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第六四話 塔上、風が凪ぐ時

 前触れもなく行われたアンブローズ教導師の変身に、フリッツは一瞬、我を忘れた。

 異形であるのに、決して理解不能な異質な存在というわけではなく、それどころかむしろ、ある種の美しさすら感じられる。

 人工物、だからか。


 アンブローズは変貌した自分の身体を眺めながら、自嘲気味に言った。


「いかがですか、フリッツ。これが対異世界転生者用に開発した変性遺伝子特異体、『悪魔』の姿です。君の能力『不死』をデチューンした上で、他の生物をキメラ合成した代物ですが。どうして、これでもなかなか役に立つのですよ」


 そう言って彼は、カラスのような漆黒の六枚の翼を放射状に広げる。

 フリッツにはそれが、闇の後光のように見えた。


「この部屋ではいかにも手狭ですね。塔の屋上で、話をつけるとしましょうか」


 細い体から生えた不釣り合いな剛腕が後方に一振りされると、アンブローズの背面のガラス窓が粉々に砕け散った。

 朝焼けの鈍い光を映す細かな破片が、粉雪のようにフリッツに降り注ぐ。

 アンブローズは翼をはためかせると、もはやただの開口部となった東の壁から宙へと飛び出していった。


 僕に施した遺伝子実験の、残滓(ざんし)か。

 それを当事者の僕に見せつけるとは、演出としても悪趣味だ。


 フリッツは破壊された窓枠に駆け寄ると、その高度にひるむこともなく、強化した脚で上方へと跳躍した。






 塔の屋上には、何もなかった。

 その中央で、アンブローズはその巨大な腕を組んだまま、黙然と立っている。

 考えに沈んでいるのか、細い脚が石造りの床をこつこつと叩く神経質な音が、朝の冷たい風に交じって響いた。


 階下から弾丸のように飛び上がってきたフリッツを見ても、彼は容易には動こうとしない。

 フリッツはついに焦れて、魔剣「スプリッツェ」を抜き放った。

 複雑な紋様が刻まれた銀色の刀身を、アンブローズは静かに見つめる。


「ひょっとして君、僕が嘘をついていると思っていませんか? 僕が異世界転生者からカタリナを救おうとしていた、なんて全部でたらめで、僕自身が異世界転生者であると」


「十分あり得る話だし、そうであってほしいと僕は思っている。シンプルに、底の浅い相手の方が殺しやすいからな」


 敵意を隠そうともしないフリッツに、アンブローズは小さくため息をついた。


「でしたら、試してみればいいでしょう。カタリナから聞いているはずです。その剣に付与された彼女の魔法は、異世界転生者を探知し選別することができる」


「言われなくてもやるさ。そこのところは、はっきりさせてもらう。ディテクト・フォーリン・ジェネ!」


 フリッツは「スプリッツェ」を水平に構えると、左の拳を刀身に打ち付けた。

 鈍い響きとともに広がった不可視の波が、フリッツを中心に放射状に広がり、周囲を包んでいく。

 そして、投射された魔力を無防備に受け止めたアンブローズの髪は、はたして人工的な薄い青色のままであった。


「……どうですか、これでわかったでしょう。僕は元からこの世界の住人です。ネイティブですよ」


 明らかに失望の色を見せたフリッツは、アンブローズをにらみつけた。


「だから、どうだというんだ。お前が実験の片棒を担いでいたことに変わりはない。いや、お前がこの世界の住人であるのならば、お前が今までやってきたことは、むしろこの世界に対する裏切りに他ならない」


 フリッツの言葉に、アンブローズは軽蔑と憐憫(れんびん)の入り混じった目を向けた。


「その、世界がどうしたとかいう無理な動機付けで自分を鼓舞するのは、やめたほうがいいですよ。君はこの世界を守ろうだなんて、みじんも思っちゃいない。ただの復讐、それ以上でも以下でもありません」


 フリッツは赤い目を燃え上がらせて否定した。


「違う! 僕は姉さんに誓ったんだ。この世界を守ると、そして侵略者たちを一人残らず消すと」


 アンブローズは、自分が聞けなかったカタリナの遺言をかみ締めた。


「……そうか。なるほど、カタリナがそう言ったんですね。でしたらフリッツ、彼女の最期の言葉、よく考えてみてください。カタリナが君に、何を望んでいたのかを。それは果たして、異世界転生者を殺戮して回るというような、単純なものなんでしょうかね」


「黙れ、それ以上姉さんを語るな!」


 フリッツは伸びた二本の犬歯をむき出しにすると、瞳から赤い光を後ろに引きながら、アンブローズへと飛び込んでいった。


「まあ、言葉で納得なんてできませんよね。当の僕も、カタリナを失った今、正直ひと暴れしたい気分なんです」


 アンブローズは目を細めると、巨大な拳を腰だめに構えた。






 異形とはいえ、人型。

 恐らくは胴体に、何らかの(コア)があるに違いない。

 フリッツはアンブローズの左胸を狙って、電光のような突きを放った。


 相手が身を(ひね)ってかわすと予想していたフリッツは、目を見張った。

 突きの正面から、その岩のような拳をまっすぐに繰り出してくる。

 あまりに速い相対速度に、手ごたえを感じる間もなかった。


 アンブローズの右腕は「スプリッツェ」をまっすぐに呑み込むとそのまま突進を続け、刀身を内部に抱いたまま、柄を握ったフリッツの拳を直撃する。

 右腕から全身に衝撃が伝わり、抜けた「スプリッツェ」ごとフリッツは後方に大きく吹き飛ばされて、硬い石床にどちゃりと落ちた。


 アンブローズは薄く笑いながら、右腕を軽く振った。

 串刺しにされたその腕の傷は、またたく間に埋まりふさがっていく。


「固定観念は捨てることです、フリッツ。通常の武器や魔法で、『悪魔』の体を破壊することはできません。カタリナから聞いていませんか?」


 フリッツは、頭を振りながら起き上がった。

 治癒魔法でとっさに骨化させた右の拳は破壊を免れていたが、前腕と上腕には激痛が走った。

 双方とも恐らく、骨折しているのだろう。


 魔法による治癒を砕かれた右腕に集中させながら、フリッツがうめいた。


「姉さんが? 何のことだ」


「そうですか、聞いていないんですか。彼女には、僕と君がこうして激突するであろうことが分かっていたはずなのに」


 アンブローズは寂しげに笑った。


「君に僕を殺させたくなかったから、あえて彼女は話さなかった。などというのは、僕の虫のいい妄想でしょうね。その『スプリッツェ』の刀身、変だとは思いませんか?」


 フリッツは、ブロードソードの表面にちらりと目を走らせた。

 確かに、ただの装飾などという無意味なものを、姉のカタリナは好まなかったが。


「この紋様の事か? これは『ディテクト・フォーリン・ジェネ』を周囲の空間に効率よく伝播するための」


 いまだ足元がふらついているフリッツに、アンブローズはゆっくりと近づいた。


「まったく違いますよ。毛細管現象、学びましたか? 液体の表面張力によって、狭い管の中を液体が移動していく現象なんですが。そして、この場合の液体とは」


 アンブローズは六枚の羽を高速で震わせると、フリッツの眼前に瞬間的に移動した。


「君の血液ですよ」


 教導師はフリッツの右手首をわしづかみにすると、恐ろしい力で「スプリッツェ」の刀身をフリッツ自身の太ももに押し付けた。


「!」


 焼けるような熱さとともに、裂けた皮膚から流れ出したフリッツの血液が「スプリッツェ」の細かな紋様へと注ぎ込まれ、あたかも発光したかのようにその刀身が赤く染まる。


「君の血液は、この世界に元来存在していない遺伝子構造を含んだ細胞を、破壊することが出来るのですよ。もちろん、君自身は別ですけれどね」


 アンブローズの冷静な言葉が、かえってフリッツの憎悪をあおった。


「どうして、そんなことを僕に教える」


 アンブローズは、赤く輝く「スプリッツェ」を複雑な表情で眺めた。

 恐らくはそれが、死んだカタリナの遺品でもあるからだろう。


「『悪魔』がどんな方法でも傷つけられないなんて、チートすぎてつまらないですからね。もっとも君が本当に『不死』なら、敵に塩を送った僕はとんだ道化ですが。君の方がはるかにチートなんですからね」


 アンブローズの言葉が、フリッツには空虚なものに思えた。

 絶対に死なない戦い、あるいは死んでも構わない戦いなどに、果たして何の意味があるのか。


「姉さんから聞いた。僕は『不死』なんかじゃない。死んでも生き返る、というだけだ」


「そうですね。確かにその二つは、似ているようで全く異なるものです。しかしとりあえず、これで何らかの区切りをつけることは出来そうです」


 つかんでいたフリッツの右腕を離すと、アンブローズは距離をとって彼と向き合った。

 塔の上の風は、今はもう動かない。


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