第八五話 深夜の作戦会議
「……以上が、私の知っていることの全てです。私って忘れることができないから、自分の覚えている範囲については、ほぼ正確だと思います。それに、ヒルダからもいろいろ教えてもらいましたし」
リョーコの話を最後に、大方の情報は出そろったようであった。
書記をかって出たカレンが、要領よくまとめて書き込んだメモ用紙を、すっかり癒えた左手でエリアスに渡す。
彼女がいれたコーヒーを前に、めいめいはそれぞれの物思いにふけった。
やがて口を開いたのは、やはりエリアスだった。
「どう思われます、ジェレマイア理事長。異世界同士の争いももちろん問題ですが、喫緊に対応する必要があるのは、『不死』を手に入れて神を僭称しようとしている、その『ミストレス』なる存在だと思いますが」
ジェレマイアはコーヒーの湯気を顎に当てながら、うなずいて同意を示す。
「ただの狂人が勝手に神をかたる分には無害ですが、その存在は現実に、この世界を侵食しつつありますからね。君たちが戦った天使なる者たちは、近衛兵たちが改変されたものだったのでしょう?」
「そうです。私の部下だけでなく、父王や兄上、姉上たち直属の兵も混じっていました。しかしなぜ、よりによって王宮内の兵たちだけが」
エリアスは唇をかむと、ポケットから土で汚れた肩章をためらいがちに取り出して、隣に侍しているカレンに無言で手渡した。
カレンは何気なくそれを手に取ると、はっと口元を覆った。
細くきれいな彼女の指が、細かく震える。
「殿下。これ、クラウス君の」
エリオットは床を見つめたまま、黙ってうなずく。
黙っていることに耐えられなくなったリョーコが、きっと顔を上げた。
治療はすでに終了しているにもかかわらず、思いつめたその顔は真っ青である。
「私が斬りました、カレンさん。その方だけでなく、ほかにもたくさん」
なおも言いつのろうとしたリョーコを、メリッサが右手で遮った。
彼女の口調は、いたって静かである。
「そして、私が『核撃』で全滅させました。私が判断するに、一度天使に改変された人間は、もはや元には戻りません。私たち悪魔がそうであるように」
メリッサは立ち上がると、カレンの前で片膝をついて、深く頭を下げた。
「それでも、カレンさん、それにエリアス。私はあえて、あなた方に謝らせていただきます。あなた方のお知り合いを殺したという事実は消えない」
自分をかばってくれたメリッサを見て、リョーコは自分を恥じた。
きっとこの人も、どこかで悲しい思いをしているはずなのに。
彼女の目を見れば、それがはっきりとわかる。
とっさのことにカレンは狼狽しながら、メリッサの右腕をとって立たせた。
「とんでもない。私自身もあの時、仲間をたくさん斬りました。殿下の腕に突き立った矢を見たら、私、わけが分からなくなって」
カレンはその場面を思い出して、ぶるっと身を震わせた。
殿下が、死んでしまうのではないか。
私の前から、いなくなってしまうのではないか。
その怒りと恐怖で、何も考えられなくなってしまっていた。
「あの場合、仕方がありませんでした。でも、この肩章を見たら、なんだか割り切れなくて。騎士として、私はまだまだ未熟です」
カレンはエリアスに向き直ると、悲し気に微笑んだ。
「殿下。クラウス君、強かったでしょう? 彼のメイス、私のバックラーを弾き飛ばしたこともあるんですよ」
エリアスは、彼女にかけてやる言葉を持たなかった。
たまに現場に出るだけの彼と違って、カレンは文字通りに、クラウスと寝食を共にしていたのだから。
「私、一人っ子だったから、なんだか姉弟みたいな気がしてて。あの子、生意気だったけれど、いろいろと私に気を使ってくれたりして」
リョーコの前に歩み寄ると、今度はカレンが、深々と頭を下げた。
彼女の青い瞳は、ブラウンの前髪で隠れて見えない。
「リョーコ様、ありがとうございます。クラウス君が殿下を傷つけようとするのを、止めてくださって。私、大切な人を、二人同時に失わずに済みました」
リョーコは動くこともできないまま、静かに涙を落した。
「ごめんなさい、カレンさん。ごめんなさい……」
「さて、皆さん。我々はこれから、どうするべきでしょうか」
ジェレマイアが、一同の顔を順番に見まわした。
エリアスが指を組んで、壁をにらみつけながらつぶやく。
「俺の部下に、これだけのことをしてくれたんだ。その『ミストレス』とやらは、潰す」
エリアスの怒りはむろんだが、ジェレマイアも、自分の世界を好き勝手にいじくられていることに憤慨を隠さない。
「そうですね。これ以上『不死』を望む必要がなくなるように、さっさと始末してあげるべきでしょう。差し当たって、その女主人とやらを探し出す方策ですが」
リョーコが立ち上がって、話題をさえぎった。
「ちょっと待ってください。その前に急いでやらなければならないことが、あると思うんですけれど」
ジェレマイアが眉を上げた。
「何です?」
「フリッツ君に知らせなきゃ。狙われてるって」
息せき切って話すリョーコに、ジェレマイアは苦笑をもらした。
「なるほど。もっとも、彼は以前から、我々悪魔に狙われていたわけですがね」
だが確かに、天使が「不死」であるリョーコとフリッツを狙っていることは、先の大天使ミカエルの発言でも明らかである。
リョーコのもとに天使が現れたのであれば、同じタイミングでフリッツを襲撃しようとしていても、不思議ではない。
「でも。フリッツ君、どこにいるのか」
途方に暮れるリョーコに、エリアスが含み笑いで答える。
「言ったろう、リョーコ。俺はポリーナから、すでに奴を探す依頼を受けているってな。じきに報告が来るはずだ」
それを聞いたメリッサが、何かに思い当たったように口をはさんだ。
「ふうん、すでにアバドンに捜索を命じてるってわけね。どうりで彼、最近姿を見せないと思ったら」
へ、とリョーコが尋ねる。
「アバドンって?」
何気なく放った質問にエリアスが一瞬言いよどんだのを、彼女は見逃さなかった。
「俺の部下の悪魔だ。ほら、ヒルダとメリッサの戦いのときに、俺の横に巨漢の悪魔がいただろう? やつの探索の技能は一流だ、必ずフリッツを見つけ出してくれるさ」
リョーコは、二本の短い角を生やした、フルアーマーの巨漢を思い出した。
黒い髪の、彫りの深い意志の強そうな顔。
でもあの悪魔さん、その外見とは裏腹に、物腰柔らかそうな、いかにも好漢って感じだったな。
「でも悪魔の攻撃って、天使に効果あるの?」
もっともな質問だとジェレマイアがうなずく。
「あなたの言うとおりです。私も実際に見たことがあるわけではありませんが、恐らく傷つけあっては再生する、の繰り返しになるでしょう。どちらも、お互いの改変遺伝子を破壊する能力はありませんから。天使と悪魔の、永劫に続く闘争というやつですね」
「じゃあ、そのアバドンさんじゃ、天使を倒せないじゃない。もし、戦いになったら」
「そうなったときには、フリッツ自身が何とかするだろう。やつの『スプリッツェ』でな。お前と別れても、戦う気力までなくしちまったわけじゃないんだろう?」
からかうような物言いに、リョーコはむっとした。
「もう。他人のプライバシーに首突っ込むの、やめてよね」
エリアスは苦笑すると、ジェレマイアに向き直った。
「さて、『ミストレス』を探し出す方法ですが。俺は、その女が恐らくは治癒師であろうと考えています。遺伝子改変ができるのは、治癒師だけですからね。悪魔を作り出してきた治癒師としてのあなたの考えは、いかがですか?」
くだんの「ミストレス」と同族だといわんばかりのエリアスの発言にも、ジェレマイアは薄ら笑いを浮かべるばかりである。
大した鉄面皮だ。
「きっとそうでしょう。しかもその女性は、ユークロニアと何らかの形でつながっているはずです」
ジェレマイアは宙を見つめながら、記憶の底を探る。
「私の遺伝子改変の知識は、今よりずっと過去に存在していたアンブローズという名の研究者が、ユークロニアの知識をベースに独自に発展させたものなのです。だから、悪魔はこの世界のオリジナルの技術です。だが、天使は違う」
そこまで話すと、ジェレマイアはエリアスをじっと見つめた。
異世界転生者である彼を。
エリアスはその視線に、居心地の悪さを覚えた。
「ユークロニアの組織、俺が所属していたインテグラルが、その『ミストレス』に遺伝子改変技術を供与しているというのですか」
「その可能性が、極めて高い。エリアス王子、君は何らかの任務を携えてこの世界に転生してきたのでしょう?」
ジェレマイアの指摘は、その一つ一つが的を得ている。
「……そうです。フリッツの『不死』についての情報を入手する、というやつです」
「じゃあ、君はそれをどうやってユークロニアに持ち帰るのですか?」
「異世界転生DNAと記憶継承用パスワードRNAを、どこかで組み込むはずでした。任務をクリアした後で」
「では、それを組み込む治癒師というのは?」
「その名前も所在も、不明です。最高機密でしたので、我々エージェントにも通常、ユークロニアに帰還する直前まで知らされることはないのです」
一連の問答で自分の推測が確信に変わったのだろう、ジェレマイアは手を打って喜色を表しながら言った。
「なるほど、決まりですね。その治癒師が、すなわち『ミストレス』なのですよ。ユークロニアに知識を流出させている、この世界にとって裏切り者であるその治癒師が。その女性はおそらく、ユークロニアすら裏切って、自分自身が『不死』になろうとしている」
エリアスは、驚きに打たれた。
「不死」を求めた治癒師が、この世界も、ユークロニアも、裏切る。
自分もユークロニアを裏切った身の上ではあるが、それは新たに転生したこの世界を守るためだ。
いずれの世界にも愛着も帰属意識も持たないその女は、いったい何を考えているのだろうか。
「ユークロニアは、インテグラルは、そのことを知っているのでしょうか」
つぶやくようなエリアスの質問に、ジェレマイアは一瞬凶暴な光を、その紫の瞳に閃かせた。
「さあ、何とも。気づいていないのか、わざと泳がせているのか。いずれにしても、私にはまったく理解も許容できない類のものですがね」