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第七一話 放課後の同窓会

 白亜の窓から差し込む午後の光が、教室の中を淡く照らしていた。

 放課後の校舎は人影もまばらで、時折遠くの方から歓声が聞こえてくるほかは、しんと静まり返っている。


 短い黒髪のその女性は黒板に近づくと、目を凝らしてじっと眺めた。

 わずかに残った白墨の痕を目ざとく見つけると、黒板消しを手に取ってそれを丁寧にふき取り始める。

 まったく、誰も気にならないのかしら。


「ヒルダってダンサーだし、細かいことには頓着しない性格だと思ってたけれど。意外に几帳面で、神経質なのよねえ」


 なんて、友達は言うけれど。


 バタフライエフェクト。

 ほんの些細な行動が、生死を分けることがある。

 それに気づくか、気付かないか。


 それは神経質などという性格の問題ではなく、訓練で習得するべきものなのだ。

 取り越し苦労だろうと、最善を尽くす。

 人事を尽くして、天命を待つ。

 まあ、そういう事を意識せずに暮らしていけるのなら、それはそれで幸いなのだろうが。


 もっともこんなことをリョーコに相談なんかしたら、強迫性障害なんて病名を付けられちゃうかもしれないわね。

 あの子ってば、整形外科医なのに、他科の事にも詳しいからなあ。

 きっと、精神神経科の知識も豊富に違いない。

 さすが、忘れられない女。


 粉一つない黒板に人差し指を当てて確認したヒルダは、満足そうに微笑んだ。

 卒業試験も終わったし、もうすぐこの校舎ともお別れね。

 ぱんぱんと手をはたいたヒルダは、急に背後に気配を感じた。


 マジか。

 まったく気付かなかった。

 これが戦闘だったら、私死んでるじゃん。


 ヒルダはすうっと息を吸うと、くるりと百八十度のターンをした。

 ひざ上までのたけのスカートが、ふわりと弧を描く。


「わあっ!」


 真後ろにいた女性が、素っ頓狂な声を上げた。

 肩までの長さのボブの、栗色の髪。

 やや垂れた目を大きく見開いて、後ろへと派手にのけぞっている。


 少し髪が伸びたようだが、もちろんヒルダは、彼女の顔を見間違えるはずもない。


「え。ちょっと、メリッサ先輩じゃないですか!」


「ああ、びっくりした。驚かさないでよ、ヒルダさん。せっかくのシェイク、落としちゃうところだったじゃない」


 メリッサは二つのカップを右手だけで器用に抱えたまま、ひきつった笑いを浮かべている。


「それはこっちのセリフですよ。何、後ろから忍び寄ってるんですか。そっか、ハイドでしょう。隠密の魔法、使ってますね?」


 メリッサは数瞬考えて、思い出したように自分の足元を見た。


「あ、そうか。私最近、付与魔法に凝っててね。このパンプスには、ハイドを付与してたんだっけ。発動させたまま、忘れてた」


 メリッサはその場で軽くタップしてみせた。

 黒いローヒールのパンプスは、教室の硬い床に当たっても物音一つ立てない。

 ヒルダはジト目で、胡散臭そうにメリッサを見た。


「まったく。靴にハイドを付与って、王国の特殊部隊じゃあるまいし。なんか悪いこと、してます?」


「冗談でしょ。男の人と隠れて同棲してるから、見つかりたくないってだけ」


 ヒルダは、げ、という顔をした。


「それって、結構悪いことだと思いますけれど。先輩、彼氏さんと同棲してるんですか。何という立ち直りの早さ」


「いや、まだ彼氏じゃない」


「余計悪いじゃないですか」






 放課後の教室で、魔導士の二人は隣同士に座った。

 メリッサは背筋を正すと、折り目正しく礼を述べる。


「改めてヒルダさん、この前はありがとう。貴方が手加減してくれたから、私は生きてここにいるわ」


 ヒルダは、ぱたぱたと片手を振った。


「とんでもない、お互い様です。先輩の左腕のあの緑竜、ひと咬みで私の首をもぎ取ることができたのに」


 今はすでに無い左腕の傷痕を、メリッサはノースリーブの黒いカットソーで惜しげもなくさらしている。


「かいかぶりすぎよ。あの一瞬、感情が暴発して左腕が制御できなくなっちゃって。あなたに社会人としての心得なんてえらそうに説いてしまったけれど、私自身が未熟だったんだなあって。反省してる」


 ヒルダは安堵した。

 先輩、自分の事を客観的に分析できている。

 あんなことがなければ、もともとが聡明な人なのだ。

 

「ヒルダさんの首の傷、きれいに治って本当に良かった。噂に聞く、リョーコさんとフリッツ君のおかげね。私一度、そのお二人に会ってみたいなあ。あ、これ、お詫びのしるし」


 メリッサは持っていた二つのカップのうち一つを、ヒルダの前に置いた。


「何ですか、これ」


「この前はストロベリーだったでしょ。今回は、マンゴーシェイク」


「わ、先輩大好き!」


 しばらくシェイクを味わう二人。

 カップを片手に、ヒルダが横目でメリッサを見た。


「先輩、髪伸びました? この前会ってから、そんなに日もたっていませんけれど」


「ん。私の身体、悪魔だから。新陳代謝が早いのよね」


 それって、寿命が短くなるって事じゃないのか。

 もちろん、思ったことをすぐ口に出すような迂闊さは、ヒルダにはなかった。

 私に指摘されるまでもなく、そんなこと先輩はとっくにわかっているはずだから。


「でも先輩、髪長い方がやっぱり可愛いですよ。今時、失恋で髪を切るなんて、流行りませんから」


「ふふ、ありがと。そういうヒルダさんは、失恋したらどうするのかしら。逆にロングにする?」


 ヒルダは即答した。


「頭を丸めて、出家します」


「ワオ。スキンヘッドの女性ダンサーか。前衛的すぎるわね」


 彼女なら本当にやりかねない、とメリッサは思った。

 直観力と実行力は、彼女の大きな武器だ。


 ヒルダはぐっとシェイクを喉に流し込むと、メリッサに尋ねた。


「それで、先輩。今日は、学校へ何しに? 私に会いに来るだけなら、ここじゃなくてもいいわけだし」


「相変わらず頭の回転が速いわね、ヒルダさん。ほら、私って学校中退しちゃったじゃない。だからちょっと思い出に浸ろうかな、なんて。この教室って、今でも魔法実習室なんでしょ。懐かしいわあ」

 

 メリッサは、わざとらしく教室をぐるりと眺めまわす。

 ヒルダは腕を組むと、見透かしたように笑った。


「うーん、無理がありすぎですね。私の知っている限り、先輩は、徹底したリアリストだったと思いますけれど」


 私生活はともかく、こと実戦に関しては。

 先輩の行動は一分の隙も無駄もなく、すべてに理由があった。

 そのような総代時代のメリッサを、やはり完璧主義のヒルダは好ましく思っていたものだ。


 メリッサは、ぺろっと舌を出した。


「ばれたか。そりゃあ、学校ですることはひとつでしょ」


 ヒルダは、なぜか顔を赤らめた。


「え、学校でするんですか。まあ、私を選んでくれたのは光栄の至りですが。同棲の件といい、先輩、昔とは思いっきり逆方向にはっちゃけちゃいましたね」


「……あなたが学校というシチュエーションに、何を期待しているのかは知らないけれど。お友達のリョーコさんも、あなたにはさぞ手を焼いていることでしょうね」


「いやー、照れますね。先輩にそんなに脅威と思っていただけるとは」


「ほめてない。まったくもう、ちっとも話が進まないじゃない。学校ですることといったら勉強よ、勉強」


 ヒルダは、臆面もなくとぼけて見せる。


「あれ、私もそのつもりでしたけれど。彼氏さんの前に、私で予習かなー、なんて」


 メリッサはこめかみを抑えた。

 可愛くて優秀な後輩だけれど、インモラルにもほどがある。


「あなたとは違う意味での、本物の勉強。ヒルダさん、私に『核撃』を教えてくれない?」






 ヒルダの表情が、すうっと魔導士のそれになった。


「『核撃』ですか。どうして先輩が。誰か、倒したい悪魔でもいるんですか?」


「ううん。話せば長くなるんだけれど、悪魔って、もう三体しか残っていないのよ。私の上司だったルシファー様、ランディに仕えるアバドン、そして私」


 む、情報量が多いぞ。

 親玉のルシファーってのも、もちろん気になるが。

 ランディって。


「あのう、先輩。そのランディって人、ゴーグル付けたニンジャでしょ」


「ああ、そうか。あなた、アドラメレクさんと戦った時に、一度彼と会ってたわね」


「そのランディって人、何か言ってませんでした? その」


 メリッサには、ヒルダが口ごもった理由がすぐに理解できた。

 彼女、私がランディの事を異世界転生者だと知らないままで、つるんでるって思っているみたい。

 まあ以前の私は、異世界転生者の事を、あれだけ蛇蝎(だかつ)のように嫌ってきたわけだし。

 いやはや、赤面の至りね。

 

「ああ、心配しないで。そうか、あなたとランディ、むこうの世界ですでに知り合いだったのね」


 ヒルダは、不思議な気分に囚われた。

 そう言えば先輩、ここまで異世界について一言も触れていなかったな。

 話題にすることをわざと避けている、という感じでもないし。

 なんか、()き物が落ちた、とでもいうような。


「知り合いといっても、名前しか知らなかったんですけれど。それにきっと、向こうは私が『核撃』を使うまでは、私が異世界転生者だってことは知らなかったんじゃないですかね」


 まあ今では、もちろん彼も私のことを、自分と同類の異世界転生者と認識しているはずだが。

 この世の知識と技術では、悪魔を倒すことはできないのだから。


「彼、先輩に話しませんでした? 彼がこの世界に来たのって、元はといえばフリッツ君を異世界に連れて行く事が目的だったんですよ。これ、リョーコから聞いたんですけれどね」


「え、そうなの? 彼が悪魔に合流したのって、そのフリッツ君を殺すためだって言ってたけれど」


 ヒルダは心の中でうなずいた。

 やはりランディは、完全に異世界を裏切っている。

 彼は組織の犬であることをやめて、「不死」を消去することを選んだのか。


 ふん。

 そこそこ、骨のある男みたいじゃない。


「私も異世界を捨てた身ですので、彼とはある意味似たような立場なんですけれど。彼、今はどこに?」


「だから、私と同棲してる」


「は?」


 頭の中が冷徹魔導士モードだったヒルダは、話の変化についていけない。


「ちょっと待って下さい。それじゃあ先輩、異世界転生者だと知ったうえで、ランディ、えっと、彼氏さんと同棲してるんですか」


「イエース、うらやましいでしょ。彼氏じゃないけど」


「……やっぱりすごいや。私、先輩の事、尊敬し直しました」


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