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第五四話 あの世とこの世を繋ぐもの

 お互いが異世界転生者であることを知って心底驚いているリョーコを見て、ヒルダは笑いを引っ込めた。

 居心地が悪そうに寝台の端に座り直すと、リョーコから目をそらす。


「ごめんね、リョーコ。私、今までの関係が壊れちゃうのが怖くて、どうしても言い出せなくて。今の私、あなたにはどう映ってる? リョーコを利用したり、だますつもりなんて全くなかったといっても、信じてもらえる?」


 不安げな顔で床を見つめているヒルダの両手を、リョーコはしっかりと握った。

 慌てて顔を上げるヒルダ。


「何言ってるのよ、馬鹿ねえ。今までのあなたが演技なんかじゃないことぐらい、私にだってわかるわよ。ドクターの観察力、なめないでよね」


 まあ、エリオット君については全く見抜けなかったけれど。

 でも彼も、ある意味ですべてが本当の自分だと、自身でそう言っていたではないか。


 本当の自分なんて、そんなものは始めから存在していないのかもしれない。

 人は誰でも、仮面を使い分けて生きている。

 そして、顔に合わない仮面はかぶれない。

 仮面もまた、その人となりを、ある程度は表しているに違いないのだ。


「私、ヒルダが友達でいてくれなくちゃ困るわ。二つの世界をまたいで、ようやく見つけることができたんだもの。あなたがどう思おうと、この私の気持ちはずっと変わらない」


 ヒルダは、黙ってうんうんとうなずいている。

 リョーコはそんな彼女の背を、ぱんとはたいた。


「ほら、ヒルダ。いつものクールビューティーらしくないぞ。そんなふにゃっとした顔をあなたのファンが見たら、あまりのギャップにさぞ驚くことでしょうよ」


 ヒルダは手でごしごしと顔をこすると、唇を尖らせてすねて見せた。


「ふん、だ。こんな顔、リョーコにしか見せたことないんだから」


 ほらね、フリッツ君。

 転生なんか、どうってことない。

 続いていく記憶の中では、そんなもの、ちょっとしたにぎやかしに過ぎないんだから。






「ねえ、ヒルダ。もし疲れてなければ、転生をめぐる状況ってやつ、少し詳しく教えてもらってもいいかな?」


 いつもの落ち着いた表情に戻ったヒルダは、気乗りしない様子である。


「それは構わないけれど、知らない方がいいかもよ」


「どうして」


 ヒルダは、ぶらぶらと天井を見上げた。


「知らなくたって生きていけるし、そんなに面白い話でもないし。私だって、出来れば忘れたいくらいよ」


 確かに、愉快な話ではなさそうだ。

 それに知ってしまったら最後、私はそれを忘れることができない。


 でも、私はフリッツ君に説明しなければならない。

 そうして、私の立場と気持ちを彼に伝えたい。


「後悔してもいいから全てを知っておきたい、なんて青臭い感傷は持っていないわよ。でも実際のところ、ある程度知っておいた方が自分を守るのに都合がいいんじゃない? なんだかんだ言って、当事者なんだから」


 言い訳がましいかな、と思いながら、リョーコはつとめて冷静に言った。

 ヒルダはその言葉を額面通りに受け取ると、腕まくりなどして笑ってみせる。


「大丈夫、私がリョーコを守ってあげるわよ」


 む、ちょっと引っかかる。

 しょーもない私のこだわりなんだって、わかっちゃいるんだけれど。


「守ってやるだなんて、ヒルダ。ランディみたいなこと言わないでよ」


 何かリョーコの気に障ったようだとヒルダは思ったが、その理由については、もちろん彼女には思い当たる節ない。


「おっと、そうなの。あいつ、なんて言った?」


「俺がこの世界から転生者を締め出して、みんなを守るんだ―って。私ね、余計なお世話よって言ってやったの」


 ヒルダは、ひゅうと口笛を一つ吹いた。


「へえ。それじゃあ、あいつもユークロニアを裏切ったんだ」


「ユークロニア?」


「私たちの元の世界の事を、事情を知ってるこちら側の一部の人間はこう呼んでいるの。時間の止まったユートピア。平穏だけれど、望みも予感も、夢も希望も消えた世界。名付けた人、いいネーミングセンスしてるわよね」


 時間の止まったユートピア。

 確かに、私にとっても元の世界は袋小路だったけれど。

 今考えると結局それは、その頃の鬱屈していた自分を映し出していただけの、ただの鏡だったように思う。

 その証拠に、今の私が見ているこの世界は、こんなにも果てしなく広がっているのだから。


「まあ、私も全然人のこと言えないんだけれどね。ユークロニアとの連絡なんか、こっちに来て早々に完全に絶ってしまってるし。裏切者っていうか、職場放棄ね」


 あははと笑うヒルダの顔には、後悔の色などみじんも見えない。


「でも、ヒルダの任務って悪魔退治でしょ? 今までの戦いは、任務じゃないの?」


「子供たちを殺すのが許せなかっただけよ。任務なんか、本当にどーでもいい。結果的にユークロニアの役に立っちゃってるのは、ちょっとムカつくけれどね」


 そこまで言って、ヒルダは話を戻した。


「でもリョーコを守るなんて言っちゃって、私もとんだお節介だったみたい。そりゃあそうよね、自分が誰かの庇護下にあるなんて、ぞっとしちゃうわよね。あなたが怒るのも、無理もない」


 ふう、とため息をつくヒルダに、リョーコは慌てて両手を振った。


「ごめん、気を悪くしないで。何ていうかな、守りって言葉が後ろ向きな気がして」


 だめだ。うまく説明できない。


「ほら、皆で相談して、少しでも楽しい世界にしたいっていうか。お互いに言いたいことを言い合って、衝突して、そうやってなんとなく一つの流れになって、なんて」


 ヒルダは手を膝に置いて、にこにこして聞いている。


「……ごめん。二十四なのに、子供っぽい?」


 突然ヒルダが、だーっとリョーコに抱き着いてきた。


「ぽい。めちゃくちゃ、可愛いっぽい!」


 寝台の上に仰向けに押し倒されるリョーコ。


 くっ、こいつ。

 魔導士のくせに、剣士の私をここまで押し込むとは。

 いや、ダンサーとのダブルクラスであれば、この腕力も納得か。


「こら、やめんか。異世界の話はどうなった」


「話なんか、いつでもできるから。今は現世の歓びを分かち合いましょ」


 私もどちらかと言えば快楽主義の立場だけれど。

 こいつは刹那的すぎる。


 助けて―、フリッツ君。


 リョーコの願いが届いたのか、ジャストのタイミングで扉をノックする音が聞こえた。


「あ、ちょうどいいところに」


「あの、リョーコ様? 物音が聞こえましたもので、様子を見に参ったのですが。ヒルダ様が目を覚まされたのでしたら、ご一緒に夕食を……」


 首をそらして扉のほうを見たリョーコの目に入ったのは、両手を口に当てて目を大きく見開いている、女騎士カレンの姿だった。

 くんずほぐれつ、太ももなども(あら)わにからみあっている二人を見た彼女は、気の毒なほどに顔を真っ赤にしている。


「こ、これは失礼いたしました。私、とんでもない誤解を」


 何だか面倒なことになった、とリョーコは思い始めた。


「そうなんです、カレンさん。これは、全くの誤解で」


 何故かカレンはさわやかな笑顔で、手を胸の前に組んだりなどしている。


「いえ。先ほどは私、リョーコ様がエリアス殿下と親密になったかもなんて、あらぬ誤解を。リョーコ様が殿方にご興味がないと知っていれば、そのようなこともございませんでしたのに」


「は?」


「リョーコ様とヒルダ様なら、私、ほんとうにお似合いだと思いますわ。お二人のどちらも、なみの殿方じゃとてもかないませんものね」


 リョーコはこみ上げてくる頭痛を必死に抑えた。


「何を言っとるんじゃ、このポンコツ騎士は」


 ヒルダはリョーコを組み敷いたままで、カレンに丁寧に会釈を返す。


「ありがとうございます、高潔なる王宮騎士の方。負傷したところを助けていただいただけでなく、私たち二人の秘密まで見逃していただけるなんて」


「秘密なんか、一切ない!」


「それじゃあ、私はこれで。ご無理は申しませんが、料理が冷める前にお早いお越しを」


 カレンは扉をぱたんと占めると、鼻歌を歌いながら階下へと降りて行った。


「……おい、責任取れ」


「もちろん取らせていただきますよ。さっそく役所に婚姻届を」


「バーロー。騎士さんに土下座して誤解を解いてこい、この色ボケ倒錯魔導士が!」






 リョーコに殴られた頭をさすりながら、ヒルダはしぶしぶと話を再開する。


「あたしたちの元の世界、ユークロニアで異世界転生についての検証実験が行われていたのね。いつ頃からなんてのはわからないけれど、かなり前からの話だと思う」


 そういえば前の世界の書店に、異世界転生をテーマにした娯楽小説が、雨後の(たけのこ)のように並んでいたことがあったけれど。

 その存在をカモフラージュするために、あえて現実感のない軽薄なブームを広めたのか、などと勘繰りたくもなる。


「異世界転生、か。みんなつらい現実送ってんなあ、夢見てんなあ、とか思ってたわ。自分がそうなるまではね」


 リョーコのぼやきに、ヒルダは猫のような黒い瞳を輝かせて笑った。


「もともと異世界転生については、ごく少数の自然発生例があったものの、その原理は不明だった。けれど、ゲノム分析がすべて終了した現在に至って、異世界転生者に共通したDNAとRNAの塩基配列が同定された」


「DNAと、RNA……」


「そう。すなわち、記憶を保持したまま異世界に転生するのに必要な要素は、大きく分けて二つ。別の世界に転生するための、いわば座標情報ともいえる異世界転生DNA。異世界に転生するにあたって記憶を保持するための記憶継承用パスワードRNA。この二つが同一個体内に存在していれば、記憶を継承したままこの世界に転生できる。もちろん、逆もしかり」


 リョーコは額に手を当てて、大きく息を吐いた。

 医学部を卒業して臨床一筋だった私には、想像しにくい内容ではあるけれど。

 それでも、これが研究者たちを大いに刺激する、恐ろしい発見であることはわかる。


 リョーコは、両の手のひらをじっと見た。

 生まれた時とは違う、今の身体。

 生まれた世界とは違う、今の世界。

 それを繋いでいるのは、遺伝子と、そして消えない私の記憶。


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