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第五二話 口と手形は災いの元

「殿下、よくぞご無事で!」


 リョーコとエリアスがベーカリー「トランジット」の扉を開けた途端、ベルの音とともにレイラが飛び出してきた。

 エプロンを着けたままの彼女は、心配そうにエリアスの手を取りながら、身体のあちこちを見回して彼の無事を確かめている。


「レイラ殿、お久しぶりです。悪魔がらみの任務で出張ってきたのですが、あいにくのお留守でご挨拶もできずに」


 たははと頭をかくと、エリアスは担いでいた大きなバックパックをどっこいしょと下ろした。

 リョーコはそれを、手早く部屋の隅に移動させる。


 何が、古文書なんかを常に持ち歩いている、よ。

 ゴーグルに手甲、ボディスーツに脚絆。変装用の染料。

 物騒なもの満載じゃない。

 カレンさんに中身を見られでもしたら、いったいどう言い訳するつもりかしら。


 レイラはエリアスに椅子を勧めながら、やや責めるような目で彼を見た。

 

「帰ってみたらあんな置き手紙、驚きましたよ。それに、リョーコやポリーナともすでにお知り合いだったなんて」


 おかえり、とポリーナが笑顔でエリアスに手を振った。

 ファム友である彼も、満面の笑顔で手を振り返す。


 リョーコは腕を組んで考え込んだ。


 こういう時のエリオット君って、どう見ても演技には見えないのよね。

 彼は、演じている人格のそれぞれに役割がある、とか言ってたけれど。

 殺伐とした他の人格との危うい均衡を保つために、こうした時間を必要としているのかもしれない。

  もっともこれは単なる私の深読みで、彼がただのロリコンに過ぎないという線も多分にある。

 監視、監視っと。


 居心地の悪い視線を背後に感じたエリアスは、わずかに身じろぎした。

 椅子に掛けると、ちらりとリョーコに視線を向ける。


「いや。リョーコさんたちとは、ちょっと社会勉強中にお近づきになりまして」


「カレンさんにききましたよ。ご身分を隠して買い食いとは、何とも殿下らしいというか。それにしても」


 レイラはエプロンを外すと、真顔になった。

 その表情は見るものに、かつての歴戦の兵士の面影を感じさせる。


「殿下自らが、なぜ今回みたいな危険な任務を。王宮守備隊が城外に出動することすら、きわめて異例であるのに」


 エリアスは丸眼鏡を押し上げると、机に肘をついて指を組んだ。


「悪魔の情報を真っ先につかんだのが、なぜか我々だったのですよ。緊急性があると判断したものの、悪魔の存在については軍のごく一部しか知らないうえに、現状まだ確実な対抗策もない。へたに情報統制をしていたのが、裏目に出たのですね」


 こうしているところは、なんとなく守備隊の司令っぽいな、とリョーコは失礼なことを考えた。


 悪魔の片棒を担いでたくせに、情報を入手した、なんてまったくぬけぬけと。

 自分が出かける口実を作るために一芝居打っただけの、まったくの自作自演ではないか。

 本当に、どれが真実の彼なのか。

 私にとって今のところ一番好ましいのは、やっぱりエリオット君なんだけれど。


 釈然としないものを感じながら二人の会話を眺めていたリョーコに、エリアスが話題を振った。


「そこへもって、こちらのフリッツ君とリョーコさんが、悪魔退治のスペシャリストだとうかがったものですから。ちょっと、助力をお願いした次第で」


「え、リョーコとフリッツ君がですか? スペシャリスト?」


 ぎくり。

 この馬鹿、余計なこと言うな。


 レイラの眉根が寄せられ、眼が細められる。

 彼女は立ち上がってゆっくりとリョーコの背後に回ると、彼女の両肩に優し気に手を置いた。

 恐ろしさのあまり動けないリョーコの僧帽筋が、ぎりぎりと万力のような力で締め上げられる。


「ちょっとレイラさん、いたたったたいたいいたい!」


 レイラのひきつった笑いが見えないのが、果たしてリョーコには幸いであるのかどうか。


「ふーん、悪魔退治ね。あなた達って時々夜遊びすると思ったら、そーんなことしてたんだ」


 まずい。

 このままミンチにされるのか、私。


「いや、これには、そこそこ、深い事情がああああ」


「デートしてたって方が、まだましだわ。いいわ、その事情とやらは後で聞いてあげるから。たっぷりとね」


 こうしてリョーコは、かつての大陸上陸作戦で「ウィンドミル」の異名をとったレイラの、その真の実力を思い知らされることになった。






 自ら巻き起こした事の重大さに、助けを求めて周囲を見回したエリアスは、明るいブラウンヘアーの女騎士が階下へと降りてくるのを見た。

 渡りに船とばかりに、立ち上がって声をかける。


「ああ、カレン。よかった、いいところへ」


 エリアスの声に顔を上げた女騎士カレンは、素早く彼に駆け寄るとその前で直立し、見事な王国流の敬礼を行った。

 階上でずっと休まずに今まで、フリッツとヒルダの看護に専念していたのだろう。

 緊張し通しだった彼女の表情が喜びと安堵に緩むのが、はた目にもわかる。


「ああ殿下、ご無事でようございました。リョーコ様にお任せすれば間違いないとは思っていましたが」


 そう言いながらカレンは、床に横たわって屍のように動かないリョーコを怪訝な表情で眺めた。

 エリアスは苦笑して肩をすくめると、話を先へと進める。


「フリッツ君と、もうひと方のヒルダさんという女性の様子は?」


「お二人とも眠っておられますが、それぞれ状態は安定しているかと」


 エリアスは、ほうっと安心した様子を見せた。

 もっとも彼にしてみれば、フリッツの無事を祝う筋合いはないのであろうが。


「そうか、それはよかった。お二人の詳しい容体については、後でリョーコさんに確認してもらうとしようか」


 今まで二人の介護をしていたからであろう、カレンは意外だという表情をした。

 高級将校でなおかつ最前線にも立つ彼女は、軍で看護についての教育も一通りは受けており、それなりの知識は持ち合わせているという自負がある。

 それをエリアスは、ただのパン屋の店員であるリョーコに任せようというのである。


「あら、リョーコ様は負傷者の状態把握にもお詳しいのですか? ひょっとして、リョーコ様も治癒師だとか」


「そうじゃないけれど、この中の誰よりも正確に判断できるはずだよ。何せ彼女はドク……」


 馬鹿。

 私が医師だとかドクターだとかってのを知っているのは、フリッツ君だけなんだから。

 彼ですらその本当の意味は理解していないけれど、私が異世界転生者だってにおわせるようなこと、軽々しく口にすんな。


 リョーコは悶絶状態から一瞬で立ち直ると、全力でエリアスの口をふさぎにかかった。


 こいつ、マジでないわー。

 異世界転生者と王位継承権第四位、全然使い分けれてねーぞ。

 そんなので、よく今まで隠ぺいしてこれたな。


 エリアスが言いかけた言葉を耳ざとく聞きつけたカレンが、眉をひそめる。


「ドク?」


「いや、どく、独女ってやつだから。ほら、独身女性って他人の顔色をうかがうのに敏感で、ちょっとした異常でもわかるっていうか。そうでしょ、エリオット君?」


 何故私が、このような訳の分からない言い訳をしなければならないのか。

 エリオット君のやることなすこと、すべて私を陥れているとしか思えない。

 やっぱこいつの本質は、ランディだわ。


「む、むむむ」


 呼吸ができずに、両手をばたばたさせるエリアス。

 このまま落としてもいいけれど、カレンさんの手前、情けはかけてやる。

 エリアスがそれ以上何も言わないことを確認して、リョーコはようやく手を緩めた。


 カレンは腑に落ちない様子で、きれいなあごに指をあてて考え込んでいる。


「そういうものですか、リョーコ様。でもそれを言うなら、私も独女ですけれど」


「ま、まあまあ。私、フリッツ君もヒルダもいつも顔を見てるので、大丈夫かどうかはある程度分かると思います」


 カレンはさらにしばらく考え込んでいたが、やがてうん、と一つうなずいて、笑顔を取り戻した。


「分かりました。お願いいたします、リョーコ様。その間に、私はレイラ様のお手伝いを」


 そう言うと彼女はバンダナを巻いてエプロンを付け、腕まくりなどをしてみせる。

 呼吸困難からようやく立ち直ったエリアスが、がばっと起き上がると期待に目を輝かせた。


「お、ひょっとして」


「はい、殿下。お夕食をこちらでとの暖かいご提案を、レイラ様から頂きましたので」


 図らずもエリアスと食事を共にできる機会を与えられたカレンは、鼻歌など歌いながら、いそいそと食材の下ごしらえを始めた。


「ふふ。殿下には懐かしい、寮長特製ビーフシチューをご賞味していただきましょうかね。それじゃあ私たちは準備をしているから、リョーコは上で二人の容体を見てきて」


 レイラもエプロンを再び付けると、てきぱきと指示を出し始める。

 

「わー、エリオット君といっしょにごはんだって。ポリーナも手伝うよ!」


「あら。ポリーナ様、なんてご殊勝な。それでは三人で」






 和気あいあいと夕食の準備を始めた一行。

 わずかに頬を染めながら、エリアスの顔を横目でちらりと見たカレンの動きが、ぴたりと止まった。


「殿下。その左の頬は、どうされました?」


「うん?」


「そのお顔の赤いあざ。それってまさか、手形?」


 階段を上りかけたリョーコが、ぎくりと立ち止まる。

 やばい。

 私としたことが感情の高ぶりで、とんだ証拠を残すとは。


「じゃあ私、フリッツ君とヒルダの様子を見てくるね。心配だし」


 そそくさとその場を立ち去ろうとしたリョーコの背を、むんずとつかむカレン。


「ちょっとお待ちください、リョーコ様!」


 うお。

 さすが王宮騎士。

 見た目の細腕に釣り合わぬ、何という剛力。


「殿下! まさか帰り道で、リョーコ様に平手打ちをされるような、不埒(ふらち)なことをしたんじゃないでしょーね!」


「落ち行いて、カレン。ありえない、ありえない」


 カレンは、くわっとリョーコに向き直った。


「じゃあ、リョーコ様が殿下に」


 どうしてそうなるんじゃ。

 襲っといて平手打ちする女がおるか。


「誤解よ、カレンさん。確かにエリオット君ってよく見るといい線いってるけれど、全っ然私の好みじゃないから」


 リョーコのその言い訳は、かえってカレンの機嫌を損ねただけのようであった。


「……怪しい。そういえば殿下とリョーコ様、なーんかよそよそしくありませんか。これ、独女の勘かもしれませんけれど」


 そりゃあ、異世界転生者で元悪魔側の格闘家だなんて打ち明けられたら、よそよそしくもなるわい。


 いったん彼女に火が付くと容易に鎮火しないことを知っているエリアスも、頭を抱えながら弁明した。


「カレン、僕がそんなことするわけないだろ。女の子を襲うような度胸があったら、今頃いいなずけの一人もできているよ」


 腕を組んだカレンは、ジト目でエリアスを見下ろした。


「まあ、そりゃあそうですけれどね。殿下、ヘタレですもんね」


 腹心の部下にヘタレとまで言わせる、これはもう、エリオット君の今までの優柔不断さと鈍感さが悪い。

 私だって、王子様に手を出す度胸があるくらいなら、今頃とっくにフリッツ君と付き合ってるわよ。


 とばっちりすぎる、と納得できない思いを抱えながら、リョーコはほうほうの体で階上へと退散した。


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