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第三三話 好奇心は猫をも殺す

 落ち葉が寒風に巻き上げられ、波のようにざあっと音を立てた。

 林の中にかかる薄いもやが、視覚による感知をさらに困難にしている。

 リョーコは青い微粒子を放つ長刀を中段に構え、目を半眼にして四肢の力を抜いた。


 からん。

 背後に枝が落ちる音。

 ブラフだ。


 リョーコは「破瑠那」を瞬時に逆手に持ち替えると、頭の上で刀身を横に構える。

 衝撃。

 頭上から降ってきた長剣の斬撃を、リョーコはすんでのところで受け止めた。


 眼前にふわりと着地した美少年と目が合う。

 見とれてる、場合じゃない。


 間合いを離す余裕はない。

 長刀を逆手につかんだまま、相手の側頭部を狙って刀のつかで突きを入れる。

 少年は左手を上げてそれをブロックすると、そのまま顔面に向けて拳を放ってきた。

 下がったら、斬られる。


 体を捻って避けながら、前へ。

 密着。

 虚を突かれたフリッツの顎に向かって、膝蹴りを垂直に突き上げた。

 渾身のそれはむなしく空を切る。

 タイミングは、ジャストだったのに。


 少年はのけぞりながら後方へと転回すると、すばやく距離をとった。

 フリッツはリョーコと視線を合わせたまま、ゆっくりと片手をあげる。


「ストップ、リョーコさん。今朝はここまでにしましょう」


 リョーコは初めて大きく息を吐いた。


「了解、フリッツ君」


 二人はお互いの武器を下ろすと、それぞれの鞘に収めた。

 フリッツは乱れた黒髪をかきあげると、そばにある岩の上に積もった砂を払う。


「リョーコさん、少し休んでいてください。熱い紅茶、持ってきていますから」


 そう言って、自分の背負い袋を取りに行く。


「ありがとう、フリッツ君。さすが天性の気配り上手、ぬかりないわねー」


 そういうリョーコ自身は、汗を拭くための手ぬぐいをフリッツに渡すタイミングを計り損ねていた。






 暖かい紅茶の入った水筒をリョーコに差し出しながら、フリッツも彼女の横に座った。


「さて。今朝の稽古、お互いに講評いきましょうか。それでは、リョーコさんからどうぞ」


 湯気の立つ金属製の水筒を傾けながら、リョーコは横目でフリッツを見る。


「うーん。やっぱりフリッツ君、強いな。急に加減速したり、ランダムにステップしたり、不意に上から来たりもするでしょ。長刀に有利な距離を保つことができない」


 リョーコはフリッツの予測を超えた攻撃で受けた手足のあざを、恨めしそうに見つめた。

 フリッツは苦笑しながら頭をかく。


「ちょっとずるいですかね。僕、治癒魔法で筋緊張や収縮速度を瞬間的に調整してますから。結果として、普通の人間とはちょっと違う動きになっていると思います。もちろん、ほぼ無意識なんですけれど」


「じゃあ、あり得ない角度から斬撃が飛んできたり、剣のリーチがわずかに伸びたりってのは」


「それは、瞬間的に関節を外すことによって、可動範囲をを広げたり、四肢の長さををわずかに伸ばしたりしているんです。角度にしてほんの数度、長さにしてわずか数センチの差が生死を分けることは、剣士のリョーコさんになら理解してもらえると思いますが」


 リョーコはうなずいた。

 紙一重でかわそうとしても実際にはかわし切れておらず、ことごとく機先を制されている。


 治癒魔法って、凄いわね。

 人の身体を制御するということに、こんなにも無限の可能性があるなんて。

 それにしても。


「ねえ、フリッツ君。治癒魔法を使って戦闘するような修行、どこでしてたの? 記憶が十七歳までしかないのなら、それ以前の話なんでしょうけれど。それって、独学?」


「……いえ、一緒に研究してくれた人がいたんです。もちろん、今はもういませんけれど」


 リョーコは後悔した。

 七百年も前の話なのだ。

 彼の家族も友人も知人も、もちろん誰一人として生きてはいないに違いない。

 彼のことをもっと知りたいという気持ちと、深く詮索してはならないという気持ちがせめぎ合っているのは、今に始まったことではなかったが。


「あの、ごめんね。私ってデリカシーがなくて。馬鹿だよね、まったく」


 フリッツは明るく笑った。


「はは、気にしてませんよ。デリカシーがないのが、リョーコさんのいいところじゃないですか」


「それって、ほめてないでしょ」


 リョーコはフリッツの優しさに救われる気がした。

 雰囲気を変えようと、話を先ほどの訓練へと引き戻す。


「そうか。フリッツ君てば、治癒魔法が使えるおかげで、文字通り人間離れしてるって訳ね。でも、悪魔相手ならこういう練習の方がいいのかも。奴らも、常識では予測できないような攻撃をしてくるもんね」


 バフォメットの蛇の尻尾や、アドラメレクのつま先から飛び出した長剣など。

 それこそ悪魔的な攻撃に、これまでもリョーコは痛い目にあわされている。


 フリッツは指を組んで前方を見つめながら、思案顔で答えた。


「でも、リョーコさん。一度目の対戦では予想不可能でも、二度目となるとどうでしょうか。例えばこの前僕が戦った、ゴーグルの赤い髪の男。奴は、どうやら僕の攻撃のくせを知っているようでした。戦闘スタイルが独特なのもそうですが、そのことも、あの男が戦いにくい相手だった理由の一つです」


 確かに、あのゴーグルの男と戦っていた時の彼は精彩を欠いていた。

 脳震盪とはいえ、一時的に無力化さえされたのだから。


「じゃあ奴は、君と以前に戦ったことがあるってこと?」


 フリッツはうなずいた。


「恐らく、僕が最後に死ぬ前に。僕を殺したのは、ひょっとしたら奴だったのかもしれません」


 それは、どうかな。

 リョーコは疑問に思った。

 ひいき目かもしれないけれど、多分フリッツ君はあいつには負けていない。


「いいわ。今度あのゴーグルの男に会ったら、私が死なない程度に痛めつけてから、訊きだしてあげる」


 フリッツは、体を少しだけリョーコに寄せた。


「無理しないでください、リョーコさん。子供たちさえ守れれば、僕たちの勝ちなんですから。最低限、奴らを追い払うことができれば、それでいいと思います」


 子供たちを守る。

 フリッツ君はそのことを忘れていないけれど。

 それじゃあこれまで、彼は一体誰を殺してきたというのだろう。


 フリッツ君が、人を殺す。


 ねえ、君。

 それもきっと、病なんだよ。

 病なら、治そうとするのがドクターだよね。






「次は僕からの講評、いいですか?」


 フリッツの横顔を見つめていたリョーコは、はっと我に返った。


「え、あ、うん。私の戦い方、どうだった?」


 あはは、とあいまいな笑いを返すリョーコ。

 いぶかしげな表情をしたフリッツは気を取り直すと、人差し指を立てて話し始めた。


「そうですね、リョーコさんの戦い方もかなりのものです。『破瑠那』ですか、そんなに長い刀を構えられたら、誰だって(ふところ)に飛び込もうとしますよね。だけどリョーコさん、むしろ密着してからの戦いがうまい」


「えへへ、そうかしら」


「パンチに膝蹴りに肘打ち。間合いを広げるための前蹴り。あのゴーグルの男じゃないですけれど、凄く戦いにくいタイプです。もちろん、その長刀の威力は脅威ですし」


 ふっふっふと、得意げに含み笑いをするリョーコ。


「その通り。私の真価は、密着した時こそ発揮されるのよ。フリッツ君、今晩あたり試してみない?」


「……いきなり下ネタですか。恋愛未経験をこじらせてますねえ、この年上のお姉さんは」


「あーっ、言ってはいけないことを言った! 何よ、七百歳のくせして」


「いやいや、心と記憶は完全に十八歳ですから。永遠の十八歳といっても過言ではありません」


「アイドルグループにいつまでもしがみつく、最古参のお局様の台詞みたいね」


 まあ、フリッツ君の容姿は、むしろ十八歳よりも若く見えるくらいなのだが。


 フリッツは座っていた岩から立ち上がると、よいしょと背負い袋を担ぎなおした。


「さあ、戻りましょうか。お店の手伝い、しないとですね」


 そうだ。

 そろそろ帰って、開店の準備をする時間だ。


「フリッツ君、今日はお店に出るの?」


「ええ。往診のない日は、せめてレイラさんの負担を減らさないとなーって」


「そっかあ。フリッツ君がお店に出ると、忙しくなるのよねえ」


 フリッツはきょとんとした。


「え、どうしてですか?」


 やれやれ、この鈍感少年ときたら。

 君が店に出る日は、来店する女の子が普段の三倍増しになるって、気付かんのかい。

 そりゃあお店にとっては有難いんだけれど、やっぱりちょっと嫌だったり。


 リョーコは心の中でため息をついた。

 小さいなあ。

 そういうところだぞ、私。






「ただいまー」


 長刀を背中からおろしたリョーコに、店の奥から出てきたレイラが白いエプロン姿のまま声をかけた。


「おかえりなさい、リョーコ。ところで、フリッツ君は一緒? 彼にお客さんなんだけれど」


「え、僕ですか」


 コートを脱いでハンガーにかけていたフリッツが、驚いたようにレイラを振り返った。


 リョーコの眉がぴくりと動く。

 まさか、ファンの女の子じゃないでしょうね。

 カフェのテーブルをちらりと見たリョーコは、奥の一席に座っている若い紳士の姿を認めた。


 長い金髪を総髪にした、切れ長の目に紫の瞳が印象的な美男子である。

 年のころは、三十前後であろうか。

 きちんと折り目の付いた紺のカッターシャツの上に、白いベストを重ね着している。

 そしてそのシャツの左肩には、白地に赤い三本の縦線の印章が縫い付けてあった。


 ふむ。

 出来るビジネスマンって感じの、なかなかの好男子ではないか。

 まあ、私の好みではないけれどね。


 そんなことを考えていたリョーコの肩越しにその人物を観察したフリッツが、何かに気づいたようにはっとしてレイラにささやいた。


「レイラさん。あの左肩のマークって、もしかして」


 レイラが眉をひそめてうなずいた。


「ええ。あれは『治癒師印章』ね」


 フリッツの視線に気付いた若い紳士は、笑顔を浮かべて椅子から立ち上がった。


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