第六話 リビングデッド
「それで。あのかわいい彼氏君とは、その後どう?」
リョーコの目をのぞき込みながら、ヒルダがからかう。
「だから、そんなんじゃないって」
「うお。親友の私に、まだ隠すか。マインドブラストの魔法で精神を破壊してでも、口を割らせてやるから」
物騒なことを言うな。
リョーコはベーカリー「トランジット」のカフェテーブルに頬杖を突きながら、ため息をついた。
「あのね。彼と私、まだ三度しか会ってないんだよ。何がどう進展するっていうのよ」
「恋愛は、回数ではなくて深さよ」
ヒルダは腕を組んで、一人でうんうんとうなずいている。
「ヒルダがそんなこと言っても、全然説得力ないんですけれど」
そういうリョーコの鼻先に、ヒルダが人差し指をびっと突き付ける。
「でも、キスはしたんでしょ」
う。
でもあれは、絶対に恋愛じゃないと思う。
「とにかく、お付き合いしてみなさいよ。彼が触媒になって、世界が変わるかもしれないわよ?」
魔導士らしいヒルダの言い回しに、リョーコはもう一度ため息をついた。
別に世界を変えたいなんて、そんな大それたことは思っていないけれど。
私、変われるのかな。
いや、そもそも。
自分が変わりたいのかどうかも、よくわからない。
けれど。
もう、あんな思いは二度としたくない。
「うーん。だけど、彼が私のことをどう思ってるか……」
黄昏の街路でフリッツと別れてから、一週間。
あれから彼は、一度も店に姿を現していなかった。
いけない、いけない。
人待ち顔なんて、らしくないわね。
店の扉が、からんと乾いた音を立てた。
思わずびくっとして立ち上がったリョーコを、ヒルダが面白そうに見つめる。
店の中に入ってきたのは、革製のベストを着た中年の男だった。
年のころは、三十代前半だろうか。
金色の短髪に、彫りの深い顔だち。
鋭いあごに無精ひげを薄く生やしているのが、浅黒い顔によく似合っていた。
ベストの左胸には、双頭の蛇の紋章が焼き付けてある。
この街の自警団の印章であった。
左の腰には、不釣り合いなほどに巨大な鋼鉄製の手甲を、革ベルトで吊り下げている。
その身のこなしと隠すべくもない肉体は、彼が歴戦の戦士であることを物語っていた。
「あ。いらっしゃい、リカルドさん」
リカルドと呼ばれた男は、きさくに片腕を上げた。
「よう、リョーコちゃん。この前は大変だったな」
リョーコは、申し訳なさそうにぺこりとお辞儀をした。
「すいません。なんだかんだバタバタしてて、ここまで運んでくれたお礼もつい言いそびれちゃって」
「いいって、いいって。レイラさんから無事だって聞いてたからな。でもよ、アンナちゃんだったか、女の子と二人して夜中の路上に倒れていたんだからな。さすがに驚いたぜ」
リョーコは腕を組んで、考えるそぶりをした。
「私、前後の記憶がなくって。なんでも若い男の子が、私たちの事を見つけてくれたんでしたっけ?」
私、嘘をつくのだけはうまくなったなあ。
ごめんなさい、リカルドさん。
「そうなんだが、フードで顔までは見えなくてな。でも、きれいな声してたぜ」
フリッツ君、か。
彼、私たちの事を助けてくれたけれど。
アンナちゃんの血を吸ったり。
私に、その、キスなんかしたり。
あれは何だったんだろうなあ。
そりゃあ吸血鬼なら、血を吸うのが当たり前にしても。
リカルドは、さりげなく店内を見回した。
「ところで、今日はレイラさんは?」
リョーコは、訳知り顔にうなずいた。
「おあいにく様、ポリーナちゃんを学校にお迎えに行ってます。ほら、ここ最近、登下校が物騒だから」
「おっと、そうか。そいつは心配だな」
ふうむ、とリカルドがうなる。
「心配って、ポリーナちゃんが? それともレイラさんが?」
リョーコが意味深な笑いを浮かべる。
リカルドは頭をかきながら、慌てて弁明した。
「おいおいリョーコちゃん、変な勘繰りは勘弁してくれよ。俺はレイラさんの旦那の、レオニートのダチだったからな。奴の家族が心配になるのは、当然だろう?」
それを聞いたリョーコは、神妙な顔つきになった。
「そうか。レイラさんの旦那さん、たしか五年前に行方不明になったんだったよね。……ごめんなさい」
リカルドは、リョーコの肩をぽんと叩いて微笑した。
「いや、そう気にするな。奴と俺とは、王国軍ではかなり鳴らした者同士だったんだぜ。何かに巻き込まれたにしても、そう簡単にくたばる奴じゃない」
それまで黙って二人の話を興味深そうに聞いていたヒルダが、ちょいちょいとリョーコをつついた。
「ねえ、リョーコ。こちらのワイルドで素敵なお兄さん、紹介してくださらない?」
うーん。
ヒルダってば、少年から初老の紳士まで、守備範囲広すぎるからなー。
あえて紹介を避けていたのだが、そういうわけにもいくまい。
「リカルドさん。こちら、私の友人のヒルダ。魔導士アカデミーの最上級生です」
それまでリョーコと話し込んでいたリカルドは、改めてヒルダに向き直った。
姿勢を正して会釈しかけた彼だったが、やがて何かを思い出したように、素っ頓狂な声を上げる。
「き、君は。ヒルダちゃんじゃない!?」
ヒルダはきょとんとして、自分の顔を指さした。
「え、何? お兄さん、私のこと知ってるの?」
「おっと、申し遅れました。俺はリカルド、この街の自警団の団長をやってます」
リカルドはすでにその大きな両手でヒルダの手を包み込むように握っていたが、彼女は別に気にする様子もない。
「それで俺、団員たちとデッカーズクラブによく行くからさ。知ってるも何も、みんなヒルダちゃん推しだぜ。本人と話せるなんて、実に感動だなあ!」
「あ、そうだったんですか。いつもありがとうございます!」
ヒルダは、ぱあっと飛び切りの営業スマイルを放った。
あえなく陥落したリカルドが、調子に乗ってほめたたえる。
「いやー、やっぱ間近で見ると違うなー。特にヒルダちゃんの大きな胸と腰のくびれは、他の子の追随を許さないからなあ」
リョーコは、アイドルを追いかけている歴戦の勇士をジト目でにらんだ。
このエロ中年。
本人の前で、そんな評価を口にする奴があるか。
もっともヒルダのクラブでの衣装も、挑発的すぎて問題なのだが。
しかし、セクハラまがいの言葉を贈られたヒルダもさるもので、
「あら、お兄さん。今着てるアカデミーのジャケットの制服なんかも、お好みではないですか?」
などと、くるりと一回転してリカルドをからかったりしている。
リョーコは天を仰ぐと、やれやれと首を振った。
ヒルダの所作にひとしきり感動しつくした後で、リカルドが改めてたずねた。
「で。ヒルダちゃんって、魔導士なのかい? ダンサーで魔導士なんて、レアキャラすぎるが」
「そうでしょー、よく言われますう。少しご援助いただければ、もうちょっとお話しできましてよ?」
リョーコは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
こいつ。
なんてきわどい営業してやがる。
「うーん。俺独身だから、自分の給料をヒルダちゃんにつぎこむのは、やぶさかじゃないけれど」
「あら。私にじゃなくて、子供たちのグループホームにご援助いただければ」
ヒルダはそう言って、にこにこと笑った。
リカルドには、その施設について心当たりがあった。
「子供たちの、グループホーム。ひょっとして、街の郊外の緑竜寮のことかい?」
「そうです。よくご存じですわね」
リカルドは、親指で左胸の自警団の紋章を指し示した。
「あの辺も、俺たち自警団の管轄だからな。特にこんな事件が多発している昨今だ、あそこは重要な警備地点のひとつなのさ」
ヒルダは驚きとともに、感謝の気持ちを言葉ににじませた。
「あら、あの子たちを守ってくださってるんですね。今度、クラブでサービスさせていただこうかな」
リカルドは少し真顔になった。
「そいつはありがたいが、なんだってヒルダちゃんがグループホームの援助を募ってるんだい?」
ヒルダは、笑顔を絶やすことなく答えた。
「私、あそこの出身なんですよ。両親、いないので」
リョーコも、ヒルダから緑竜寮の話を聞いたことがあった。
何らかの理由で一人で生活しなければならなくなった子供たちを受け入れ、養育している施設である。
死別、乳児の置き去り、幼小児期の虐待など、理由は様々であるが、リョーコはヒルダの両親の事は聞かなかったし、ヒルダもあえて話そうとはしなかった。
親友の二人には、それで十分だった。
リカルドは姿勢を正した。
「……そうか。そこからあの魔導士アカデミーに入るたあ、まったく凄いぜ。ホームの子たち、鼻が高いだろうな」
「ええ、自分の事のように喜んでくれています。みんな、かわいい弟や妹みたいなものなんです。だからお兄さん、ご援助いただけませんか♪」
リカルドは見た目通りの、分かりやすい男だった。
「くー。よし、全て任せてくれ。このリカルドがばんばん稼いで、ヒルダちゃんに貢ぎまくってやるぜ!」
感動で涙目になっているリカルドを、またしてもジト目でにらむリョーコ。
「何、馬鹿なこと言ってるのよ。いい中年が女子学生に入れあげて。レイラさんに言いつけるわよ」
リカルドの動きがぴたりと止まる。
「う。レイラさんに軽蔑されるのは、冬の夜勤よりもつらいなあ……」
ヒルダは急にお腹を抱えて笑いだすと、リカルドの背中を叩いた。
「あはは。リカルドさん、冗談ですよ。お金もそうだけれど、私は踊りたいから踊っているだけなんです。私のダンス、最高でしょ? これからも応援、よろしくお願いいたします」
リカルドは、再び目をうるうるとさせた。
「かー、ヒルダちゃんはいい娘だなあ。俺、ますますファンになっちまったぜ。よし、これで今夜の当直も乗り切れそうだ。リョーコちゃん、サンドイッチを三つ、頼むぜ!」
そしてリカルドはカウンターに代金を置いてサンドイッチをつかむと、
「じゃあまたクラブでな、ヒルダちゃん。リョーコちゃん、レイラさんによろしく!」
と言い残して、鼻歌を歌いながら店を後にした。
リョーコは腕を組んで、ヒルダを横目でにらんだ。
「ちょっと、ヒルダ。純粋な中年の人生を狂わせちゃ、だめじゃない」
「あら。私、嘘は言ってないし。それにね、リョーコ」
ヒルダは、前を向いたままで言った。
「人に希望を与えるのも、一種の魔法よ」
希望、か。
それが本当にあるのかどうかは、たいして重要じゃないのかもしれない。
希望があると信じて探し続けることが、生きるっていうことなら。
ねえ、今の私は。
生きてる?
それとも、死んでる?