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第五七話 素顔のままのあなたで

 石造りの瀟洒(しょうしゃ)な窓から、柔らかな光が差し込んでいる。

 薄く目を開いたその女性は軽く首を曲げて、窓越しに晴れ渡った空を見上げた。

 朝、かな。


 ぼやけた頭のままで大きな寝台から体を起こした女の視界に、傍らのソファに座っている男が目に入った。

 自分が全裸であることに気付いた彼女は、少し身を引いてシーツを体に寄せる。


「やっと目が覚めたか。無理はするな、まだ相当の疲労が残っているはずだ」


 ゴーグルで顔を隠してはいるが、男が彼女の事を注意深く観察していることは間違いなかった。

 その声の中に、どこか安どの色が混じっているように思われるのは、気のせいか。

 周囲に散乱した毛布やグラスなどから察するに、どうやら、彼女が目覚めるまでずっとそばについてくれていたらしい。


 悪魔ヴォラクと呼ばれていたその女性、メリッサは、改めて周囲を見回した。


 白で統一された、清潔な室内。

 大理石の床に、毛足の長いカーペット。

 調度品も簡素なように見えて、その実は選び抜かれたもののみで構成されているということが、素朴な農家に生まれた彼女にすらわかる。


「ここは?」


「俺の部屋だ」


 ゴーグルの男ランディは、短く答えた。


 その時始めてメリッサは、自分の左肩の付け根から先が失われていることに気付いた。

 傷はすでに完全に治癒していたが、それはやはり、最初に左腕を失った時の喪失感を彼女に思い出させた。


「……そうか。私、失敗しちゃったんだ」


 彼女の脳裏に、後輩との死闘が鮮明に思い出された。

 ヒルダの首筋を咬んだ、今は失われた自分の竜化した左腕。

 「核撃」を我が身に受けた瞬間の、焼けるような痛み。


 彼女は残った右腕で自分の身体を抱くと、寂しげに笑った。


「ごめんね、ランディ」


「何がだ」


「私、あなたにほめてもらえなくなっちゃった」


 ランディは黙って立ち上がると、持っていた白いガウンをメリッサの肩にかけた。

 彼女の背中の純白の羽は、今はたたみ込まれており、やはり白い背中を覆い隠している。

 彼女の翼も肌もまぶしく感じられたランディは、目をそらしながら、ぶっきらぼうにつぶやいた。


「生きていれば、俺はそれでいい」


 びくりと肩を震わせたメリッサは、おびえたようにランディを見上げた。


「どうして。私、もう誰の役にも立てない」


 任務を達成することが唯一の存在証明であった私は、今回の失敗で、それを完全に失ってしまった。

 一度失敗した者を、ルシファー様は二度と信用しないだろう。

 私はこれから先、何をよりどころにしていけばいいのか。 


 沈痛な面持ちで唇を噛んだままのメリッサに、ランディは無表情に言った。


「他人のことなど考えるな、自分のことだけを考えろ。自分が幸せでなければ、他人の幸福を願ってやることなんて出来ないさ」


 そこまで言ってランディは、少し話過ぎたという顔をして黙り込む。

 メリッサは彼の言葉の中に、どこか自嘲の響きを感じた。

 

「そういうあなたはどうなの、ランディ」


 ランディは再びソファーに身を投げ出すと、両手を頭の後ろに組んだ。


「俺か。俺はもちろん、自己中さ。君を助けたのも、君のためじゃない。俺のため、ただそれだけだ。むろん、借りを作っただなんて思わなくてもいいぜ。いうなれば、ただのビジネスなんだからな」


 彼は天井を見つめながら、そううそぶいた。

 そして、ぽつりと言葉を付け足す。


「だから、もう誰にも縛られるな。君はヴォラクなんかじゃない、メリッサなんだぜ」


 魔導士アカデミーでも(たぐい)まれなる才能を誇っていたメリッサも、今この場では、ただ戸惑うばかりだった。


 ランディと話すと、いろいろと初めてのことが多いな。

 でもなんだか、悪くない気分ね。


「……ねえ、ランディ。一つお願いがあるんだけれど」


「何だ」


「ゴーグル、外して」


 予想外の言葉に困惑したのだろう、ランディは体を起こすと、その銀髪を無意識にかき回した。

 何を考えているのだ、この女は。

 気分屋な奴だとは、昔から思っていたが。


 それでもランディは、彼女がとるに足らないものにでも興味を持つことができていることに、内心ほっとしていた。

 彼女の精神にまだ光が残っていることが、単純に嬉しかった。


「……嫌だと言ったら」


 彼流の照れ隠しなのだろう、ランディは顔をしかめると、つっけんどんに言ってみる。

 メリッサはいたずらっぽく笑うと、シーツで口元を隠しながら何やら小さくつぶやいた。


「其、転緩解引奉」


 彼女をいぶかしげに見ていたランディのゴーグルが、ずずっと顔から持ち上げられ、それは重力に反して上方へと引きはがされると、そのまま天井に張り付いた。


 ランディのとび色の瞳が、驚いたように彼女を見る。

 メリッサは満面の笑みだ。


「目と目を合わせるのって、なんだか恥ずかしいね。あなたは?」


 素顔のランディは仏頂面のまま、そっぽを向いた。






 メリッサは備えのバスルームで白いガウンに着替えると、ランディとは対面のソファに座った。

 栗色の短髪は細くしなやかで、部屋の中を流れる微風にわずかに揺れている。


 ランディもソファに深く座り直すと、指を組んで窓から外を見た。

 赤く染めていた髪も今は色が抜け、きれいな銀髪が朝日に鈍く輝いている。


 彼はふところから丸眼鏡を取り出すと、それをかけた。

 今やその風貌は、王位継承権代四位の王子エリアスへと、すっかり変わっている。

 最初こそ驚いていたメリッサも、今では好奇心を持って彼を見つめていた。


 ランディは咳ばらいをひとつすると、彼女とは目を合わせないままで話を切り出す。


「今回は成り行きで君を助けたが、もちろんいつまでも俺の部屋にいるわけにもいかんだろう。落ち付いたら、どこか辺境で静かに暮らすというのはどうだ? そのくらいの援助は、俺にもできるが」


 メリッサは、目をぱちくりとしている。


「まあ、貢いでくれるの? ただの知り合いの女の子に、入れ込みすぎね。試みに問うけれど、お金どうやって稼いだの?」


「君も知っての通り、俺はルシファー様に雇われていたわけだからな。日雇いの仕事で、多少の貯えはある」


 メリッサは、ぷっと噴き出した。


「ほんと、まずい冗談ね。ここ、どうみてもバイト暮らしの人の部屋じゃないでしょ」


「そうか、そういうものかな」


 ランディは、なぜばれた、という顔をした。

 この男も、妙なところでずれているようである。


 メリッサは人差し指で大理石の床をなぞりながら、上目づかいににランディを見た。


「この精巧な石造り。ここって、王宮でしょ? 私、アカデミーの実習で一度来たことがあるから」


 ぽややんとしているようで、やはり鋭い。

 魔導士アカデミーの元総代という肩書は、伊達ではないという事か。


 ランディは、やれやれと両手を挙げた。


「参ったな、降参だ。実は俺、ここに住み込みで働いている」


「ふーん。王宮勤めの、騎士さん?」


「まあ、そんなところだ」


 メリッサは驚きに目を丸くした。


「わお。騎士さんが裏で悪魔とつながってるなんて、大問題じゃない?」


 騎士どころか、王族だがね。

 ランディは丸眼鏡の位置を直すと、メリッサに顔を近づけて小声で言った。


「メリッサ、俺はな。ルシファー様とは、徐々に距離を置こうと思っている」


「何故?」


「俺と彼のやり方が、相容れないからだ」


 メリッサは、事あるごとにかわされていたルシファーとランディのやり取りを思い返した。


「例の、この世界を守るってやつ?」


「そうだ。彼のやり方では、異世界からの侵略を止めることはできない。だが、俺ならそれができる」


 ランディが、異世界を排除してくれる。

 ひょっとして、私の中からも。


「それ、本当? もしそうなら、私みたいな女の子も、いなくなるかな……」


 メリッサの表情も言葉も、あくまであどけない。

 その事がかえってランディに、彼女の心の傷の大きさを想像させた。

 こんな話、彼女に聞かせるべきじゃなかったな。


「……とにかく君は、もう戦う必要はない。ここにかくまわれていることは俺とアバドンしか知らないし、ルシファー様には君が死んだと報告する。だから、どこかに」


 ランディの言葉をさえぎるように、メリッサは急にソファから立ち上がった。

 笑顔を浮かべながら、部屋の中をぐるりと見渡す。


「私、しばらくここにいてもいいかな?」


 ランディの丸眼鏡が、鼻からずるりと落ちた。


「な」


「迷惑?」


「そういう訳ではないが。一体、何を考えている?」


 くそ。

 ここで迷惑だと言えないのが、俺のだめなところだ。


「何も考えてない」


 メリッサは、へらっと笑った。


「だから、ここで少し考えてみたいの。私、考えるって事をずっとやめちゃってたから」


「考えるのは別に構わないが、それがなぜここなんだ」


「ここしか思いつかない。私、行くところも、帰るところもなさそうだから」


 ランディは腕を組んで黙っていたが、やがて渋々とうなずいた。


「……いいだろう。だが、部屋の外には絶対に出るな。必要なものは言ってくれれば、俺が持ってきてやるから」


「そうだね。公務員が職場で女の子と同棲してるのがばれたら、大問題だからね」


 メリッサは、ガウンの隙間からピースサインを出して笑ってみせた。


 またしてもランディは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 そして、言おうか言うまいか迷っていた言葉を口にする。


「あと、な。その、自殺なんかするなよ」


 メリッサはちょっと驚いた顔をすると。苦笑しながら肩をすくめた。


「ふふ。そう思われるのも、無理ないのかな」


 そんなわけないじゃない。

 あなたがさっき、私が生きていればそれでいいって、言ってくれたんだから。


「心配しないで、しないわよ。もっとも、悪魔の私が自殺できるのかどうか、自分でもわからないけれどね。ランディ、私ね、ずっと夢を見てたの」


 ヴォラクと呼ばれていた彼女が、夢を。

 ランディは無性に尋ねたくなった。


「どんな」


 メリッサは右手を大きく広げて、よく晴れた朝の空を窓越しに見上げた。


「凄く晴れてて、真っ青な空をね。寝転んで見あげてるの」


 そして隣には、誰か。


 これってきっと、あの戦いで気を失う直前に、ヒルダさんが私に送ってくれたイメージ。

 彼女の声が、確かに聞こえた。

 生きていればたまに、誰かとデートしたくなるような晴れた日が、あるんだって。


 メリッサの瞳は、確かに輝きを取り戻していた。


 ランディは苦笑しながら、丸眼鏡を押し上げる。

 異世界転生者に裏切られたメリッサも、悪魔として使役されてきたヴォラクも、もうどこにもいない。

 こいつの三度目の人生を、隠された夢を、守ってやる奴が必要なのかもしれないな。


 もっとも、守るなんてことを言っちゃあ、またあのリョーコに余計なおせっかいだとか言われそうだがな。

 まあ、好きにさせてくれよ。


 もの思いにふけっていたランディの顔を、メリッサが下からのぞき込んだ。


「ところでランディ、お腹すいてない? もし良かったら、一緒にブランチしたいな」


 メリッサは右手を腰に当てて胸を張り、笑顔で堂々と食事を要求した。

 ランディは、わざと大きなため息をついてみせる。


「やれやれ、人使いが荒いな。これから先が思いやられそうだ」


 そう言いながらも、部屋を後にする彼の足取りは心なしか軽かった。


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