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第二九話 王位継承権第四位

「フリッツ君、こっちこっちー」


 荷馬車の前に立つ青い瞳の女性が、大きく手を振った。

 セミロングの鮮やかな金髪が、陽の光に眩しい。


「遅くなりました、レイラさん。じゃあ早速、パンを荷台から下ろしちゃいますね」


 久しぶりの晴天に初冬の寒さも今は息をひそめ、黒いショートコートを着た少年も、その暖かさにえり元ををやや緩める。

 黒い前髪をかき上げたその少年、フリッツは、眼前の城壁を仰ぎ見た。


 現ゴダール王は齢五十五歳、歴代の王としては可もなく不可もなくとの民衆の評である。

 それは民にとっては、決して悪いものではない。

 無能の王、あるいは暴虐の王などはもってのほかだが、精力的で革新的な王というのもまた、波風の立たないことを願う民衆にとっては案外迷惑なものであるのかも知れなかった。


「ごめんね、フリッツ君。王国軍へのパンの納入、手伝ってもらっちゃって」


 レイラがフリッツに両手を合わせて、笑いながら謝った。

 一児の母親だがまだ三十代そこそこの彼女は、そのような仕草をする時、ともすると少女のようにすら見える。


「とんでもないです。居候(いそうろう)させていただいてるんですから、このくらい」


 フリッツは訳もなく顔を赤らめながら、ぎこちない返事を返した。


 初老の衛兵が一人、城門のそばにある詰め所から出て来て、二人に声をかけた。


「お疲れ様です、レイラ大尉殿。久しぶりの『トランジット』のパンの納入、兵士全員で首を長くしてお待ちしておりました」


 レイラは衛兵に、わざと口を尖らせて見せた。


「お勤めご苦労様です。ですが、その大尉殿、というのは止めていただけませんか。店長、でお願いしますね」


 髪に白いものが混じっている衛兵は、しまったというように頭をかいて破顔した。


「いや、これは失礼しました。つい、昔のくせで。実は自分も、先の第八次大陸上陸作戦に従軍していたのですが。あの島での『レイラ・ザ・ウィンドミル』の活躍には、それはたいそう勇気づけられたものです」


 二人の会話に、フリッツは独りうなずいた。

 やはりレイラさん、戦闘の経験があるんだ。

 しかも衛兵の口ぶりでは、どうやら相当な実力者らしい。

 ウィンドミル、風車か。


 レイラはそれを聞いて喜ぶでもなく、複雑な表情で肩をすくめた。


「昔の事ですよ。それに、その話は誇張されすぎです。負け戦って、敗戦をごまかせるような英雄を創り出さないと民衆が納得しませんものね。まったく、いい道化だわ」


「ははは、まあそう言わずに。大尉殿、いや、店長殿のおかげでこの王国に帰還できた兵は、数知れませんよ」


 レイラはちょっと微笑すると、ふところから通行手形と納入品の目録を取り出した。


「さてと、おしゃべりはこのくらいにして。せっかくの焼きたてのパン、運び込ませてもらってもいいかしら?」


 衛兵は表情を改めると、レイラたちが運んできた荷台の方に目を走らせた。


「ええ、ではさっそく。規則ですので、型通りの検査はさせていただきますが」


「もちろんです。軍の規律が緩んでいないことを確認できて、心強く思います」


 そのレイラの言葉を合図に、フリッツはパンの入ったケースを抱えて城壁内へと運び込み始めた。






「ベーカリー『トランジット』のレイラと申します。納入の確認に伺いました」


 王城内にある食糧庫、その管理棟の一室。その木製の扉をレイラはノックした。


「レイラ様ですね、どうぞお入りください」


 よく通る若い女性の声が室内から返ってくる。


「失礼します」


 レイラとフリッツは扉を開け、室内に入った。

 部屋の中は応接室然としており、簡素ながらも機能的な調度がしつらえてある。


 正面の机では、丸眼鏡をかけた銀髪の青年が書類に目を通しており、その傍には鉄の胸当てを装着した女性騎士が直立してひかえている。

 士官服に身を包んだ青年は顔を上げると、椅子から立ち上がってレイラを迎えた。

 その表情には、回顧と思慕の念が浮かんでいる。


「事前に書類を見てひょっとしたらと思いましたが、やはりレイラ寮長でしたか。ご無沙汰しています、エリアスです」


 レイラの顔に驚愕が走る。


「え? まさか、エリアス殿下ですか? 殿下がなぜ、このようなところに」


 エリアスは銀髪をかき上げると、丸眼鏡を直しながらにこにこと笑った。


「なぜって、仕事ですよ。僕、今は王宮守備隊の司令を務めているんです。王宮内に運び込まれる物資のチェックも、守備隊の任務の一つなんですよ」


「いえ、そうではなくて。そのような事務作業を、なぜ王位継承権第四位のエリアス殿下が自らなされているのか、という意味なのですが」


 エリアスは照れたように笑った。


「いやだなあ、寮長。これも社会勉強ですよ。昔はあなたにも、王族こそ一般常識を身に着けるべきだと、よくご指導いただいたじゃないですか。遅ればせながら、最近ようやく実践しつつあるところなんです」


「……そういえば、昔はそんな失礼なことも言いましたね」


 レイラはつかの間、昔を懐かしんだ。


 私も、レオニートも、リカルドも。

 三人して歯に衣着せぬ性格で、上層部からはにらまれていたっけ。

 リカルドなんかそれで結局、軍をやめてしまったわけだし。

 あの頃は私も、まったくおてんばだったなあ。

 若気の至り、という奴か。


 エリアスは、とんでもないというように両手を振った。


「失礼だなんて。今でもあなたは、私にとっては教官のままですよ。最後にお会いしてから、もう五年にもなりますか。あなたは、相変わらずお若くていらっしゃる」


 そばで黙ってひかえていたブラウンのボブカットの女騎士が、小さなため息をつきながら口を挟んだ。


「社会勉強だなどと、何をおっしゃっているのやら。いつもは、やれ面倒だのと言ってはお部屋に引きこもっているのに、今日に限ってこのようなお仕事をしたいだなんて。いったい、どういう風の吹き回しなのですか」


 エリアスはばつの悪そうな顔をすると、長身秀麗の女騎士へと振り向いた。


「カレンときたら、僕がいつも仕事をさぼっていることを、すぐにばらしちゃうんだからね。いや、レイラ寮長が来られるのが事前に分かっていたからさ。ご挨拶はしとかないと、と思ってね」


 レイラは、先の衛兵に対するものと同じ返事をエリアスに返した。


「もったいないお言葉。ですが私は、今は寮長ではなくベーカリーの店長なのです。殿下にも、そのように扱っていただければありがたく存じます」


 レイラの表情に潜む陰りを、エリアスは見逃さなかった。


「……そうですね。レオニート特務少佐の行方が分からなくなって、あなたは軍を去られた。軍の担当にも継続して捜索させていますが、いまだにあなたに良い報告をお知らせすることができていない。まったく、ふがいない限りです」


 レオニート。

 当時まだ若かったエリアスのいわば教育係としての任についた、彼女の夫。

 レイラはエリアスについて時々夫と話をする機会があったが、エリアスと夫の関係性は非常に良好なものであったようだ。

 あの方は見どころがある、この俺が補佐してあげなければ、なんて目を輝かせていたっけ……


「とんでもございません。夫に対する殿下のご厚情、痛み入ります」


「兄弟の中でも一番見込みのない僕に、レオニートは辛抱強く仕えてくれました。僕はごらんの通りのダメ人間ですが、彼の安否についてだけは、責任を果たさせていただくことをお約束いたします」


 エリアスの表情のいつにない厳しさに、そばにいたカレンは息をのんだ。

 殿下、このようなお顔もされるんだ。

 それだけ、殿下はレオニート殿に厚い信を置いていたということなのだろう。

 少しだけ嫉妬してしまう自分が醜いと、カレンは心の中でため息をついた。


 エリアスの真摯(しんし)な言葉に、レイラは黙って深々と頭を下げた。

 それを見たエリアスは、慌てて彼女の手を取って引き起こす。


「せめて一仕事終わらせたら、お茶くらいは付き合っていただけますよね、店長殿。いや、やはり呼びにくいな。せめて、レイラ殿、と呼ばせていただきますよ。ええと、この受取証にサインすればいいんだよね、カレン」


 急に話を振られた女騎士は、素早くエリアスの手元の書類に目を落とす。


「あ、違います。そこはレイラ様のサイン欄ですよ。まったく、慣れないことをなさるから。私のサインでも有効ですので、こちらで記入しておきます。殿下はそちらのソファーで、レイラ様とゆっくりされていてください」


「あ、そう? じゃあ、お言葉に甘えて。いつもごめんね、カレン」


 エリアスの表情は、部下に頭が上がらない、いつもの若君のそれに戻っていた。

 レイラはエリアスとカレンのやり取りを見ながら、くすくすと笑った。


「レオニートの代わりに、いい側近の方をお持ちですわね。これなら、私も安心だわあ」


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