第三十話 エンチャンテッドソード
士官服に身を包んだ王位継承権第四位、エリアス王子は、レイラとフリッツに椅子をすすめると、自身も机を挟んで対面のソファーに着座した。
エリアスは指を組んで机の上に肘をつくと、レイラの隣に座っているフリッツをちらりと見る。
「ところで、レイラ殿。お隣の、ええと、少年くんだよね? 紹介していただけますか?」
レイラは口に手を当てると、慌てて言った。
「あら、申し訳ありません。彼、フリッツ君です。うちのベーカリーに住み込みで働いてくれているんですよ」
フリッツはやや居心地が悪そうに、ぺこりと頭を下げる。
エリアスは、ほうと小さく感嘆の声を漏らした。
「ああ、やはり男の子だったんですね。いや、気を悪くしないでください。あまりに、その、可愛いもんだから」
エリアスの不穏な発言に、レイラが笑いながら同調する。
「フリッツ君じゃなければ殿下のその発言はただの変態ですけれど、この場合はもう仕方がないとしか言いようがありませんわね。これはフリッツ君、君のせいよね」
フリッツはため息をついて天を仰いだ。
「まったく、レイラさんまでからかわないでください」
エリアスは額に手を当てて、くっくと笑っている。
「いや、本当に申し訳ない。僕も小さいころ長髪にしていた頃には、女の子に間違えられたりしたからさ。男の子にとって、女の子に間違えられるのはものすごいショックだからねー。僕なんかも、間違えた侍従の足をその場で蹴飛ばして帰ってきたものだよ。でもそれにしたって、君は僕とはレベルが違いすぎるがね」
「……嫌なレベルですね」
エリアスの冗談とも本気ともつかない発言に、フリッツも苦笑で答えた。
ひとしきり笑った後で、エリアスはふと気づいたようにフリッツの腰に目をやった。
「ところで君、剣を腰に吊っているね?」
すでに書類をチェックし終えていたカレンの顔色が、さっと変わった。
慌ててエリアスに駆け寄ると、彼をかばうようにレイラとフリッツの前に立ちはだかる。
「殿下、申し訳ありません! 剣を佩いたままの客を対面させるなどと、側近にあるまじき大失態です」
レイラも立ち上がると、青ざめた顔で謝罪する。
軍から離れて、私の勘も鈍ったか。
王族の前で帯剣することがどれほどの重罪にあたるのか、王国軍に所属していた彼女は身に染みて知っていた。
「大変失礼いたしました。殿下とお会いすることが分かっていれば、事前にカレンさんに剣を預けていたものを」
エリアスはあきれたように首を振ると、カレンにも隣に座るように命じる。
「何をそんなに慌ててるのさ。大丈夫、仮に僕を殺したって、何の得にもなりゃあしないよ。継承権四位なんて、あって無きに等しいんだから」
カレンは申し訳なさに座ることもできずに、両手を合わせて気をもんでいる。
「それに、相手が剣を抜こうとした時には、すでに君の剣が相手の首を飛ばしているはずさ。そうだろう、カレン?」
女騎士は、面目を保った表情をやや取り戻した。
「ええ、まあ。殿下は剣の腕はからっきしですからね。私がお守りして差し上げないと」
照れ隠しに皮肉が口に出るところが、素直ではない。
エリアスは、頬を膨らませてむくれた。
「また、カレンは余計なことを言う」
レイラは懐かしく思った。
エリアス様ってば。
剣、というか、武器を使った戦闘訓練だけは、確かにだめだったなあ。
武器での戦いは相手の気持ちが伝わらないから性に合わない、とか訳の分からないこと言ってたっけ。
かといって格闘戦が強いかと言えば、本気を出していないのかなんなのか、のらりくらりとさぼってたし。
そういう戦闘に無頓着なところが、レオニートの父性本能をくすぐったのかも知れないわね。
エリアスは一同に着座を促した。
「いいんですよ、レイラ殿。もとはと言えば、サプライズを仕掛けた僕が悪いのですから。それよりも、フリッツ君。差し支えなければ、その剣を僕に見せてはいただけないだろうか? 剣士が自分の武器を他人に預けるのというのは、いい気持ちはしないだろうけれど」
フリッツは数瞬のためらいの後、
「構いません。どうぞ」
と言って、「スプリッツェ」を腰帯から外しエリアスに手渡した。
エリアスは長剣を丁寧に受け取ると、銀の鞘から刀身をゆっくりと抜いて陽の光にかざした。
丸眼鏡の下のとび色の瞳が、すっと細められる。
「ふむ……形状は通常のブロードソード。刀身に、ごく浅い溝が網状に刻まれてますね。製作年代は、およそ七、八百年前というところですか。それに……なにか、エンチャントの魔法がかかっていますか?」
フリッツの顔がわずかに青ざめた。
エリアスが微笑を浮かべる。
「ああ、僕の数少ない特技と言いますか。僕、剣みたいな古物が好きで、城の宝物庫によく引きこもっているんですよ。適当なこと言いましたが、そこそこ当たっていますか?」
「……ご明察、驚きました」
エリアスは「スプリッツェ」の刀身に一礼すると、名残惜しそうに鞘に収めてフリッツの手に戻した。
アドレメレク戦では思い出せていなかったが、フリッツは、いまやはっきりと取り戻していた。
「スプリッツェ」についての記憶を。
僕の十七歳までの短い記憶の中に、この剣はあった。
僕は確かに、最初に死んだときにこの剣を持っていた。
エンチャント。
この剣に宿った付与魔法、「ディテクト・フォーリン・ジェネ」。
そしてこの剣に魔法を付与したのは、僕の……
「フリッツ君、大丈夫かい? 顔色が優れないようだが」
エリアスの声で、フリッツは我に返った。
額の汗をぬぐう彼を、ほかの三人が不思議そうに眺める。
「ええ、大丈夫です。申し訳ありません、殿下」
フリッツは何事もなかったように、いつもの微笑をエリアスに向けた。
「大切なものを見せてくれてありがとう、フリッツ君。結構な業物、眼福でした。とすると、君は剣士なんですね?」
その質問を横で聞いていたカレンは、ややためらった後、顔を上げてその青い澄んだ瞳をエリアスに向けた。
「殿下。そのことについては、お耳に入れたいことが。レイラ様もフリッツ殿も、あまり触れたくないのかもしれませんが。面会者を前もって調査しておく事は、私の義務ですので」
エリアスがきょとんとしてカレンに問い返す。
「うん? どういうことだい、カレン」
女騎士は姿勢を正すと、簡潔に返答した。
「フリッツ殿は、治癒師なのです」
治癒師、という言葉を聞いたエリアスのとび色の瞳の中に、一瞬嵐のような感情が渦巻いたことに、他の三人は気付かない。
「なんと! 年に三人程度しか現れず、現存している人数も百五十人程度という、げに希少な治癒師殿か。これは、社会勉強としてはまたとない機会となったね」
無邪気に喜ぶエリアスを、カレンが制した。
「ただし」
「ただし?」
「彼は、治癒師アカデミーに所属しておりません。治癒師がアカデミーに登録していないのは、明らかに違法です」
カレンの報告を聞いたエリアスは、レイラの目を探るように見た。
「レイラ殿。今のカレンの話は、本当ですか?」
レイラは数瞬ためらった後、顔を上げてエリアスに告白した。
「事実です、殿下。その件については、今まで黙っていた私にすべての責任がございます。保護者である私が、しかるべき裁きを」
レイラの言葉をさえぎるように、フリッツが立ち上がった。
「何言ってるんですか、レイラさん! 殿下、アカデミーに所属することを拒み続けていたのは、もちろん僕の一存です。僕は本来アカデミーに所属する資格などありませんが、罰なら僕一人が受けるべきものです」
エリアスは指を組んだまま、大きなため息をついた。
そして、そばに侍立しているカレンを見上げる。
「カレン、君は本当に優秀だ。レオニートと同じく、何故僕に仕えてくれるのか不思議なくらいに」
エリアスは、カレンの顔を正面から見つめた。
丸眼鏡が陽光を照り返して光る。
「だけどね。君は優秀であるがゆえに、人の心を自分の物差しで測ってしまうところがある。今の報告、この場であえて僕に行う必要があったのかな?」
カレンの顔がさっと青ざめた。
「で、殿下……」
「考えてみようか。治癒師にとって最も安全で楽なのは、そりゃあアカデミーに所属することさ。そうすれば、治癒師は王国からその身分も保証され、経済的あるいは教育などもろもろについても援助を受けることが出来る。だから」
エリアスは額にかかった銀髪をはらうと、丸眼鏡の位置を直した。
「彼があえてアカデミーに所属していないのであれば、それはよほどの事情と覚悟があるということだよ。もちろんカレン、君の立場なら僕に報告しないというのは職務違反ではある。だから君は、彼ら二人のいないところで僕にそっと耳打ちしてくれればよかったんだ。そうすれば、僕の責任で黙認することもできた」
エリアスの言葉には取り立てて責めるような調子はなく、眼鏡の下のとび色の瞳も静かさをたたえたまま動かない。
そのことが、かえってカレンにはショックであるようだった。
「だがこうして四人の間で公になってしまった以上、もはやそういうわけにはいかない。カレン、僕の言っている意味が分かるね?」
「……はい、殿下」
実力と名声を兼ね備えた俊英の若き女騎士が、エリアスの思いがけない言葉で意気消沈している。
レイラは、エリアスに戦闘を教授していた頃の、自分の王国軍時代に思いをはせた。
殿下、自分の事をダメ人間だなんて。
昔は確かに、天真爛漫な方ではあったけれど。
どこか、変わられた。
それとも、本当の殿下に私が気付いていなかっただけなのか。
「そういうわけで、フリッツ君。申し訳ないが、君の事はアカデミーに報告させていただく。治癒師を裁けるのは治癒師アカデミーのみだ、僕にはその権限はない」
フリッツは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。今この場で逮捕されないだけでも、寛大なご処置だと思います」
「すまない、このような結論になって。しかし裏を返せば、アカデミーでの管理が必須となるほどに、治癒魔法というものは扱いが難しいということなのだろう。フリッツ君、一つ訊いてもいいかな?」
「何でしょう、殿下」
「君は、自分の治癒魔法という力について、どう思っている?」
フリッツは即答した。
「このような力など無ければいいのに、と思っています」
その強い言葉を、エリアスは特に意外とは感じていないようであった。
「それはなぜ?」
「殿下のおっしゃる通りです。治癒魔法は、ただ人を治すばかりではありません。それどころか、人を傷つけ、破滅に導く力すら内包しています。きっと人間には、この力を正しく制御することはできません」
フリッツの言葉に言い知れぬ苦痛が含まれていることのを感じたエリアスは、眼鏡を外すとそのとび色の瞳をフリッツに向けた。
「申し訳ない、僕もまた自分の物差しで君の心を測ってしまっていたようだ。軽い興味で質問してしまったこと、許してくれ」
「……いえ、僕の方こそ取り乱しました。お忘れください、殿下」
エリアスは眼鏡をかけなおすと、急にカレンの手を握った。
「さあさあ、つまらない話はもうこのくらいにして。カレン、気を悪くしたならごめんよ。すまないが、僕たち四人のために、紅茶でもいれてくれないかな」
カレンは、うつむいていた顔をはっと上げた。
「レイラ殿にフリッツ君、カレンはこの王宮でも飛び切りの紅茶を淹れてくれる数少ない騎士なんですよ。そう言う意味でも、僕の側近であることが本当にもったいないくらいなんです」
カレンは顔をぱあっと輝かせると、一分の隙もない敬礼をするやいなや、部屋を猛ダッシュで飛び出していった。