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第一ニ三話 ランダムアクセス

 冷たい石の壁に背中を預けて、少女は一人膝を抱えてうずくまっていた。

 きれいな長い金髪が床についてしまっていることを(かえり)みる余裕すら、今の彼女にはない。

 じじ、と鈍い音を立てるろうそくの灯りを見つめながら、ガブリエルは自分のため息の数を、ただ数えていた。


「あー、どうすっかなー」


 どうするもこうするも、あの二人を拘束して、遺伝子を奪って。


「ミストレス様、それだけで十分じゃないですか。何も、殺さなくったって」


 しかし恐らく、我が主はそれを何の躊躇(ちゅうちょ)もなく行うだろう。

 私が二人を無力化したところを、ミストレス様が「核撃」で、彼女たちの変性遺伝子ごと肉体を消滅させる。

 そこまでして初めて、彼女の願いは成就する。


 あの二人が生きていれば、また別の「完全なる不死」が生まれる可能性があるから。

 星がたくさん誕生してしまえば、その中の一つだけを見つめてくれる人は、限りなく少なくなってしまうだろう。


「まったく、不死なんて生み出したのはどこのどいつよ。なまじ手が届きそうだから、欲しくなっちゃうんじゃない」


 沈み込んだ彼女の独り言に合わせるかのように、歌うような男の声が続いた。


「まったく同意見ですね、お嬢さん」


 ガブリエルははじかれたように顔を上げると、部屋の隅に目を凝らした。

 暗がりの中から滲み出してきたかように、たたずんでいる人影。


 水色のスーツに、トリコロールのネクタイ。

 青いアイシャドウ、赤い口紅。

 逆立った金髪。


 マジか。

 何の気配も感じなかった。

 ガブリエルは内心の驚きを隠しながら、片膝を立てて不意の訪問者をにらんだ。


「誰よ、あんた。なかなかいかした格好だとは思うけれど、それだけで無邪気に喜ぶほど、あたしは安くはないわよ」


 おお、と男は喜色を現しながら、細長い指を立てた。

 

「おほめにあずかり、光栄至極です。あなたはミス・リョーコに比べると、どうやら美的センスに長けているようですね」


 彼に対するガブリエルの第一印象はもちろん、嫌な奴、である。

 リョーコと私が知り合いになったのなんて、ほんの数日前なのに。

 自分が何でもお見通しだと言外にほのめかして、いきなりマウントを取りに来るとは。

 この針金のような男は、私が驚くことを楽しんでいる。


「リョーコの知り合い? あいつも、少しは友達を選べっての。それにしても、グラム・ロックか。私の好みはニューウェイブかジャンクなんだけれどね」


「いい趣味です。それにあなたのその知識、さすがですね。異世界転生者で、なおかつ天使に改変させられただけのことはあります」


 ついに彼女の顔に、隠しきれない衝撃が走った。

 相手の策にまんまとはめられているようで、悔しさにガブリエルは唇をかむ。


 私はミストレス様に造られた、いうなれば人形。

 人形がどのようにして造られたかなど、人形自身には意味がない。

 ただ所有者を慰めるだけが、その役割のはずだ。

 その私を、こいつは異世界転生者と呼んだ。






「……見透かしたようなことを言うわね。あんたこそ、異世界転生者ってわけか。私のこと、どこまで知ってるの?」


「私は転生者ではなく転移者ですが、まあそれはよいとして。どこまで知っているのかと問われれば、少なくともあなたよりは、と答えさせていただきましょう」


 そりゃあそうよね。

 私より知っているのは当たり前、私は何も知らないんだから。

 天使になる前の私がどんな人間だったのかなんて、覚えてもいないし、教えられてもいない。

 そんなもの、自分の足かせになるだけだしね。


 そんなふうに、ずっと思っていたのに。

 どうして、こんなにも心が乱れるのだろう。

 くそう、こいつの精神攻撃は私に効く。


「我思うゆえに我あり、デカルトね。確かなものなんて何もない。確かなものを探し続けている私が、ただここにいるってことだけ。あなただって自分のことなんて何も知らないでしょう、ミュージシャン?」


 精一杯強がってみせるガブリエルに、グラム・ロックの男が追い打ちをかける。


「ほう。しかしあなたは、確かなものを探すことすら、ままならないのではありませんか? あなたは、自分の記憶がてんでばらばらであることに苦しんでいませんか? どのイメージが自分本来のものなのか、理解していますか?」


 ガブリエルの額に、汗がにじんだ。

 反論が必要だ。

 私が自分の存在に(すが)り付くための。


「ははっ。私は天使に改変される過程でノイズが入って失敗したって、ミストレス様が言ってたわ。だから、様々な記憶が入り混じっていても不思議じゃないし、自分が本来どんな人間だったのかわからなくても驚かない。それでも生きているんだもの、ミストレス様に感謝こそすれ、恨む筋合いはないわ」


 男は、くく、と低く笑った。

 何度もリョーコに見せてきたように。


「なるほど、あなたはポジティブですね。少しはミス・リョーコにも見習ってほしいものです。ですが、ミス・ガブリエル。あなたの記憶に異世界由来のものが混ざっているのは、どういうわけでしょうね? あなたの言葉に出てきた、デカルトしかり」


 確かに。

 私はこの世界に存在していないものを、知りすぎている。

 でたらめな知識が、何の脈絡もなく浮かび上がってくるのだ。

 そしてその一つ一つが私の行動の指標となっているのに、私の人格というものは一向に一貫したものになろうとはしない。

 記憶の、ゲシュタルト崩壊。


「そこまで理詰めで話されちゃあ、認めるしかないようね。私も異世界転生者だったっていう、あんたの言葉。もっとも、そんな事どうでもいいけれどね。天使だろうと異世界転生者だろうと、私がなすべきことに何の変りもない」


 グラム・ロックの男は枯れ枝のような両腕を組むと、赤い唇の端をわずかに吊り上げた。


「私の話、もう少し聞いてみますか? あなたにとっては、そこまで楽しい話ではないかもしれませんが」


 ノーサンキューよ、と即答できない自分に、ガブリエルは戸惑った。

 そしてなぜか彼女の頭の中に、リョーコの姿が浮かんだ。


 彼女はつたないなりに、自分がどんな人間かを私にぶつけてきた。

 だから本気でけんかを吹っかけてきたし、仲直りもできた。


 私とは、いったい何なのか。

 リョーコと全力でぶつかろうというのであれば、私は自分のルーツを知っておくべきではないのか。

 こんなふわふわな気持ちでは、彼女と戦えない。


「あなたに楽しいおしゃべりなんて期待していないから。……続けて」


 期待通りの返事に満足したのだろう、男は待ち構えていたかのように話を再開した。


「それでは遠慮なく。あなたの記憶は、そのほぼ全てがあなたのものではありません。借りものです」


 一瞬の沈黙。

 ガブリエルは、グラム・ロックの男を嘲笑した。

 一笑に付さなければならなかった。


「はっ、何を言うかと思ったら。私が異世界から転生してきたってんなら、デカルトも前世の私の記憶でしょ? それだって、私のものに変わりはないわ」


「いえ。あなたの前世での記憶は、すべて消去されています。あなたのオリジナルの記憶は、あのロザリンダに天使に改変されてから三年余りの、ごく短期間のみです」


「馬鹿言わないで。じゃあ、私の記憶は一体誰のものなのよ」


「さあ、誰でしょうねえ。私もそこまでは把握できておりませんが」


 まずい。

 この男の言葉は真実だ。

 なぜかそれが、直感でわかる。

 聞いてしまえば、もう後戻りはできない。


「ふざけるのも大概にしなさいよ、この言葉を(もてあそ)ぶ亡霊が。どうやら、ぶった斬ってやらなきゃわからないようね」


 気色ばむガブリエルを、男は両手で制した。


「斬られようが何をされようが、私にわかるわけがありません。あなたの記憶は、この銀河のどこかにある記憶媒体、いうなればアカシック・レコードから、ランダムにダウンロードされているんですから。何十億という人間の記憶の中から拾い上げられる断片の一つ一つを特定するのは、さすがの私でも困難ですし、それに意味があるとも思えませんからね」


 ランダムに、ダウンロード。 

 奴の言うことが事実ならば。

 本当の私なんて、どこにもいなかったことになる。


 ガブリエルは頭をかきむしると、狭い石室の中で長い悲鳴を上げた。


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