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第一〇六話 スターゲイザー

 夜の森は暗い。

 広いリビングの中では、壁それ自体がオレンジ色に淡く発光して、室内の空間全体を幻想的に浮かび上がらせている。


 夕食後の食器洗いを済ませたエリアスは、キッチンから出て来るなり、ぐったりとソファーに座り込んだ。

 それを見ていたカレンは、独り可笑しくなった。

 陛下ったら、俺にできることはこのくらいだなんて言って、お皿を洗ったりなんかして。

 まったく、妙なところで律儀な方だ。


 彼女の視線を感じたエリアスが、横目でじろりとにらむ。


「何だ、カレン。俺の顔に何かついているか?」


 カレンは少し意地が悪くなって、微笑みながら彼の顔をじっと見つめた。


「いいえ、何でも。眼鏡をかけていないお顔にも、慣れておきませんとね」


「なんだそれは。そんなことよりも、これからどうするかを決めないとな。メリッサ、君の意見は?」


 二人のやり取りを眺めていたメリッサが、あきれたようにため息をついた。


「どうするも何も、エリアスとカレンさんは動いちゃだめよ。あなたたち鈍感だから、こうして平気な顔して会話しているけれど。二人とも、めちゃくちゃ重症じゃない」


 確かにメリッサの言う通りだった。

 戦闘中であればこそ二人とも自覚することはなかったが、ヒルダの家にたどり着いてみれば、痛みと疲労で立つことすらままならない状態である。

 まったく、皿洗いなどやっている場合ではない。


 ソファーの上で両膝を抱えていたヒルダも、うなずいて同意を示す。


「治癒師のいない今の私たちにとって、これ以上の負傷は文字通りの命取りです。この隠れ家も、絶対ではありませんし。移動もできない身体だと、この場所を見破られた時点でアウトです」


 メリッサは唇をかんだ。

 やはり、ジェレマイア様が最初に倒されたのは、大きな痛手だった。

 治癒魔法。

 戦略級の重要性を持つ、恐るべき力だ。


「治癒師かあ。リョーコさんの彼氏のフリッツ君ってのが、治癒師なんでしょ? 彼が戻ってきてくれればなあ」


 メリッサがフリッツの話題を振ったことに、エリアスは幾分むくれた。


「それについては、アバドンを差し向けてはいるのだが。いまだに連絡はないしな、当てにするわけにはいかん」


 メリッサが、ヒルダをちょいちょいとつつく。


「ねえ、ヒルダさん。フリッツ君って、どんな感じなの? 私、名前はよく聞くけれど、まだ会ったことないのよねえ。剣技が凄腕だってのは知ってるけれど」


 何気なく尋ねる彼女の表情には、裏や陰は全くない。


 実はメリッサ自身は、因縁浅からぬはずのフリッツのことを、もはや全く覚えていなかった。

 彼女のかつての婚約者イアニスを一刀のもとに惨殺した、あの黒衣の美少年のことを。

 それどころか、イアニス自身の面影すらも、すでに形をとどめてはいない。

 彼女の心の中にわずかに残されている記憶といえは、左腕を斬られた痛みと、すべてを灰にした魔法の業火のみ。


 裏切られ絶望した際の精神的なダメージによるものか、あるいはジェレマイアに悪魔に改変されたことによる副作用なのか。

 だが、偶然かもしれないその事情は、すべての関係者にとって幸いであると言えた。

 たとえ今のメリッサが、かつてのフリッツの行状を許せるような心境に変化していたとしても。

 これ以上彼女が過去に苦しむ必要があると思う者など、誰もいないに違いないであろうから。

 

 ヒルダは苦笑しながら、お手上げといったように肩をすくめた。


「すっごく素直ないい子です、復讐の鬼であることを除けば。なにより、めちゃ美形で可愛い。それについては、私もメリッサ先輩も、まったく足下にも及ばません」


 なんと。

 強くて性格がいい美形などというものが、本当にこの世に存在していたとは。

 そんなチートな奴を、我々悪魔は相手にしていたのか。


「マジ? カレンさんじゃなくてフリッツ君にエリアスを取られたら、私ショックで餓死しそう」


 隣のカレンも、メリッサに吹き込まれた恐ろしい妄想で、顔を真っ青にしている。

 くだらない話題にあきれたのか、不機嫌そうに立ち上がろうとしたエリアスは、両足の痛みに顔をしかめて再び座りなおした。






「とにかく、ここでただ黙って休んでいるわけにもいかないだろう。俺たちを倒さなくても、ただこの森から出さなければ、奴らはそれでいいんだからな」


 ヒルダが、初めて深刻な表情を見せた。


「まさしくそうです。ロザリンダにとっては、私たちの生死などどうでもいい。彼女は、リョーコとフリッツ君の『不死』だけを狙っていますから」


 エリアスは銀色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら、いら立ちをあらわにした。

 俺たちが彼女の正体を知った今、ロザリンダは即座に行動に出るだろう。

 リョーコたちが真実に気付く前に不意打ちをかければ、それだけ目的の達成は容易なものになる。


「奴ら、すぐにでもリョーコたちを襲撃するぞ。ロザリンダの陰謀を、何らかの方法で彼女たちに知らせないと」


 ヒルダは、組んだ両手に形のいい顎をのせた。

 壁の一点を見つめたまま、絶えず思索を巡らせ続けている。


「その点については、とりあえず手は打っています。あらかじめ、自警団の知り合いに手を回しておきましたから。王城に変化があれば、すぐにリョーコたちに連絡してもらう手はずになっています」


 エリアスは、おや、という顔をした。


「自警団といえば、リカルド元特務軍曹の指揮している一団だな。まったくあのおっさんときたら、軍をやめても相変わらずの強さだった」


 エリアスもまた、悪魔アバドン、かつてのレオニートから、彼の親友であったリカルドについてのうわさ話は聞いていた。

 レオニートとリカルド、そしてレイラの三人が指揮していた特務部隊は、王国の陰の切り札ともいうべき存在だったのだ。

 もし彼らが今も軍属であったならば、みすみすこんな事態に陥ることもなかったのにと、エリアスは今更ながらにほぞを噛んだ。


「そうでした、陛下はアドラメレク戦の際に、リカルドさんと戦ったんでしたっけね。正確には彼の部下の方に、リョーコたちの身辺警護を依頼しています。『核撃』を付与した武器を所持していますので、必ずや、リョーコたちの助けになるかと」


 ふうむ、とエリアスはうなった。


「だがそれにしても、多勢に無勢だろう。レイラ殿は強力無比だが、俺はポリーナが心配だ。奴らは必ず、弱点を突いてくる」


「ええ。ですから、私が行こうと思います」


 ヒルダは目を軽く閉じて、自分の胸に手を当てた。

 それを見たメリッサが、勢いよく立ち上がる。


「それじゃあヒルダさん、私も。私の身体は、回復が早いからね。足の状態はもう少しだけれど、魔法の行使には問題ないわ」


「先輩は、陛下とカレンさんと一緒に、お留守番です」


「どうしてよ」


 つれないヒルダの返事に、ぶーたれるメリッサ。


「先輩、何を聞いていたんですか。この家を天使たちの目から隠し通すためには、常にライフ・フォースを供給し続けなければいけないんですよ。私と先輩が一緒にこの家を出たら、たちまち『隠蔽』の呪文が解除されて、敵の察知するところとなります」


「あ、そうだった。でもそれだったら、ヒルダさんが留守番でもいいんじゃない?」


 ヒルダはメリッサを鋭くにらみつけた。


「私は、リョーコを助けに行きます。いくら先輩でも、これは譲れません」


 おお、怖。


「はいはい、分かったわよ。でも、気を付けてね。ミカエルとラファエルってのは倒したけれど、三大天使をなぞらえたものだとすると、ガブリエルってのがどこかにいるはずだから」


「それは私も気になっていました。きっと、いるでしょうね。どこで何をしているのかは知りませんが」


 だがたとえ、大天使だろうと何だろうと。

 リョーコを傷つけようとする奴は許さない。


「それでは陛下、夜明け前にここを()とうと思います。先輩、お願いしますよ。これはきわめて重要な役目です。リョーコたちが避難してくるとしたら、ここしかないんですから」


「オーケー、我が後輩。あなたたちが帰ってきたときに、ここが無事であることは、私が保証するわ」


「それと。カレンさんとけんかをするのは、厳禁ですよ。まあその原因のほとんどは、陛下にありそうですが」


 驚いた表情のエリアスが、躍起になって反論する。


「ばかな、なぜ俺なんだ。まったく納得いかん」


 はあーっとヒルダが、ばかでかいため息をついた。


「そういうところですよ、陛下」


 なるほど、こりゃあ筋金入りの鈍感男だ。

 カレンさんも先輩も、苦労するわね。






「ただいま戻りました、ミストレス様」


 白装束の少女騎士が長い金髪をなびかせながら、がらんとした王の間を一人歩いてくる。

 彼女は玉座の前でひざまずくと、うやうやしく頭を垂れた。


「おかえりなさい、ガブリエル。……ふうん、手ぶらか」


 玉座に座ったロザリンダの声には、責める調子は全くない。


「申し訳ありません。フリッツなるもの、意外に手ごわく」


 ロザリンダは口に手を当てると、ころころと笑った。


「いいのよ。どうせあなたのことだもの、馬鹿正直に一騎打ちなんて挑んで、取り逃がしちゃったんでしょう?」


「面目次第もございません。なかなか気持ちの良い男だった故、つい」


「構わぬ、面を上げよ。それにしても、うらやましいわね。私には、そのような人の心の機微というものが、まったく分からない」


 玉座を見上げたガブリエルの瞳は、優しさに満ちていた。

 まるで、本物の天使であるかのように。


「それでもミストレス様は、私の勝手なふるまいをいつもお許しになられます。私はあなた様のご好意に甘えてばかりの、至らぬ臣下です」


「それはむしろ、私の方でしょう。文字通り、私には何の人間的魅力も備わってない。まあ、当り前よね。そんな私にお前がそこまで尽くしてくれるのは、私がお前の創造主だから?」


「私は、ミストレス様の夢を壊したくないのです。ミストレス様は、星になられたいのでしょう? 誰にも手の届かない、しかし誰もがその姿を見上げる、天空の星に」


 そう言われたロザリンダの方が、むしろガブリエルの顔をまぶしそうに見ていた。

 星は見られることはあっても、星自身は何も見てはいないのではないだろうか。

 ロザリンダはそうは思ったものの、その考えをガブリエルに話そうという気にはならなかった。


「へえ、そういうことかあ。ガブリエル、あなたって意外と詩人ね」


「星を輝かせるには、それに憧れる人の想いが必要です。わたしは、それになりたい。ミストレス様が輝くことで、私は自分の気持ちを確かめることが出来ます」


「そうね。対象は自分を映し出す鏡。すべての人々がそうやって、私を介して自分自身を省みてくれれば、私も少しは役に立つってものね。それに喜びを感じることが出来ない自分が、返す返すも残念だけれど」


 ガブリエルは思い直したように、右の握りこぶしをぐっと突きだした。


「次こそは、必ずや『不死』を手に入れて見せます。私の熱血バースト魂で」


 彼女に合わせてロザリンダも、こぶしを固めて突き出して見せた。

 二人のこぶしが、軽く触れあう。


「そうそう。私の前でもかしこまったりしないで、そうやってはっちゃけてればいいのよ。ミカエルもラファエルもいなくなって、急に静かになっちゃったからね。私たち二人だけでも、陽気に行きましょ」


 ガブリエルは、満面の笑みを作ってみせた。

 この方は、これでいい。

 寂しさも悲しさも、感じるのは私の役目だ。


「イエッサー、マイ・ミストレス。それじゃあ、次はリョーコって人のところに行ってきます。天使たち、お借りいたしますよ」


「ああ、それならすでに出動しちゃってるけれど。エリアス達が体勢を立て直さないうちに、とっとと進めておかなきゃと思って。今頃はもう、突入しているころかな」


 ガブリエルは、げーという顔をした。


「えー、そりゃあないですよ。私から戦闘取ったら、ただの痛い奴です」


「だってあなた、いつ帰ってくるかわからなかったし。まだ間に合うかもよ、今からでも行ってらっしゃいな」


「そうですね。うっしゃー、やる気出てきた! そのリョーコとやらを実力で排除して、フリッツ君をゲットだぁ!」


「こらこら、排除しちゃだめでしょ。生かしたまま丁重に、ここへ案内してくるのよ」


「あ、そうでした。善処します」


 ガブリエルは勢い良く立ち上がると、白いチェニックの裾をひるがえして、勢いよく駆け去っていった。


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