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第一七話 同床異夢

 壁も、床も、真っ白なその部屋。

 調度といってはやはり白い椅子が二脚あるのみの、思考を拒絶するような殺風景な空間である。

 今その中では二人の人物が、めいめい腰掛けて対面していた。


 一人は茶色いローブを頭からすっぽりとかぶっており、その口元をうかがうのがやっとである。


 そしてもう一人は、細い瞳に筋の通った鼻立ちの、長い黒髪の美しい女性。

 の、頭部。

 惜しげもなくさらされた彼女の手足は、茶色い毛に覆われたラバのそれであった。

 背から生えたクジャクの羽は横に大きく広げられ、静かに揺れている。


 ローブの人物が、その部屋にふさわしく白々しい沈黙を破った。


「ご機嫌麗しゅう。アドラメレク様におかれましては、日頃のお役目、誠にご苦労に存じます」


 声色は、男性のようである。

 アドラメレクと呼ばれた悪魔は、ローブの男を見下ろしながら鷹揚に答えた。


「貴方も励んでおられるようですね、同志ランディ殿。して、私に面会とはどのようなご用件なのでしょうか?」


 ローブの男はやや声を落とした。


「お聞きになりましたか? バフォメット様が、滅ぼされた件」


 アドラメレクは、持って回った言い方を好まない。

 与えられた短い時間を、無駄にしたくないのだ。

 女悪魔は、いら立ちを巧みに隠しながら答えた。


「むろん、存じております。私の反応をお試しになられているのですか?」


「めっそうもございません。ただ、あれからここ一年の間において、あなた様の眷属が倒されたのは初めての事ですので」


 アドラメレクは、遠い目をした。

 記憶の中を探る。


「悪魔殺し、ですか。やはり、フリッツが復活したのですか」


「まだ、そうと決まったわけではありません。何分、現場を目撃したものがおりませんので」


 アドラメレクは、ランディと呼ばれたローブの男の話に初めて興味を示したようだった。


「これは面妖な。奴以外にも、我々を滅ぼせる者がいるというのですか? ですが、もしそうなら……」


「そうなら?」


 アドラメレクはクジャクの羽を大きく広げた。

 ざわざわと、耳障りな音が室内に響く。


「これは、希望が持てるというもの。そのような者が現れたとあれば、バフォメットの命など取るに足りません」


「これは異なことを仰せられる。それはすなわち、あなた様も滅ぼされる可能性があるという事なのでは?」


 アドラメレクは、ラバのつま先でランディを指さした。


「切り札を手に入れたものが、最後に残る。それが私ではない理由がありましょうか? できることならば、あなたとは末永く手を取り合いたいものです。ランディ殿」


 ローブの男は深く頭を下げた。


「私は、あなた方の使用人にすぎません。ご命令さえいただければ」


 アドラメレクのエメラルド色の瞳がきらりと光る。


「ふふ。最後に残った二人が、あなたと私でなければ良いのですがね」






 悪魔は、その細長いラバの脚を組み替えた。


「ところで、私達の本来の仕事のお話をしましょうか。例の件、もう少し手っ取り早く処理することはできないのですか?」


 ランディは、腰に下げた金色の鈴を鳴らしてみせた。


 リン。

 リリン。


 乾いた音が、白い室内に響く。


「目立たないためには、面倒でも一人ずつ誘い出すのが、手堅いかと考えておりますが」


 それを聞いたアドラメレクが、ふんと鼻を鳴らす。


「別に民衆に目撃されたところで、たいした問題ではないのでは? 人間には、悪魔と魔物の区別もつかないでしょうに。どこからか湧き出した魔物が子供たちを殺した、という表面上の理解で事は運ぶ」


 それを聞いたランディは、人が変わったようにその口調を強めた。


「それはそうかもしれませんが、可能な限り無関係なものは巻き込まない、というのが我らが主との契約では?」


 男の声の中に有無を言わせない迫力を感じた悪魔は、背筋を伸ばした。

 やはりこやつ、一筋縄ではいかない。

 アドラメレクの白亜のような顔が一層の冷たさをたたえると、ランディの抗議に答えた。


「もちろんです。我々悪魔にとっては、契約こそが至高。それに、私自身もこの世界の守護者を自負している身です。だからそこは、あなたにフォローしていただく必要があります」


「あなた様のしもべたちは、私の命令は聞きません。彼らを多少消しても、構いませんか?」


 ローブの男の口調は、元の静かなそれへと戻っていた。

 悪魔は、男に向かってゆっくりと首肯する。


「問題ありません。あなたは人間です、同族を守ろうとするのは当然でしょう」


 アドラメレクは、にっこりと笑って付け足した。


「もっとも私は悪魔ですので、同族を守る気など毛頭ありませんが」


 それはもちろん俺も含めてだろうな、とは、さすがのランディも口にはしなかった。






「ほら、みんなー。フリッツ君が来てくれたわよ」


 子供たちが歓声とともに、門から入ってきたフリッツに群がる。


「みんな、久しぶり。授業が終わったら手品見せてあげるから、まずは教室の中に入って」


「はーい!」


 白いブラウスに青いロングスカート姿の若い女性が、慌てて屋内からぱたぱたと出てくると、フリッツに申し訳なさそうに頭を下げた。


「フリッツ君、いつもごめんなさいね」


 長いストレートの黒髪に眼鏡をかけた、ひかえめな、しかし芯の強そうな印象を与える女性である。

 彼女はフリッツを上目遣いに見ると、ほんのわずかに頬を染めた。


「こんにちは、ジュディ先生。仕事ですから気になさらずに。それで、今日はどんな感じですか?」


 ジュディと呼ばれた女性は我に返ると、手元のメモをフリッツに渡しながら説明を始めた。


「先週から熱が出てる子が二人に、昨日からお腹が痛い子が一人。あ、そうそう、マシューとジムが昨日喧嘩して、二人とも傷ができてるみたいなの。お願いできる?」


 フリッツは苦笑いしながらうなずいた。


「はい、大丈夫です。じゃあ、まずは問題の二人からみてみましょうか」


 ジュディは、やや太った男の子と、対照的にやせた男の子を引っ張ってきた。

 フリッツは二人のそばにしゃがみ込むと、穏やかに笑いかけた。


「久しぶり、マシューにジム。どうして喧嘩なんかしたんだい?」


 二人の男の子は、お互いにそっぽを向いて黙っている。


「黙ってちゃ分からないなあ。今話してくれないと、僕、君たちの事を忘れちゃうかもしれないよ?」


 フリッツの言葉のどこかに真実が含まれていることを感じたのか、子供たちが顔を上げた。

 太った方の男の子が、頬をふくらませながら話し出す。


「ジムが、自分のお母さんのことをずっと僕に話すんだ。それで……」


 フリッツは黙って聞いている。


「それで、僕、悔しくなっちゃって」


「……そうか。マシューは、お母さんのことを覚えていないんだね?」


 太っちょのマシューは、ちぇっと言いながら足元の小石を蹴った。


「うん、名前も知らないや。でもジュディ先生もいるし、他にも僕と同じような子がいっぱいいるから、平気だって今までずっと思ってたんだ。だけど」


 フリッツは後ろを振り返った。


「でもジムは、悪気があって言ったわけじゃないんだろう?」


 やせている方の男の子、ジムは、こっくりとうなずいた。


「僕のお母さん、僕が小さな頃に死んじゃったんだけど。時々誰かに話さないと、どんどん忘れちゃうような気がして。でも、マシューがこんなに怒るなんて、僕思わなくて」


 フリッツは、二人の頭をぐりぐりと押さえた。


「僕、安心したよ。二人とも、何も間違っちゃあいない。僕も昔のことはほとんど覚えていないから、マシューの気持ちも、ジムの気持ちも、よくわかるんだ」


 二人の男の子は、驚いた顔をしてフリッツを見た。


「でもね、昔の思い出だけで生きていくことなんか、きっと出来ないんだと思う。昨日の喧嘩みたいなちっぽけなことが、意外と大事でさ。そういうのが積み重なって、明日も頑張ろう、ってなっていくもんじゃないのかな。あまり昔の事とか、あまり先の事とか考えちゃうと、足がすくんで動けなくなっちゃうぞ」


 子供たちは、要領を得ないような顔をして聞いている。


 昔の思い出、か。

 炎。塔。風。死。

 カタリナ。


 フリッツは心の中で自嘲した。

 わずかな記憶にすがり付いている僕が、言えた義理では到底ないが。


「ほら、二人とも傷見せて。治せるもんなら、治しちゃうからさ」


 フリッツが二人の傷に手をかざすと、それらはやがて周囲の皮膚と同化して消えた。


 この傷のように。

 今の僕の記憶もいつかまた、きれいさっぱりと消えてしまうのだろうか。


 フリッツは、頭をぶんぶんと振った。


 まったく。

 僕自身が、身動きがとれなくなってしまってどうする。


 早く仕事を済ませて、リョーコさんたちにお昼を作ってあげよう。

 フリッツは立ち上がると、子供たちと一緒に校舎の中へ入ろうとした。






 リン。

 リリン。


 フリッツは門を振り返った。


 横に並んだ二人の人影が、ゆっくりと歩いてくる。

 一人は、茶色いローブをすっぽりとかぶり。

 もう一人は。

 遠目にもわかる異形。


 フリッツは、はっとして子供たちを振り返った。

 マシューとジムはぐったりと地面に座り込んでおり、彼らの髪は今や鮮やかな銀髪に変化していた。


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