表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/140

第八話 情報交換会への招待

 左肩から右腰にかけて斜めに背負った長刀をおろし、左腰に引き付ける。

 左手でつば元をつかみ下方へ引き下げると、反対側にあるさやの先が天を向く。

 リョーコは呼吸を静めると、半眼で体の力を抜いた。


 瞬間。

 右手で刀のつかをつかむと、目にもとまらぬ速さで鯉口を切った。

 腕を大きく前方に伸ばしながら、左下から右上へと切り上げる。

 少し遅れて、目の前の小木が斜めに断たれてざざっと落ちた。

 

 途方もなく、軽い。

 刀身の細さのなせる業でもあろうが、それを差し引いても、通常の鍛鉄であるとは思えない。

 こんなにも長い「大太刀」であるのに、片手で抜き付けて、居合斬りすらも可能だ。


 まあ、これだけ目立つ長さだ。

 護身や奇襲が目的の居合には、全く不向きな武器ではあるが。


 リョーコはふうっと息を吐くと、長刀を鞘に戻した。


 私が転生して来る前の、この身体の元の持ち主さん。

 彼女、そうとうな腕だったんだろうなあ。

 身体が、すべての剣術動作を覚えているよ。


 一年前。

 森の中でリョーコが意識を取り戻したとき、数少ない携帯品の中に、簡素だが堅牢なつくりの一本の小太刀があった。

 その刀はまだ真新しい血に濡れており、それがただの護身用ではなく、直前まで実際に戦闘に用いられていたことが知れた。


 この子、剣士だったんだ。


 リョーコは、自分の肉体を改めて確かめてみた。

 上腕二頭筋から大胸筋、腹直筋、下腿三頭筋など、体幹から四肢に至るまで。

 鍛え上げられた筋肉が一年前のままで、今でも維持されている。


 リョーコはこの世界に転生してから、朝の剣の鍛錬を一日として欠かさなかった。

 今まで続けてきた彼女の努力を無駄にするのは、失礼な気がしたからだ。


 きっと、ストイックないい子だったんだろうなあ。

 どうして死んじゃったんだろう。

 弱い私なんかより、ずっとたくさんの人に必要とされたはずなのに。






 長刀を背負って店に帰ってきたリョーコに、レイラが声をかけた。


 レイラは、いつの間にかリョーコが常に身に帯びるようになった刀に関して、特に触れることはなかった。

 何故か、リョーコには刀がしっくりくる、とでも思っている節があった。


「おかえりなさい、リョーコ。お客さん、来てるわよ」


「え? 私に?」


 カウンターの内に刀を立てかけてエプロンをつけたリョーコは、カフェの方をのぞいた。

 テーブルに座っていたのは。


「あ。……フリッツ君」


 黒いショートコートをハンガーにかけ、白いハイネックのセーターだけのフリッツは、姿勢正しく椅子に腰掛けると、目の前のクロワッサンをちぎっては口に運んでいる。

 驚いた表情のリョーコに気付くと、軽く片手を上げて、少し照れたように微笑んだ。


 その笑顔の破壊力ときたら。

 美少女かよ。


「お邪魔してます、リョーコさん。このクロワッサン、本当においしいですね。もう五個目なんだけれど、全然飽きないなあ」


 ぼうっと突っ立っていたリョーコを、レイラが笑いながら小突いた。


「ほらほら、リョーコ。お店の方は私一人で大丈夫だから、ゆっくりとお話ししてきなさいな」


 レイラはリョーコのエプロンを無理やりに脱がせると、さっさとカウンターの方に戻っていく。


 今の彼は、お客さんなんだ。

 ここは、開き直って接客するっきゃない。

 平常心よ、私。


 リョーコはおずおずとテーブルに近づいて、困ったようにうつむくと、顔を赤らめて小さくつぶやいた。


「あ、あの。いらっしゃいませ」


 フリッツはきょとんとすると、ぷっと噴き出した。


「やだなあ、リョーコさん。お仕事中はそんな感じなんですか? キャラ設定、間違ってますよ」


 そういって笑い転げるフリッツ。

 リョーコは、別の意味で顔を赤くして怒鳴った。


「どういう意味よ。この前は悪かったなあって、これでも反省してるのに。何よ、心配して損しちゃった」


 フリッツは笑うのをやめると、リョーコの顔を下からのぞき込んだ。


「心配? ぼくの事を?」


「失言。いまの、忘れて」


 からかいすぎたと思ったのか、フリッツは素直に謝った。


「ごめんなさい、リョーコさん。とりあえず、ここ座りませんか? 店長のお姉さんも、ああ言ってくださったことですし」


 むう。

 悔しいけれど、うれしい。


「し、仕方ないわね。フリッツ君が、そこまで言うんなら」


 気が進まないふりをしながらフリッツの対面に座ろうとするリョーコを、彼が引き止めた。


「あの。となりの席が、空いてますよ?」


「え」


「隣の方が、一緒にクロワッサンが食べやすいし」


「そ、そうか。うん、そうよね」


 言われるがままに、隣の椅子に座る。

 うーん。

 我ながら、ちょろすぎる。


 恐る恐るリョーコがフリッツの隣の席に座ったところで、レイラが二人分のティーカップを運んできた。

 フリッツが、丁寧にお辞儀を返す。


「ありがとうございます、お姉さん。リョーコさんから、こちらのクロワッサンのうわさを聞きました。来てみて、本当に良かったです」


「まあ、こんな可愛い子からお姉さんだなんて。ありがとう、ゆっくりしていってね」


 フリッツ君、うまい。

 まあ、レイラさんもまだ三十歳そこそこだけど。


 レイラは頬をわずかに染めて、弾むような足取りで戻っていった。






 こいつ。

 天性の女たらしか。

 あるいは、天然の。


 ふん、その手は食わんぞ。

 このリョーコ様を甘く見てもらっちゃあ、困るわね。


 リョーコは紅茶を口に運びながら、横目でフリッツをちらりと見た。


「ところで私に用って、なにかな?」


「あの。明日の夜、空いてます?」


 リョーコのカップが、ガチャンと大きな音を立てた。


「は。いや、あの、仕事が」


「あるんですか?」


「ないけれど」


 フリッツは、にっこりと笑った。


「本当ですか、よかった。ここから二区画先にある『ティッキング』っていうレストラン、知ってますか?」


「ん。『ティッキング』って、魚料理で有名なお店じゃない? 私は行ったことないけれど、友達が、凄くおいしいって」


 たしか、ヒルダから聞いたんだっけ。

 でも、なんだかムードのある勝負店だって、ヒルダが言ってたような……


「そうです、そこですよ。明日の夜、一緒に行きませんか?」


「え、私と? 二人で?」


「もちろんです。二人だけで、ゆっくり食事したいなーなんて」


 待て待て。

 こいつは、何かの罠に決まっている。


 彼、吸血鬼じゃない。

 私を誘いだして、今度こそ始末する気じゃ。

 でもそのつもりなら、最初の時にとっくに殺してるよね。


 うーん。

 彼の意図が、読めないなあ。


「そこって、結構おしゃれな店なんでしょ? フリッツ君、そういうお店によく行くの?」


「おしゃれとかはどうでもいいですけれど、本当においしいんですってば。それにほら、この前自警団員さんにも言ったとおり、僕って路上生活者だから。外食する機会も多いので、お気に入りの店もいくつかあるってわけです」


 レストランに通う路上生活者という構図が、そもそもおかしいが。


「そういうわけで、僕の名前で予約しておきますから。ただし、夜道には気を付けてくださいよ」


 フリッツは、リョーコの顔を心配そうに見た。


「リョーコさん。この前、鈴の音が聞こえたって言ってましたよね。もし今度また鈴の音が聞こえたら、すぐにその場を離れてください。理由は、分かりますよね?」


 悪魔。

 襲われた子供。


「それよ、あの鈴の音はいったい何なの? レイラさんたちには聞こえていなかったみたいだし。他にも、聞きたいことは山ほど……」


「だからそういう事も含めて、明日、情報交換しましょう。僕、リョーコさんのことをもっとよく知りたいんです」


 リョーコの顔が、我知らず赤くなった。

 その表情を見て、フリッツが不思議そうに尋ねる。


「? 何なら、明日の夕方迎えに来ましょうか?」


 リョーコは両手を広げて、慌てて(さえぎ)った。


「いい、いい! ちゃんと一人で行けるから!」


 フリッツは立ち上がると、二人分の代金をテーブルの上に置いた。


「そうですか。じゃあまた明日。僕、楽しみにしてます」


 フリッツはにっこりと笑うと、扉をからんと開けて店を後にした。






 あとに残されたリョーコは、呆然と座り続けていた。


 これは、情報交換会。

 これは、あくまでも情報交換会。

 そう心の中で唱え続けていても、彼女の動悸が治まることはなかった。


 居合の練習なんか、してる場合じゃなかった。

 こんなことなら。

 デートの練習、しとけばよかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ