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第一三〇話 そばにいる、この瞬間

 ロザリンダの手刀にフリッツが貫かれるさまが、リョーコの目にスローモーションのように映る。

 近寄って確かめるまでもなく、彼女にはわかった。

 フリッツ君の中には、私はもういない。


 リョーコは目の前のガブリエルを、とん、と押し戻すと、うつむいたままで「破瑠那」を斬り上げた。

 根元から断たれて宙を舞う自分の左腕を、ガブリエルは呆然と見送る。

 リョーコは一言も口を利かずに彼女の隣を通り過ぎると、幽鬼のようにふらふらとフリッツの元へと歩いていった。


 ロザリンダはフリッツの心臓が完全に停止していることを確かめると、彼の胸に潜りこませた右手を引き抜く。

 黙って近づいてくるリョーコを無表情に見ていた彼女は、後方へと下がって、フリッツの身体からあえて離れた。

 

 ひざまずいたまま動かないフリッツの前にかがんだリョーコは、朱に染まった彼の顔を両手で優しくぬぐった。

 口を半開きにして目を閉じているフリッツは、初めて出会った時と同じように、白磁の彫像のようにリョーコには見えた。


 相変わらずきれいだなあ、フリッツ君は。

 血なんかついてたら、せっかくの美少年がだいなしだよ。


 リョーコは、彼の胸に顔をうずめた。


 これが、私の記憶がなくなったのであれば。

 出会い直しても、私の方から改めて惚れ直すこと、間違いなしなのに。

 君が目を覚ましたら、私のことをまた好きになってくれるかなあ。

 そんなわけないか。

 やっぱり次も、異世界転生者の私を憎んで拒絶するのかな。


 こうなることはわかっていたけれど、せめて私の手で、君の不死を治してあげたかった。

 これじゃあ、一からやり直しじゃない。

 

 リョーコはフリッツの頭を一度だけ両手で抱くと、彼の身体を石の床面にゆっくりと横たえた。

 そして傍らの「破瑠那」を右手でつかむと、立ち上がってロザリンダへと向き直る。

 サーモンピンクの髪を束ねたリボンをほどくと、リョーコはそれを宙へ投げ捨てた。


 ロザリンダは腕を組むと、冷静な口調で彼女に呼びかける。

 

「リョーコさん、もう一度だけ言うわね。私に降伏して、『記憶の不死』を渡しなさい。そうすれば、エリアスとヒルダさんの二人は助けてあげる。あなたを見逃すことは出来ないけれどね」


「……私も」


 リョーコの小さなつぶやきに、ロザリンダがいぶかし気に眉をひそめた。


「え、何?」


「私も、あなたを見逃がすことは出来ない!」


 黒いさやを投げ捨てると、リョーコは吠えながら獣のように飛び掛かった。






 がん、がんと、リョーコは「破瑠那」の刀身をめちゃくちゃに叩きつけた。

 骨化させたロザリンダの前腕が、衝撃に耐えきれずにひび割れて、ところどころから血が噴き出す。


「どうしてフリッツ君を殺したのよ! あなたにとっては取るに足りなくても、私にとっては全てだったのよ!」


 ロザリンダはたじろぎながらも、リョーコの右腕を狙ってこぶしを放つ。

 衝撃で「破瑠那」が彼女の手から離れると、それはくるくると空中を回転しながら飛んでいき、柱に突き立って止まった。

 刀を失ったリョーコはそれにも構わず、ロザリンダに組み付いて彼女の胸を殴り続ける。


「あなたは私たちに、自分を放っておいてくれって言った。それは、私たちのセリフよ。世界なんてどうでもいい、神なんてどうでもいい。ただ、そっとしておいてくれればよかったのに!」


 リョーコはロザリンダの服に爪を立てると、ばりばりと引き裂いた。

 彼女の爪の何枚かは、すでにはがれて失われている。


「いずれ、フリッツ君は私のことを忘れてしまうはずだった。それが今になっただけだと、あなたは笑うかもしれない。けれど、それは全然違う。私、フリッツ君にお別れも言えなかった」


 リョーコを引きはがそうとしたロザリンダの蹴りが、彼女の側頭部をとらえた。

 視界が揺らぎ、吐き気がする。

 まだだ。

 そんな攻撃で、私の記憶からフリッツ君を消すことは出来ない。

 リョーコは歯を食いしばると、ロザリンダのみぞおちに膝蹴りを叩き込んだ。


「フリッツ君と別れる最期の瞬間まで、お互いに笑い合っていたかった。それまでの私の膨大な記憶なんて、その一瞬に比べたら、取るに足りないものだった。それをあなたは、私から奪った!」


 ロザリンダは、明らかに気圧(けお)されていた。

 あの長刀を失った今、この女は何の特殊能力も持たない、徒手空拳のただの人間に過ぎないのに。

 いい加減にあきらめろ、この馬鹿女が。


「だったら、あなたも彼のことを忘れちゃえばいいじゃない。過去の記憶とか、今この瞬間とか、そんなの何の価値もない。未来こそが、自分で思うままに改変することが出来る唯一の自由だ。たかが男への執着など、ここで捨ててしまえ!」


「改変なんて言葉、聞き飽きた! 今もフリッツ君のことが好きだと思う私だけが、本当の私よ。過去も未来もいらない、フリッツ君と一緒にいた瞬間を返せ!」


 リョーコの打撃が明らかに弱まっていくのが、そこにいる誰の目にも明らかだった。

 拳も裂け、息も絶え絶えとなり、もはやロザリンダをつかんでいるのがやっとの状態である。

 それでも彼女は、決して攻撃を止めようとはしない。


「無茶を言うわね、支離滅裂な。これ以上の問答は無用。あなたの『記憶の不死』、もらうわよ」


 ロザリンダは治癒魔法の発動を全開にすると、密着したままリョーコに無数の打撃を放った。

 四肢の力を一度に失ったリョーコは、なすすべもなく仰向けに倒れる。

 広間の天井に描かれたフレスコ画を呆然と眺めた彼女の目から、涙が流れた。


 返してよ、ロザリンダ。

 フリッツ君を私のところへ。

 今すぐ。


 リョーコをにらみつけたまま荒い息を吐くロザリンダの右腕に、赤い光がともり始めた。


「……どうやら、ヒルダさんのカウンタースペルの持続時間が終わったみたいね。『核撃』が戻ってきた」


 ロザリンダはようやく余裕を取り戻すと、値踏みするように、リョーコとフリッツを交互に見た。


「あなたの腕を落とすのが先か、彼を消滅させるのが先か。御覧の通り、私は悪趣味だからね。彼氏さんの方を先にやらせてもらおうかな」


 嫌だ。

 私のことを忘れてしまったとしても、一緒にいるんだ。

 消滅なんて、させない。

 リョーコは仰向けのまま、フリッツの方へと手を伸ばした。

 

 リョーコの最後の抵抗を一顧だにせず、ロザリンダは目を細めると、フリッツの頭部へと狙いを定める。

 周囲の空気がゆがみ、魔力が彼女の指先の一点へと収束し始めた。


「だ、め」


「こいつさえ消してしまえば、『完全な不死』となれるのは私だけとなる。すべての次元の者たちよ、唯一輝く我が星を自らの道標として仰ぎ見よ!」


 涙ににじんだ視界の中で、リョーコは見た。

 「核撃」を放とうとしたロザリンダの右肩を大きく切り裂いた、銀色に輝く巨大な長剣を。

 その剣が「ヘヴンズ・ヒロイニック・ブレード」という名であることを、アカシック・レコードからダウンロードすることによって、彼女は思い出した。






「ねえ、ミストレス様」


 ノートに目を落としたままのロザリンダの顔を、ガブリエルが下から覗き込んだ。

 ロザリンダはペンを走らせながら、横目でちらりと大天使の顔を見る。


「うん、なあに? ガブリエル。私、治癒魔法の勉強で忙しいんだけれど」


「そんなこと言わずに、お話付き合ってくださいよお。天使って、いつ突然に崩壊するかわかんないんですから」


 ロザリンダは苦笑すると、ノートをぱたんと閉じた。


「そう言われちゃあ、あなたを創造した私も、多少の良心の呵責を感じちゃうわね。仕方ない、言ってみなさいな」


 ガブリエルは小躍りして喜ぶと、目を輝かせて質問を始める。


「あのですね。私って、もともと人間だったんですよね?」


「ええ、そうよ」


「どうして私を、大天使に選んでくれたんですか? 私、天使になる前の記憶があいまいで。ミストレス様の目に留まるような、素敵な女の子だったんですか?」


 ロザリンダは腕を組むと、くすくすと笑った。


「そうねえ。天使になる前から、あなたって、いろんなことを知っていたわ。たくさんの人の、いろいろな知識を。だから私、あなたと一緒にいたら、退屈しないだろうなあって」


「へえ、そうなんですか。私って、そんなに物知りだったんですねえ。特に勉強したような記憶も、もちろんないんですけれど」


 コラージュのようにつぎはぎの記憶。

 自分が異世界転生者であり、なおかつ様々な記憶の断片をつなぎ合わせて生きていることを、ガブリエルは知らない。

 そんな彼女を、ロザリンダは穏やかなまなざしで見つめた。


「ふふ、いいじゃない。生まれつきだってことで」


 ガブリエルは笑顔を引っ込めると、上目遣いで申し訳なさそうにロザリンダの顔色をうかがう。


「でも結局、私といてもミストレス様は退屈しています。だから『不死』になって、ずっと世の中のことを見ていたいんでしょう? いつまでも退屈しないように」


「さあ、どうなんだろう。自分でもよくわからないわね。まあ、漠然とした期待があるだけなんだけれど」


 ガブリエルは、がっくりとうなだれた。


「私、あまり役に立っていませんよね」


 ロザリンダは別段彼女を慰める風でもなく、さらりと言う。


「別に役に立ってもらおうなんて思って、あなたを大天使にしたつもりはないのよ。自慢するわけじゃないけれど、私、大抵のことは自分独りでできるから」


「じゃあ、どうして」


 ロザリンダは首をかしげると、窓の外を見た。


「あなたがそばにいてくれそうな、気がしたから」


「へ」


 ロザリンダは閉じたノートを再び開くと、挟んでいたしおりをはずしてペンを取り上げる。


「もういいかな、勉強に戻っても」


「は、はい」


 ぱたぱたと立ち去りかけたガブリエルが、くるりと振り向いた。


「ミストレス様。私、頑張ります!」


「ああ、そう。まあ、適当にね」


「はい、適当に!」

 

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