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第二十話 闘争という名の引力

「すいません、ジュディ先生。差し入れのパン買ってたら、遅くなっちゃいましたあ」


 ジュディに向かって、笑って舌を出すヒルダ。

 悪魔アドラメレクは、さすがに不快の色を隠し切れなかった。


「魔導士か。使い魔とはいえ、私の分身を破壊するとは。あなたの魔法では私を滅ぼすことは原理的にできませんが、邪魔をすることくらいは十分にできそうですね」


「……しゃーない。一応、名乗っとくか」


 彼女のトレンチコートの輪郭が、急速にぶれてゆがんだ。

 周囲の空間が、彼女の内部へと収束する魔力の影響で対流を始める。

 ヒルダはゆっくりと振り向くと、右手を悪魔の方へと差し伸べて、自分の名を告げた。


「私はヒルデガルト・フォーゲル・ストームゲイザー。あなたと今後再会することはないので、私の名を覚えるには及ばないわ」


 アドラメレクはヒルダを凝視していたが、やがて口にラバの手を当てると、ほほと笑った。


「まさか、真名を名乗るとは。私を消滅させるおつもりのようですが、あなたは果たしてその意味を理解していますか? 私を滅ぼせるのはフリッツのみですよ。もっとも彼は、しばらくは動けそうにもありませんが」


 ヒルダは膝をついたまま立ち上がれないでいるフリッツを見て、軽く眉根を寄せた。

 なるほど、噂通りだわ。

 悪魔の現われるところ、美少年君あり、か。

 それにしては、ちょっとメンタル弱いかな?


 フリッツは先日ベーカリーで初めて会ったばかりのヒルダに、思いもかけない場所で再会したことに驚いていたようであったが、我に返ると両膝をついたままで彼女に警告を発した。


「ヒルダさん! 奴の言っている事は事実です。たとえ魔法であっても、悪魔には効果が……」


 続きを言いかけたフリッツの頭部に、ゴーグルの男ランディのかかと落としが電光の速度で振り下ろされた。

 フリッツはとっさには横転し、やっとのことでそれを避ける。

 ランディは逆立った赤い髪を後方に撫でつけながら、余裕の表情でヒルダに呼びかけた。


「そういう事さ、いかした魔導士のお嬢さん。人間が悪魔を倒そうなんて、蟻が象を倒すよりも難しいぜ。悪いことは言わない、引っ込んでいてくれ」


 それを聞いたヒルダは、不敵な微笑を浮かべた。


「無知って、本当に罪だわ。自分たちだけが全てを知っているつもりなんでしょうけれど、あなたたちの知らないことが、この世にはたくさんあるわよ」


 アドラメレクはあきれたように首を振った。


「はったりなど、何の助けにもなりませんよ。命のやり取りにおいては、力だけが真理。部外者には、何らかの形で退場していただくほかはありません」


「あら、部外者なのはお互い様よ。だから、あなたに先に退場してもらっても問題ないと思うけれど」


「何?」


 ヒルダの言葉の意味を図りかねたアドラメレクは、その動きが一瞬遅れた。

 女魔導士の黒い瞳が、ぎらりと狂暴に輝く。


「私の弟妹に怖い思いをさせたお前は、絶対に許さない」


 ヒルダは跳躍すると、瞬時にアドラメレクのふところに入り込んだ。

 アドラメレクの顔に驚愕が走る。

 こやつ。

 魔導士でありながら、速い。


 眼を細めたヒルダが、悪魔の眼前で呪文の詠唱に没入する。


「君、核をほどきて螺旋らせんことわりを断て!」


 アドラメレクはぎょっとした。

 核、だと?


 青白く発光した右の掌底を、ヒルダは悪魔の左わき腹に叩き込んだ。

 爆裂。絶叫。

 アドラメレクの腹部がえぐられたように消滅し、その傷の辺縁もぐずぐずと泡立って崩壊しかけている。


「馬鹿なっ!」


 アドラメレクは苦痛に顔をゆがめながら、傷を中心とした自分の肉体をごっそりと削り取った。

 それでも体勢を立て直すとクジャクの羽を大きく広げ、銀の長剣をヒルダに突き付けながら距離をとる。


「貴方……ただの魔導士ではありませんね?」


「まだ卒業試験も終わっていない、ただの学生だけれど?」


 軽口をたたきながらも、ヒルダは自分の予想が外れたことに、内心驚いていた。

 一撃で決めるはずだったのに。

 この悪魔、判断が早い。


 アドラメレクとヒルダの戦いを遠目に眺めていたランディも、大きく動揺していた。

 この前の女の刀といい、この女の魔法といい。

 今回は、勝手が違いすぎる。 






 アドラメレクは冷静さを取り戻すと、背の羽をさらに大きくはためかせた。


「なるほど。この傷は、私の慢心が招いた罰ということですね。なれど二度目はありませんよ、ヒルデガルドさん」


 アドラメレクの羽が大きく一度震えると、上空に向けて大量の羽が射出される。

 その軌道はヒルダの頭上を大きく越えると、ジュディと二人の子ども達へと降り注いだ。


「!」


 ヒルダは迷うことなくアドラメレクに背を向けると、三人の元へと駆け出した。

 走りながら左手の指で小さな輪を作ると、息を乱すこともなく呪文を紡ぎ出す。


「君、烈なる息吹いぶきもてあくた振り払え!」


 瞬間空気の流れが変化し、ジュディたち三人の周囲に竜巻が巻き起こった。

 空気の奔流に巻き込まれたアドラメレクの羽が、四方へとことごとく散っていく。


「ヒルダさん、後ろ!」


 フリッツの声と同時に、ヒルダの両のふくらはぎに激痛が走る。

 アドラメレクの羽がヒルダの両脚を後ろから貫通し、その尖った根本が皮膚を突き破ってすねの前方へと飛び出しているのを、彼女は見た。


「くうっ」


 さすがのヒルダもたまらず、前のめりにどっと地に伏した。

 アドラメレクは、ゆっくりとヒルダの背後へと歩み寄っていく。


「最初からこうすればよかったのですね。私が無意味なセンチメンタリズムを発揮したのが悪いのです。あなたには、誠に申し訳ないことでした」


「……無防備な者を狙うなんて、さすが悪魔。発想が悪魔的ね」


 静かに笑うアドラメレクは、ヒルダのその挑発には乗らない。


「あなたの先ほどの魔法は、どうやら接触しないと効力を発揮できないようですね。でなければ、遠距離からとっくに私を攻撃しているはず」


 ちぇっ、ばれたか。

 まあ、出来立てほやほやの新作だからね。


「お互い部外者、という先ほどのあなたの言葉は気になりますが、それこそ私の感傷というもの。私を傷つけることができる存在である以上、もはや見逃すことはできません」


 アドラメレクは右手の銀の長剣を逆手に持ち替えると、ヒルダの左胸を狙った。


 やっぱり、接触型の「核撃」は、一対一の戦いでは苦しいわね。

 次があれば、改良したいところだけれど。


 アドラメレクは、舌で静かに唇を湿した。


「あなたの魔法、ちょっと驚きました。さようなら、可愛い女魔導士さん」


 悪魔の突きが、ヒルダの心臓へと正確に走る。

 剣の切っ先から思わず目を背けたヒルダの耳に、高い金属音が聞こえた。


「私のガールフレンドに手ぇ出してんじゃないわよ、この年増女」


 聞き違えようのない、凛とした声。

 はっと顔を上げたヒルダの眼前で、ピンクのポニーテールが炎のように揺れた。

 周囲に渦を巻く、青い粒子。

 リョーコの長刀「破瑠那」は、アドラメレクの銀の長剣を真っ二つに切り飛ばしていた。






「嘘でしょ。リョーコ、あなた」


 リョーコはアドラメレクに刀を向けたまま、横目でヒルダに謝った。


「ごめん、ヒルダ。私、実は剣士なんだ。別に隠してたわけじゃないんだけれど」


 ヒルダはふるふると首を横に振って、うるんだ瞳でリョーコを見つめた。


「ううん、それはどうでもいいわ。それよりも、私をガールフレンドって公認してくれたのが、何よりもうれしくて」


 悪魔の眼前であるにも関わらず、リョーコは激しく脱力した。


「こら、勘違いするな。親友、って意味でしょ」


「あー聞こえない聞こえない。恋人が助けに来てくれるなんて、ピンチに追い込まれた甲斐があったわね」


「何くだらないこと言ってるのよ。それより、フリッツ君は?」


 ヒルダは顔をを曇らせながら、フリッツを指さした。


「まだ生きてはいるけれど、あなたの彼氏くん、ちょっと切れがないみたい。何か気になることでもあったのかしら」


 それはきっと、彼の過去の何かに悪魔たちが触れたのだろう。

 傷口に塩を塗り込むように。


 ひざまずいて動かないままのフリッツを見て、リョーコは焦燥感にかられた。

 たまらずに、大声で呼びかける。


「フリッツ君、大丈夫? 私のこと、忘れてないよね?」


 フリッツは顔を上げると、軽く手を挙げて答えた。

 いつものように、笑顔さえも浮かべて。


「もちろんですよ。リョーコさんみたいな変わった女の人のこと、忘れられるわけがないじゃないですか」


「えー、ひっどーい」


 リョーコは安堵するとともに、胸騒ぎも感じた。

 フリッツ君の笑顔は、涙を隠してる。

 あの夕暮れの時のように。


 フリッツは頭を大きく振ると、ふらつきながらも立ち上がった。

 僕は、リョーコさんのことを忘れたくない。

 だから、もう死ぬわけにはいかない。


 赤髪ゴーグルのランディが、フリッツをめがけて疾走してくる。


「しぶといねえ、アンデッド。もうお前と遊んでる場合じゃないんでね、おとなしく寝てな!」


 低い角度からの、顔面を狙った跳び蹴り。

 ランディの靴底がフリッツの鼻柱を砕く、直前。


 鋼鉄製の拳がランディの脚を横殴りに払った。

 彼の膝から、ごきりと鈍い音が響く。

 

「何!?」


 かろうじて着地しようとしたランディもさすがに踏ん張ることはできず、ざざっと背中から地面に落ちた。


「自警団権限だ、殺人未遂の罪で拘束させてもらうぜ」

 

 革製のベストでは覆いきれない、屈強な肉体。

 両手に装着した、鈍い光沢を放つ金属性の巨大な手甲。

 無精ひげを生やした中年の戦士は、ようやく起き上がったランディに対して、挑発するようにくいくいと手首を曲げた。






「大丈夫か、少年。きれいな姉ちゃんとそのお供の二人が、助っ人に来てやったぜ」


 フリッツは目を細めると、記憶を探った。


「あなたは、確か。あの夜にリョーコさんたちの事を助けてくれた、自警団の」


 乱入した重攻兵の戦士は、ベストの左胸に焼きつけてある双頭の蛇の紋章を指し示した。


「リカルドだ、自警団の団長をやってる。後ろにいるのは、副団長のニールだ」


 棒状の武器を抱えた金髪シャギーのニールが、リカルドの後ろから小さく会釈を返す。


「お前さん、フリッツだろ? サミーって子を救ってくれたんだってな、うちの奴らから聞いてるぜ」


 自らの前で殺された子供の名を聞いて、フリッツの顔色がさっと変わった。


「リカルドさん。僕は、あの子を救ってはいません」


 リカルドはゆっくりと首を振った。


「いいや、お前さんは確かに救ったさ。あの子も、あの子の家族もな」


 フリッツは息をのんだ。


「この街を救ってくれた奴を、俺たちは信じる。この赤毛の野郎は俺たちに任せて、早くリョーコちゃんのところへ行ってやんな。リョーコちゃん、お前さんの彼女なんだろう?」


 リカルドがにやりと笑う。

 フリッツは困ったように頭をかくと、苦笑を返した。


「あはは。そうだったらいいんですけれどね」


 リカルドは手を振ってフリッツを促した。


「急げ、少年。彼女、ずっとお前さんを待ってる」


 そうだ。

 迷っている時間はない。


「ありがとうございます、リカルドさん」


 フリッツはリカルドたちに背を向けると、リョーコとアドラメレクが対峙している場所へと駆け出していった。

 思い出したようにリカルドが、フリッツに大声で付け足す。


「ヒルダちゃんの事も頼むぜ! 彼女のダンスが、俺の生きがいだからな」


 フリッツは背を向けたまま、右手の親指を立てて了解の意を伝えた。

 それを見送ったリカルドは微笑を消すと、ランディの方へと向き直る。


「さてと、再開しようか。もちろん、まだ立てるんだろう? 赤毛のニンジャ・ボーイ」


 ランディは髪を後ろになでつけると、ゆらりと立ち上がった。


「……自警団か、いいだろう。お前たちの力がこの街を守るに値するかどうか、試させてもらう」


 ランディのゴーグルが、陽の光を反射して鈍く光る。


「言ってくれるじゃねえか。俺たちの街で、これ以上好き勝手はさせないぜ。やるぞ、ニール!」


 リカルドが、巨大な手甲を腰だめに構えた。


「イエス、ボス」


 ニールも、鋼鉄製の棒を構えてそれに応える。


 攻守入り乱れた戦場に、一つの結末が訪れようとしていた。

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