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第八一話 彼だけのロイヤルガード

 エリアスはつかの間、自分が下級天使の群れに包囲されていることを忘れた。


 他人の喪失を、自分の痛みとして悲しみ。

 他人へと振るわれた理不尽を、自分への侮辱として怒る。

 すげえよ、リョーコ。

 自分のことを弱いと言い続けながら、人と真剣に向き合えるお前さんは、本物のドクターだよ。


 エリアスは首を振って我に返ると、あらためて周囲を見回した。

 いまや下級天使へと改変された近衛兵たちは、ミカエル崩壊の衝撃でやや動揺をみせたものの、その攻撃態勢を解こうとはしない。

 ミカエルを倒せば天使たちのコントロールが失われる、という彼の予想は、どうやら外れたようであった。

 こいつらの造物主は、どこかで健在らしい。


 「悪魔」を創造したのは、ルシファー、すなわち治癒師アカデミーの長であり自らも治癒師であるジェレマイア理事長である。

 その治癒魔法によって改変遺伝子を人間に組み込むことにより、彼は「悪魔」という超人的な能力を引き出した。

 そして、「天使」と「悪魔」が同様の工程で生み出されると仮定すると。

 天使たちの造物主、恐らくは「ミストレス」なのであろうが、そいつも治癒師だということなのか。


 そしてその治癒師は、王宮外にはめったに出動することのない近衛兵たちに、人知れず遺伝子改変を施している。

 王宮の地下で、極めて少数で活動していた悪魔ならばこそ、その存在の隠ぺいが可能であったのだが。

 このような大勢の兵士たちを、監視の厳しい王宮内で、どうやって天使にしているのか。


 立ち尽くしていたエリアスの腰を、誰かが後ろからつついた。


 「何、ぼーっとしてるのよ。この場を、何とか切り抜けないと」


 振り向いた彼のすぐ前に、弱々しく笑うリョーコが立っていた。


「リョーコ。お前、大丈夫なのか」


「大丈夫じゃない。両腕、全然動かない」


 へらっと笑うリョーコ。

 左肩の深そうな刺創もさることながら、右肩の傷が特にひどかった。

 マウンテンパーカーとカーキのシャツが、肩の筋肉とともにごっそりと削り取られている。

 出血こそ止まっているようだが、満月の光に照らされたリョーコの顔は、より一層その青白さを増していた。


 エリアスは、リョーコが右手に下げている「破瑠那」をちらりと見た。

 彼女の長刀は、いまだに青い燐光を放ち続けている。


「一応聞いておく。その刀、俺でも使えるか?」


 エリアスの予想通りに、リョーコは首を横に振った。


「駄目だと思う。昔、フリッツ君に一度抜いてもらったことがあるんだけれどね。ただの刀としては使えるけれど、こんなふうには全く反応しなかった。多分あなたが振るっても、変性遺伝子破壊デバイスとしては機能しない」


「だろうな。とすれば、なんとか逃げるしかないわけだが」


 「ミストレス」は、あらかじめ二人をターゲットとして兵士たちにインプットしていたようだ。

 各々の武器を持ち上げると、再びじりじりと迫り始める。

 エリアスは小さく舌打ちすると、鋼鉄の拳を引き上げて眼前に構えた。





 先手を打とうとエリアスが跳躍しかけた瞬間。

 天使たちの後方から、どん、ばん、と何かがぶつかり合う音が響いてきた。

 喧騒は次第に大きさを増しながら、徐々に二人の方へと近づいてくる。

 やがて囲んでいた天使たちの一角が崩れると、そこから一人の騎士が飛び出してきた。


「ご無事ですか、殿下!」


 ブラウンのショートボブの髪を振り乱して二人の元へと駆け込んできたのは、エリアスの副官、王宮守備隊副長のカレンだった。

 右手には、無骨だが堅牢なつくりのロングソード。

 左手には、円形の小柄な盾、バックラーを携えている。


 彼女は左前から打ち込んでくる天使の戦斧をバックラーで軽くいなすと、長剣を真正面から相手の顔面に叩き込んだ。

 打ち込まれた天使は口から歯を飛ばしながらも、なおも斧をふるう手を止めない。

 カレンは驚愕しつつも、重量のある長剣をその細腕で流れるように振るい、兵士の右腕を斧ごと斬り飛ばした。

 ひらりと回転して体勢を立て直すと、かばうようにエリアスとリョーコの前に立つ。


 エリアスは、驚きと困惑の入り混じった表情で、彼の副官を見た。


「ばか。カレン、どうして来たんだ」


 言ってしまってから、エリアスは自分が愚かなことを訊いたと思った。

 この状況を知ったならば、彼女が来ないわけがない。

 彼は我知らず、唇をかんだ。

 いくら事情を隠していようと、結局自分は、カレンを危険に巻き込んでしまっている。


 カレンはロングソードとバックラーを別々の方向に構えて天使たちをけん制しながら、油断なく左右に目を配る。


「お帰りが遅いので見張り台に上ってお待ちしていましたら、こちらの方から殿下のお声が聞こえましたので。でも、あんな殿下の叫び声って私初めてで、びっくりして」


 そこまで言って振り返ったカレンの動きが、ぴたりと止まった。

 丸眼鏡を捨て、血染めの手甲をはめたエリアスを、彼女は目を丸くして見つめる。


 汗が滴る銀色の前髪の下から除く、鋭いとび色の瞳。

 エリアスと出会う前から、騎士団中の精鋭としてすでに幾度となく修羅場をくぐり受けてきたカレンには、彼の戦士としての凄みが、肌を通してびしびしと感じられた。


「殿下。この状況は一体」


 カレンは混乱していた。

 どうして殿下が、近衛隊の兵士に襲われているのですか。

 それに、そのお姿や口調、隠そうともしない強い闘志。

 何がどうなっているのです、殿下。


 カレンは、エリアスの後ろでのんきに手など振っているリョーコの姿を見て、さらに驚いた。

 笑うどころか、立っていられるのが不思議なくらいの深手だ。


「説明している暇がない。退路、開けるか?」


 エリアスが手甲の背で、カレンの鎧の胸板を軽くたたく。

 その仕草も、かつての彼からは考えられない、極めて実戦的な合図だ。

 胸に響く小さな衝撃で、彼女は素早く自分を取り戻した。


「どちらかお一人なら、なんとか。ですが、お二人は」


 エリアスは前を見つめたまま、小さくうなずいた。

 カレンの状況判断能力に対する彼の信頼は、揺るぎない。


「そうか。カレンが言うのなら、そうなんだろう」


 エリアスは小さく肩をすくめた。

 「不死」を、やつらに渡すわけにはいかない。

 俺が戦っている間に、リョーコとカレンが逃げてくれるのが、この場合ベストな選択なんだがな。

 だがカレンは、俺が一人で残るといっても、絶対に承諾しないだろう。


 結局。

 俺たちのだれも、誰か一人を犠牲にして助かろうなんて、はなっから考えちゃいない。

 計算のできない馬鹿がそろっているからな。


「やれるだけやってみるか。いつもすまないな、カレン」


 カレンはにっこりと笑って答えた。


「それは、もう聞き飽きましたよ。言葉よりも行動で示してくださいな、殿下」


 そうおっしゃられると思っていました。

 殿下がリョーコ様を置いていくなんて、ありえない。


 私の前ではだらしなくても、何かを隠してお心を開いてくださらなくても。

 エリアス様こそが、私にはただ一人の主君なのです。


 下級天使に向けて構えなおしたエリアスの拳を、カレンがバックラーで軽く押さえて押しとどめた。


「お待ちください、殿下。私が残れば、この兵士たちを引き付けられます。そうすれば、リョーコ様とお二人で脱出が可能です」


 エリアスは心の中で苦笑した。

 カレンの奴、俺と同じことを考えてやがる。

 彼女の提案を、エリアスは一蹴した。


「論外だ。お前がいないんじゃ、逃げても意味ねえんだよ」


 うそ。

 カレンの頬が夜目にもはっきりとわかるほど、赤く上気した。


 リョーコが後ろから、にやりと笑う。


「あーあ、知らないぞ。修羅場確定だわ、こりゃ」


 エリアスは兵士たちをにらみつけたまま、リョーコに怒鳴り返す。


「うるせえぞ、リョーコ。お前、さっきまで泣いてただろうが」


 リョーコは優しいまなざしで、エリアスの背中を見た。


「ごめん、もう泣かない。だって、君が泣いてないんだもん」


 エリアスは一瞬口ごもると、ばつが悪そうにそっぽを向いた。


「ちっ。人をだしにしてんじゃねえ」


 まったく、よく言うぜ。

 お前が、俺の分まで泣いてくれたんだろうが。


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