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第八三話 それは優しさじゃないよ

 あどけなく笑っている隻腕の女魔導士を前にして、カレンは思わず後ずさった。

 魔導士アカデミー首席のヒルダさんと戦って、相打ちにまで持ち込んだ、あの女悪魔か。

 下級天使の集団を一撃で壊滅させた、その魔法の威力も脅威ではあったが。


 この人、自分の真名を私に名乗った。

 グリッチリボルバー、不具合を円環する者。


 魔導士が自分の真名を相手に告げるのは、二つの場合しかない。

 一つは、自分のすべてを任せられるほどに、相手に全幅の信頼を寄せた場合。

 もう一つは、知られても別に構わない、すなわち、相手を殺せると確信した場合。


 メリッサと名乗った彼女は、エリアス様の直属である私の名前をすでに知っている。

 ということは、殿下が目的なのか。

 悪魔が、なぜ殿下を。


 警戒するカレンの視線を特に気にする様子もなく、メリッサは無防備に彼女に背を向けた。


「お話はあとにしましょう、カレンさん。もう少し、雑魚が残っていますから」


 メリッサの周囲の闇が、細身の彼女の輪郭を境にして、ぶうんと唸りをあげてゆがむ。

 彼女の栗色の髪が、ふわりと放射状に広がった。

 濃密な、魔力の渦。

 メリッサは、右手を中天に高々と差し上げた。


「其、転冠矩撒核!」

「其、転冠矩撒核!」


 舞うようにその場でくるりと一回転する間に、彼女はすでにその詠唱を終えていた。

 彼女の右手の細い指から放たれた二十本の赤い光の矢は、夜の闇にも関わらず正確に目標へと誘導されていった。

 すべての光弾が残されていた下級天使たちに命中すると、それらの肉体はことごとく崩壊を始める。


 カレンは仰天した。


 これって、魔法なの?

 こんな短い呪文、見たことも聞いたこともない。

 しかも、それを連発するとは。

 彼女の詠唱速度なら、たとえ接近戦になっても、魔法だけで相手を圧倒できるじゃない。

 圧勝、できるじゃない。


 カレンは、身の引き締まる思いだった。

 世の中にはまだまだ、私の知らない恐ろしい相手がいる。






 周囲は、すっかり静けさを取り戻していた。

 草陰から聞こえてくる虫の音だけが、二人の女性を沈黙から救う。

 動いている天使がいなくなったことを確認したメリッサは、ふう、と一息つくと、カレンに向き直った。


「『核撃』を、全体魔法としてアレンジしたものです。ヒルダさんと二人がかりでようやく完成したんですけれど、さすがにちょっと疲れますね」


 よく見れば確かに、メリッサの額には、うっすらと汗の珠が浮かんでいる。

 満月の光がそれらをきらきらと輝かせ、彼女の顔をより美しく見せていた。


 カレンは腰を折り頭を下げると、感謝の言葉を口にした。

 私はともかく、殿下を助けてくれたのは間違いない。


「……ありがとうございます。天使たちを倒してくれたということは、あなたは殿下の敵ではないと考えてよいのですね?」


 この女悪魔は、向こうにいる男性がエリアス殿下だということは、先刻承知に違いない。

 この際、駆け引きは無用だ。


 メリッサは、一瞬きょとんとした表情をした。


「殿下? ああ、エリアス殿下でしたね。そう、そうだった」


 殿下という言葉に、メリッサは今一つぴんときていないように、カレンには思えた。

 殿下は、殿下でしょうが。

 なんなの、この子。


 メリッサは一人合点にうなずくと、視線をカレンに戻した。


「ええ、私は彼の敵ではありません。ただし」


「ただし?」


 メリッサは、上目遣いに笑った。


「あなたの敵では、あるかも」


 カレンは緊張した。

 殿下の敵ではなくて、私の敵。


「どういう意味でしょう。私怨、ということでしょうか」


「そうです。きわめて、プライベートなことです」


 カレンは困惑して肩をすくめた。

 身に覚えが、まるでない。

 しかし理由がどうであれ、凄腕の魔導士でしかも悪魔である彼女と一対一で勝負とは、ちょっとハードな気もするが。

 まあ、売られた喧嘩は買うしかない。


「なるほど。自分の気付かぬところで、私はあなたの恨みを買っていましたか。あなたが私にわざわざ真名を告げたのは、私のことは生かしておかない、という意思表示だと受け取ってよいのでしょうか」


 覚悟を決めて戦意を固めるカレンに、メリッサは驚いた表情で慌てて手を振った。


「え。誤解です、カレンさん。私が、恋がたきを殺すようなタイプに見えますか?」


「は。恋がたき?」


「なぜ私が、こんな悪役令嬢みたいなポジションに。悪魔なんかになって悪いことしてきたから、やっぱり罰が当たったのかなあ。ぶつぶつぶつ」


 落ち込むメリッサに、カレンはすっかり毒気を抜かれていた。






 草むらを踏み分けて、誰かが二人の元へと近づいてきた。

 負傷したリョーコを支えながら、エリアスがゆっくりと歩いてくる。


「カレン、無事だったのか。まったく、無茶しやがって……」


 続く言葉を言いかけた彼は、カレンと向かい合っている隻腕の魔導士に気づいて、驚きの声を上げた。


「メリッサ、君だったのか」


「遅くなってごめんなさい、ラン……エリアス。なんか嫌な予感がしたから、ある人のところに寄ってたんだけれど。それが、裏目に出ちゃったみたいね」


 ぴくり、とカレンの顔が引きつった。

 この子、殿下を呼び捨てにした。

 それにそれに、何なの、この親し気な会話。

 まさか殿下、この悪魔っ子と知り合い?


 エリアスはそんなカレンの刺すような視線を痛いほど感じながらも、メリッサとの会話を続けざるを得ない。

 まさに、薄氷を踏む思いだ。

 俺はただの独り身なのに、なぜこんな、浮気がばれたみたいな気分を味わっているのだろう。


 くそう。

 身から出た錆、か。

 

「ある人? 誰のことだ、メリッサ」


「それは後で。それよりも、本当に申し訳なくて。あなたも、カレンさんも、そしてそちらの女性の方も、みんなひどい怪我。私がもう少し早く来ていれば、こんなことには」


「いや、あの天使たちを倒してくれただけで十分だ。こちらには、奴らに対抗する手段が全くなかったからな。君、さっきの魔法はもしかして?」


「ええ、『核撃』のバリエーション。ヒルダさんが、快く教えてくれたのよ」


 エリアスは、ふむとうなずいた。


「そうか、この前彼女のところに出かけて行ったのは、そういうことだったのか。それにしても、快く? 魔導士が自分のオリジナル・スペルを、そう簡単に他人に教えるとは思えんが」


 エリアスの疑問に、メリッサはウィンクで答えた。


「ふふ。マンゴーシェイク、プラス付与魔法と引き換えでね」


「ふうん?」


「そんなことより、エリアス。あなたが支えているその方、紹介してくださる?」


 エリアスに抱きかかえられるようにして立っているリョーコを、メリッサはまじまじと見ている。


「ああ、そうか。彼女が以前話したことのある、リョーコだ。とりあえず、今は俺たちと共闘してくれている」


 リョーコは、もちろんメリッサのことを覚えている。

 エリアス、その時の彼はランディだったが、彼がメリッサの左腕を切断する際に、フリッツに「鎮痛」をかけるように進言したのは、ほかならぬリョーコだった。

 メリッサは今は白いカーディガンを羽織って、左肩の切断面を人目に触れないようにしている。


 リョーコは両肩の痛みも忘れて、メリッサの顔を改めて見た。

 肩まで届く栗色の髪に、くりっとした愛嬌のあるたれ目。

 本当にこの世界の人たちって、かわいい子が多いわよね。

 ちょっと田舎っぽいお姉さんっていうの、男の子の大好物じゃない。


 リョーコは、ぺこりと会釈をした。


「初めまして、リョーコです。パン屋の店員やってます」


 戦場にそぐわない、あまりに普通の自己紹介に、メリッサがころころと笑いながら会釈を返した。


「悪魔やってました、ヴォラク改めメリッサです。あなたが噂の、ピンク髪の狂剣士さんですね。あなたを怒らせたら助からないって、悪魔の間では評判でしたよ」


 リョーコは動かない両腕の代わりに、右足でエリアスをがんと小突いた。


「エリオット君。あなた、彼女に私のこと、どんなふうに説明してんのよ」


 すねを抑えてかがみこむエリアスをひとしきり笑った後、メリッサは一同を見回した。


「それよりも皆さん、ここにとどまるのは危険です。奴らの増援が来るかもしれませんし。あの、カレンさん。どこか安全なところ、ありませんか?」


 恋がたき、という言葉が頭の中でずっと反響していたカレンは、慌てて実務モードに自分を切り替えた。


「それなら、守備隊の執務室はどうでしょうか。隊員たちに見つからないような配慮は必要ですが、基本的に私と殿下しか入室できない決まりになっていますし」


 メリッサは、右手の指をぱちんと鳴らした。


「グッドです。そうと決まったら、さっそく向かうとしましょう」


 それを聞いたエリアスは林の中へと駆けていくと、ミカエルとの戦闘前に木につないで隠しておいた二頭の馬を引いてきた。


「じゃあ俺は、自分の馬にカレンを乗せていくとして。メリッサ、リョーコを頼めるか? 君、右腕だけでも馬を扱うことが」


 みなまで聞かずに、メリッサは右の親指を立てて見せた。


「ふふ、片腕でも問題ないわ。チャームの魔法でお馬さんとも仲良くなれるしね。それではリョーコさん、よろしいですか?」


「あ、すいません。ちょっとふらふらしてて。お願いします」


 リョーコの尋常ではない顔色に気づいて、メリッサは表情を改めた。

 にこにこしてるから分からなかったけれど、かなり危険な状態かもしれない。


「エリアス、私たちはちょっと急ぐわね。リョーコさん、魔法をかけますので、落ちる心配はありません。手を放していて結構ですので、なるべく楽な姿勢で、私にもたれていてください」


 エリアスはリョーコを支えると、騎乗したメリッサに続いて彼女を鞍に押し上げてやった。

 メリッサは後ろに乗ったリョーコの位置を確認すると、短い呪文を詠唱する。


「其、盤沿擦交相」


 ぐったりとうつむいたリョーコは、メリッサの唱えたバインド、固着の呪文で彼女の背にぴったりと寄り添った。


「それでは後ほど。はあっ!」


 メリッサの操る軍馬は、夜の街道を王城の方へと、またたく間に駆け去っていった。






「……それじゃ、カレン。俺たちも行こうか」


 エリアスは、槍で傷ついた彼女の左手を布で縛った。

 ひらりと馬にまたがると、馬上からカレンの右手を引いて引き上げる。


 しばらく、無言で駆けた。


 暗闇を見つめたままのエリアスの背に、カレンが小さくつぶやく。


「殿下。今まで、ずっと隠されていたんですか」


「ああ」


「あのメリッサって方と知り合いだということは、殿下は悪魔の仲間だということなんですか」


「あの時いた赤い髪の男、あれは俺だ。君とは別行動をとって、魔導士同士の戦いを止めようとしていた。今はもう悪魔たちは散り散りとなって、俺は独自の行動をしている」


「悪魔と手を組んでまで、何をされようとしていたのですか」


「この世界を守りたかった。と言ったところで、君に信じてもらえそうにも、許してもらえそうにもないな。結局俺は、この世界の人たちにも、君にも、ひどいことをしているんだからな」


「この世界の人。殿下、この世界の人じゃないんですか」


「話せば、長くなる」


 カレンの右こぶしが、どん、とエリアスの背中をたたいた。


「長くても、話してください」


「カレン……」


「話してくれなくちゃ、殿下のこと、守れないじゃないですか」


 エリアスは、背中にカレンの頬のぬくもりを感じた。

 涙の、暖かさも。


「殿下の、ばかあ」


「……すまなかった」


 先行したメリッサたちとは対照的に、エリアスとカレンを乗せた軍馬は、ゆっくりと王城への帰路をたどっていった。


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