第二七話 自宅警備員の戯れ言
相席が苦手だ、という人の心理は。
つまるところ自意識過剰から来るのだ、とリョーコは思っている。
相手に嫌な印象を与えていないか。相手も自分を意識していないだろうか。
そんな、鏡を見て居心地の悪さを感じるようなつまらないことに、リョーコは昔から悩まされてきた。
実際にはそんなことは全くなくて。
たいていの場合は、相手も私に興味などないのだ。
相席を意識するのは、自分が常に人恋しいことの裏返しかもしれない。
最近そんなふうに感じるようになったのは、果たして異世界転生の影響なのだろうか。
リョーコは、そんなことをぼんやりと考えた。
目の前の丸眼鏡の青年は皿に目を落としたまま、ファムボンを黙々と口に運び続けている。
と、ポリーナがもはや我慢ならんと言った口調で青年に話しかけた。
「ちょっと、メガネのお兄ちゃん。最初にダブルファムボンってのは、どうかと思うんだけれど」
ファムボンを上下に重ねて、元祖とはまた別の辛そうな黄色いソースがかかったそれ、ダブルファムボンをほおばっていた銀髪の青年は、驚いたように顔を上げた。
「え、何? もしかして、いきなりこれを注文するのはルール違反なのかな?」
「そうじゃないけれど。まず元祖で基本の味を押さえといてから、応用にかかるべきでしょ。基本から応用、学校の勉強といっしょだよ」
ポリーナちゃんってば、なんと大胆。
相席しただけの大人に、いきなり指導をかますとは。
しかし青年は別に気を悪くした様子もなく、
「なるほど、そういうものかもしれないねえ。教えてくれてありがとう、お嬢ちゃん。僕、学校に行ったことないからさ」
と、にこにこと笑いながらお礼を返す。
それを聞いたポリーナは、ちょっとばつの悪そうな顔をした。
「ごめんなさい。お兄ちゃん、学校行けなかったんだ。苦労してるのね」
「ははは。周りのみんなからは、お前は苦労を知らずに育ったから落ちこぼれてしまったんだ、っていつも言われてるよ」
ポリーナは背筋を伸ばすと、椅子に座りなおした。
「わたし、ポリーナ。今日からあなたとはファム友ね」
丸メガネの青年も眼鏡を上げて、シャツのえりを両手で整えた。
「僕はエリオット。うん、お嬢ちゃんとは今日からファム友だね」
二人は同時にけたけたと笑った。
「お兄ちゃんは、何をしている人?」
「えっと、何もしてないかな。自宅警備員とも言うね」
「お兄ちゃん、いくつ」
「二十四だよ」
リョーコは、上目遣いに青年を盗み見た。
ふーん。
私と同い年じゃない。
「ひとりできたの?」
「見ての通りさ。僕、あまり家から出ないからね。たまには社会勉強しないとなーなんて思って、外に出てきてみたんだけれど」
二十四歳で社会勉強か。
いや、私も全然人のこと言えないんだけれどね。
私も大学を卒業するまでは、引きこもってたからなあ。
研修医時代は、それはそれは他人と話す練習をしたもんだよ。
まったく、医師があんなに人と話さなきゃならない職業だとは、思ってもみなかった。
ちょっと、身につまされる境遇だわ。
ポリーナも慈母のような表情で、自分の皿をずいっとエリオットの方へと押しやった。
「まあまあ、エリオットお兄ちゃん。この元祖ファムボンでも一つつまんで、元気出して」
エリオットの赤みがかったブラウン、いわゆるとび色の瞳が、ぱあっと喜びに輝いた。
「ありがとう、お嬢ちゃん。それじゃ、お言葉に甘えて」
ポリーナの皿の上の元祖ファムボンを一つつまんで、口に放り込む青年。
「むっ、なるほど。こっちが、このお店がプッシュしたかった本来の味だね」
「そうなのよ。どう、一つ勉強になった?」
「まったく。勇気を出して外に出てきて、本当に良かったよ」
すっかり意気投合して、ハイタッチするポリーナとエリオット。
まあ、よしとするか。
人には、人の人生がある。
「ところでお姉さんのその棒は、いったい何でしょう?」
エリオットと名乗った丸眼鏡の青年は、リョーコの傍らに立てかけてある、白い布をかけられた「破瑠那」をじっと見つめた。
ん、私のことかな?
この人、ちゃんと同世代の女の子に話しかけられるじゃない。
「ああ、これですか? まあ、つまらないもので」
エリオットは包みをじいっと観察しながら、額に手を当てて思慮深げに言った。
「当ててみましょうか。刀、ですね」
え。
鋭い。
「すごいわね、正解よ。どうしてわかったの?」
書生然とした銀髪の若者は、恥ずかしそうに頭をかいた。
「僕、こういった古物っていうんですか、好きなんですよ。軽く反った細身の片刃、ファルシオンみたいな剣ではなく刀ですよね。布越しのシルエットでも、はっきりとわかります。それにしても、細くて長いなあ。これで折れないなんて、よほど使い手が上手なんですね」
「ううん、きっと刀がいいんですよ。もらいものなんですけれどね」
エリオットは不思議そうな顔をした。
「もらいもの? どなたから?」
「知らない人」
そっけない返事だと思われちゃったかしら。
でも、本当に知らない人だし。
「……そうですか。あなたみたいなきれいな人が、そんな大太刀を扱えるなんて。人は見かけによらないもんですねえ」
おっと。
きれいな人、ときた。
ちょっと、モーションかけられちゃってますか?
「ところで失礼ですが。お姉さんのお名前、うかがってもいいですか?」
「私、リョーコっていいます。エリオットさん、ご自分で引きこもりだって言ってますけれど、会話スキルちゃんとあるじゃないですか」
それに、シャツやスラックスなんかも結構ぱりっとしてるし。
この程度で引きこもりを自称するなんて、ちょっと本物に失礼じゃない?
「別に好きで引きこもっているわけじゃないんです。引きこもらされているっていうか」
「?」
なになに。
この人、幽閉でもされちゃってるの?
「リョーコさんは剣士なんですか? おっと、名前でごめんなさい。女の子を名前で呼ぶって、恥ずかしいですけれど楽しいですよねえ」
「まあ、パン屋の店員でもあるんですけれど」
「あ、そうなんですね。いや、そういうことではなくて。僕から言わせれば、リョーコさんはただの剣士ではなく、サムライのように見えるんですが」
「え。サムライ」
何、突然のこの言葉は。
この世界にも、「侍」が存在しているの?
あるいは、逆転の発想で。
この世界の「侍」こそがオリジナルで、私の元の世界の「侍」は実はこっちの世界からもたらされた、という線はないのか。
これも、異世界同士の文化交流ってやつなのか。
いや、そんなこと考えている場合じゃない。
この人、ひょっとして私の世界からの異世界転生者じゃないの?
とにかくここは、とぼけておくに越したことはない。
むろん、しらを切ることについては私の得意技だし。
「サムライ、って何かしら? 騎士みたいなもの?」
エリオットは、ぽんと手を打って謝った。
「ああそうか、ごめんなさい。ほら、古物が好きだって話、さっきしましたよね。僕の家にある古い本の中に、サムライという階級について書かれたものがありましてね」
そうか。
異世界からもたらされた知識が、古文書として残っているってことか。
「どこか、別の国の話なんですけれど。その国でのいわゆる貴族階級が、サムライという名の戦士たちだったらしいんですね。彼らが重んじるもの、ブシドー。彼らは自分の信義のために戦い、名誉を守るためには自害までしたといいます。我々には考えられないことですよね」
リョーコの頭の中に、グラムロックの男の言った言葉が連想された。
自害。自決用の爆弾。
「破瑠那」。
エリオットはぐっと身を乗り出すと、リョーコの緑色の瞳をまっすぐに見た。
「サムライをサムライたらしめているものは何か。刀を使う技術があるからサムライ、なのではありません。何かを証明するために覚悟ができる者、それがサムライと呼ばれる者の条件なのです」
リョーコはこの線の細い青年から感じる静かな威圧感に、圧倒されていた。
「どうして私に、そんな話を?」
「あなたのその緑色の瞳に、なにか覚悟が見えたような気がして。僕、他人と目を合わせることがなかなかできないんですけれど、今日はなぜか大丈夫みたいです」
エリオットは丸メガネの下のとび色の瞳で、リョーコの視線をとらえる。
「何か証明したいものがあるんですか、なんて初対面の僕が聞くのも失礼すぎますね。なあに、引きこもりの単なる戯れ言です。まったく的外れだったら、どうぞ笑い飛ばしてください」
私が、証明したいもの。
フリッツ君に対する、私の気持ち。
もっといえば、私の事を感じてくれているフリッツ君への。
その……ねえ。
エリオットは満面に笑みをたたえると、ポリーナに向き直った。
「ちょっと小難しいことを言って、頭がいいふりしてみたんだけれど。どうかな、ポリーナちゃん。学校に行かなくても、こんなはったりみたいな話ができるんだ。学校に行ってたら、さぞかしもっとためになる話ができたんだろうけどなあ」
ポリーナは、感心したように首を振った。
「ううん。エリオットお兄ちゃんの話、よくわかんなかったけれど、なんかかっこよかった」
「ははは。かっこよかったなんて言われたの、生まれて初めてかな」
エリオットは得意そうに、丸眼鏡を片手で押し上げた。
そして目の前の皿に目を落とすと、慌てたように言う。
「おっと、ごめん。せっかくのファムボンが冷たくならないうちに、さあ食べた食べた」
三人がそれぞれファムボンをほおばっていると、店の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、明るいブラウンの髪をボブカットに整えた、すらりとした若い女性の騎士。
リョーコよりも三つか四つ、年上だろうか。
小さいが高級そうな鉄の胸当てをつけており、腰にはこれも見事なロングソードを佩いている。
女の兵隊さんが、こんなファーストフードのお店に。
周囲の男女とのあまりの相違に、浮いていることはなはだしい。
女騎士はリョーコたちのテーブルに目を止めると、怒ったようにつかつかと歩み寄ってきた。
途端に、対面のエリオットがはじかれたように立ち上がる。
「でん……エリアス様! お姿が見当たらないと思ったら、こんなところに!」
「えりあす? お兄ちゃん、えりおっとだよね?」
エリオットが人差し指を立てて、ポリーナに解説する。
「ああ、エリアスの愛称がエリオットなんだ。全然短くならない愛称なんて、何かおかしいよね」
女騎士はエリオットにぐっと顔を近づけると、眉を吊り上げた。
そのきれいな青い瞳で、青年をぐっと見据える。
「何、ほんわかした会話してるんですか! こんなところで、いったい何をやってるんです?」
うわー。
ヒルダとはまた違った、大人の女性って感じだけれど。
美人が怒ると、迫力あるわねー。
その迫力に動じていないあたり、エリオットも大したものだが。
「何って、社会勉強さ。ほら、広い視野を持てって、いつもカレンも言ってるじゃないか」
秀麗な女騎士が、顔を赤くして反論する。
「どうして広い視野を持つための勉強が、ファーストフード店なんですか!」
「まあまあ。カレンもファムボン、食べたことないだろ? 一つ、どうぞ」
そう言いながら、エリオットはファムボンを一つつまむと、更に何か言いかけた女騎士の口の中に放り込んだ。
頬をわずかに染めた彼女は、複雑な表情で味を確認する。
「はふはふ。あ、美味しいですね。ビネガーのきいたソースと青のりのコントラストが」
カレンと呼ばれた女騎士は、思わず頬に手を当てて感嘆の声をあげた。
「そうだろう。それが基本の味、元祖ファムボンだ。基本を知らずして応用を語るなかれって、今そこのお嬢ちゃんに学ばせてもらったところさ」
女騎士はポリーナの方を振り向くと、律儀に深々と頭を下げた。
「まあ、それはありがとうございます。エリアス様は本当に世間知らずですので、今後ともご指導よろしくお願いいたします」
「しどうだなんて、思ってないよ。ポリーナとエリオット、ファム友だもん」
にかっと笑って親指を上げるポリーナ。
エリオットも笑顔でサムズアップを返す。
「とにかく帰りますよ、エリアス様。それではお二人方。出来ることならば、ここで起きたことはお忘れいただきますようお願い申し上げます」
そうは言われても私、忘れることができないんで。
エリオットがバイバイと手を振る。
「それじゃあ、僕たちはこれで。ポリーナちゃんにリョーコさん。またいつか」
「ほら、早くしてください。怒られるのは私なんですから、まったくもう」
エリオットは引きずられるようにして、女騎士カレンに連行されていった。
残されたリョーコとポリーナはそれぞれ複雑な表情で、店のドアが閉まるまでその姿を見届けていた。
「……厳しそうな家庭教師さんだったねー、リョーコお姉ちゃん」
「女騎士の家庭教師がいる二十四歳の引きこもりってどーなのよ、実際」