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第一四話 名前のない英雄


 リョーコは片目に拡大鏡をはめると、少女の顔を横に向けて、浄化された水で傷口を丁寧に洗い始めた。

 血の塊が洗い流され、傷口の形があらわになる。

 リョーコはためらうことなく、指で少女のまぶたを開いた。


「……視神経までは、深く無さそう。それでも、ひどいわね」


 フリッツは息をのんだ。

 男の僕でもこの傷を直視するのは、かなりの勇気が必要なのに。


 いや。

 この際、性別なんか関係ない。

 これがリョーコさんと僕との、経験の差だ。


「ごめん。私、眼科は学生の時に回ったきりなのよねー。フリッツ君、私がまぶたを開けたままにしておくから、探りながら修復、できそう?」


 がんか? それに、学生の時って。

 人体について学ぶ、学校?

 もっとも、僕は七百年も記憶を失っていたんだし。

 その間にそんなのができていても、不思議はないのか、な。


「わかりました、リョーコさん。それじゃ、右目から行きますね」


 フリッツは目を閉じると、指先に思念を集中した。

 深層から。

 これが、網膜。


「……リョーコさん。網膜ってやつ、大丈夫みたいです。きちんと連続性が保たれています」


「お、それはラッキー。じゃあ、硝子体から始めればオーケーだね」


「了解しました」


 フリッツは感覚を研ぎ澄ませて組織構造を探っていくと、再生を開始した。


「……硝子体、クリア。水晶体、クリア。……虹彩と角膜、クリア。そして眼瞼、クリア。よし、っと」


 フリッツは目を開けると、やや不安そうにリョーコを見た。


「リョーコさん、どうでしょうか」


 リョーコはそのあまりのあっけなさに、むしろ拍子抜けさえしていた。


 すごい。

 再生それ自体もすごいけれど、とにかく時間が早い。

 治癒魔法って、やばすぎる能力じゃない?


「うん。見た感じ、完璧だけど。あとは、コレットちゃんを起こして聞いてみるしかないわね。じゃあこの要領で、左も治しちゃいましょ」


「はい、リョーコさん」






 二人は同じ要領で、左目の治療も終えた。

 ライフ・フォースの消費と緊張とで、さすがのフリッツの顔にも、やや疲労の色が見える。


「お疲れさま、フリッツ君。『鎮静』と『鎮痛』の効果って、どのくらい持続するの?」


「組織修復は完了していますので、『鎮痛』はいつ切れても問題ありません。『鎮静』については、小さい子なので少し深くかけましたけれど、必要があれば『覚醒』の魔法で、いつでもリバースして起こせます」


「治ったかどうか、ご両親が来られる前に確認したいわね。疲れてると思うけれど、『覚醒』まで、お願いできる?」


 フリッツは了解のしるしに、右の親指を上げて見せた。


「全然大丈夫ですよ、リョーコさん。さっき、『ティッキング』であれだけ美味しいもの食べましたからね。リョーコさんの左胸を治す力も十分に残っていますから、もう少し待っていてくださいね」


 フリッツ君、無理しちゃって。

 あとで、紅茶でもいれてあげなきゃね。


「でもこの子を起こす前に、一つやっておかないといけないことがあります」


「え、何?」


 フリッツは黙って少女の首に唇を寄せると、いつの間にか伸びていた二本の犬歯で、少女の首筋をやさしく咬んだ。

 彼の両の瞳は、暗く赤い輝きを発している。


「そうか。彼女の記憶を消してあげるのね」


 でも、ほかの女の子の首にキスをするのは、何だかもやっとするなあ。

 私って本当に、狭量な人間だわ。

 

 フリッツはじきに元の表情に戻ると、少女の首筋の傷に手をかざして、二本の咬み痕を消去した。

 そしてリョーコの方を振り向くと、小さくうなずく。


「じゃあ起こしますよ、いいですね。『覚醒』いきます」


 リョーコもうなずき返すと、少女の顔を見守った。

 やるべきことは、やったはず。


 フリッツは少女の頭に手をかざすと、目を閉じて集中した。

 ほんの短時間で魔法の行使を終えると、ふうっと息を吐く。


 部屋に流れる、緊張。


「う……ううん」


 固唾(かたず)をのむ二人。


 少女はゆっくりと両目を開いた。

 リョーコとフリッツへ、交互に視線を送る。


「あ。……お姉ちゃんとお兄ちゃん、だれ?」


 フリッツは、リョーコの肩を思わず抱いた。

 彼女も、肩に置かれた彼の手を握り返す。


 見えてる。

 治ってるよ。


 その時、コレットの髪が銀色から金色にすうっと変化していくのを二人は見た。

 鈴の音色の効力が消えたのだろう、とリョーコは理解した。






 暑い蒸しタオルでコレットの顔を拭きながら、リョーコがやさしく説明する。


「ここ、お姉ちゃんの部屋。コレットちゃんがお外に倒れてたから、連れてきちゃった。もうすぐパパとママが迎えに来るから、少し待っててね」


 コレットはベッドの上に起き上ると、ぽりぽりと頭をかいた。


「そうなの? ぜんぜん、おぼえてない」


 コレットはきょろきょろとあたりを見回していたが、やがてフリッツの顔の上で視線をとめた。


「はわー。お兄ちゃん、かっこいいねー。どこに住んでるか、教えてほしいな」


「あ、あはは……」


 フリッツは、助けを求めるようにリョーコを見た。


 うーん。

 美少年って、本当に危険だわ。

 フリッツ君がロリコンじゃなくて、本当に良かった。


 その時、扉を開けて誰かが入ってきた。


「リョーコお姉ちゃん、どうしたの? こんな夜中に」


 目をこすりながら部屋に入ってきたのは、ポリーナだった。

 話し声を聞きつけて、起きてきたのだろう。

 そういえば、寝つきが悪いって言ってたもんね。


 ポリーナはベッドの上の少女に気付くと、素っ頓狂な声を上げた。


「コレットちゃんじゃない! 何でコレットちゃんが、リョーコお姉ちゃんの部屋にいるの?」


 そうか。

 ポリーナちゃんとコレットちゃんは同級生だって、レイラさんが言ってたっけ。


 さらにポリーナは、フリッツにも目を止めた。


「それに、そちらのきれいなお兄ちゃんは、だれ?」


「……」


 フリッツは肩をすくめるほかなかった。


 幼女ども。

 お前ら二人とも、同じ反応か。

 これはもう、フリッツ君が悪いと言って差し支えない。


 いきなりのポリーナの出現に、もちろんコレットも驚いていた。


「えー、ここってポリーナちゃんの家だったんだー。私、このお姉ちゃんとお兄ちゃんに、助けてもらっちゃったみたい」


 ポリーナは腕を組んで、リョーコを横目でじろっとにらんだ。


 リョーコは思わず首をすくめた。

 やばい。

 あの疑いのまなざし、レイラさんにそっくりだ。


「ふーん、そうなんだ。この前は、リョーコお姉ちゃんが助けられてたくせにねー。私たちに隠れて、こんなかっこいいお兄ちゃんと、夜中に何してんだか」


 ポリーナちゃん、怖い。






 階下から、声が聞こえてくる。

 ばたばたと階段を上がるいくつかの足音が聞こえ、レイラと、その後ろから若い夫婦が続けて入ってきた。

 父親と思しき男性が、寝台の上の少女に駆け寄る。


「コレット、無事だったのか! いつの間にか部屋が空っぽになっていて、自警団にも連絡したんだが。本当に良かった……」


 コレットはベッドからはね降りると、両親に抱きついた。


「ごめんなさい、パパ、ママ。わたしもどうして外にでたのか、わからないのよ」


 リョーコとフリッツは、すばやく視線をかわし合った。

 きっとあの鈴の音が、コレットちゃんを悪魔の元へと招き寄せたに違いない。


 父親はコレットを離すと、リョーコとフリッツに向き直った。


「レイラさんから聞きました。あなた方が、コレットを見つけてくださったのですね。怪我もないようで、感謝の言葉もありません」


 レイラは、黙ってにこにことしている。


 そうか。

 レイラさん、ご両親を心配させないために、目の傷の事はあえて伏せていたんだ。

 私たちが目を治すって、信じていてくれたのね。


 リョーコは、レイラにこっそりとピースサインを送った。

 同じく、ピースを返すレイラ。


 涙ぐんでいたコレットの父親は、改めてフリッツの顔を眺めると、おやという表情をした。


「君は……サミー君が襲われた時に、現場にいた少年では?」


 少年の名前を聞いたフリッツの表情が、さっと曇った。


「私も、あの場にたまたま居合わせていてね。あれは、ひどい事件だった。君のことを、サミーの両親が今でも探している」


 フリッツの脳裏に、左胸を深く刺された金髪の少年の顔がよぎった。

 そして、母親の深い慟哭(どうこく)の声も。


 息子を救えなかった僕を、きっと今でも恨んでいるのだろう。

 フリッツはうつむいて、唇をかんだ。


「君に、謝りたいと」


 コレットの父親から続けて出た思いがけない言葉に、フリッツは顔を上げた。


「……え?」


「彼らの息子さん、安らかな顔をしていたそうだよ。身体にも、みにくい傷一つなく。何か君にひどいことを言ってしまったとかで、大変悔やんでいた。君にも、サミーにも、合わせる顔がないと」


「そんなこと」


「もしよければ、君のことを彼の両親に伝えたいのだが。どうだろうか?」


 フリッツは、何も考えられなくなっていた。

 もとより報いとは、自分から求めるものではないにしても。

 僕のしたことは、無駄ではなかったのか。


「……いえ。僕の事は、このまま伏せておいてくれませんか。僕の顔をみると、きっとあのつらい現場を思い出してしまうと思うんです。だから、どうか」


 コレットの父親は黙っていたが、やがて姿勢を正して言った。


「君が、そこまで言うのなら。けれど私は、君がこの街を守ってくれていることを、誇りに思うよ。コレットの事も、本当にありがとう」


 そしてコレットの両親は、彼女を連れてレイラの店を辞去していった。






 リョーコは目を閉じて笑うと、フリッツの背中を肘でどんと突いた。


「よかったじゃん、フリッツ君」


「はい、リョーコさん」


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