第四一話 最初に言ってよ、眼鏡君
「ポリーナちゃん。アップルパンの場所って、どこがいいと思う?」
ベーカリー「トランジット」の開店前のひと時。
パンの陳列ケースの前で腕組みをしながら、リョーコが隣のポリーナに助言を求めた。
「うーんとね。メロンパンとシュガーバターパンの間がいいんじゃないかな」
ポリーナが即答する。
「あら、どうして」
リョーコが横目でポリーナを見る。
母親譲りの金髪の少女は、人差し指を立てて得意げに説明した。
「甘さが強いものから順番に並べていくと、お客さんがわかりやすいんじゃないかなと思って」
うーん。
この歳で、どうしてそのようなことを考え付くのか。
「すっごーい。ポリーナちゃん、経営の才覚ありね」
ポリーナがぼそりと返す。
「たしかに、リョーコお姉ちゃんはそういうのあまり向いてなさそうだよね」
おっと。
まだ社会をよく知らないはずの少女の目には、元ドクターであるこの私はどう映っているのか。
まあ内気なインテリという感じの私だ。魔導士とか、それこそ治癒師とか。
ここはひとつ、きいてみるとしよう。
「それじゃあ、私が向いていそうな仕事って、どういうやつ?」
「細工職人とか、画家とか」
想像以上に自分の内面と向き合う奴だった。
モデラ―に、同人誌作家か。
どんなオタ女よ。
確かにドクターって、経済観念や社交性が皆無って人も多いけれど。
そもそも大学の医学過程に、それらを学べるようなカリキュラムが欠落しているのよね。
そうなのだ。
私がコミュニケ―ションが苦手だったのは、制度が、社会が悪いのだ。
ぽこん、とポリーナが丸めた紙でリョーコの頭をはたいた。
「あいたー。何するのよ」
「リョーコお姉ちゃん、なんか悪いこと考えてたでしょ」
悪いことではなく、後ろ向きなことなのだが。
でも確かに、環境の犠牲者を気取っていても仕方がない。
まずは、目の前の仕事を頑張ることだ。
からん。
店の扉が開いた。
まだ開店には少し時間があるが、サービス業はサービスを行うのが仕事である。
急いでパンを買いに来たということは、お客さんにもあわただしい事情があるのだろう。
時間外ですよーなんて言っちゃうのは、野暮というもの。
リョーコはそそくさとバンダナをかぶりながら振り向いた。
「いらっしゃいませ、おはようござ……」
入ってきた女性を見て、リョーコの動きがぴたりと止まった。
ポリーナも大きく目を見開いている。
「お久しぶりです、リョーコ様にポリーナ様」
さらさらのブラウンの髪をボブカットにした、妙齢の女性。
鉄製の胸当てと腰に下げたロングソード、同じく左腰に装着されたバックラーと呼ばれる円型の小型の盾が、彼女が騎士であることをはっきりと示していた。
戦闘用の完全装備だ。
「あなたは、エリオット君の家庭教師の」
女騎士は明るく微笑んで会釈した。
「カレンです。先日は失礼いたしました、リョーコ様。ポリーナ様も、お元気そうで何よりです」
ファムボンをほおばっていた時に知り合った青年エリオットの、お付きの女騎士さん。
丸眼鏡君を強引に拉致したあの時の印象とは異なった、柔らかな表情が眩しい。
リョーコは失礼だと思いながらも、目の前の女騎士をまじまじと観察した。
なんかこの世界って、きれいな人が多いよねー。
それともこれは、故郷から離れた特定の場所に美人が多くいる印象を持ってしまう、いわゆる隣の芝は青い的な錯覚なのだろうか。
秋田美人とか京美人とか、博多美人とか言ったやつ。
でも、私の今の容姿も、すごく素敵だと思っている。
それにルックスだけではなく、剣技をはじめとした身体能力にも、何度も助けてもらっている。
何度目になるかわからないが、改めて元の持ち主さんに感謝。
そういえば、命なんて惜しくない、なんて思ったこともあったな。
ごめんなさい。
大切に使わせてもらうわ。
リョーコがそんなことを考えていると、店の二階からぱたぱたと降りてくる足音が聞こえてきた。
「リョーコさん、そろそろ開店時間ですよね」
階下に現れたフリッツの姿を認めるや否や、カレンは彼のもとへと駆け寄った。
フリッツの手を包み込むように、両手でぎゅっと握る。
リョーコの眉がぴくりと動く。
「フリッツ殿、会えてよかった。王宮守備隊のカレン副長です」
フリッツは一瞬驚いた表情をしたが、すぐに思い出したのか、さわやかな笑顔を見せた。
「驚きました。先日はどうも、カレンさん。こんな朝に、一体どうしたんです?」
え。
フリッツ君とカレンさん、知り合い?
凛々しい女騎士は、美少年の前でしおらしくうつむいている。
「私、あれからずっとあなたの事を考えていました。大変なことをしてしまったと思うと、いてもたってもいられなくて」
フリッツは黒い前髪をかきあげながら、首を横に振った。
「とんでもない、元はと言えば僕が悪いんです。隠そうとなどせずに、最初から公にしていれば」
ちょっと待て。
あれから。大変なこと。隠す。
聞き捨てならん単語が全開だぞ。
フリッツはいたわるような表情で、カレンの肩に手を置いた。
「大丈夫です、許可はすでに頂きました。黙認していただけると」
おいおい。
誰が、何を許可したっていうの。
カレンは胸の前で両手を組むと、安堵の表情ででフリッツを見上げた。
「それはよかった、フリッツ殿。もうこれからは、後ろめたい思いをしなくてもよいのですね」
リョーコはたまらず割って入ると、二人を両手で無理やり引きはがした。
地の底から湧き出るような声。
「話し中、ごめん。フリッツ君、説明してくれるかな」
一触即発のその時、再び扉の鈴がからんとなった。
全員が扉を振り向くと同時に、丸眼鏡をかけた銀髪の青年が、息を切らしながら店に入ってくる。
「ちょっと待ってよ、カレン。荷物が重くって」
やっぱり、エリオット君だ。
なんか、物々しいコートを着ているけれど。
カレンはフリッツから距離を置くと、両手を腰に当ててため息をついた。
「まったく、普段の鍛錬が大切だとあれほど申し上げているのに。私にも全く触らせていただけませんが、何が入っているんです、その無駄に重そうなバックパック」
エリオットはどっこらしょと荷物を床に置くと、玉のような汗をぬぐう。
「いや、空き時間を利用して読めるようにって、倉庫にあった古文書なんかを常にいくつか入れているんだけれど」
電車通学の学生か。
エリオットはずりおちた丸眼鏡を押し上げると、リョーコに片手を上げた。
「やあ、リョーコさん。ファムボンを一緒に食べて以来ですね。ブシドー、励んでますか?」
別にサムライであろうと決心したわけではないのだが。
でも、あの時君が語った「覚悟」なら、常にここにあるわ。
励んでるわよ、エリオット君。
でもこの二人、本当にこんな朝から何しに来たんだろう。
ひょっとして、また社会勉強?
ファムボンの次は、パンの食べ歩きか。
しかしエリオット君って、よく見るとちょっと格好いいんだよね。
ひょっとして私目当てかも、などとうっすら妄想しているところが、引きこもり女のシンデレラ症候群で悲しいが。
うーん、あり得ん。
「どうしたの、エリオット君。わざわざ私を訪ねてきたの?」
結果、やんわりと聞いてしまった。
我ながらドン引きだが。
フリッツ君というものがありながら、何とあさましい。
恋愛願望の強い女ということで、ここは許して欲しい。
「いえ、別にそういうわけでは」
さらっと流すエリオット。
ですよねー。
エリオットは店内をぐるりと見まわすと、首をかしげる。
「あれ。レイラ殿はご不在で?」
「レイラさんは材料の仕入れで、泊りがけで不在してて。今日の午前中には帰ってくる、って言ってたけれど。エリオット君、レイラさんと知り合いなの?」
「それはもちろん、古くからの知り合いで……」
カレンさんはフリッツ君と知り合いで。
エリオット君はレイラさんと知り合いで。
どうなっとるんだ。
一同を見渡したエリオットはフリッツの上で視線を止めると、安堵したように破顔した。
「おはようございます、フリッツ君。アカデミーのジェレマイア殿が、君に会いに来たようですね。報告は受けていますよ」
カレンに続くエリオットの登場に、驚いた表情のフリッツがあわてて礼を返す。
「エリアス殿下。わざわざ、このようなところまで」
リョーコは、ふむ、とうなずいた。
やはり、フリッツ君とエリオット君は知り合いだったらしい。
まあ、カレンさんはエリオット君につきっきりのようだから、カレンさんと知り合いであれば、当然エリオット君とも顔見知りなのだろうが。
エリオット君。あなたもパンや私ではなく、フリッツ君目当てなのか。
有象無象のミーハーな女の子と同じく。
ん。
「でんか?」
ぽかんとしているリョーコを、フリッツが肘でつついた。
「ほら、この間話したでしょう。王位継承権第四位の、エリアス王子ですよ」
エリオットことエリアスは、にこにこと笑ってリョーコに手を振った。
王子。
「あ、あなた。特に仕事していない、自宅警備員だって」
エリアスは照れくさそうに頭をかきながら、丸眼鏡をくいっと押し上げた。
「王宮守備隊の司令なんて肩書はありますけれど、ほとんどさぼっているのは事実ですし。それに王宮は僕の家ですから、自宅を警備していることには違いないでしょう?」
カレンが苦虫をかみつぶした様な表情でにらむ。
「何開き直っているんですか、まったく私の苦労も知らないで。ぶつぶつぶつ」
リョーコはあきれても物も言えなかった。
こいつ。
水戸黄門みたいなまねしやがって。
リョーコとエリアスの会話を聞いて、今度はフリッツが驚く番であった。
「エリアス殿下、リョーコさんたちとお友達だったんですか」
「ええ。お二人とはファム友なんですよ。ねえ、ポリーナちゃん」
そう言ってポリーナにピースサインを送るエリオット。
ポリーナはドヤ顔でうなずいた。
「もちろんそうよ。私の方が先輩だけれど」
ポリーナちゃん、言う言う。
ファム友という聞きなれない言葉に、フリッツは首をかしげるばかりだった。