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第三二話 守護悪魔、ここに誕生す

「お前がイアニスか。異世界転生者だな?」


 白いハイネックのセーターに黒いショートコート。

 柔らかな黒髪は真ん中で分けられ、そのきれいな額を大きく見せている。

 なにより、声を発しなければ性別すら不詳であったろう、その美貌。


 イアニスは聞いたことがあった。

 彼の仲間たちを殺戮して回っている、黒い美少年のうわさを。

 こいつが例の、ユークロニアン・キラーか。


 痛いほどに感じる威圧感と殺気。

 今ここで戦うのは、絶対にまずい。

 だが、こいつは確か、さっきの俺たちの話は聞いていなかったはず。

 ここは何とかやり過ごさねば。


「……イアニスは、確かに俺の事だけれど。『いせかい』? いきなり他人の家に入ってきて、お前は一体何を言っているんだ?」


 空気の動きも全くない室内で、少年の黒髪がざあっと揺れる。

 彼はイアニスを指さしながら、あからさまな侮蔑の色を浮かべた。


「お前たちはいつでもそうだ。卑怯で、狡猾で、恥知らずな連中だ」


 イアニスの額に脂汗がにじむ。

 彼は右手のククリをがらんと放り投げると、泣き出しそうな表情を作った。

 放心したようにひざまずいたままのメリッサに、懺悔するようにすがり付く。


「彼女を傷付けたのは謝るよ。本当に、どうかしてた。無理やり結婚を迫られて、ついかっとなってしまったんだ」


 少年はふんと鼻を鳴らした。

 口の端を曲げて冷笑を浮かべてはいるが、その赤い瞳は全く笑っていない。


「ついかっとなって、片腕を切断までしたのか。ずいぶんな痴情のもつれだな」


 こいつ、取り付く島もない。

 イアニスはがばっと立ち上がると、両手を振り回しながら叫んだ。


「ああそうさ、俺は狂ってるさ。わかった、わかったよ。自警団に自首する。それでいいだろ、お前には何の関係もない」


 少年は銀の鞘を払い、長剣を抜いた。

 その刀身に張り巡らされた極細の溝が、光を複雑に反射させる。


「お前たちの仲間は全てを吐いたぞ。イアニス、お前に逃げるすべはない」


 イアニスは理解した

 はったりじゃない。

 こいつはどんな残虐な拷問も、ためらうことなくなくやってのけるだろう。


「何を言っている! 俺は生まれてからずっと、この村で暮らしてきたんだ。お前は何か、勘違いをしているんだ。なあ、メリッサ」


 イアニスがメリッサの乱れた栗色の髪をつかんで、無理やりに顔を引き上げる。

 彼女の瞳は、すでに正気を失っていた。


「……イアニスは、私の、幼馴染……」






 少年の赤い瞳に、ついに怒りがひらめいた。

 伸びた二本の犬歯の間から、吐息が吐き出される。


「クズが。お前のその振る舞いが、異世界転生者である何よりの証明だがな。まあ、確かめてやるさ」


 少年は長剣を眼前に水平に構えると、左のこぶしで刀身を強く殴打した。

 途端に、周囲に鈍い振動が拡大していく。

 複雑な紋様が浮かび上がったその刀身があたかも音叉のように細かく震え、ブーンという鈍い響きが三人の脳内に反響した。


「ディテクト・フォーリン・ジェネ」


 沈黙。

 何らかの呪文による攻撃だと覚悟したイアニスは、周囲に何の変化もないことに拍子抜けしていた。


「……へ、驚かせやがって。お前、俺のことを『てんせいしゃ』とか抜かしてたな。訳の分からん因縁つけやがって、お前も狂ってるぜ!」


 少年はゆっくり近づくと、右手の長剣を一閃させた。

 イアニスの眼前に、何かがはらはらと落ちてくる。

 それを数条つかんでみて、彼はぎょっとした。


 髪だ。

 銀色の。

 俺の髪が、銀に変色している。


「やはり、な。お前の体内には、この世界の遺伝子情報と競合して押し出された前世の遺伝子情報の断片が、アミノ酸として残留している。そいつがこの剣の付与魔法に反応して、お前の体毛を銀色に変色させているのさ。まあ体毛がなくとも、腋窩や陰部が脱色しているだろうから、どのみちお前は異世界転生者であることを隠し通すことはできない」


 呆然としているイアニスに、少年が長剣を突きつけた。


「死ぬ前に答えろ。元の世界に戻るための転生遺伝子をお前の身体に組みこむはずの治癒師が、この世界にいるはずだ。そいつは誰だ?」


 イアニスは少年の眼光に恐怖しながらも、なおも抵抗をやめなかった。


「し、知るかよ」


 少年の目は変わらず暗い炎のように燃え続けているが、その表情は氷のように冷たい。


「答えないというのなら、お前に価値はない。消滅しろ」


 イアニスは引きつったように笑った。


「ば、馬鹿が。俺には、もうすでに元の世界に戻るための転生遺伝子が組み込んであるんだぜ。たとえここで死んでも、俺は転生して元の世界に戻れる。魔法こそ手に入れそこなったが、またいつかチャンスはあるさ。いいぜ、さっさと殺してもらおうか」


 その答えを予期していたかのように、少年は再び冷笑した。


「チャンス? お前の記憶も魂も、ここで終わりだ。お前の転生遺伝子は、僕が破壊する」


 少年の赤い瞳が、一層強く燃え上がる。


「僕の血液には、この世界に元来存在しないはずの、人為的に改変された遺伝子を破壊する力がある。お前のようなゴミに僕の血液を与えてやるのは業腹だが、まあ仕方がない」


 イアニスは数秒考え、少年の言葉の意味するところに絶句した。


「そ、そんな馬鹿な。元の世界にもこの世界にも転生できなきゃ、俺はどこに帰りゃあいいってんだ」


 少年は長剣の刃に左母指の腹をあてた。

 にじんできた血液ごと、指を刀身に押し付ける。

 血液を吸い上げた魔剣が、またたく間に赤黒く輝きだした。


「お前に帰る場所など与えない。すべての次元から、お前の存在を削除してやる」


「や、やめろ!」


 美少年はためらうことなく、長剣を床から天井へと切り上げる。

 顎から脳天までを二つに割られたイアニスは、血をまき散らしながらくたくたと崩れ落ちた。






 少年はしゃがんでうつむいたままのメリッサに歩み寄った。

 そばにかがむと、彼女の左肩の傷に手を当てる。


「申し訳ありませんが、僕の治癒魔法には、あなたの左腕を再接着できるほどの力はありません。せめて、止血と閉創だけでもさせてください」


 メリッサは、ようやく口を開いた。


「……触らないで」


 全身を朱に染めたまま、がばと立ち上がる。


「どうして、どうしてイアニスを殺したのよ! よくも私の幼馴染を、この人殺し!」


 逆上したメリッサのその言葉に、少年は静かに応じた。


「あなたを助けたかった、なんて嘘を言うつもりはありません。奴は異世界転生者だった、だから殺さなければならなかった。奴が憎かったから殺した、ただそれだけです」


 メリッサは歯をむき出しながら、彼女にとって理不尽でしかないこの世界をなじり続ける。


「アカデミーを卒業して、彼と結婚して、たくさんの子供に囲まれて、ゆっくりと年老いて。私たちは、そうならねばならなかったのに!」


 少年は辛抱強く、残酷な事実を積み重ねた。


「そうはならなかったでしょう。もとより、奴にその意思はありませんでした。奴はあなたをこことは違う世界に転生させて、実験材料に利用しようとしていた」


 それを聞いたメリッサは、低く笑った。

 笑い続けた。

 笑う以外に、何ができるというのか。


 そしてようやく笑い終わると、目の前のイアニスの残骸をぐりぐりと踏みつけた。


「……なにが、転生だ。貴様ら、寄ってたかって私の人生を粉々にして。いいだろう、その転生とやらにかかわる者ども、全員灰にしてやる」


 メリッサは目にも止まらぬ速さで、右手のみで印を結んだ。

 先ほどイアニスに行使しようとした「呪縛」の呪文とは、その速度もまき散らされる魔力も比べ物にならない。


れ、火獄烈撫の糧芯とぜろ!」


 彼女の残された右腕から、猛烈な青い炎の渦が巻き起こった。

 それは瞬時に室内を満たし、窓ガラスを突き破って家の四方へと噴出する。


「!」


 業火にさらされた少年の皮膚が表面で黒く炭化し、その下から新しいピンク色の皮膚が盛り上がってくる。

 その代謝の繰り返しは、まるで永遠に続く脱皮のようだ。


「……まずいな。再生が追い付かない」


 彼女、まだ学生の様だが。

 すでに最高位の魔導士だ。

 それに加えて、呪いで威力が倍加されている。

 

 少年は、渦巻く紅蓮の炎の中で目を閉じた。

 治癒魔法でもどうにもならないことがある。

 死と、狂気だ。


 ごめんなさい、お姉さん。

 いつかあなたに、安息が訪れんことを。


 少年は体を丸め、扉に体当たりした。

 瞬間。

 メリッサとイアニスの思い出が詰まったその家は、大音響とともに爆発四散した。






 全身が炭となりながらもいまだに右手から炎を噴き出しているメリッサに、ゆっくりと近づく影があった。

 全身を白い法衣で包んでいる。 


「異世界転生者が憎いですか?」


 若い男の声が、メリッサの心を深く刺した。

 メリッサは呪詛の言葉を吐き出そうとしたが、自らの気道も焼け焦げて、今では声も出せない。


「奴らは、この世界の住人をもてあそぶ侵略者です。あなたさえ望むならば、新しい力をその手に取ってください。そして異世界転生者を殺戮し、この世界を守るのに力を貸してください」


 天啓だ。

 メリッサの乾ききった目から、涙がこぼれた。


「あなたは、きっと悪魔と呼ばれるでしょう。この世界の守護者として、甘んじてそれを受け入れる覚悟が、あなたにはありますか?」


 白い法衣の男は、その手をゆっくりと差し出した。

 メリッサはようやく炎を止めると、自分の焼け焦げた手を男の手に重ねた。


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