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第七四話 スピリッツでいこう!

 オレンジ色の夕陽が、王宮の城門を琥珀(こはく)色に染めている。

 現世とあの世を繋ぐ、逢魔が時。

 その幻想的な狭間の景色の中に、それぞれが馬に乗った二人と、それを見送る一人。


「それじゃあカレン、留守を頼むよ」


 愛馬にひらりとまたがったエリアスは、背中に担いだ例のバックパックの位置を直しながら、彼の副官に声をかけた。

 騎士としても一通りの訓練を受けているエリアスは、乗馬姿もさすがに様になっている。


 シンプルな白いシャツにカーキ色のボトム、黒いジャケット。

 そのさわやかな身なりが、トレードマークの丸眼鏡や柔らかな銀髪と相まって、自宅警備員から若手経営者といった雰囲気へとランクアップを果たしている。


 カレンは両手を組んで、ほうっと彼女の上司に見惚けていた。


 士官服も良いですけれど、私服も素敵です、殿下。

 コーデをアドバイスさせていただいたのは、もちろんこの私ですけれど。


 彼女は我に返ると、咳払いをひとつしてから、わざとつっけんどんにエリアスにくぎを刺した。


「まあ、リョーコ様がついていてくだされば、ボディガードとしては申し分ありませんが。あまり、羽目をお外しになられませんよう」


 やはり騎乗したリョーコが、横からとりなすように言った。


「ごめんなさい、カレンさん。本当は、大した話なんかないんですよ。エリオット君が、社会勉強したいなんて言うから」


 カレンは笑いながら、いいですよーと手を振った。


「確かに、エリアス様には王子として、もっと見聞を広めていただかねばなりませんからね。リョーコ様に限って間違いなどないと、私信じていますし」


 下から見上げるカレンの瞳が不安げに揺れるのを、同じ女性であるリョーコは見逃さなかった。

 そりゃあ、意中の相手が、別の女と二人で出かけるんだものね。

 心穏やかでいられるはずがない。


 うう。

 カレンさんの目が怖すぎる。


「やだなあ、カレンさん。前にも言ったじゃないですか、エリオット君は全然私のタイプじゃないんですってば」


 カレンはにこにこと、笑顔を絶やさない。


「まあ、朝帰りじゃなければ結構ですから。殿下のこと、くれぐれもよろしくお願いいたしますね」


 冗談じゃないわ。

 変なプレッシャーをかけるのはやめて、カレンさん。


 そばで二人の会話を聞きながら苦い顔をしていたエリアスは、気を取り直したようにリョーコに声をかけた。


「まったく、カレンは心配性だなあ。それじゃ行きますよ、リョーコさん。馬の扱い、大丈夫ですか?」


 リョーコは手綱をとると、乗っている馬の首筋を撫でた。


「ん。この子、素直な乗り味だわ。ありがとう、エリオット君。軍用の立派な馬を貸してくれて」


 そう言って軽く馬を駆けさせたリョーコを見て、エリアスが感心したように唸った。


「ただ馬がいいだけでは、そこまで乗りこなすことはできません。いい騎士になれますよ、剣士にはもったいないな」


 微笑したリョーコは乗馬帽を深くかぶり直すと、指をそろえて綺麗な敬礼をカレンに返した。


「それでは、カレンさん。エリオット君の護衛、精一杯務めさせていただきます」


 そうして二人はくつわを並べて、市街の方角へと馬を駆っていった。






 王都の歓楽街の一角にあるそのダイニングバーは、週末の夜でもあり、比較的余裕があるはずの広い店内は、ほぼ満席状態でごった返していた。

 やや照明を落とされたカウンター席も、独り者か、あるいは男女の二人連れでやはり埋まっている。


「で。どうして今回は、ランディなのよ」


 カウンター席の一番端に腰掛けて、白い布に包んだ「破瑠那」を壁側に立てかけたリョーコが、うさん臭そうに隣の男性を見た。

 逆立てた銀髪を後ろに撫でつけて丸眼鏡をはずしたその男、エリアスもといランディは、悠々とメニューを手に取って流し読みなどしている。


「お店の前でちょっと目を離したと思ったら、変装なんかしちゃって。どういうつもりよ」


 まったく、得体が知れない。

 こんないい雰囲気のバーで、そんな大人っぽい格好になるな。

 ちょっと、どきっとするじゃない。


「前にも言っただろう、本当の俺なんてどこにもいないと。したがって、これは変装ではない」


 しれっと返すランディ。


「ふーん、まあいいわ。その姿になるってことは、今回は異世界転生者として私と話がしたい、って事でいいのよね。王子ではなく」


 ランディが人差し指を立てて口に当て、静かにしろと目で抑える。


「馬鹿、外でめったなことを口にするな。単に、この姿の方が目立たなくていい、というだけだ。いつも通り、エリオットとして接してもらって構わない」


「そんな無茶な」


 当の本人ですら、その使い分けに混乱している節があるのに。

 なんて面倒くさい奴だ。


「それより、リョーコ。せっかく来たんだ、何か注文したらどうだ。ここの酒の品ぞろえは王都随一だし、料理もいけるぞ」


 リョーコはカウンターから振り返って、店内を見回した。

 程よい喧騒、少し煙った猥雑な空気。

 下町の居酒屋、といった心地よさがある。


 そうした気取らない空間に誰にも気付かれずにこっそりと紛れ込んで、周囲の楽しさを人知れず分けてもらうのが、昔からリョーコは好きだった。

 一人焼肉でも一人遊園地でも、何でもござれよ。


「あなた、ここよく来るの? 引きこもりのくせに、なかなかいいお店知ってるじゃない」


「ここのマスターは、独り者の俺に良くしてくれるからな。今夜は連れがいるから、俺の事を冷やかしたくてうずうずしていそうだな。なあ、マスター?」


 少し離れたところから二人を見守っていた男が、笑いながらカウンターの中を歩いてきた。

 着崩した白いシャツに黒いベスト、ステレオタイプのカジュアルなバーテンダー姿である。

 短いひげを生やした浅黒い金髪の、いかにも陽気な雰囲気の男だが、まだ若い。


 男は、リョーコの前で軽く一礼した。


「お嬢さんはこちら初めてですね? 私、店主のマーヴィンと申します」


「あ、初めまして。リョーコです」


 マーヴィンは、わざとランディにも聞こえるほどの声で、リョーコに耳打ちした。


「はは、ランディさんはいい男なのに、カウンターで私を(さかな)に独りで飲むだけですからねえ。いつも女性の二、三人は、ランディさんに秋波(しゅうは)を送っているんですが、気付かないのは本人ぐらいなものですよ」


 リョーコは、横目でランディをちらりと見た。


 ワイルドな風貌に、静かなとび色の瞳。

 普段は士官服に包んでいてわかりにくいが、私服だとはっきりとその輪郭が見て取れる、均整の取れた身体。

 まあ確かに、女の子が放ってはおかない感じではある。

 実は自宅警備員で、さらに趣味が骨とう品いじりだってのは、ご愛敬だが。


「その旦那が珍しく女の子と一緒だと思ったら、非常なぺっぴんさんと来た。ランディさん、普通に女の子と付き合えるじゃないですか」


 今夜のリョーコは、薄いカーキのインナーシャツに黒のボトム、明るいブラウンのマウンテンパーカーとカジュアルないでたちである。

 馬に乗ることまで考慮した機能的な服装であったが、アップにしたピンクの髪と相まって、活発で明るい印象を与えている。


「まあ。べっぴんですか、ありがとうございます。よく言われますう」


 それを聞いたランディが、けっと悪態をつく。


「たまたま美人を譲り受けただけだろうが。そういうのを、人のふんどしで相撲を取るっていうんだろ、日本では」


「なんでアイルランド人のくせにそんなの知ってるのよ。それに譲り受けたって言うなら、あんたもそうでしょーが」


 ランディはマーヴィンに目を戻した。


「マスター、勘違いしないでくれ。こちらのレディとは、単なる仕事上の付き合いでね。今夜は、接待を兼ねた食事会ってところだ。話し相手としては、理詰めで融通の利かない、怖い相手だよ」


「へいへい。どうせ愛想も愛嬌もない、根暗女ですよ」


「そこまでは言っていないが。まあ自覚症状があるのなら、その通りなのだろう」


 成り行きを面白そうに眺めていた店主が、笑いながら二人の会話に割って入った。


「はは、お連れの方のご機嫌を損ねてしまいましたかね。お嬢さん、お詫びに一杯おごらせていただきますよ。何でもおっしゃってください」


 リョーコの耳がぴくりと動いた。


「本当ですか!? じゃあ、芋焼酎をロックでお願いします!」


 ランディが、ずるっと滑り落ちた。


「おい、リョーコ。焼酎って、あのきつい匂いの蒸留酒か。日本人は皆、いつもあれを飲んでいるのか?」


「日本酒っていう醸造酒もあるけれど、こっちではまだ見たことがないのよね。でも、焼酎がこの世界にあるなんて思わなかったから、発見した時はうれしかったわねえ。私の出身地、焼酎の有名どころだったのよ」


 ほう、とマーヴィンが驚きながら髭を撫でた。


「お嬢さん、外国のご出身ですか? いきなり焼酎を頼まれる女性の方なんて、いやはや、さすがだと言わせていただきましょう。おっと、ランディさんは、いつものウイスキーでいいですか?」


 ランディが降参だというように投げやりに言った。


「ああ。俺も今日は割らずに、ロックで頼む。せいぜい、リョーコの流儀に付き合うとしようか」


「了解です。やりますねえ、お二人さん。最初の乾杯が、二人とも蒸留酒のロックときた。私も酒好きが高じてこの店をやってますからね、うれしくもなります。そうそう、お食事もまだでしょう? 適当にいくつか、作ってきましょうか」


「助かる、マスター」


「それじゃ、しばらくお待ちを」


 マーヴィンは厨房に声をかけると、自分も席を外して奥へと戻っていった。


「アイルランドのスピリッツ、蒸留酒と言えば、アイリッシュウイスキーかジンだからな。もちろんこの世界にはアイリッシュ何て定義はないが、製法や風味が、実によく似ているんだ。有難い話さ」


「ふーん、ウイスキーもスピリッツなんだ。日本では、焼酎やウィスキーは、法律上はスピリッツとは区別されているんだけれどね。でも」


 リョーコは、いたずらっぽくランディを覗き込んだ。


「あなた大丈夫、私お酒強いわよ? つぶれて帰れなくなったらカレンさんに殺されるから、せいぜい頑張ってね」


「おいおい、別に飲み比べしようって訳じゃないんだろ? 今夜は議論を戦わせる、という趣旨だったはずだが」


「ふふ、言ったでしょ。私、戦闘だろうと議論だろうと、あなたには負けないって。むろん、お酒もね」


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