第七六話 治療の代償
王位継承権。
今までランディはそれについて、全く意識したことがなかった。
確かに王族に転生した当初は、そのあまりの偶然に驚いたものだが、かといってそれに特段の意味があるとも思えなかった。
異世界と戦おうというのに、一国内の支配体制に頓着することに、何の意味があるのか。
組織を裏切ると決めた時点で、結局自分は暗殺者として、異世界転生者と戦っていくことに変わりはない。
そう信じてきたランディにとって、王子とは、ただの隠れ蓑以上の意味を持たなかった。
だがここに来て、リョーコは彼に、指導者としてこの世界の意思をまとめ、異世界に公然と立ち向かえと言う。
そのために、王子という立場を利用しろと。
血統という、確かなようでいて実はあやふやなものを根拠に、権力を握れと。
「恐ろしいことを言い出すな、お前さんは」
フライドポテトを口に放り込んでいるリョーコは、けろりとしたものだ。
「一時は、治癒師を全滅させる、なんて覚悟すらしていたあなたじゃない。たかがクーデターくらい、何でもないでしょ」
リョーコはそばに立てかけている「破瑠那」を布越しに撫でながら、そそのかすように言った。
「あなたに王になる気があるのなら、手助けしてあげるわよ。そうして事が成ったあかつきには、転生移民基本法でも、遺伝子改変禁止条例でも、なんでも作って。その辺は、適当にお願いするわ」
ランディには、リョーコの真意が理解できなかった。
「リョーコ。お前は、今まで誰かに利用され続けてきた。散々嫌な目にあってきたはずだし、その上お前、そういう事も含めて全て『忘れられない』んだろう?」
「リスト」にも情報はなかったが、ユークロニアにいた時から、その噂はあった。
組織が極秘裏に、記憶継承用パスワードRNAの改変に成功し、その被検体をこの世界に送り込むという。
この世界のどこかに存在するといわれていた「肉体の不死」、すなわちフリッツと統合し、「完全なる不死」を生み出すために。
それが、今目の前にいるリョーコだったのだ。
「おっと、それを知ってるんだ。まあ『不死』の研究をしてきたあなただったら、『記憶の不死』の私のことに詳しくても、別に不思議じゃないわね」
ランディは、あまりのもどかしさに歯噛みした。
「だったら。お前は、異世界同士のくだらない紛争に付き合う義理など、さらさらないはずだ。逃げ出す権利はお前には十分あるはずなのに、どうしてそうしない。これ以上もうたくさんだとは、思わないのか?」
何も考えていない馬鹿か。
常識外れの、おせっかいなのか。
リョーコは、あははと陽気に笑った。
「ランディ、あなたは良い奴よ。あなただって、この世界を守る義理も理由も、本当はないじゃない。『不死』だって、本来あなたには何の関係もない。なのに、あなたは悩みながらも、自分の理想を捨てずに戦っている」
リョーコは遠い目をした。
探るまでもない、情けない過去の自分の記憶。
「それに比べてユークロニアでの私ったら、格好悪いのなんの。医師のくせに、トラブルを避けることばかりいつも考えて。誰かを助けたい、なんてちっぽけなプライドを持ってるくせに、いざとなると重症の患者さんが来ませんように、なんてお祈りしたりして。ひたすら逃げたい、逃げたいって」
ランディには、今まで蓄積されてきた彼女の悲鳴が聞こえるようだった。
「……医師だって人間だ。お前の言っていることは、きわめて正常な反応だと思うが?」
ようやくそれだけ言ったランディに、リョーコは静かに首を振った。
「弱かった。仕事をしながら、悔しかった。けれどその罪悪感を、フリッツ君は優しさの裏返しだって受け入れてくれた。彼は、私の魂を救ってくれた」
レストランの一夜での、揺れるフリッツとの思い出。
「だから、私はもう弱さを理由に逃げたりはしないわ。もう、見て見ぬふりはしないって、決めたの」
なるほどな。
ランディは理解した。
彼女はフリッツと出会うことによって、本当に生まれ変わったわけだ。
転生、だな。
苦笑したランディは、自分がメリッサにとって同じような存在になっていることには、もちろん気付いていない。
鈍感男の看板に、偽りなしである。
それにしても、とランディは思った。
俺の見るところ、フリッツの方が、リョーコに輪をかけて危うい気がするんだがな。
姉の復讐、その一念だけで自分を支えているのだろうが、奴の精神はまだ少年のそれのはずなのに。
「フリッツ、あの阿呆が。自分の事を棚に上げやがって」
「ふふ、本当にそうね。だから今度はお返しに、私が彼を救う、はずだったんだけれど」
リョーコはそこまで言うと、窓の外を見るふりをして、ランディから顔をそむけた。
彼女は、二人が多少なりとも酔っているという、今の状況に感謝した。
今なら、ランディも私のことを、ただの泣き上戸だと思ってくれるかもしれない。
そんなリョーコの様子を知ってか知らずか、ランディは調子を変えずに会話を続ける。
「お前、異世界転生者だってフリッツに打ち明けたんだろう。奴と斬り合いになったのか」
「ううん。結局、戦いにはならなかった。私、どうしていいか分からなくて。彼も、きっとそうだったと思う」
こいつ、いつまでフリッツ君の話を続けるのよ。
まったく、ヒルダと違ってデリカシーのない奴。
「それで、そのまま別れたと」
追い打ちをかけるランディを、リョーコは憎らし気ににらみつけた。
「別に、別れたわけじゃない。……元々、付き合ってないし」
ぽかんとあきれるランディ。
「は。嘘だろ。何やってるんだ、お前たちは。一つ屋根の下で暮らしておきながら」
正論すぎるランディの指摘に、リョーコは返す言葉もない。
もっとも、当のランディとあのメリッサとの関係を仮にリョーコが知っていたならば、お前が言うなと一喝したに違いないであろうが。
しかし、フリッツとリョーコが一触即発の状態になったことには違いない。
そして彼女には、かねてから考えていたことがあった。
「確かに、今回はお互いに抜かなかったけれど。いずれは私、彼を斬らなきゃならないのかなって」
言っている意味わかるかな、とリョーコが目で問いかける。
「奴がお前を、ではなく。お前が奴を、斬る理由か」
「あなたも気付いているんでしょう? フリッツ君を『不死』から救う方法」
ランディは、リョーコのかたわらに立てかけてある、白い布に包まれた長大な刀を眺めた。
「まあな。お前のその刀で奴を斬るか、あるいはヒルダの『核撃』を叩き込むか、だな。異世界のテクノロジーを破壊するためには、異世界の力をぶつけるしかない。そのために、俺はお前たちと組もうとしたんだからな」
リョーコがぐっと身を乗り出す。
「やっぱりあなた、ヒルダも異世界転生者だって気付いていたんだ」
「当たり前だ。遺伝子知識がなけりゃあ、悪魔は倒せないからな」
ランディがそこまでわかっているのなら、話は早い。
「あなたの言う通り、フリッツ君を『不死』から解放するにはその二つしかない。ただ、ヒルダの『核撃』は付随する破壊力が大きすぎて、細かいコントロールはききにくいと思うんだよね。下手したら、彼の肉体ごと消し飛ばしてしまうかも」
「そうだな。あれはあくまで、攻撃魔法に遺伝子破壊効果を上乗せしているようなものだろうからな」
「その点、私の『破瑠那』なら、別に彼の命を奪うほど深く切る必要はないと思うんだよね。極端な話、ちょっとかするだけで、彼から『不死』を奪うには充分じゃないかなって」
ランディは、うなずいて同意を示す。
悪魔の場合は、改変遺伝子が細胞そのものを変化させているから、遺伝子を破壊することすなわち細胞破壊といえる。
だから、身体が溶ける。崩壊する。
しかしフリッツの場合は、自己転生にかかわる遺伝子のみを破壊するだけなので、身体構造そのものには大きな影響を及ぼさないとも考えられる。
まあ、あくまで理論上の仮定だが。
「それは確かにそうだ。奴を破壊せずに、『不死』を除去できるかもしれない。だが、いいのか?」
「ん、何が?」
ランディの声のトーンが一段階上がったように、リョーコには思えた。
「とぼけるな。奴が『不死』でなくなるということは、その時点で奴の『不死』になってからの記憶が、一切消滅するという事じゃないのか。奴が死んだときに記憶がリセットされるのと、同じ状況になる可能性が高い。お前のこと、全部忘れちまうかもしれないんだぞ」
ランディ、心配してくれるんだ。
彼、感情が高ぶると口調が変わるもんね。
わかりやすい奴。
まあ、ぶっちゃけそう。
フリッツ君は、おそらく不死となった十七歳以降の記憶を全て失うだろう。
その代わり、彼は永遠の不死の輪廻から解放される。
「見損なわないで、私は医師なのよ。必ず治してみせるって、彼に約束したのよ」
リョーコの表情が、患者に説明する医師のそれになる。
「彼には、記憶を失わずに治療してあげるって、嘘ついちゃったけれど。リスクのない治療なんてない。治療って、メリットとデメリットを比較して、どちらを選ぶかなの。外科で言えば、手術をすることによって得られるメリットと、手術に伴う危険性や合併症というデメリットを、天秤にかけるって訳」
「それじゃあ、お前」
「客観的にみて、彼が私のことを忘れるデメリットより、彼を『不死』から解放するメリットの方が、はるかに大きいと判断するわ。フリッツ君、あなた、そしてこの世界にとっても。言うまでもなく、その二つは比べ物にならない」
そうよ。
私以外に、とっては。
フリッツ君を治すために、彼から私の記憶を奪わなければならない。
とっくに分かってたわよ、そんなこと。
ランディは、いらいらしたようにウイスキーをマドラーでかき回しながら、怒ったように言った。
「……それでいいわけ、無いだろうが。さっきも言っただろ、俺はもう身近なものが見えるようになっちまってるんだ。何か、他に方法が」
あれば、いいわねえ。
本当に。
「まあまあ、何か考えついたら、教えて頂戴。それより、仮定の話なんだけれど。私がフリッツ君に斬られたら、どうなるのかな?」
「そりゃあ。お前のその『転生しても記憶を継承する能力』は、多分なくなるだろうさ。しかしフリッツと同様に、お前の身体そのものには、ほとんど影響はないんじゃないか」
「それじゃあ、今までの私の記憶は、どうなるんだろうね。恐らく、残るんじゃないかとは思ってるけれど」
ランディはリョーコの言葉の中に、ある種のおびえが含まれていることを感じ取った。
すべての記憶が消えない。
それはおそらく想像を絶する程の苦痛であるはずなのに、それでもこいつは、フリッツと一緒にいた記憶が無くなることを恐れている。
フリッツの記憶から自分が消えることは許せても、自分の記憶からフリッツが消えることは許せないのか。
「そいつは、どうなんだろうな。俺が一つ言えるのは、軽々しく試したりはするな、ってことだ。何分、お前さんの記憶継承のメカニズムがはっきり分からないからな。間違って消去されたりしたら、コンピューターみたいな記憶のバックアップなんてものはないんだぜ」
ん、とリョーコはランディの言葉に何か引っかかるものを感じた。
バックアップ。
私の記憶継承のメカニズム。
あのグラム・ロックの男に会えたなら、訊いておく価値はあるかもしれない。
リョーコは、空になったグラスの中の氷が解けていくのを、じっと見ていた。




