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第五九話 十字路

 王城の奥深く、地下にある石造りの一室。

 じじ、とランプの芯が燃えるわずかな音すらも、壁に反響して潮騒のように感じられる。

 暗い部屋に据え付けられた大きなテーブルをはさんで対面しているのは、今ではただの二人となっていた。


「ヴォラクはどうやら、異世界転生者を処理することに失敗したようですね。同志ランディ」


 白い法衣で身を包んだ男が低い口調で、対面の黒いボディスーツ姿の男に問いかけた。


「申し訳ございません、ルシファー様。私が現場に到着した時にはすでに、彼女はヒルダなる女の呪文で崩壊を」


 逆立った赤い髪に、トレードマークの大きなゴーグル。

 組んだ手を机の上に置いたランディが、沈痛な面持ちで顔を伏せた。


 法衣の男ルシファーは、フードを後ろにはらった。

 長い金色の髪を、疲れたようになでつける。


「悪魔の能力に加え、卓越した魔導士でもあったヴォラクを倒すとは。もはや異世界転生者は、我々の手には負えない存在となっているのでしょうか」


 ランプの光を反射した紫の瞳は、いまだその力を失ってはいないが、その言葉は三十歳そこそこの男性には似つかわしくない諦念すら感じさせた。


 ランディは椅子から立ち上がると、深々と頭を下げた。


「私の判断ミスです。彼女の反対を押し切って同行していれば、恐らくこのような結果には」


 ルシファーは片手を上げて、ランディの言葉を制した。


「やめましょう、同志ランディ。我々は彼女の意志を尊重したかった。そしてそれは、我々の目的を達成することと同じくらい、大切なことだと思うのですが。違いますか?」


 ランディは、沈黙で同意を示した。


 ルシファーは、決して理想に殉ずるだけの男ではない。

 常に客観的な視点を持ち合わせていると同時に、個々の立場の違いというものを決しておろそかにしない。

 そのことも、ランディが彼に協力した理由の一つであった。


「……その通りです。しかし、ルシファー様」


「何でしょう」


「それが、我々の甘さでもある」


 ルシファーは苦く笑った。


「そうですね。結局のところ、私の覚悟が定まっていなかった。私は、指導者として失格です」


 ルシファーの言葉に、ランディは心の中で首を振った。

 結果が伴っていなければ指導者失格だというならば、そうかもしれない。

 しかし結果が伴っていれば、指導者はどんな行為も肯定されるのか。

 最終的に勝利すれば、そいつが指導者なのか。


 それは、あのリョーコが最も嫌っていた論理のはずだった。

 そしてその是非は、今のランディにはわからなくなってしまっている。

 しかしルシファーについて言えば、指導者と呼ばれる資質と資格は十分あるように、彼には思えた。


「ルシファー様、何を弱気なことを。いままで異世界転生者の侵略を何とか食い止めてきたのは、あなたが組織してきた悪魔たちの力。そして何より、治癒師アカデミーを管理し治癒魔法を囲い込むことで転生者の増加を防いできた、あなたの手腕」


 かばうようなランディの言葉を、ルシファーはただ自嘲をもって受け止めた。


「はは。私は確かにこの世界を守ってきたつもりでいましたが、その実、ただ自分の同族である治癒師を守りたかっただけなのかもしれませんよ」


 彼はわずらわしそうに、身から法衣を脱いだ。

 紺のカッターシャツに、白いベスト。

 そしてその左肩に縫い付けられたマークは、白地に赤い三本の縦線「治癒師印章」。


 そこに座っているのは、治癒師アカデミーの長と呼ばれている男、ジェレマイアだった。






 ランディは心の中で嘆息した。

 自分の前でジェレマイアが悪魔の指導者としての仮面を捨てたということは、彼の心の中の支えが一つ崩れたことを意味しているのではないのか。

 劣勢に立たされた時には、人は自分を(つくろ)う余裕を失ってしまうものだ。


 しかしジェレマイアの口調は、常の平静さと全く異なるところはなかった。


「同志ランディ。あなたは、治癒魔法についてどう思いますか?」


 それは以前にランディが、エリアスとしてフリッツに投げかけたものと同じ問いだった。

 彼は俺を試しているのだろうか。

 しかしジェレマイアは、ランディを通り越して、暗い部屋の虚空をただ見つめているばかりである。


「……今のあなたが抱いている苦しみの、すべての源ではないのですか?」


 ランディは、正直に答えた。


 俺は、ジェレマイアが嫌いではない。

 確かに俺は、彼とは意見を異にしている。

 治癒魔法を利用してこの世界を守ろうとしている彼と、治癒魔法を根絶することで同じことを成し遂げようという自分。

 しかしそのすれ違いは、結局のところ、彼と俺との立場が違うからに過ぎない。


 この世界のアドバンテージである魔法を利用して、異世界より優位に立つ。

 治癒師であるジェレマイアからすれば、彼の意見はむしろ当然すぎるといえた。


 ランディの率直な感想に、ジェレマイアは微笑を返した。


「治癒師の存在が公になったのはつい五十年ほど前の話ですが、その出現はすでに二千年前の大陸にさかのぼることが出来るのです。時の王族はすでにその存在を極秘裏につかんでおり、見つけ次第に治癒師を闇に葬ってきました。賢明にも、治癒魔法が人間の禁忌に触れるものであるということを、すでに認識していたのですね」


 その話は、ランディには初耳であった。

 治癒師を絶滅させるという俺の考えは、遥か昔からすでに国家規模で実行されてきたという事なのか。


「そうして幾世代を経た後、私の先代の理事長が、治癒魔法の有用性やそれが異世界に漏出する危険性を王族に訴えました。その結果、治癒師に対する扱いに大きな方針転換が行われ、治癒師アカデミーが成立されたのです。それは教育機関でもなんでもなく、治癒師を隔離し管理するための、ただの牢獄なのですがね」


 ランディは、王族でありながら異世界転生者であるという、自分の複雑な立場に思いをはせた。

 どちらであっても、治癒師を利用してきた立場だ。

 その俺が、さらに治癒師を殺す。


 ジェレマイアは苦笑しながら、自分の左肩についている「治癒師印章」を指さした。


「すべての治癒師を登録制にしているのも、むろん管理目的です。そして高度な治癒魔法が異世界に漏洩しないように、彼らには形ばかりの教育が施されるのみ。世界を、次元をも左右する恐るべき力を持ちながら、ちょっとした傷を治すだけの便利屋として扱われる彼らの立場を、それでも私は受け入れてきました。殺されるよりは、どんな形であっても生き延びて、その力を継承していくべきだと」


 ランディは、目の前にいる治癒師アカデミー理事長の辛苦を思いやった。

 二つに世界に翻弄される、治癒師という存在の無念さを。


「だから私は、治癒師を厄介者として扱う王国を憎みつつも、理事長としてアカデミーを守ってきました。いつか、この世界も変化する時が来るのだと信じて。そして今私は、王族にロザリンダ殿下という治癒師が出現したことで、その変化が起きることを期待しているのです」


 それはどうかな、とランディは思った。

 王室はこれまでずっと、ロザリンダが治癒師であるということを隠し続けている。

 それは、王室が旧態依然であることの間接的な証明になる。


 ジェレマイアはなおも続ける。


「そしてまた当然ですが、私は治癒師をただの道具としか考えていない異世界転生者を憎みました。そうして彼らを滅ぼすために、この世界で極秘裏に研究されてきた、治癒魔法を応用した遺伝子改造を人間に施し、彼らを悪魔へと変えた」


 ランプの炎が揺らぎ、彼らの影を陽炎のように踊らせる。


「……こうして考えてみると、私は治癒師を守るために一般人を利用してきたわけです。誰もが守りたいものがある。王族は、この世界を。異世界転生者は、元の彼らの世界を。そして私は、自分を含めた治癒師を、というわけです」


 彼は一区切りつけるように、ぱんと手のひらを合わせた。


「どうです、同志ランディ? 実は私は、あなたの協力を受ける資格などないのですよ。多くの悪魔たちも倒れ、残るは我々とアバドンの三人のみです。異世界との戦いも、もはや多勢に無勢、といったところでしょうか」


 ランディは、思わず立ち上がっていた。

 こんなジェレマイアなど、見たくはなかった。


「ルシファー様、いえ、ジェレマイア様。私は、あなたのやってきたことが無意味だとは思いません」


 ジェレマイアは、紫の瞳で黙って彼を見つめている。


「あの殺人狂のバフォメットはともかく、アドラメレク様もヴォラクも、そしてそれ以前にフリッツに倒された多くの悪魔たちも、決してあなたを恨んではおりませんでした。理由は様々であれ、彼らの守りたいものとあなたの望みは、ある部分で確かに合致していたのです」


 そして、俺もまた。


「隠さずに申します。私は、今のやり方には限界を感じています。異世界の圧はますます高まる一方で、もはや力では対抗できません」


 ランディの反抗を、ジェレマイアは特に意外とも思っていないようであった。

 彼は鷹揚にうなずくと、ランディに先を促す。


「今のありさまを見れば、その考えは至極もっともだ。して、あなたのやり方とは?」


 ランディは沈黙した。

 治癒師絶滅を治癒師である彼に建言することは、さすがの彼にもはばかられた。

 ジェレマイアはしばらくランディを観察していたが、やがて静かにうなずいた。


「そうですか。我々の道はここで分かれ、そしていつかは衝突することになるのかもしれないのですね」


「……」


「同志ランディ。いや、もう同志と呼ぶのは適切ではないですね。ランディ、私はあなたの意志を尊重したいと思います。我々がヴォラクにそう願ったように」


 ジェレマイアは立ち上がると、背筋を伸ばして言った。


「それでも、ランディ。あなたは、私が唯一信頼できる王族であり、友でした。あえて別れは言いません、異世界からの来訪者よ」


 彼はそう言うと、快活に笑った。

 ランディは息をのんだ。


「あなたは。私が転生者であることを、承知の上で」


 ランディの問いにもやはり笑って答えず、ジェレマイアは地下室の扉を指し示した。


「行きなさい。行って、あなたの大切なものを見つけてください。せっかくこの世界に生まれ直せたのですから」


 ランディは自分を恥じた。

 以前ジェレマイアがフリッツにこだわりを見せたとき、俺は彼が不死に執着があるのだと、誤解し軽蔑していた。

 しかし、それは真逆だった。

 彼はフリッツと同じく、ただ解放を願っている。


 ランディは黙って一礼すると、踵を返した。

 俺は、いつまでもあなたに敬意を払い続けるだろう。

 例え、殺し合うことになったとしても。

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