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第三八話 風来坊と奈落の破壊者

 ランディは自室に戻ると、疲れたようにソファに身を沈めた。


 居室というよりは居宅といっても良いほどの広さであるが、過剰な華美さはなく、さっぱりとした瀟洒(しょうしゃ)な部屋である。

 調度も一見ありふれているようで、その実、見るものが見ればその一品一品が吟味された物であることがわかるであろう。


 ランディは顔の半分ほども覆った例のゴーグルを外すと、からんとソファ脇のサイドテーブルに投げ出す。

 そして大きなため息をつくと、彼は慣れたように後方へと声をかけた。


「遅くなったな、アバドン。今帰った」


 部屋の隅の巨大な影が、待ち構えていたようにきびきびとした返事を返した。


「お疲れ様でした、ランディ様。本日は、ことのほか長かったですな」


 身の丈二メートル半はあろうか。

 よくよく見れば黒い髪の間から短く曲がった二本の角がのぞいているものの、それを除けば、引き締まった男性の戦士のそれである。

 全身を黒いマントで覆っているが、その強靭な肉体の輪郭は隠すべくもない。


 アバドンと呼ばれた悪魔は、その巨躯に似合わぬ俊敏さと器用さで、サイドボードからグラスを取り出した。

 つまんだ指先までが、鋼でできているように見える。


「ワインがよろしいでしょう? 気の滅入る会議の後などでは、特に」


 アバドンは酒瓶が並べられた棚から年代物のワインを適当に一本選びだすと、グラスとともに掲げて見せる。

 ランディはソファに寝そべって天井を見上げたまま、右手で赤い髪をかきあげた。


「まったく、俺は話し合いなどにはとことん向いていない。お前は、本当に俺のことがわかっているよ」


「まあ、長い付き合いですからな」


 ランディは起き上がると、サイドボードを指さした。


「グラス、二個取ってくれ。お前も一緒にやろう」


 アバドンは苦笑すると、ランディの前のテーブルにグラスを一個だけ置き、静かにワインを注いだ。

 赤い液面がゆっくりと揺れる。


「私は結構ですよ。若かりしころは、酒の力でも借りなければ虚勢一つすら張れない未熟者ではありましたがね。歳を重ね、悪魔となった今では、そのような必要もなくなりました」


 ランディはグラスを手に取ると、一口喉に流し込んだ。

 赤。

 俺のかりそめの髪の色。

 血塗られた道。


 ランディと呼ばれアバドンと呼ぶ、この名前こそが、俺たちの覚悟だ。

 昔を懐かしむあまり、その牙を鈍らせるようなことがあってはならない。


「すまないな、アバドン。いつまでもお前には苦労を掛ける」


 アバドンは大きな肩をすくめた。


「何をおっしゃるやら。若い時の苦労は買ってでもせよ、ですよ」


「おいおい。今自分で、もう若くないと言ったばかりじゃないか」


 アバドンは腕を組むと、とぼけたように宙をにらんだ。


「あれ、そうでしたっけ。悪魔ともなると、自分の年齢がよくわからなくなりますな」


 ランディとアバドンは顔を見合わせると、くく、と笑い合った。






「さて、ランディ様。会議の結論はいかがでしたか?」


 チーズが盛られた皿をテーブルの上に置きながら、アバドンがちらりとランディを見る。

 ランディはフォークを使うと、チーズを二かけらほどまとめて口に放り込んだ。


「まあ、予想通りだ。ルシファー様は、あの二人の転生者を抹殺せよとご命令された」


「ふむ。たしか、リョーコ殿とヒルダ殿と言いましたか。ただ大前提として、その二人は本当に異世界転生者なのですか?」


 アバドンは腕組みをすると、そう言って首をかしげた。

 ランディは、一理あるといったようにうなずく。


「それは結局、本人たちに訊かねばわからないところだが。リョーコという剣士に関しては、その長刀のみが異世界由来で、本人はこちら側の人間という可能性もある。あるいは、その逆も」


「おっしゃりたいのはつまり、彼女の長刀はこの世界にありきたりのもので、本人に悪魔を倒せる能力があるということですか?」


 ランディは、ピンク髪のポニーテールの女剣士が振るっていた長刀を思い返した。

 青い微粒子を帯びた、不自然なほどに細長い大太刀。

 この世のものだとしても、妖刀と呼ぶにふさわしい。


「その可能性は低そうだがな。もし本人自身に悪魔殺しの能力があるのであれば、扱いにくそうな長刀にこだわるのはおかしいような気もする。やはり、あの刀本来の力なのではないかな」


 しかし、あの剣さばき。

 一朝一夕に修得したものではないことは、間違いない。


 それに何より、姿かたちだけで言えば、一年前のあの女に似すぎている。

 だがそうなれば、リョーコという女はやはり異世界転生者ということになるが。


「なるほど。では、ヒルダ殿という女性に関しては」


 アバドンの問いにランディは、リョーコのことをいったん頭の中から追い払った。

 黒いショートカットの、精悍な女魔導士。

 悪魔の肉体を傷つけることができたあの呪文は、当然オリジナル・スペルのはずだ。


「これもどうかな。アドラメレクの腹部を呪文で吹き飛ばしたということからすれば、本人の能力とも取れるが。あるいは、彼女に知恵を授けたものがどこかにいるのかもしれない」


 呪文を(つむ)ぐには、力がどのように発生するか、対象にどのように作用するか、微に入り細を穿(うが)つまで熟知しておく必要がある。

 問題は、その知識をどうやって得たのか、だ。


 ヒルダなる女性が自分で異世界から持ち込んだのか。

 あるいは、他の転生者が彼女に教えたのか。

 悪魔を創造する、変性遺伝子についての知識を。


 彼女が詠唱した呪文を聞き取れていれば、何かヒントが得られたかもしれないのだが。

 あの自警団の連中が邪魔さえしなければ。


 ランディはグラスに残っていたワインを一息に飲み干した。

 アバドンがワインをつぎ足しながら、話を続ける。


「ふむ。誰か別の異世界転生者が、彼女らを手助けしているという事でしょうか」


「そうとは思えない節もあるのだ。第一、彼女らはフリッツと行動を共にしている。あのフリッツとだ。異世界転生者にとっては悪魔より危険な人物を、転生者、あるいはその仲間が自ら手助けをする理由があるかい?」


「フリッツも彼女らも、お互いに事情を知らないという事ですか」


 奴らのあの無邪気な連携。

 おそらく、そうなのだろう。

 偶然にも、さらに奴らにとっては、幸運にも。


 ランディは両手を組んで白い壁を見つめた。


「どちらにせよ、うらやましいことだ。出来ることなら、奴らには何も知らずにいてくれればとすら思う」


「真実から目を背けるのは、決して彼らのためにはなりますまい。私自身は、真実を知ることができてよかったと思っていますよ」


「こんなことに巻き込まれたのに、か」


 アバドンは軽く会釈すると、自分もチーズを口に放り込んだ。

 苦みのあるカビの部分が、うまい。


「判で押したような人生なんて、つまらないですな。せっかく拾ってくださった命です、せいぜい楽しませてもらいますよ」


 ランディ様がいて、チーズがある。

 それだけで、贅沢なことじゃないか。






「して、ランディ様。我々としてはこれから、どう動くべきでしょうか」


 ランディは再びソファーに深く身を沈めると、天井をにらんだ。


「あの二人は、フリッツも悪魔も両方とも倒せる可能性がある。俺の計画には、ぜひとも必要な駒だ。待ち望んでいた、といってもいい」


「そうですな。かねてからのお考えの通り、この世界には治癒師も悪魔も必要ありません。ルシファー様のお考えとは真逆でしょうが」


 ランディは、額に落ちてきた前髪をかきあげた。

 少しずつ、赤い色が抜けてきている。


「ベストの展開は、その女二人がフリッツと悪魔全てを滅ぼしたのち、俺たちが治癒師アカデミーを壊滅させる、という形だが」


 アバドンは苦虫を噛み潰したよう顔をした。


「全滅エンドですか。まあ、それしかないでしょうが」


 ランディは人差し指を立てて、アバドンの言葉を制した。


「まあ待て、こいつは順番が大切だ。現状、フリッツを滅ぼせる可能性があるのはその二人だけだろう? ゆえに、彼女らは守らなければならない」


「そうですね。極論、悪魔は放っておいてもいずれ自己崩壊が始まり、やがては自滅します。人間の寿命よりも、ずっと早く」


 アバドンはこともなげに言った。

 自分が悪魔であることなど、どこ吹く風という表情である。


「そうだ。だからターゲットの優先順位は、フリッツ、及び悪魔を創造することのできるルシファー様だ」


 アバドンはうなずいた。

 いずれ、ランディ様とルシファー様の衝突は避けられない。

 目的は同じであっても、その手段が相容れないのだ。


「それでは、異世界転生者の女二人を抹殺するという、今回のルシファー様の任務については」


 ランディは腕を組むと、横目でアバドンを見た。


「うまく妨害するしかないだろうな」


 おや、とアバドンは眉をひそめた。


「妨害? ランディ様がその任務にあたるのではないのですか」


「いや、俺ではない。ヴォラクが独りでやると」


 ふう、とアバドンはため息をついた。

 ヴォラクか。

 目的のない有能さ。

 鳥が落ちないために羽ばたき続けるのと同様に、彼女は任務をひたすら追い求め続けている。


「ヴォラクが。なるほど、彼女の言いそうなことではありますな。ランディ様はそれを承諾したのですか」


 ランディは理屈を言った。


「誤解しないでくれ、別に彼女に同情したわけじゃない。ヴォラクは転生者の一人について、すでにある程度の情報を持っているらしい。ルシファー様が彼女に任せたのも、戦うにあたって俺達より有利だと判断したからだろう」


 アバドンは思った。

 我々がやらなければいけないことに比して、この人は優しすぎる。

 ランディ様のやり方がいつか破綻するかもしれないその時こそが、俺の出番だ。


 アバドンは自分の感情をおくびにも出さず、事務的に続けた。


「では、ヴォラクへの助力の件については」


 ランディは両手を挙げて、お手上げというジェスチャーを返した。


「けんもほろろに断られたよ。無理強いすれば、こちらが殺されかねない」


「しかしいくらヴォラクとはいえ、単独では」


 ランディはソファーから起き上がると、黒いボディスーツを脱ぎながら浴室へと向かった。


「心配するなアバドン、対策は講じてある。お前はいつでも出れるように、準備だけは行っておいてくれ」


 アバドンは直立すると、頭を下げた。

 議論はすでに終わり、行動の時だった。


「了解しました」


 ランディは背を向けたまま、ふと足を止めた。


「フリッツの件だが。ルシファー様は、奴を殺したくないようだな」


「ルシファー様は、治癒師の能力こそがこの世界を守ると思われておりますからな」


「果たしてそれだけだろうか。おれには、奴が不死であるという事こそがその理由だと思えるのだが」


 ルシファーは、不死を望んでいるのだろうか。

 あり得ないとは思うが、もしそうであったとすれば、俗なことだ。

 アバドンもランディの言葉の意味を悟ったのか、自らの感想を返す。


「そうはいっても、フリッツはしょせん不完全体です。たとえ不死になれるとしても、奴のようにリセットを続けながら生き永らえたくはないでしょう?」


「それはルシファー様のみならず、どんな奴でもそう思うだろうが」


 不完全体、か。

 今はそうだとしても、完全なる不死が実現できるとしたらどうなるか。

 不完全なフリッツを補完する要素があるとしたら、それは何か。


 頭を一つ振ると、ランディは皮肉な微笑を浮かべた。


「自らをルシファーと名乗るというのは、どういう心境なのかな。王など、形而上的な概念に過ぎないのにな」


 王という言葉がランディの口から出ると、アバドンは愉快そうに笑った。


「あなたがそれを言うと、逆説的に簒奪(さんだつ)者の響きに聞こえますな」


 ランディは苦笑すると、脱いだ脚絆をアバドンに投げつけた。


「茶化すなよ。俺はただの風来坊さ」


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