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第四三話 シェイクで再会は祝えない

 冬の曇天が石造りの桟橋に影を落とす。

 風は凪いでいるが、冬の海は墨を溶かしたように青黒く、波の先端の小さな白い泡立ちが物寂しい。


 ミルダール王国は「大陸」から海を挟んで西に位置する島国であり、首都ミルダリアは主島の最東端にある。

 王立首都港の第四ふ頭は民間の貨物船の停泊地であり、密に隣接する倉庫と周囲に積み上げられた木製のコンテナ、それらを積み降ろしするクレーンなどが連綿と続いていた。


 ヒルダは岸壁沿いにぶらぶらと歩きながら、その短い黒髪を、時折静かに吹く海風に遊ばせていた。


 ここミルダリアは比較的温暖な気候であり、冬であっても、薄いコート一枚あればおおむね過ごすことができる。

 雪も数日ちらつけばよい方で、積雪はまずないといってよい。

 それでもヒルダはうすら寒さを感じ、襟に巻いた白いマフラーをかき合わせた。


 メリッサ先輩。

 私より二つ上の、学年総代だった凄腕の魔導士。


 直接関わったことはほとんどなかったが、二つ下の学年で常に首席の私の事は、きっと彼女の頭の片隅にあったのだろう。

 もっとも、総代なんて面倒なこと、私はやらなかったけどね。

 まあ、バイト優先で遅刻常連、素行不良の私に総代が務まるはずもない。


 そういう意味では、メリッサ先輩の評判は、模範的な総代のそれだった。

 頭脳明晰なのに、陽気で飾らない性格。

 おっとりとしていて、どことなく田舎っぽさすらあるのに、戦闘訓練では抜群の切れを見せる攻撃魔法。

 同学年だけでなく、アカデミー全体の人望を集めていた。

 卒業を待たずして、すでに王国魔道団の内定も出ていたともいう。


 そんな皆の憧れだった彼女は、卒業式を前にして忽然と姿を消した。


 変わり者ぞろいの魔導士アカデミーの生徒のことだ。

 行方不明だけならば、日常茶飯事とまではいわなくても、ままあることだとはいえる。

 しかし彼女の失踪は、隣家が全焼の上、交際していた男性の焼死体が焼け跡から見つかったというセンセーショナルなものだった。


 彼女の死体が見つからなかった時点で殺人事件だとも騒がれたが、交際相手のイアニスなる男性とメリッサとの仲は、両親公認であるほどの睦まじいものであったらしい。

 結局事件は未解決のまま処理され、二人の親族はいずこへともなく離散してしまったという。


 だが、メリッサ先輩と交際相手の間に、何らかの破局が訪れたのは間違いない。


「あの時は、失恋が本当に世界の終わりみたいに感じられたのよ」


 クラブで再会した時に先輩が口にした言葉は、まさしく呪文、呪いの文言だった。






「ヒルダさん、こっちこっちー」


 いきなり降ってきた声に、ヒルダは頭上を仰ぎ見た。

 高いコンテナの端に腰かけた女性が、深緑のローブから右手を出して、ヒルダを手招きしている。

 栗色の短い髪に無防備な笑顔、軽く開いた口からちらりと覗く八重歯などが、彼女にあどけない少女の印象を与えていた。


「やっぱり一人で来てくれたのね。飲み物二人分しか持ってきていないんだ、約束守ってくれてよかった」


 その女性、メリッサはにっこりと笑いながら、金属製の小さな水筒を右手だけでヒルダに放った。

 ヒルダは片手を挙げてそれを苦も無く受け取ると、メリッサに軽く会釈する。


「お待たせした上に、飲み物までおごっていただけるなんて。遠慮なくいただきます、メリッサ先輩」


 ヒルダはふたを開けると、中身を確認する事もなく口に含んだ。

 先輩は、小細工などしない。

 そうでなければ、デッカーズ・クラブでとうに仕掛けてきている。


 彼女は水筒を掲げると、メリッサに笑って見せた。


「これ、美味しいですね。ストロベリー・シェイクですか」


「うん、なんと私の手作りよ。冬にシェイクというのも、なかなかおつなものでしょ」


 メリッサも笑いながら、取り出したもう一つの水筒のふたを右手だけで器用に開けて、中身を口に含んだ。


 一息ついたところでヒルダは、今まで歩いて来た桟橋を振り返って眺めた。


「私、先輩にあまり信用されてないみたい。ここに来るまでの数か所で感じた魔力、検知魔法ですよね?」


 メリッサは嬉しそうに指をぱちんと鳴らした。


「おっと、ご明察。結構気を付けて隠したつもりだったんだけれどな。さすが、学年首席はだてじゃないわね」


「いえ、見事なものでした。気付いたのは四か所だけ、恐らくその三倍はしかけてあると見ましたが」


「ふふ。正解は三十六か所だけれど。あなたも知っての通り、十二の倍数が魔法陣を敷くにも立体的に組み合わせるにも一番応用がきくからね」


 ヒルダは、驚きを隠すのに多少ならずとも苦労を要した。

 その理論はもちろん知っているが、よもや、予想のさらに三倍とは。


 メリッサはあっけらかんと言った。


「ごめんなさい、信用してなかったわけじゃないのよ。ただ、邪魔者に乱入して欲しくなかっただけ」


 そして彼女は宙にふわりと身体を投げ出すと、つま先から音もなく着地する。

 寄せては返す波の音が、相対した二人の耳奥に遠く響いた。






「それで、先輩。私の友人についてのお話があるとのことでしたけれど」


 リョーコとフリッツ君。

 そして恐らく、私に対しても含むところがある。


 メリッサは思い出したとでもいうように、ぽんと手を叩いた。


「ああ、そうだったわね。いえ、あなたのお友達にちょっとした興味があってね。もしよかったら、同窓のよしみで教えて欲しいんだけれど」


「さて。私の知っていることが、先輩以上であればいいんですけれど」


 ヒルダが皮肉を込めて言う。

 メリッサはどこ吹く風と続けた。


「ヒルダさん。あなた、あの二人についてどれだけのことをご存知?」


 隠し立てしても始まらない。

 メリッサの本音を引き出すためには、ある程度はこちらのカードを披露する必要がある。


「リョーコについては、その出自を。フリッツ君については、大まかな経歴を」


 メリッサは薄く笑った。


「うーん、あいまいね。クレバーでスマートなヒルダさんらしくもない。それじゃあ、私が説明してみましょうか。多分に推測が混ざっているから、間違いがあれば訂正してね」


「どうぞ」


 どこまで私たちの事を把握しているのか、彼女自ら手の内をさらしてくるとは。

 ブラフか、それとも実はたいした興味が無いのか。

 あるいは、私を生かして帰す気がないからか。

 どれも違うような気もするし、すべてが正しいような気もする。


 メリッサが人差し指を立てて、ヒルダの反応を楽しむように説明を始めた。


「それじゃあ。リョーコっていう女剣士さん」


 深緑の女魔導士は、一呼吸おいて続けた。


「異世界転生者ね?」


 さすがのヒルダも、これには動揺を隠しきれなかった。

 他人と面と向かって異世界の話をするのは、これが初めてであった。


「……先輩。本当に、あなたに何があったんですか」


 メリッサは満足げに笑った。


「あら、図星なんだ。ひょっとしたら、あの長い刀だけが異世界のもので、彼女はただのこちら側の世界の住人、って線もあったんだけれど」


 笑うのをやめた彼女は、能面のような表情になる。


「あなたの表情を見てわかったわ。彼女自身が異世界転生者なんだ、って」


 いきなり放たれた殺気に、ヒルダは危険を感じた。

 まずい。

 彼女、殺し慣れている。


「どうして異世界の事を知っているんですか。まさか、先輩」


「いやいや、私は元からこの世界の住民、ネイティブよ。異世界のことはね、私の元カレが教えてくれたんだ。彼、異世界転生者だったのよ」


 元カレが、異世界転生者。

 その人を、彼女が殺した。


「でも、何でリョーコが異世界転生者だって」


「簡単な推論よ。悪魔の肉体を崩壊せしめることができるのは、フリッツ君以外では異世界の技術のみ。だから、リョーコって子が悪魔を倒したのなら、それは彼女が異世界の力を行使できることの証明」


 だめだ。

 そこまで知っているのならば、もはやごまかしは通用しない。


「先輩。どうしてそこまで、悪魔に詳しいんですか」


 メリッサは、上目づかいにヒルダを見た。

 彼女の顔に再び微笑が宿る。


「あら、ヒルダさんったら意地悪ね。とうに気付いているんでしょ」


 メリッサは、深緑のローブを肩からゆっくりと滑り落とした。

 胸元と両肩を大きく露出した、鮮やかな水色のノースリーブのワンピース。

 冬の海岸にはあまりに場違いな、麦藁帽子でも似合いそうな夏のいでたちだ。


 そしてその左腕は。

 肩の付け根から手首に至るまで、緑色の鱗でびっしりと覆われ。

 本来手指であるところを、意思を持った竜の頭が占めていた。

 その縦に細長い瞳孔は、動くことなくヒルダを凝視している。


「今の私、こんな感じ。そうそう、ワンピースを着ているのはお気に入りでもあるんだけれど、こういう理由もあるのよ」


 そう言うと、メリッサの背中から一対の真っ白な翼が飛び出した。

 悪魔というにはあまりに純白な、汚れ一つない羽。

 

「背中が開いてるワンピって恥ずかしいけれど、こういう目的で着るなら、機能的という言い訳も成り立つわね」


 ヒルダは、自分の感情を制御できなかった。

 驚きと悲しみ。

 そして、胸を締め付けるような怒り。

 自分がかつて知っていた人が、悪魔に変貌している。


 見知らぬ悪魔であればためらうことなく攻撃できていた自分というものが、いかに身勝手だったか。

 それを今彼女は、散々に思い知っていた。


 目の前には、昔のままの柔らかな笑顔。


「メリッサ先輩、どうして」


「その名前、あんまりいい思い出がないんだ。ヴォラク、って呼んでもらえると嬉しいかな」


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