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第一三五話 仲間だから

 ロザリンダの私室は、極めて簡素だった。

 華美な調度やぜいたくな嗜好品などは一切ない、よく整頓された機能的な室内。

 実弟のエリアスも彼女の部屋に入るのはこれが初めてであったが、一目見て、彼女が権勢欲や支配欲などに突き動かされて行動したわけではなかったことが分かった。

 やはり、ロザリンダはただ己の虚無を抱え込んでいただけだったのだと、彼は寂しい気持ちになった。 


 エリアスと、彼に付き従っているカレンにメリッサ、そしてリョーコの四人は、なるべく大きな音を立てないようにと気を付けながら、実際以上に広さを感じられるその部屋に足を踏み入れた。

 寝台のそばに引いてある椅子には、マッシュショートの黒髪の女性が座っている。

 リョーコは彼女に近づくと、小さく声をかけた。


「ごめんねヒルダ、そばについていてもらって。ロザリンダさん、変わりなかった?」


 振り向いたヒルダはリョーコを見上げると、笑ってうなずいた。

 寝台の上には、タオルケットをかけられた若い女性が、膝を抱えるようにして横になっている。

 ヒルダが脱がせたのだろう、下着姿の彼女は、安らかな表情でかすかな寝息を立てていた。


「大丈夫、血圧も呼吸も安定してるみたい。まあ、医師のあなたが診てくれた方が安心だけれど、大きな問題はなさそう」


 リョーコは改めて、寝入っているロザリンダを見つめた。

 そのポニーテールは今はほどけて、長い銀髪が白いシーツの上に柔らかく広がっている。

 やはり彼女には、どこかエリアスの面影がある、とリョーコは思った。


 それはそうだ。

 血のつながった肉親なのだから。

 人間の遺伝子はすべての人においてほとんど共通しているのだが、それに加えてさらに多くの部分で、エリアスとロザリンダは共有しているのだから。


 リョーコは寝台のそばにかがむと、ロザリンダの胸の動きを見て、脈をとる。

 ヒルダの言うとおり、彼女の身体的な状態は問題ないようだ。

 ガブリエルに受けた右の肩の傷は比較的浅く、またおそらく彼女が発動していた治癒魔法の効果もあって、それはほとんど目立たない状態にまで治っていた。


 振り向いたリョーコは親友の肩を軽く叩いて、彼女の労をねぎらった。


「ありがとう。後は私が引き継ぐから、ヒルダは休んでて。あなただって、ひどい怪我をしてるんだから。特に、その」


 言い淀んだリョーコに、ヒルダは明るく笑った。

 目の前に掲げて見せた彼女の、右の小指の第二関節から先が脱落しているのが、包帯を巻いた上からでもリョーコにははっきりとわかる。

 ヒルダは大胆にもその右手で、リョーコの頭をぽんぽんと叩いてみせた。


「これのことでしょ? まあ、仕方ないわよ。メリッサ先輩なんか右腕だけで戦っても最強なんだから、いわんや小指程度で。それにきっと、治癒魔法と医学の進歩で、いつか治るんじゃないかと期待してるし」


 リョーコは唇をかむと、真っ白な包帯で包まれたヒルダの右手を握った。

 治癒師でもない私がそんなことをしても、彼女の指が戻ってくるはずもない。


「……ヒルダが、フリッツ君を助けてくれた。あの時、あなたがカウンタースペルをロザリンダさんに投げてくれなかったら、フリッツ君は彼女の『核撃』で消滅させられてた」


 ヒルダが時間を稼いでくれて、ロザリンダは標的を私に切り替えた。

 そしてフリッツ君に業を煮やしたロザリンダは、「核撃」が使えないままに彼の心臓を破壊した。

 結果、フリッツ君は命を失ったものの遺伝子情報を失うことは免れ、復活することができた。


 フリッツ君が記憶を失ってしまったとしても、消滅することに比べたら、はるかに良い結果であることは言うまでもない。

 ヒルダもそれを分かっていたからこそ、あの場で指を失いながらも、魔法を行使してくれたのだろう。


 うつむいたリョーコの頭を、ヒルダが左手で優しく寄せた。

 彼女の黒い瞳は、いつもと変わらず生気にあふれている。


「彼、消滅しなくて本当に良かったわ。フリッツ君にはどこまでもリョーコと付き合ってもらわないと、振られた私が馬鹿みたいじゃん」


 ヒルダ一流の軽口がうれしくて、リョーコは彼女の肩に持たれかかった。

 ヒルダは大きく笑うと、リョーコの腰をぐっと抱く。


「別に、彼のためにやったわけじゃないわよ。そこのところ分かってくれてるわよね、リョーコ?」


「はは。ヒルダのストーカー気質が、わたしゃ恐ろしいよ。でもお金ないから、身体で返すしかないかな」


「マジ⁉ でも、今夜はだめよ。あなた、明日はフリッツ君とガチバトルしないといけないんでしょ? 今度こそ、寝不足なんかじゃ彼には勝てないわよ。お楽しみは、その後で」


 本気とも冗談ともつかないヒルダの喜びように、リョーコは苦笑した。

 その後、か。

 寝不足じゃなくてもフリッツ君には、勝てるかどうかわからないけれど。

 せめて負けないためには、彼女の言う通りにベストの状態で臨むしかない。


「まったくヒルダは、既成事実のように怖い約束ぶっこんでくるんだから。とりあえず代わりに、後で部屋に何か美味しいものでも持って行ってあげるからさ。とにかく、後は私に任せて」


「オーケー。それじゃあお言葉に甘えて、一眠りしてくるわね」


 ふわあ、とヒルダは大きく伸びをすると、ふらふらと立ち上がった。

 負傷もそうだが、彼女の疲労も尋常ではないはずなのだ。


「あの。本当にありがとう、ヒルダ」


「水臭いぞ、親友」


 ヒルダは背中越しに左手をひらひらと振ると、部屋を出ていった。






 リョーコは寝台のそばから立ち上がると、少し身体をずらして、遠巻きに見ているエリアスを手招きした。


「ほら、エリオット君。何、ぼーっと突っ立ってんのよ。あんた弟でしょ、そばにいてやりなさいよ」


 ためらっているエリアスの背中を、メリッサが笑いながら軽く前へと押しやる。

 エリアスは彼女を軽くにらむと、リョーコの隣に立って彼の姉を見下ろした。


「……どうなんだ、リョーコ。起こして確かめた方がいいんじゃないのか?」


 エリアスの懸念については、リョーコには杞憂だという確信があった。

 実際に私たちは、ダウンロードされたロザリンダの記憶がガブリエルを侵食しかけた場面を、目撃していたのだから。

 あの天真爛漫な大天使が、命を賭して彼女を解放した一部始終を、ずっとそばで見ていたのだから。


「ガブリエルが言った通りなら、もうロザリンダさんには、ミストレスとしての記憶は残っていないはず。今はまだ、そっとしてあげてた方がいいんじゃない? 彼女、こんなに幸せそうに眠っているんだから」


 エリアスは寝台のそばにかがむと、ロザリンダの顔をじっと見つめた。

 ついこの間までの彼女の笑顔が、色あせたモノクロの写真のように、彼の頭の中に明滅する。


 何かずっと、(たち)の悪い酒に酔わされ続けていたような気がする。

 だがもういい加減に、それを断たねばならない時が来たようだ。

 もちろん、くだらない夢への依存が強かった分、離脱症状も苦しいものになるだろう。

 俺も、ロザリンダも。

 だが、それは誰も助けてはくれない。

 自分で乗り越えるしかないのだ。


 エリアスは立ち上がると、そのとび色の瞳をリョーコに向けて笑った。

 

「お前はなかなかのの名医だな、リョーコ。整形外科医だって話だが、やっぱり心療内科の方が向いているんじゃないのか?」


 照れくさそうに頭を振る彼には、かつての(かげ)はもう感じられない。

 彼の表情を視診したリョーコは、いい傾向だ、と心の中でうなずいた。

 エリオット君にはもう、医師としての私は必要ない。


「ふん。心が弱っているときは、どんなお医者さんでも名医に見えるものなのよ。それに私、手術の腕は案外悪くないと、自分でも思っているんだけれど」


「はは。お世話にならないように、せいぜい気をつけさせてもらうよ」


 エリアスの軽口に微笑んだリョーコは、ロザリンダに目を落とした。


「それよりもね、エリオット君」


「何だ」


「目が覚めたらロザリンダさんのこと、また姉上って呼んであげて欲しいの。この世界でたった一人の、あなたのお姉さんなんだから」


 私はなぜか、肉親の情には昔から薄かった。

 実際、家族の思い出もほとんどない。

 「記憶の不死」である私の記憶にないのだから、それは本当に存在していないのだろう。

 ひょっとしたら私は、それを持っている人がうらやましいのかもしれない。

 ないものねだり、という奴か。


 エリアスは、そんなリョーコの背中をばしっとはたいた。

 ぎゃあ、とリョーコが女性らしからぬ悲鳴を上げる。


「いったあい。いきなり何すんのよ。セクハラでパワハラだな、王だろうと訴えてやるから」


 リョーコ、お前は本当に馬鹿だな。

 おせっかい焼きのくせして、自分のことだけはまるで見えてねえ。

 もう寂しがる必要なんで、どこにもないだろうが。


「俺と姉上のことなど、余計なお世話だってんだ。ここはもういいから、お前は自分の家族のところに行け」


 家族という言葉をエリアスが使ったことに気付かないほど、リョーコは鈍感ではなかった。

 この王様も、言うようになったじゃない。

 まったく、生意気な奴。


「もう、老婆心から忠告してやってるのに。姉弟喧嘩でもなんでも、勝手にやってなさいよ」


「ああ、そうさせてもらうさ。お前が本当の老婆にならないうちにな」


「ひっどおい。モラハラの罪状も追加ね」






 エリアスはひとしきり笑うと、表情を改めた。


「リョーコ、明日は早く帰ってこいよ。お前が帰ってくる頃には、この国はずっと良くなっている」


「うっそ。そんなに早く?」


 驚くリョーコに、エリアスの隣でやはり笑っていたカレンが、自分の胸を叩いて太鼓判を押した。


「もちろんですよ。何しろ、私とメリッサさんが文武両面でサポートしているんですから」


 お任せください、リョーコ様。

 新しい国づくりは、私たちがここに入城した瞬間から、すでに始まっているのです。

 あなたとフリッツ殿が、後押しをしてくださったおかげで。


 エリアスはついとそっぽを向くと、窓の外の夜空などをぶらぶらと眺め出す。


「そういうことだ。俺たち、お前とフリッツを待ってるぜ。まあ一応、仲間だからな」


 急に愛想のなくなったエリアスを、メリッサが肘で小突く。


「もう、エリアスったら。なんだかんだ言って、フリッツ君がかっこいいのをねたんでいるんじゃないの?」


「馬鹿を言え。容姿にコンプレックスを持つほど、俺は自己肯定感が低くはない」


 二人のやり取りに、笑いが起きた。


 リョーコは微笑むと、右手をエリアスへと差し出す。

 二人は異世界に転生してきてから始めて、固く握手を交わした。


「ありがとう、エリオット君。きっとまた、このお城にお伺いさせていただくわ」


「ああ、気をつけてな」


「了解」


 (きびす)を返したリョーコに、エリアスは片手を挙げかけて、その手を止めた。

 別れなんて、お互い柄でもねえ。

 奴としっかりとけりをつけたら、必ず二人で戻ってこいよ。


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