第七三話 タイニー・ビジター
王城の正門に近い外壁に、本城から張り出して設けられた一画がある。
いわゆる出丸と呼ばれる小さな陣屋で、奇襲を防ぐための防御点の役割を担っている。
そしてその中央には、高さこそ低いが石造りの強固な塔が建設されており、王宮守備隊の本部はそこにおかれていた。
「ここのところ暇だねえ、カレン」
将校服に身を包んだ銀髪丸眼鏡の青年が、執務机に頬杖を突きながら、うずたかく積まれた書類にぽんぽんと機械的に印を押していく。
脇に控えた明るいブラウンヘアーの女性騎士は、処理済みの書類を素早く手元のものと入れ替えながら、小さく口を尖らせた。
「何を言ってるんですか、殿下。王宮守備隊に暇などありません。ただでさえ、次回の大陸遠征作戦のために、うちの隊からも人員が四割程度も引き抜かれているんですから。パトロールのローテーションを組むだけでも、かつかつなんですよ。エリアス様にも、入っていただきたいくらい」
エリアスは、はたと膝を打った。
「なるほど、それで。いやに王宮の中に人が少なくて、おかしいなとは思っていたんだよね」
カレンは横目でエリアスをにらんだ。
「まったくもう。先日の御前会議で、お兄様方から遠征のお話、あったはずでしょう?」
「うーん、そうだったっけ。でもまあ、僕たち正規の守備隊の人数が多少減っても、父上や兄上たち、それに姉上にも、それぞれ側近の近衛隊がついているから大丈夫でしょ。第一、この王国で内乱なんて、ここ数十年起きていないし」
カレンは手を止めると人差し指を立てて、女教師よろしく説諭した。
「内乱とは、起きるものです。永遠に存続する国家など、どこにもありはしません。だからこそ、私達の代で終わらせないように努力することが大切なのでは?」
丸眼鏡を押し上げると、エリアスは窓越しに遠くを見た。
永続する世界、というものも、やはりどこにも無いのだろうな。
だが、カレンの言う通りだ。
この世界の住人となったからには、みすみす異世界に滅ぼされるわけにはいかない。
あはは、とエリアスは屈託無く笑った。
「カレン。君と話していると、本当に勉強になるよ。君こそが王族だったらよかったのにねえ。姫騎士として、王国の繁栄間違いなしだ」
カレンは渋面を作って否定した。
「殿下、言うに事欠いてなんてことを。私は一介の騎士にすぎません。そんな、恐れ多いこと」
エリアスは腕組みをすると、肩をすくめた。
「僕だって、たまたま王子に生まれただけなんだけれど。まあ、お互いに与えられた役割を演じきるしかないよねえ」
エリアスは、メリッサの助言を思い出した。
せっかく王子に転生したんだから、それを最大限に活用するべきよ、と彼女は言ったのだ。
確かに、メリッサの言う事にも一理あるのだ。
幸運にも、この世界を動かせるだけの力の一端を、生まれながらにして手にすることができているのだから。
考え込んでいるエリアスの横顔を見ていたカレンは、わずかに頬を赤らめると、そっぽを向きながら言った。
「私は、エリアス様は、やっぱり殿下というのがお似合いだと思いますけれど」
「はは、ありがとう。でも、もし立場が逆だったら、僕は君の副官なんて絶対に務まらないだろうね。それどころか、仕事をしているかどうかも怪しい」
カレンは少しの間、頭の中で想像を膨らませていたようであったが、やがてきらきらと目を輝かせ始めた。
「いえ、とんでもない。ぜひ、ぜひ、副官として私の面倒を見てやってくださいませ。私、ポンコツな姫を演じてみせますから」
エリアスはぷうっとむくれた。
「何かとげのある言い方だね、それ。わかりましたよ、たまにはポンコツな僕がコーヒーでもいれて差し上げましょうか。君がいれたものほど美味しくはなくても、自分と違う味ってのは、案外悪くないんじゃないですかねえ」
「まあ、殿下。そんなに、すねなくてもいいじゃないですか。って」
すこし言い過ぎたとばつが悪そうな顔をしかけたカレンは、エリアスの言葉におや、と思った。
「ん、殿下が私にコーヒーを。そんなことおっしゃるの初めてですね、どういう風の吹きまわしですか。もしかして、何か後ろめたいことでもあります?」
「あ、いや。とにかく、座って待っててよ」
思い当たるふしがないでもないエリアスは、あたふたと椅子を立ちかけた。
扉のノックの音に、カレンがさっと顔を上げた。
ロングソードを脇に引き付け、いつでも抜ける体勢である。
「殿下は、ご在室である。誰か」
カレンの厳しい誰何に、若い男性の遠慮がちな声が扉越しに返ってきた。
「失礼いたしました、クラウスであります。その、殿下に面会を申し出ている者がありまして」
輪番の護衛騎士に、カレンが問い返す。
「面会? アポイントメントも無しにか?」
「それが、自分は殿下の先輩であり、友達だからと」
エリアスとカレンは、お互いに顔を見合わせる。
顎に手を当てながら、エリアスが首をひねった。
「はて。僕の先輩と呼べる人は、レイラ殿くらいだし。まして友達って、そんな人がいるくらいなら、好んで引きこもってなんかいないしなあ」
「もう。なに、開き直ってるんですか」
カレンは、歯がゆい思いをこらえた。
私は、ただの従者。
なんだ、けれど。
と、扉の向こうから、がたがたと物音が聞こえてきた。
「あ、こら。待て、勝手に入ってはいかん!」
ばたんと大きな音を立てて、扉が開いた。
慌てて引き戻そうとする若い騎士を押しのけて部屋に入ってきたのは、ショートボブの金髪の少女。
彼女はつかつかと大股で歩いてくると、エリアスの前で腕を組んで、仁王立ちに彼を見下ろした。
「え、君。ポリーナちゃんじゃないか」
さすがのエリアスも、予想外の来訪者に驚きを隠せない。
少女の口は固く引き結ばれており、彼女の青い瞳はじっとエリアスを見つめている。
「一体どうしたんだい、ポリーナちゃん。レイラさんは、どこに?」
エリアスは彼女の肩越しに扉の方を見たが、後から続いて入ってくる者はいない。
どうやらポリーナは、自分だけでここまでやってきたようである。
長い道中を旅してきた彼女の顔は、乾いた街路の砂で薄汚れていた。
「こんにちは、エリオット君。お母さんには黙って、今日は独りで来ました。あなたに会いに行くなんて言ったら、止められちゃうに決まってるから」
まあ、とカレンが口元を抑えた。
エリアスもあきれたように首を振る。
「独りでって。レイラさんのお店からここまで、君の足じゃ二時間はかかるよね?」
「ご心配なく。足には、すこし自信があるから」
エリアスはため息をついた。
十歳の子供が、初めての道を二時間歩くということが、どういう事なのか。
そこまでの勇気と行動力、子供だなどと気軽にあしらうわけにはいかない。
「だとしても、無茶だなあ。一応僕、王子だからね。兵隊さんに門前払いされるかもしれなかったんだよ?」
門前払いどころか、連行されて尋問を受けることすらあり得る状況である。
エリアスのその言葉にも臆することなく、ポリーナは不敵に笑うと、すまし顔で答えた。
「独りで来たのは、そのためでもあるわ。小さな子供一人だったら、かえって追い返そうだなんて思わないでしょ」
エリアスは唸った。
素晴らしい。
知能犯で、確信犯だ。
カレンも感心したようにうなずくと、手を差し出して、ポリーナがバックパックを下ろすのを手伝う。
「ポリーナ様は、聡明でいらっしゃいます。エリアス様、彼女、相当なお覚悟でここに来られているものと推察します」
エリアスは困ったように銀髪をかき回すと、ポリーナに椅子をすすめた。
「とりあえず、座って。話を伺わせてもらうから」
とまどいながら成り行きを見守っていた騎士のクラウスが、おずおずと口を開く。
「あの、副長殿。ご案内して、よろしかったので?」
「ええ。確かにポリーナ様は、殿下の先輩であり、かつご友人であられます。案内ご苦労様でした、もう下がっても良いですよ」
「は、はあ。それでは、失礼いたします」
警護の騎士を送り出したカレンは、振り返るとポリーナに笑顔で尋ねた。
「ポリーナ様、遠いところ大変だったでしょう。ミルクコーヒーなんていかがですか?」
「ありがとうございます、カレンさん。遠慮なくいただきます」
カレンは笑って、ポリーナに深々と礼をした。
私も小さなころから、王宮には出入りさせてもらっていたけれど。
王族に直談判しようなんて、この歳になっても考えたことはなかったわね。
「はい、かしこまりました。砂糖も、たっぷり入れましょうね」
「それで、ポリーナちゃん。僕に話って、何かな」
ポリーナは目の前に置かれたカップに手を付けないままで、単刀直入に切り出した。
「フリッツお兄ちゃんを、探して欲しいんです」
「フリッツ君を」
カレンが困った表情で、エリアスの方を見た。
フリッツがレイラの店から姿を消したという情報は、治癒師アカデミーを通じてエリアスたちの元にも届いていた。
もちろんカレンはその理由については知るはずもなく、今回の事はひょっとしたら、単なる恋のもつれだと思っているかもしれない。
だがエリアスには、二人の別れが異世界がらみであることは容易に想像がついていた。
結局、フリッツはリョーコを殺せなかったという事か。
まったく、奴らしい選択ではある。
「エリオット君は王子だから、部下の人たくさんいるんでしょ。仕事のついででいいから、指名手配して見つけて欲しいの」
これはまた、難題を。
「指名手配。そりゃあ、できないこともないけれど。だけどね、ポリーナちゃん。彼はリョーコお姉ちゃんと話し合って、自分から出て行ったって聞いているけれど。もし僕が探し出したとして、果たして彼、戻ってきてくれるかなあ」
エリアスの憂慮を、ポリーナはぴしゃりとさえぎった。
「お話は、わたしがします。エリオット君は、見つけてくれるだけでいいんです」
まったく、リョーコとフリッツときたら。
僕に、余計な厄介事を背負い込ませてくれるものだ。
他人の恋路やら因縁やらに、かまってやれる余裕などないのだが。
エリアスはポリーナに、優しく諭すように言った。
「ポリーナちゃん。君も大人になったらわかると思うけれど、男の人と女の人って、当人たち以外にはわからない、色々な事情があるものだよ」
そう言ってしまってから、エリアスは後悔した。
ポリーナの顔に、彼のつまらない一般論に対する落胆の表情が、ありありと浮かんでいたからであった。
「恋人どうしが別れるのは、仕方のないことだと思います。そのくらい、わたしにもわかります。だけどわたしは、お兄ちゃんが家族にだまって出て行ってしまったことに、怒っています」
「家族……」
「わたしのお父さんも、黙っていなくなってしまいました。でもお父さんは、騎士だったから。仕事で急に死んだんだったら仕方ないよねって、お母さんが言ってました。だからわたしも、お父さんのことはあきらめています」
エリアスの心は、きりりと痛んだ。
ポリーナの、お父さん。
レオニート。
ある意味で、彼をポリーナから奪ったのはこの僕なのだ。
「でも、フリッツお兄ちゃんはそうじゃない。元気なのに、だまって行ってしまった。わたしは、それが許せないんです」
エリアスは、自分の掌が汗でにじんでいるのを感じた。
僕は治癒師を、殺さなければならないと誓ったはずだった。
だがそれは、今やポリーナの家族となっているフリッツを消すことでもある。
また、彼女から家族を奪うのか。
この世界と、ポリーナの幸せ。
くそう。
比べるまでも、ない。
エリアスは顔を上げると、丸眼鏡を押し上げて笑った。
「わかったよ、ポリーナちゃん。フリッツ君を探し出して、君が怒っているって伝えればいいんだね。了解した、受けた任務は必ず果たす」
ポリーナは、ぱっと顔を上げた。
「ほんとう、エリオット君?」
「本当さ。もうこれ以上、僕は嘘をつかないよ」
ポリーナは一瞬きょとんとしたが、ばっと立ち上がるとエリアスに飛びついた。
「ありがとう、エリオット君。友達なのに、あなたの立場を利用するようなお願いをして、ごめんなさい」
「そんなことないさ。実は僕はね、友達に何か頼まれたことって、これが初めてなんだ。こんなにうれしいものだとは、知らなかったなあ。カレン、今の話どう思う?」
ポリーナちゃんハグしてうらやましいなー、という思いが顔に出ていることも構わず、カレンは笑って言った。
「どうもこうも。王宮警備隊として、最大限の便宜を図らせていただきます。もっとも、人数が減ってしまっているのはつらいところですが」
「まあ、僕も知り合いに当たってみるからさ。何かわかったら連絡するよ、ポリーナちゃん。さあ、ミルクコーヒー飲んで」
そう言ってエリアスは、自分もカレンのいれてくれたコーヒーを、うまそうにすすり始めた。
カレンの操る馬の後ろに座って、おっかなびっくり腰にしがみついているポリーナに、エリアスが声をかけた。
「そうそう、この手紙をリョーコお姉ちゃんに渡してくれないかな。今度お話ししよう、って書いてあるから」
エリアスと、彼から渡された手紙を交互に見比べているポリーナに代わって、カレンが疑問を呈した。
「殿下。リョーコ様と、何かお約束があるんですか?」
「大したことじゃないよ。いつか、政治についての議論をしようって話したことがあって」
カレンの眉がぴくりと動く。
「エリアス様が、リョーコ様とお約束を。しかも政治についての話なんて、私ともしたことないのに。怪しすぎる」
「変な勘繰りはよしてくれよ、カレン。彼女はああ見えて、なかなか柔軟な発想の持ち主みたいだし。大丈夫、鈍い僕でもフリッツ君の話はおいそれとはしないからさ」
カレンはしぶしぶうなずいた。
まあ、リョーコ様の本命はヒルダ様かフリッツ殿ではあろうし。
「リョーコ様が迎えに来ていただけるなら、殿下の護衛をお任せしても安心ですが。どうせ私には、ついてくるなっていうんでしょう?」
「そう言わないで。今度こそ、コーヒーいれてあげるからさ」
カレンはぷいっとそっぽを向くと、手綱を手に取った。
「それではポリーナ様をお送りしてきますから。コーヒー、期待してていいんですよね」
「もちろん。それじゃあカレン、頼んだよ。ポリーナちゃん、フリッツお兄ちゃんの事は任せて」
ポリーナは母親譲りの金髪をかきあげると、エリアスにウィンクを返した。
「ありがとう、エリオット君。成功報酬は、ファムボンのお店で私とデートできる権利よ」
「そいつは豪勢だ。吉報を待たれよ、お嬢さん」
エリアスは照れたように頭をかくと、ポリーナに大きく手を振った。