手を膝の上に置いて座りなおした。


「今日はリカルドさんに、仕事の依頼に来ました」


「自警団に依頼か。捜し物は、美少年君?」


 ヒルダは、ちょっと驚いた表情をした。


「参ったな。リカルドさんってば、決めるところは決めますわねえ。ちょっと、惚れちゃいそう」


「そ、そうかい? でもファンとの恋愛は、君の業界ではご法度では」


 相好を崩したリカルドの脇を、ニールが肘で小突く。


「団長、リップサービスですよ。真に受けてどうするんですか」


 こほん、と咳ばらいを一つすると、リカルドは椅子ごと身体をヒルダの方に向けた。


「フリッツがリョーコちゃんと別れて出て行っちまったってことは、レイラさんから聞いた。知り合いで最近いなくなった奴ってのは、フリッツしかいねえからな。でもなんだって、ヒルダちゃんがフリッツを探すんだ?」


 ヒルダは、額にかかった黒髪を指先で少し直した。


「私は、直接フリッツ君に用事はないのですけれど。むしろ、ライバルがいなくなってほっとしているくらいですし」


「ライバル?」


「いえ、こちらの話で。それで、彼に伝言をお願いしたいのです」


「伝言。それだけでいいのかい? 強引に引っ張ってこいってんじゃなくて」


「構いません。戻ってくるかどうかは、彼が決めることです」


 ヒルダのその言葉に、リカルドはともすると酷薄な印象を受けた。

 てっきり彼は、ヒルダがリョーコへの彼女の友情から、フリッツを連れ戻してほしいとの依頼を持ち込んできたのかと思っていたのだが。


「それで、その伝言ってのは」


「あなたは天使に狙われている。それだけで、彼には伝わると思います」


 ヒルダの形のいい唇から出た唐突な単語に、リカルドが眉をひそめる。


「天使。悪魔じゃなくて」


「その通りです。そしてこの依頼には、リカルドさんに危険が及ぶ可能性が含まれていることもお話ししておかなければなりません。少し長くなりますが、私の話を聞いていただけますか」


 リカルドは無精ひげを撫でながら、まだ湯気が出ている鍋を見つめた。

 どうやら、ただの色恋沙汰ってわけじゃないらしい。

 こいつは少し、マジな案件だぜ。


「ヒルダちゃんと話せるんなら、一晩でも二晩でも付き合うさ。食い物もまだまだあるしな。あと、ニールも一緒でいいかい。こいつは信頼できるし、口も堅い」


 女魔導士が向けた静かな目線に、ニールは有無を言わせない圧力を感じた。

 ヒルダは少し黙った後で、小さくうなずく。


「ええ。ぜひ、お二人で聞いて下されば」


「承った。ヒルダちゃんも、鍋をつつきながらゆっくり話してくれればいい」


 ヒルダが軽く頭を下げた。

 その目が、すうっと細くなる。


「ありがとうございます、それでは。まずは私、ヒルデガルド・フォーゲル・ストームゲイザーが、この世界に転生したいきさつから」


「真名……」


 リカルドはつかの間、自分が今何を食べているのかすらわからなくなった。

 魔導士の真名を目の前で聞くのは、初めてのことだった。

 それだけでも脅威であるのに、彼女の口から出た言葉は、転生。


 鍋をつつきながらするような話とは、到底思えねえが。






 確かにそれは、長い話だった。

 鍋の中身はすべて平らげられ、そばには、あんこうの残骸がまとめて積まれている。

 ヒルダはにっこりと笑うと、両手を合わせた。


「ごちそうさまでした、リカルドさん。そして今お話ししたことが、私たちの置かれている現状の全てです」


 リカルドもニールも、しばらくは言葉を発することができなかった。

 異世界転生。悪魔。天使。不死。


「……正直、ヒルダちゃんが話したんじゃなきゃあ、昼間っから寝ぼけてんじゃねえって、たたき出すところだが」


「すぐに信じていただけると考えるほど、私は楽観主義者ではありません。ただ、フリッツ君に会う際に天使との戦闘になる可能性がある、ということは話しておかなければならなかったので。大げさではなく、命がけの仕事なのです」


 リカルドはにやりと笑った。


「いいや、信じるさ」


 ヒルダは、細い眉を上げた。


「そうですか。その根拠、お伺いしてもよろしいですか」


「単純さ。リョーコちゃんとフリッツが別れること自体が、おかしいじゃねえか。それこそ、転生にまつわる因縁でもなきゃ、あいつらがそんな選択をするはずがない」


 ふふ、とヒルダは満足の笑いを浮かべて、同意を示した。


「確かに。私的には悔しいですけれど、その通りですわね。本当、リョーコったら、馬鹿がつくほどの惚れ具合ですから」


「そいつは、フリッツも同じだろうさ。見ているこっちのほうが恥ずかしくなるくらいにな」


 リカルドはそういって微笑を返すと、腕を組んで表情を改めた。

 情報量が多い。

 分けても自分に関係が深いのは、エリアス殿下についてのものだ。

 殿下が、異世界転生者。


 レオニート、殿下の懐刀だったお前のことだ。

 当然そのこと、知ってたんだろう?

 その天使だか悪魔だかとの戦いに、お前、巻き込まれちまったのか。


 天使とかいう奴らを追っていけば、お前についての情報が、何かつかめるかもしれねえ。

 そうすりゃ、レイラさんやポリーナちゃんを、安心させることだってできる。


 馬鹿野郎が。

 もし生きてたら、一発殴らなきゃあ収まらねえぜ。


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