第一ニ九話 イニシャライズ・アンド・リブート
がん、がん、と、硬質な音が広間の壁に反響する。
ロザリンダが放ったストーニィ・バースト、礫撃の魔法による連弾は、そのほとんどが、フリッツの影すらも捉えることができずにいた。
稀に彼の体に届くものがあったとしても、それらはことごとく、フリッツの振るう魔剣でいとも簡単に叩き落されている。
「……速いね。呪文では、とても対応できないか」
攻撃魔法に固執することの危うさを、ロザリンダは戦闘を開始した早々に悟った。
自分の予想を上回る巧妙さで、奴は治癒魔法を使いこなしている。
フリッツは急旋回すると、「スプリッツェ」を逆手に持って斬り上げた。
硬い手ごたえとともに、斬撃の軌道がそらされる。
ロザリンダは治癒魔法で左腕をとっさに骨化させて、すんでのところで刀身を受け流していた。
「ロザリンダ、もうあきらめろ。『不死』など人間には扱えない。お前の人生を惑わせ、狂わせるだけだ!」
ロザリンダは右手の爪を伸長させて五条の刃を形成すると、大きく身体をひねりながら突きを繰り出す。
フリッツの頬がすぱりと切れ、少し遅れて血が吹き出した。
ロザリンダの瞳が、フリッツの血と自分の憎しみを映して、深紅に染まる。
「だから、人間を捨てると言っている! お前こそ捨てる覚悟もないのなら、素直に私に『不死』を渡せばいいものを」
何を言っても無駄か。
もう、倒すしかない。
リョーコさんには申し訳ないけれど、優しさだけで人は救えない。
それでも、せめて彼女の手を汚してはいけない。
僕が、やるんだ。
それがリョーコさんに対する僕の、せめてもの償いだ。
フリッツが、ロザリンダの指ごと彼女の凶器を切断する。
そして剣をふるった勢いもそのままに、硬化させた皮膚で固めた拳を彼女に叩き込んだ。
衝撃の全てを吸収しきれずに、ロザリンダの腹部が大きくへこむ。
彼女の顔が苦痛と怒りにゆがんだ。
「よこせ、お前の不死を! それだけで私は、幸せになれる」
取り憑かれたようなロザリンダの頬に、フリッツの蹴りがめり込んだ。
「なれるか! 何かにすがった幸せなんて、続かないに決まっている。怨念に頼り切ってきた僕の復讐が、ついに続かなかったように!」
カウンターで打ち込んできたロザリンダの鉄拳をいなすと、フリッツは彼女の胸に肘鉄を突き込んだ。
大きくのけぞったロザリンダの口の端から、赤い血が糸を引いて流れる。
度重なる攻撃魔法の使用と、フリッツとの格闘中に常に治癒魔法を発動し続けている影響で、ロザリンダの動きははた目にもはっきりとわかるほどに鈍っていた。
彼女の目に、焦りの色が浮かぶ。
「ここまできて、あきらめられるか。私の幸せがみんなの幸せをも、きっとつれて来てくれるはず」
かみ合わない会話。
フリッツは雑念を振り払うように、「スプリッツェ」を構えた。
「あなたを殺して、僕も罰を受ける。これで終わりだ!」
フリッツの魔剣がロザリンダの頭蓋骨を割ろうとした、その瞬間。
彼女の周囲だけ、時間の流れが変わった。
血で固まった銀色の髪を顔の前から払いのけながら、ロザリンダは薄く笑った。
今の彼女には、フリッツはほとんど止まって見えている。
「時間停止、というには大げさだけど。お前にはスロー、私自身にはヘイストの魔法。さらに、治癒魔法自体をブーストしたことによる反応速度の強化。この三つを重複させれば、私の体感時間はお前の八十一倍の速さにもなる。すなわち、お前の動きは私の八十一分の一」
ロザリンダの両の手刀が、青白い光を帯びた。
ディメンジョン・フォールト、次元断層。
「こんなことを私が言っているのも、お前には聞き取れないでしょうけれどね。消耗がひどくて、私の時間でいえば十秒程度しか持たないけれど、それで十分」
ロザリンダは両手を左右同時に振り上げると、並行世界を含むすべての次元をその軌跡で切断した。
フリッツの両腕を一本ずつ、それぞれを両手につかんだ彼女は、ゆっくりと彼に背を向ける。
そして、ロザリンダの呪文が解除された。
ガブリエルとつばぜり合っていたリョーコは、青い粒子を散らしている「破瑠那」の刀身越しに、その光景を見た。
いままさにとどめを刺そうとしていたフリッツが、一瞬後には、彼に背を向けたロザリンダの前にひざまずいていた。
そして遅れて、フリッツの両肩から赤い奔流が宙へと吹き出す。
苦痛に満ちた絶叫。
リョーコの方を見てにやりと笑ったロザリンダは、両手に持ったフリッツの腕を、これ見よがしに掲げて見せた。
今まさに獲得したトロフィーのように。
「『肉体の不死』の変性遺伝子が含まれたサンプルは、しっかりいただいたわよ。これでもう、この可愛い美少年君に用はないわ」
「……あ」
何が起こったのか理解できないリョーコは、あまりの衝撃に言葉を続けることもできない。
ロザリンダは満足そうにうなずくと、芝居がかった動作でフリッツを振り返った。
「後は私の『核撃』で、彼を遺伝子ごと消滅させるのみ」
ロザリンダは切断した二本の腕を床の上に丁寧に置くと、自らの右腕をフリッツの頭部へと差し出した。
彼女の指が赤く発光し、周囲の空間に同色の粒子を散らし始める。
「やめて、ロザリンダ! フリッツ君が死んじゃう!」
リョーコの叫び声に、ロザリンダは一瞬きょとんとした後、顔を上げて爆笑した。
「いいじゃない、それがあなたたちの望みなんでしょ? しかも今回は、かりそめの死じゃなくて、本物の死。これで彼にもようやく、永遠の安息が訪れるわけだ。むしろ祝福してあげてよ、リョーコさん」
怒りのあまり突進しようとしたリョーコを、ガブリエルの斬馬刀が押し戻す。
「どいてよ、ガブリエル! どかなきゃ、あなたを殺す!」
リョーコは、彼女の顔を平手で殴った。
頬を張られたガブリエルは、唇を強く引き結んだまま、それでも首を横に振る。
部下のアシストに満足したロザリンダが、フリッツに向けて右手を高く差し上げた。
両腕を落とされ、ひざまずいているフリッツは、うつむいたまま動かない。
「やだあ、フリッツ君!」
リョーコの悲痛な叫び声に重なって、別の声が和した。
「君、路の対なる円輪を反旋せよ!」
凛とした声とともに、ロザリンダの腕から放たれようとしていた赤い光が、雲散霧消した。
そこにいた人々の意識がフリッツに集中している隙をついて、ヒルダが呪文を放ったのだった。
「! カウンタースペルか!」
ロザリンダへと延ばしたヒルダの右の小指が、ぱきりと折れて地面に落ちる。
凍った彼女の肉片が、堅い石の床に当たって、かちんと乾いた音を立てた。
「……封魔の呪文を、あなたの両腕に集中させた。これでしばらくあなたは、『核撃』を発動することは出来ないわよ」
ちっというロザリンダの舌打ちとともに、ヒルダの身体が地面に押し付けられた。
グラビティ、重力倍加。
カウンタースペルは特定の呪文を完全に封じることが出来るが、その強力さゆえに、指定した呪文以外には全く効果がない。
だがこれで、フリッツが崩壊することだけは防げる。
ロザリンダは、憎々し気にヒルダをにらんだ。
「小賢しいわね、だからどうだというの。リョーコさんの腕ももぎ取ってから、後で改めて、二人まとめて『核撃』で消滅させてあげるわ。順番が入れ替わっただけで、私の望む結果には何の影響も与えない」
ヒルダは、口の中に入り込んだ砂をかみしめた。
確かに、彼女の言う通りだ。
指一本を失ってようやく得たのは、ほんのわずかに時間が稼げただけ。
これで一体、何が変わるというのか。
ロザリンダは、ゆっくりとリョーコに向き直った。
「リョーコさん、良かったわね。腕だけだけれど、あなた、フリッツ君と一つになれるわよ。もっともその後で、二人とも私の一部になるんだけれどね」
ガブリエルを押し返しながら、リョーコがようやく声を絞り出した。
「……どうして、こんなことするのよ。人の気持ちがわからないあんたなんかが星になったって、どこの誰が有難がるっていうのよ」
「ふふ、やっと私を憎んでくれたようね。ようやくわかった? 世の中には、あなたの思い通りにならないことさえもあるのよ。ピンク髪のラッキー・ガールさん」
リョーコの方へと踏み出しかけたロザリンダの身体が、急に大きく傾いだ。
両腕を失ったフリッツが、それでも残る力を振り絞って、足払いを彼女にかけていた。
「僕の彼女を傷つけることは、許さない」
後ろを振り返ったロザリンダから、すうっと表情が消えた。
「許さない、か。見せつけてくれるわね。とりあえず君、いったん死んでてくれるかな」
言うが早いか、ロザリンダは手刀をフリッツの左胸に突き入れた。
体内で彼の心臓を探り当てると、一息に握りつぶす。
フリッツは、自分の中で決定的な何かが失われるのを感じた。
あの時と同じだ。
アンブローズ先生に高空から落とされ、岩盤に叩きつけられた時の、吸い込まれるような暗黒。
死が、確実に近づいてくる。
「……リョーコさん」
フリッツは奈落の底へと落ちていきながらも、彼女の名前を呼び続けた。
しかし彼の最期の抵抗もむなしく、フリッツの中にある変性遺伝子は、その役目を無慈悲に、忠実に果たしていく。
それまでの生命の灯は、過去のものとなり。
彼の中で、初期化と再起動が始まった。