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第四十話 公私混同ガール

 ブラウンのボブカットが良く似合うその女騎士は、可能な限りの速足で廊下を駆け抜けると、両開きの扉を遠慮がちに叩いた。

 

「殿下、起きていらっしゃいますか」


 扉の中からは、しわぶき一つ聞こえてこない。


 カレンはつま先でこつこつと床を叩いた。

 連打なんてしたら、殿下に余裕のない女だと思われるかしら。

 でも、今は職務を優先しなければ。


 女騎士は扉を、今度はやや強めに叩いた。

 みしり。

 おっと、危ない。

 扉を壊しでもしたら、ますますイメージダウンだわ。


「朝早く申し訳ありません、エリアス殿下」


 床ごしに伝わる、ごとんという鈍い音。

 カレンは想像力を働かせた。

 ふむ。ベッドから転落されたか。


「わ、カレンかい。ちょっと待って」


 何かをがちゃがちゃと片付ける音。

 もう待てない。

 どうせ私は、余裕のない女ですわよ。


「殿下、おはようございまーす」


 有無を言わさず扉を開けるカレン。


 エリアスは、備え付けのキッチンのシンクで泡の付いた食器をかきまわしていた。

 きれいな銀髪は無残なまでに寝癖がついており、トレードマークの丸眼鏡も半分ずり落ちている。

 さらに悪いことには、ガウンがはだけて下着まで見えていた。


 汚れた食器よりも、まず自分の身なりを心配されるべきでは。

 カレンはわずかに顔を赤らめながら、目を天井に泳がせた。


「申し訳ありません、殿下。火急の要件にて」


 寝起きのエリアスが、興味をひかれたように振り向く。


「おはよう、カレン。君が独断で判断できない案件かい? 珍しいね、しかもこんな早朝に」


 カレンは、ちらりとキッチンに目を走らせた。

 いつも夜遅く、お一人で食事されてばかりで。

 あのリョーコって女の子たちに言ってた、引きこもりって自己紹介、しゃれになってないですよ。

 私でよければ、いつでもご相伴させていただくのに。


「それにしても、殿下。お夜食の後片付けなんて、私がやりますから」


 エリアスはばつが悪そうに笑った。


「いいよ、カレン。自分の事は自分でやるし。それに、君は皿洗いをするために軍人になったわけじゃないだろう? それこそ、国費の無駄遣いってもんさ」


 そんな理屈、きいてる場合じゃない。

 あー、下着下着。


「もう、とにかく私がやりますから。殿下は早く着替えてきてください!」


 カレンはつかつかと歩み寄ると、エリアスから食器を奪い取ってせかせかと洗い始めた。


「何を怒ってるのさ、カレン?」


 押し出されるようにしてバスルームへ向かったエリアスの後ろ姿を、カレンは恨めしそうに見送った。






「それで、火急の要件って何かな」


 小ざっぱりしたエリアスに安堵しながら、カレンは胸元から一枚の紙片を取り出した。


「実は、このような投書が屯所の窓から投げ込まれていたのです」


 しわくちゃな紙片を受け取ったエリアスは、それを裏返したり透かし見たりしている。


「屯所って、僕たち王宮守備隊の?」


「はい。投げ込まれた時刻は、おそらく昨日深夜から本日未明にかけて。当直の兵が床に落ちているこれに気付いたのですが」


 乱雑に書きなぐられた文字。

 筆跡を特定させないという意図が明らかである。

 改めて書かれている内容に目を通したエリアスは、眉をひそめた。


「これは。今日の正午に、首都港に悪魔が現れると。こんな情報を、一体だれが」


「分かりません。しかし、悪魔の出現についての具体的な情報というのは、これまでで始めてです」


 エリアスはソファーに深く座ると、カレンと視線を合わせた。


「でも、おかしいよね。こういう言い方はよくないかもしれないけれど、誰かが王国軍に密告を行うとして、通常は治安小隊や警備分隊を対象とするのが普通だろう? あるいは、その地区の自警団か。それがよりによって、何だって僕たち王宮守備隊に」


「それは私も疑問に思いました。悪魔との戦いなど、全く我々の管轄外です。それゆえ、我々を狙ったいたずらか、あるいは罠とも考えられます」


 エリアスは寝ぐせの付いた頭をかきまわした。


「罠。僕たちに罠を仕掛けるなんて、無意味だなあ」


「どうします、殿下。しかるべき部署に伝達して、警戒してもらいますか」


 エリアスは口に手を当てて考え込んだ。


「もし本当に悪魔が現れるとしたら、通常の部隊では対処できないだろう。君の言う罠であったならば、そちらに兵を割いた場合、手薄になった王宮や重要施設が狙われる可能性がある」


「いたずらだった場合には」


「我々が笑われるだけですむさ。だが、そうと片付けるには手が込んでいるね」


 カレンの青い瞳が愁いを帯びた。


「いずれにしても、軽々しく軍を動かすことはできないと」


 エリアスは急に立ち上がると、私服の白いシャツにそでを通し始めた。


「兵をまとめる時間もないしね。僕が行くよ」


 カレンは我が耳を疑った。


「行くって。殿下が悪魔と戦われるのですか」


 ちょっとかっこいいですけれど。

 殿下、ご自分の剣すら持っていないじゃないですか。


「そんな絶望的な目で見ないでよ、カレン。僕にだって自殺願望はない。海の事は漁師に問え、ってね。デーモンの事は、デーモン・ハンターに依頼するのさ」


 慣れない言葉に、カレンはとっさに反応できなかった。


「デーモン・ハンター?」


 エリアスは丸眼鏡越しにウインクを送った。


「ほら、先日お近づきになったじゃないか。君だって、あんな美少年を忘れたわけじゃないだろう?」






 カレンは、徹夜でかき集めた悪魔についての情報を、頭の中で整理してみた。


 自警団長のリカルドの報告によれば、フリッツはその長剣で悪魔アドラメレクなるものを両断し、崩壊させたのだという。

 元王国軍人のレイラとともに王城内の一室に現れたフリッツは、確かに尋常ではなかった。

 尋常ではない美少年だった。

 常人離れしているという観点で言えば、むしろデーモン・ハンターにふさわしい容姿であるかもしれない。


 適材適所で事に当たるというエリアス殿下の発想は秀逸だが、それにしても。


「フリッツ殿ですか。彼、民間人ですよ」


「現状、悪魔を倒した実績があるのは彼だけなんだ。体面に構っちゃいられないよ」


 エリアスは灰色のスラックスに履き替えると、軽量の革靴を引っ張り出した。


 だから、どうして私の目の前で着替えるのですか。

 カレンが再び赤面しながら、小さく唇を尖らせる。


 エリアスは、何が入っているのか、大きなバックパックを取り出した。

 書生然としたお忍びファッションの上から、防寒用の軍用ベストとコートを重ね着する。


 カレンは慌てた。


「危険です。せめて、王宮守備兵をお付けして」


「いけない。さっきも言っただろ、兵を割くのは悪手だよ。それにもし悪魔が相手なら、スペシャリストしか役に立たない」


 エリアスはカレンを安心させるように微笑した。


「それに、護衛なんていなくても大丈夫。僕が戦おうってんじゃないんだから」


「なにも、殿下が直接依頼に行かなくても」


 エリアスは、とび色の瞳でカレンを見つめた。


「僕たちの代わりに悪魔と戦ってくれなんて無茶な頼み事なんだ、自分で行かないでどうするのさ」


 こういうところだ。

 ほっとけない。

 カレンは深呼吸をすると、きっぱりと宣言した。


「分かりました、殿下。私もお供させていただきます」


 うすうす予想はしていたのだろう、エリアスは言下に拒絶した。


「君は残って、隊の指揮を執って欲しい。僕がいなくったっていつも通りの平常運転だけれど、君がいないと隊は機能しない」


 カレンは口角泡を飛ばして抗議する。


「何言ってるんですか、私の任務は殿下を守ることです。殿下のそばにいない私は、私じゃありません」


 エリアスも譲らない。


「カレン、君は隊の副長でもあるんだ。軍人の本分を見失うなんて、君らしくもない」


 カレンは、エリアスに詰め寄った。

 顔と顔が触れ合いそうなくらいに近い。


「私らしいって、何ですか。殿下が、一体私の何をご存知だっていうんですか。私は隊よりも殿下を優先します、これだけは譲れません」


 そうよ。

 私の気持ちも知らないで。


 エリアスの声が、珍しく大きくなる。


「どうしてわかってくれないんだ。さっき君自身が言ったとおり、悪魔との戦いは君にとっては管轄外なんだ。これは命令で」


 続きを口にしかけて、エリアスは黙った。

 ブラウンの前髪に隠れたカレンの目から、エリアスの手に熱いしずくがこぼれ落ちる。


「……殿下。私に、命令違反をさせないでください」


 エリアスは目を閉じて天を仰いだ。

 彼女を巻き込むことになったのは、僕の計画の甘さだ。

 僕に危険はない、なんていう嘘に、彼女が気付くはずはないにしても。


 レオニート、笑ってくれ。


「僕は、君を守り切れないかも知れないよ」


 カレンは赤くなった鼻を隠そうともせず、笑顔を作った。


「あは、何言ってるんですか。それって逆ですよ。私が必ず、殿下をお守りします」


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