表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/140

第一六話 家族の肖像

 夜が明け、部屋の中に少しずつ色が戻ってきた朝。

 リョーコはベッドの上で寝返りを打つと、薄く目を開けた。

 ぼんやりした頭で、昨日のことを思い出そうとする。


 そういえば、私。

 フリッツ君と一緒に、一晩。

 まあ男と女だもの、仕方ないわよね。


「フリッツ君、おはよー♪」


 リョーコが抱き着いたベッドの先は、もぬけの殻で。

 彼女はもんどりうって、見事に床へと転落した。


「くっ。まさか、夢オチ?」


 頭をさすりながら起き上がったリョーコの耳に、階下から食器を用意する音が聞こえてきた。


 いっけない。

 今日の朝食当番、私だった。


 がばっと跳ね起きたリョーコは慌てて階段を降りると、ダイニングの扉を恐る恐る開けた。


「あ。おはようございます、リョーコさん」


 マジか。

 夢では、なかったんだ。

 最高にうれしいこの状況、もしも夢なら永遠に覚めないで欲しい。


 フリッツはすでにきちんと着替えを済ませており、白いハイネックのセーターの上にエプロンをつけていた。

 フライパンとフライ返しを持ったまま振り向くと、さわやかに笑う。


 フリッツ君ってば、何を着てもさまになるわね。

 ずるい。

 こういうのを、チートっていうんじゃないの?


 すでに食卓についていたレイラが腕を組んで、にやけているリョーコをにらんだ。


「……おはよう、リョーコ」


 リョーコの顔が、慌てて素に戻る。


「お、おはようございます、レイラさん」


「フリッツ君と一緒に寝ちゃあいけないって言ったのに。初日から規則破っちゃって、どういうこと?」


 ばれてる。


「いや、それは」


 フリッツが見かねて、助け船を出した。


「ごめんなさい、レイラさん。あの女の子、コレットちゃんでしたっけ、が襲われた件について、ずっと話し込んでいたもんですから。その後リョーコさん、治療の疲れが出ちゃったみたいで」


 ごめん、フリッツ君。

 疲れていたのはむしろ、魔力を消費した君の方なのに。


 フリッツのとりなしに、レイラはあっさりと溜飲(りゅういん)を下げた。


「まあフリッツ君の話だと、リョーコが先に寝たみたいだし。フリッツ君が先に寝たのなら、リョーコがフリッツ君を襲う可能性があるけれど、逆なら大丈夫か。いいでしょう、今回は大目に見てあげるわ」


 私って、そんなに男に飢えているように見えるのか。

 確かに、彼氏いない歴イコール年齢だけど。


 フリッツは苦笑しながら、リョーコのために椅子を引いた。


「まあ、とにかく座ってください。ありあわせの食材で作ったので、口に合うかどうか」


 テーブルの上には、ベイクドエッグ、キノコとほうれん草のソテー、根菜の入ったコンソメスープなどが、所狭しと並べられていた。

 目を輝かせて座っていたポリーナが、歓声を上げる。


「フリッツお兄ちゃん、すごいねー。こんなにおいしそうなごはん、魔法のようにぱぱっと作っちゃうんだもの」


 フリッツは自分も食卓につくと、料理を手早くトレイに取り分けていく。


「僕、キャンプみたいなこともよくしてたからね。見た目はちょっとあれかもしれないけれど、どうぞ」


 飲み物まで行きわたったところで、四人は一斉に唱和した。


「いただきまーす」


 はぐ。

 うーん、おいしい。


 レイラも驚いた表情で、賛辞を贈る。


「フリッツ君、料理上手ねえ。やっぱりたまには、自分の味とは違うものを食べたくなっちゃうのよねえ」


「いえ、僕のおかずはおまけです。なんといっても、このクロワッサンがおいしくて」


 フリッツが焼きたてのクロワッサンをほおばる。

 ポリーナがにやりと笑って、リョーコを横目で見た。


「ポリーナ、このスープ好きだなあ。こりゃあ、リョーコお姉ちゃんも負けてらんないねえ」


 まずい。

 私の存在価値が、根底から揺らいでいる。

 そこへさらにフリッツが、悪気のない追い打ちをかけた。


「ポリーナちゃん、そんなことないよ。僕もリョーコさんの手料理、楽しみにしてます」


 くー。

 プレッシャー、かけてくれるじゃない。






 朝食が終わって一息ついたところで、ポリーナがフリッツの方へと身を乗り出した。


「ねえ、フリッツお兄ちゃん。ずっとこのうちで、いっしょに暮らしてくれるの?」


「レイラさんは、そう言ってくれてるんだけれど。ご迷惑じゃないかなあ」


「ううん、大歓迎。人間って、助け合って生きていくもんでしょ。多い方がいいに決まってるじゃない」


 ポリーナちゃんって時々、深いことをさらっというのよね。

 レイラも、うんうんとうなずく。


「フリッツ君、ポリーナの言う通りよ。それに近頃物騒だし、男の子がいてくれるとなにかと心強いわ。だけど、ご両親とかはどうされてるの?」


 フリッツは困ったように頭をかいた。


「えっと。僕、一年前より以前の記憶がなくて。でも誰からも、何の連絡もないし。きっと昔から、独りだったんだと思います」


 レイラは驚いて、フリッツとリョーコの顔を交互に見た。


「え、フリッツ君も記憶喪失なの? それも一年前からって。それじゃあ、リョーコとまるっきり同じじゃない」


「そうですね。僕も昨日リョーコさんからその話を聞いて、驚いていたところなんです」


 フリッツは、本当は記憶喪失ではないことをリョーコが黙っている件について、あえてレイラに話すつもりはなかった。

 彼女が過去のことをレイラさんに話していないのは、何か理由があるはずだから。


「本当に偶然ねえ、二人とも。でも何か思い出したことがあったら、いつでも話してね。もちろん、リョーコもよ」


 偶然、なのだろうか。


 一年前にこの世界に転生してきたリョーコ。

 一年前に記憶をなくしたフリッツ。

 リョーコもフリッツも何か心に引っかかるものを感じたが、うまく説明はできなかった。


 やがて、レイラが立ち上がった。


「さて、もうすぐ開店ね。パンも焼きあがったし、お店に並べるとしましょう」


 フリッツも再びエプロンを着けると腕まくりをして、テーブルの上の食器をまとめ始めた。


「じゃあ僕、後片付けしてから、ちょっと出かけてきます」


「え、どこに?」


「仕事ですけれど」


 意外な言葉に、リョーコが思わずきき返す。


「フリッツ君、仕事してるの?」


「やだなあ、リョーコさん。僕、定住こそしていないですけれど、きちんと働いてますよ。お金がないと、食べていけないじゃないですか」


 フリッツは、いかにも心外だという表情だ。


 そりゃ、そうか。

 仕事もしてないのにレストランで外食なんて、できるわけないし。


 あの時、おごってもらっちゃったんだよなー。

 年上だから、私が出すって言ったんだけど。

 彼女でも何でもないんだから、せめて割り勘じゃないといけないよねえ。


「で、仕事って何を?」


 リョーコの問いに、食器を手早く洗いながら、フリッツが肩越しに答えた。


「街の治療院の手伝いをしたり、ご老人や子供たちが住んでいる施設の往診をしたり、そんな感じです。大きな病気の治療なんかはやっぱり無理ですけれど、これでも結構、需要があるんですよ」


「ふーん。感心ねえ」


 うなずいたリョーコを、レイラがポリーナの着替えを手伝いながらたしなめる。


「リョーコ。感心ばかりしてないで、お店開ける準備をお願い。私は、ポリーナを学校まで送ってくるから」


 そうそう。

 私は、私の仕事をしなきゃ。


「了解。レイラさん、ポリーナちゃん、気を付けてね」


「それじゃあ、あと頼むわね」


 レイラとポリーナは、ばたばたと慌ただしく出かけて行った。

 残されたリョーコは焼きあがったパンをトレイに乗せると、店の陳列棚へと並べていく。






 からん、と店の扉が開いた。


「おっはよー、リョーコ」


 店に飛び込んできたのは、黒いショートヘアのボーイッシュな女性。

 初秋に雰囲気ぴったりの、ブラウンのトレンチコート。

 黒いインナーに青いデニムパンツ、白いスニーカー。


 これはまた、なんというイケメン。

 ヒルダときたら相変わらず、格好いい。

 というか、惚れる。


 ん?


「あれ、ヒルダ。試験明けで、今日はアカデミー休みじゃなかったっけ?」


「うん、学校はないんだけどね。久しぶりに、『緑竜寮』に顔出そうかなと思って」


 緑竜寮。

 何らかの理由で一人で暮らさなければならなくなった子供たちを、保護し養育するためのグループホーム。

 ヒルダは、そこの出身である。


「そっか。子供たちみんな、ヒルダが来るのを楽しみにしてるわけだ」


「へへ。それで、ちょっと差し入れでもしようかなと思って」


 ヒルダにとっては、弟や妹だもんね。

 優しいお姉ちゃんしてるね、ヒルダ。


「そういうことなら。焼きたてパン、特別にサービスしちゃうわよ」


 ヒルダはにっと笑うと、膨らんだコートのポケットをぽんと叩いた。


「ありがとう、リョーコ。でも、定価で大丈夫よ。バイトでふところは十分に潤ってますから」


 あのクラブのバイトかー。

 でも子供たちのパンになるのなら、ヒルダ推しのおじ様たちのお布施も、きっと報われることだろう。

 めぐりめぐっていいことしてるわよ、おじ様たち。


「ヒルダは、ここで少し食べていく?」


「そうね、朝食まだだし。いつものホットドッグ、もらおうかな」


「了解」


 その時。

 店の奥から、黒いショートコートを羽織ったフリッツが姿を現した。


 なぜ、このタイミングで。

 リョーコの顔がさっと青ざめる。


「リョーコさん。それじゃあ、行ってきます」


 思ってもみなかったフリッツの登場に、ヒルダはあ然として言葉も出ない。

 彼女に気付いたフリッツはにっこりと笑うと、丁寧にあいさつをした。


「おはようございます。お姉さん、この前ここでちらっとお会いしましたよね? 僕、フリッツといいます」


「おはよう、ございます。私、ヒルダ、です」


 すごい。

 あのヒルダが、完全に気圧されている。


 これが噂の、吸血鬼の魅了の能力では。

 ないよね、やっぱり。


 フリッツは、ぺこりとヒルダにお辞儀をした。


「少し急いでいるので、申し訳ありません。ごゆっくりしていってくださいね」


 そしてリョーコの方を振り向いて、笑いながら小さく手を振った。


 やめて、フリッツ君。

 そのしぐさ、更に状況を悪化させてるよ。


「お昼までには帰ってきますから。昼食も僕が準備しますって、レイラさんに伝えておいてください」


 フリッツはだめ押しにそう言うと、扉を開けて外へと消えた。






「……お待たせしました。ホットドッグでございます」


「ちょっと待って、リョーコ」


「はい、何でございましょう? フルーツジュースも、お付けいたしましょうか?」


 ヒルダのこぶしが、ぶるぶると震えている。


「行ってきます、とか。お昼までには帰ってきます、とか。これって、そういうことよね?」


「あはは。どういうことかなー」


「しらばっくれるんじゃないわよ、リョーコ! あんたたち、いつから同棲してるのよ!」


「どうせい。何言ってるのよ、人聞きの悪い。ただの同居よ」


 ヒルダの堪忍袋の緒は、ついに切れた。


「この前はキスがどうたらこうたら言ってたと思ったら、もう同棲。リョーコ、私というものがありながらー!」


「ちょっと待って、ヒルダ。誤解よ、誤解」


「問答無用! 二度と私のことが忘れられないように、その身体にたっぷりと刻みこんでやる!」


「落ち着いて、ヒルダ。ちょっと、服が破れる! ぎゃー!」


 ベーカリー兼カフェ「トランジット」の朝は、まだ始まったばかりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ