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第一三四話 凱旋

 郊外の森から王城へと続く街道は、午後の日を浴びて(あめ)色に染まりつつある。

 しかしその牧歌的な光景も、馬上のメリッサの心を晴らすことはできそうになかった。

 ヒルダの伝達魔法によって事の顛末(てんまつ)を知った彼女は、一同を率いて王城へと急行している。


 物事の大多数がそうであるように、良い知らせと悪い知らせがあった。

 良い方がプラス、悪い方がマイナス。

 そんな風に同一線上で比べられるはずもないのは、もちろん分かっている。

 それでもメリッサは、すべての結果を総合すれば、やはりマイナスだったと思わずにはいられなかった。


 いっそのこと、このまま永遠に馬に揺られていられたらいいのに。

 そんな妄想もむなしく、徐々に王城の正門が大きく迫ってくるのを、メリッサは恨めし気に眺めた。


 誰かが門の前で、彼女たちに大きく手を振っている。

 いたたまれなくなったメリッサは、結局「遠見」の魔法は使わずじまいだった。

 一行を真っ先に出迎えたのが、意外にもリョーコだったからだ。


「お疲れ様、みんな。こっちは大丈夫よ。天使たちはどこへ行ったのやら、影を潜めて一匹も姿を見せていないから」


 リョーコは笑いながら、それぞれが馬から降りる手伝いなどを、かいがいしく務めている。

 ようやく下馬したメリッサは、彼女に何と声を掛けたらよいのか分からず、その場に立ちすくんだ。


 フリッツが一度死んで復活し、それに伴って、リョーコのことを含めてすべての記憶を失ったのだという。

 ロザリンダは無力化されたという話だが、それをはるかに上回る損失だとメリッサは考えていたし、それはメンバーの大多数にも共通した思いだった。


 そんなメリッサの力のない右手を、リョーコは両手で強く握りしめた。


「やったわよ、メリッサさん。ロザリンダさんを殺さずに、『不死』を忘れさせることができた。これって、大勝利だよね」


 メリッサが助けを求めて、後ろを振り返った。

 レイラが彼女に小さくうなずくと、リョーコの方へと歩み寄る。


 レイラの姿を見たリョーコは、その表情から笑いを消した。

 張り詰めた弦のような彼女の虚勢も、ここまでだった。

 二人は少しの間、黙ってお互いの顔を見つめていたが、やがてどちらからともなく抱き合った。


「レイラさん。私たち、頑張ったよ。フリッツ君も」


「よくやったわね、二人とも。本当に」


 暮れ行く空を見上げたレイラの目から、大粒の涙がこぼれた。

 リョーコは、ガブリエルという大切な友達を失った。

 そしてフリッツ君は、私達のことを、もはや他人としか認識していない。

 本当に泣きたいのはリョーコのはずなのに、私は母親失格だ。


「難しいわね、リョーコ。だれかを救うって。あなたは向こうの世界で、ずっとこんな仕事をしてきていたのね。自分の心をを削りながら」


 リョーコはレイラの胸の中で、首を振った。

 昔の私は、ただ怖かっただけ。

 誰かを救えなくても悲しむことの出来ない、最低のドクターだった。


 でも、今は。

 ロザリンダを救えたことが、嬉しい。

 フリッツ君を救えなかったことが、悲しい。


 仕事に感情を持ち込むべきではない、と誰かさんは言うかもしれない。

 私に言わせれば、そんなものはお呼びじゃない。

 自分の気持ちを大切にできないのに、他人の気持ちを尊重できるはずがない。


 切断されれば失ってしまうような記憶しかない、綱渡りのように危うい私であるからこそ、自分には正直でありたい。

 私は、私でありたい。






 離れて後方にいたエリアスが、ためらいがちに二人の方へ歩いて来ると、レイラの前で立ち止まる。

 彼はせめて目をそらすまいと懸命に努力しながら、レイラに詫びた。


「申し訳ありません、レイラ殿。俺の力が及ばなかったばかりに、あなたの大切な家族を失うことになってしまいました。俺がロザリンダを倒せていれば、こんなことには」


 レイラはリョーコを離すと、エリアスへと向き直る。

 彼女の表情は、かつてリョーコが家を出ようとしたときに一度だけ見せた、峻厳なそれだった。


「エリアス陛下。あなたはまだ私が寮長だった頃から、まるで成長していないようですね」


「え」


 突然の叱責に、エリアスは面食らっていた。

 そして彼は、どうやら彼女が、フリッツを失ったことについてではなく、彼自身の考え方について怒っているのだということに、ようやく思い当たった。


 エリアスは昔と同じように、直立してうつむいた。

 俺は、いつもそうだ。

 言われて初めて、自分の愚かさに気付く。


 レイラは表情を和らげると、出来の悪い生徒を優しく諭すように言った。


「陛下、あなたは考え違いをしていますよ。ロザリンダ様が生きていることをこそ、あなたは喜ぶべきです。王であろうがなかろうが、誰かの代わりに別の誰かが死んだほうがましだったなどとは、決して考えてはいけません。ましてや、フリッツ君は生きているんですから」


 エリアスは、レイラの言葉に救われていた。

 彼女のそれは慰めでもなんでもなく、リョーコとフリッツの成したことを彼女が誇りに思っている、ただそれだけの事だった。


「……すいませんでした、寮長。俺は危うく、すべてを無駄にするところでした」


 レイラは笑顔を作りながら、頬に残っていた自分の涙をぬぐった。


「分かればよろしい。後の説教は、カレンさんにお任せします」






 二人のやり取りを聞いていたリョーコは、心の中で小さくうなずいた。

 予定とは少し違っちゃったけれど、これでよかったんだ。

 あとは私が、フリッツ君を治療するだけ。

 この「破瑠那」で。


 彼女は振り返ると、ブロンズ色に輝く謁見の塔を見上げた。

 ありがとう、ガブリエル。

 あなたの気持ち、今の私にはよくわかる。


 たとえロザリンダさんが、あなたのことを覚えていないとしても。

 あなたがいたから、今の彼女がいる。

 それは、あなたが彼女と共に生きていることの証に他ならない。


 私も、フリッツ君と一緒に生きていく。

 たとえ自分が、どう変わろうとも。






 夕暮れの風が、サーモンピンクの髪を優しく揺らす。

 リョーコはそれをいとおし気に撫でると、一行へと振り返った。


「それよりも、みんな。こんなところで突っ立っていないで、中に入った入った。新しい王の入城よ、ファンファーレの一つも欲しいところね」


 エリアスが途端に渋面を作った。

 レイラに諭されたばかりの彼は、一同に対する気恥ずかしさもあったに違いない。


「調子に乗るな、リョーコ。第一、俺たちは戦うために、すでに入城していたはずだろうが」


「何言ってるのよ。家臣とともに堂々と凱旋してこそ、王の即位と権威を内外に示せるってもんじゃない」


「いい加減にしろ、俺はそんな形式などいらん」


 そばに侍していたカレンが、笑いながらとりなす。

 彼女は、心の中でリョーコに感謝していた。

 フリッツ殿のことは、彼女にお任せするしかない。

 私たちは、自分たちができることをやっていかなければ。

 ここからまた、始めよう。


「陛下、ノリが悪いですよ。それじゃあ、私とレオニート殿が先頭を務めさせていただきます。レオニート殿、よろしいですか?」


 後方で腕を組んでやはり微笑していたレオニートが、カレンと共に一同の先頭に屹立すると、グレイブを地面に突き立てて一礼する。

 彼もまた、彼の主と家族と共に、失われた時を取り戻す決意を固めていた。


「僭越ではあるが、承った。それでは」


 レオニートは顔を上げると、天に響けとばかりに大音声で呼ばわった。


「新王エリアスの入城である! 願わくば王と王国、そして臣民に祝福あらんことを!」


 朗々と響くレオニートの口上を合図に、エリアスはついに自分の城に帰還した。

 一つの時代が終わり、新しい時代が始まる。

 次元が異なっても、時の流れは誰にも止められない。


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