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第六七話 キスのキは危険のキ

 からん。

 扉のベルが、澄んだ音を朝の店内に響かせた。


「いらっしゃいませ、おはようございまーす」


「おっはよー、リョーコ」


 王立アカデミーのブレザーを羽織ったスマートな女性が、軽いステップで店内に入ってくる。

 毛先のはねた黒いショートヘアをちょっと手櫛で整えると、彼女は笑いながら手を振った。


 白いエプロンを付けたカウンターの店員は顔を上げると、やはり小さく笑って手を振り返す。

 サーモンピンクの髪を団子状にしてアップにまとめ、その上からバンダナを巻いている。

 彼女の緑色の瞳が初春の朝の光を映して、周囲にきらめきを散らした。


「ハーイ、ヒルダ。今朝は早いわね、単位が足りないから補修?」


 にやりと笑ったリョーコに、ヒルダがいひひと笑い返す。


「ばーか。もうすぐ卒業なのに、この期に及んで単位が足りない奴がありますかってんだ。たまには、リョーコの寝起きの顔を拝みたいと思ってね」


 顔を近づけてのぞき込むヒルダを、リョーコはしっしと手を振ってあしらった。


「何が寝起きよ。私、レイラさんと一緒に五時からパンの仕込みやってんだから」


 それを聞いたヒルダは、がたっと後ろに下がった。


「うげ、五時。私がぼちぼちベッドに入る時間じゃない」


 リョーコは腰に手を当ててため息をつくと、救い難いというように首を振った。


「ヒルダ、あんたね。いい加減その生活改めないと、普通の女の子の倍は早く、肌が老化しちゃうんだから」


 自他ともに認めるクールビューティーのヒルダには、その言葉はかなり刺さったらしい。


「ご冗談、って言いたいところだけれど。お医者さんが言うんだから、ちょっと怖いわね」


 リョーコは、つんと澄まして返す。


「今は医師じゃないわよ、パン屋の店員。それに私、整形外科医だったからね。アンチエイジングは専門外」


 からかわれたことに気付いたヒルダは、頬を膨らませてリョーコをにらんだ。


「なんだ。じゃあさっきの脅し、てきとーじゃない」


「ばれたか」


 ひと時の間、親友たちは笑い合った。






「どう、最近。お店、忙しい?」


 まだ開店していない店内に常連特権で入り込んだヒルダは、テーブル席につくとリョーコを誘う。

 リョーコはミックスフルーツジュースとホットドッグを二人分運ぶと、それぞれに配膳してから、対面の椅子に座った。


「うん、順調よ。レイラさんのパンなんだもの、お客さんが増えることはあっても、減ることはないわ」


「それは良かった。人間って暇な時間があるほど、余計なことを考えて鬱になるらしいわね。ユークロニアにいた時に、なんかの論文で読んだわ」


 ジュースを手に取りかけたリョーコは、目を丸くした。


「ヒルダ、あなたって医学論文も読んでたの? 遺伝子工学専門でしょ。しかも、あんたがユークロニアにいたのって、小学生くらいの時じゃない」


 ヒルダは軽くウィンクした。


「何でもどん欲に、好奇心旺盛に、ね。わかるでしょ?」


「ヒルダの好奇心は、なんか偏ってる気がするけれど」


「まあ、飽きっぽいのは認めるけれどね。一途に追いかけてるのは、ダンスと魔法とリョーコくらいかな」


「その二つに並べていただけるとは、このリョーコ、大変光栄でございますよ」


 リョーコは笑ってバンダナを押さえると、おどけて会釈をしてみせる。

 ヒルダは熱いホットドッグをほおばりながら、少しすねたようにリョーコを見た。


「でもマジな話、お昼とか、リョーコいつも配達で不在してるじゃない。最近の私、リョーコ遭遇率低いんだけれど」


「レアキャラか、私は。ガチャなら、回転数で勝負してどーぞ」


「まあ攻略法があるんだから、まだましか。こうして早朝に来れば、確実に会えるわけだからね」


 ヒルダの言葉に、リョーコはマドラーでフルーツジュースをかき混ぜながら、あははと笑う。

 グラスの中の氷が、からんと澄んだ音を立てた。


「そっか、確かに最近ヒルダと遊んでなかったわね。ごめんね、付き合い悪くて。繁盛してるって、幸せなことなんだけれどね」


 コースターに落ちた水滴をふき取りながら、リョーコが続ける。


「フリッツ君がいなくなってから、女の子のお客さんが減るんじゃないかって思っていたんだけれど。ついでにパンを食べてくれたお客さん達、軒並みリピーターになってくれてるんだよね。感謝、感謝」


 がくっと、ヒルダはテーブルの上に突っ伏した。


「どうしたの、ヒルダ。寝不足?」


「あんたってやつは……」


 ヒルダはがばっとはね起きると、恨めしそうにリョーコを見た。


「親友の私がここ一カ月、気を使ってフリッツ君の話題を避けてたのに。リョーコの方からあっさり切り出してくるなんて」


「あれ、そうだったの」


「だあー。心配甲斐のない奴だよ、あんたって子はさぁ」


 リョーコは微笑すると、窓越しに外を見た。


 桜の花が、開きかけている。

 この世界の春も、ユークロニアと変わらずきれいだ。


 リョーコはヒルダに視線をもどした。


「ありがとう、ヒルダ。大丈夫、って言いたいところだけれど。時々、夢に見たりするんだ。情けないけれど」


 ヒルダは黙って聞いていた。

 知っている。

 あれからしばらくは、朝見たリョーコのまぶたは腫れていたし、目の下のくまも見ていられなかった。

 いったい幾晩、泣き疲れて独りで眠っていたのだろう。


 待つしかなかった。

 彼女が自分で、寂しさを、悲しさを、追い越してくれるのを。


「いいんだ、後悔していないし。忘れることができない私の、大切な思い出」


 リョーコはそう言って笑うと、ホットドッグをほおばる。

 シャキリ、とキャベツが切れる音が響いた。






 微笑みながらリョーコの食べっぷりを見守っていたヒルダは、ふとあることに気付いた。


「そういえばリョーコ。あなたこの前、私に『今までの事、すべて覚えている』って、ちらっと言ったわよね」


「うん? はて、言ったかな」


「言ったわよ。それって、単に記憶力抜群って事? 私も記憶力には、そこそこの自信はあるけれど」


 リョーコは、ヒルダの言いたいことがようやく呑み込めた。


「そうか、ヒルダには話してなかったっけ。私ね、物心ついてから経験したこと、すべて覚えてるのよ。というか、忘れることができない。大切なことも、些細なことも」


 以前フリッツにした話を、リョーコはヒルダに繰り返した。


「ある男の話じゃ、それって私が人為的に改変された結果だって」


 何かに思い当たったように、ヒルダは両手を頭の後ろに組んで考え込んだ。


「そっか、リョーコが改変されたのは、記憶継承用パスワードRNAだったのか。通常は転生一回限りで消えてしまうそれを、転生先の肉体にも残しておける、っと。とんでもないオーバーテクノロジーだわ。ん?」


 ヒルダが表情を改めた。

 真剣な彼女のそれは、氷のように冷たく、レイピアのように鋭い。


「ある男。誰よ、それ」


「ほら。ヒルダがあの悪魔、アドラメレクと戦っていた時に、私やリカルドさんたちが『緑竜寮』にヘルプに来たでしょ。あれって、その男がこの店に来て、あなたたちが襲われているって教えてくれたからなのよ」


 リョーコは背後を振り返ると、椅子に立てかけている長刀を目で示す。


「それどころか、この『破瑠那』とフリッツ君の『スプリッツェ』をくれた、張本人」


 正確には、「スプリッツェ」はクロワッサンとの交換だったんだけれど。


「……うそ。リョーコの刀なんて、この世界の魔法だろうがユークロニアの科学技術だろうが、多分製造できないわよ。そいつ、名前は? どんな奴?」


「名前は言わなかった。水色のスーツにトリコロールのネクタイの、化粧を施した美形の男性。ヒルダ、グラム・ロックって知ってる?」


「グラム・ロックか、ある程度の定義は。ふむ、なかなかいい趣味してるわね」


 リョーコは苦笑した。

 やっぱり、そう言うと思った。


 ヒルダってプログレッシブ、進取的な性格だもんね。

 新しいものに対する偏見なんて、一切なさそう。

 それ故、ともすれば乱倫の節もあるのだが。


 うーん、彼女の生き方もロックだわ。

 あのグラム・ロック風の男も、常軌を逸しているという意味では、ある意味本当のロックンローラーなのかもしれない。


 驚いた。

 ロックって、まだ死んでなかったのか。


 それかけた思索を、リョーコは自ら引き戻した。


「本人を目の前にしてそんなこと言えるかしら? でね、イレギュラーな私の存在が邪魔だってんで、その男がこの『破瑠那』をくれたってわけ。きっと私にハラキリさせたいんだって、自分では考えてるんだけれど」


「まどろっこしいわね。そいつが、自分でリョーコを斬ればいいじゃない」


「なんだかね、そいつ、直接この世界に干渉することはできないって言ってた」


「……じゃあ、私たちみたいな元ユークロニアンでもないわね。実際、リストにそんな男の存在はなかったし。二つの世界のどちらとも異なる、第三者」


「そういえば、転生者じゃなくて転移者だ、とも自称してたわ」


 ヒルダは爪を軽くかんだ。

 これまでの登場人物とは、明らかに異質だ。


「転移、ね。どうやらその男、私たちの上位者、オーバーロードみたいなものかも。いうなれば、次元監視官、といったところかしら」


「どういう意味?」


「勝手に遺伝子いじくったり治癒魔法悪用したりして、転生したり不死になったりしやがって、取り締まってやる! ってことでしょ。だからその刀をやるから、フリッツ君を殺してリョーコも自害しろ、って言ってるんじゃないの、そいつ」


「それって、まさか」


「そうよ。フリッツ君とあなた、対になってる。肉体が不死でも死ぬたびに記憶を失うフリッツ君と、肉体は滅びるけれど何度転生しても記憶が消えないリョーコ。そっか、そういう事か」


 リョーコにも、事の次第が徐々に見えてきていた。

 ヒルダがうなずく。


「不完全なあなたたち同士が今、この世界で出会った。これが偶然で済まされる? あなたたち二人が融合した時、完全体が完成するんじゃないの? 今この世界のどこかに、本当の『不死』を求めている奴がいるって事よ」


 記憶と肉体の、永遠の転生。

 それが、完全なる「不死」。


 リョーコは何故か、顔を赤らめた。


「私とフリッツ君が、融合。それって、エッチなやつ?」


 リョーコの純朴だが間抜けな発言に、ヒルダが頭を抱える。


「あほか。子供っていう、単純な合成じゃないと思う。何せフリッツ君の血液、イレギュラーな遺伝子を破壊しちゃうんでしょ? フリッツ君の体液がリョーコの体内に入ったら、下手したらあなた、自分の特別な記憶継承用パスワードRNAを失っちゃうんじゃないの?」


「え。もしそうだとしたら、私どうなるの?」


「わからない。今の記憶はそのままで普通の人間に戻るのか、これまでの記憶をすべて失うのか。最悪、身体がどろどろに溶けちゃうかも」


 リョーコは一気に青ざめた。


「……何てこと。それじゃあ、フリッツ君と一夜を過ごすどころか、キスも危ないじゃない」


 あのファースト・キスはライトタッチだったから、わずかに記憶が飛ぶ程度で済んだのか。

 あれがディープ・キスだったなら、本当にどうなっていたか分からない。

 まあ初対面で、ディープ・キスに発展するはずもないのだが。


 リョーコは、フリッツとの出会いを思い返した。


 でも。

 たとえ、危険だと知っていたとしても。

 私のファーストキスは、フリッツ君意外にはあり得なかった。


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