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第一〇五話 森の中の隠者

「どうだった、カレン。王都までたどり着けそうな間道はあったか?」


 ソファーに座ったエリアスは顔をしかめながら、四肢の傷をさすっている。

 丁寧に巻かれた真新しい包帯の白さが、疲労している彼の目に染みた。


「厳しいですね、陛下。森の出口はどこも天使たちで固められていて、蟻のはい出る隙もないという感じです」


 一回り馬に乗って偵察を終えたカレンが、直立して報告する。

 エリアスは彼女の口調の中に若干の焦りを感じて、眉をひそめた。


 カレンの左脚も、いまだに感覚は戻っていない。

 本格的な戦闘が困難な状態であることに、彼女にも内心忸怩(じくじ)たる思いがあるのだろう。

 そしてそれは、負傷した今の自分も同じである。


「そうか。俺たちはすっかり、この隠れ家に閉じ込められちまったってわけか」


 王都の郊外にある、広大な森の奥深く。

 そこに、ヒルダの住むこの一軒家はある。

 王城を脱出したエリアスらの一行は、ヒルダの白馬と敵から奪った軍馬にそれぞれ分乗して一心不乱に駆け、ようやくこの家までたどり着いていた。


 巧みに馬を操るヒルダに案内される道すがら、カレンはずっと奇妙な違和感を抱き続けてていた。

 方向感覚が、うまく働かない。

 幼いころから鍛錬してきた自分のそれが、この森ではまったく狂わされてしまうのだ。

 それに加えて、今まで通り抜けてきた森の道が、振り返るとうっそうとした茂みへと変わっていることも、彼女の混乱に拍車をかけていた。


 それにもかかわらず、ヒルダから護符をもらって偵察に出た時には、何ら問題なく森の外れまで出られたし、すんなりとこの家に戻ることもできた。


 この森、普通じゃない。

 ヒルダさんによる、何らかの魔法の効果か。


 考え込んでいたカレンの背後から、スリッパの足音が聞こえた。

 当のヒルダが、トレイに四人分の紅茶とサンドイッチを載せて、キッチンから出てくる。

 彼女はそれぞれの前にカップを運ぶと、自分も空いたソファーに腰を下ろした。


「皆さん、お疲れ様でした。まずは腹ごしらえといきましょう。夜は、しっかりしたものを作らせていただきますから」


 エリアスが、さっそく皿の上のサンドイッチに手を伸ばした。


「すまないな、ヒルダ。行くところがない俺たちに、アジトまで提供してもらって」


 ヒルダは膝の上に両手を置くと、毅然として言った。


「陛下、礼など言う必要はありません。臣下が王をお支えするのは当然。一休みしてから、これからの策を練りましょう。もっとも、この中で一番の策士はメリッサ先輩でしょうけれど」


 話を振られたメリッサは、紅茶を口に運びながら微笑する。


「あら、心外。私、純朴な田舎少女なんだけれどなあ」


 また、少女とか言ってる。

 カレンのつぶやきなど意にも介さず、メリッサは澄まし顔でサンドイッチを手に取った。






「それにしてもヒルダさん、凄いわねえ。学生なのに、こんなに広い家に住んでいるなんて」


 右手を大きく広げながら、メリッサが驚きの声を上げた。

 カップから上がる湯気を楽しんでいたヒルダが、にこにこと答える。


「そんなお高い家じゃないんですよ。前に住んでいた炭焼きの老夫婦さんが、仕事を辞めて手放すことになって。それで格安で譲ってもらって、そこにちょっと手を入れただけですから」


 ふうん、と言いながらも、メリッサは感心し続けている。

 木で組まれた建物は清潔で、見た目は新築のそれだ。

 真新しい木の香りすらかすかに漂い、リラックスした気分になれる。

 こんな一人暮らし、素敵だわあ。


「でも、本当に広いですねえ。お部屋も、十くらいあるんじゃないですか」


 カレンも目を丸くして、きょろきょろと周囲を見回している。

 常に王城に詰めていて当直暮らしをしていた彼女には、まるで別世界のように見えるのだろう。


「ふふ、そうですね。おひとり一部屋ずつ、好きなところをお使いいただいて結構ですよ」


「それにしても、どうしてこんな森の奥に。買い物とか通学とか、不便じゃありませんか?」


 屋内も屋外も、静かだ。

 聞こえる音といっては、木の葉のささやきに、時折聞こえる鳥のさえずり。

 森ごと天使たちに包囲されているとは、とても思えない。


 ヒルダはわずかに目を細めて微笑した。

 ボーイッシュな彼女のそのしぐさは、やはり彼女が魔導士であるということを思い出させる。


「カレンさん。魔女といえば人里離れた隠れ家に住むものと、相場が決まってますよ。それに私、街中みたいなうるさいところは、ちょっと苦手で」


 メリッサは、以前クラブで見たヒルダの情熱的なダンスを思い出した。


「えー、意外。デッカーズ・クラブみたいなカオスなところで踊っているのに」


 ヒルダはにやりと笑った。


「あそこは別です。別世界といってもいい。それにクラブにはクラブで、それなりの秩序がちゃんとあるんですよ」


「ふうん、そういうものかな。まあ私も悪魔やってた時には、地下室に雑魚寝してたりしたこともあったし。魔導士って変わり者が多いから、他人と離れて暮らしたいって人は多いわよね」


「先輩のそれは、特殊すぎでしょう」


 笑ってメリッサに突っ込みながらも、ヒルダは内心ほっとしていた。

 自分の過去を笑いの種にできるようであれば、先輩は完全に大丈夫だ。

 先輩をそうしてくれたランディには、感謝しなきゃね。

 おっと、今はエリアス陛下か。






 二人の話を横で聞いていたカレンが、興味深そうにヒルダに質問する。


「私は騎士なので魔導士の生活には詳しくないのですが、その、あまりにイメージとかけ離れてて。部屋の中に、物が少なすぎじゃないですか? もっとこう、魔法に使う材料とか、本棚にぎっしり詰まった古文書とか、そういうのを想像していたんですが」


 確かに彼女の言う通り、広大といってもいいリビングには、四人が座っている最小限の数のソファーと、木でできたシンプルな長方形のテーブルが一つきりあるのみ。

 その他には、本当に何もない。


 よく聞いてくれましたとばかりに、ヒルダは胸を張った。


「物なんて、何もいりませんよ。勉強は学校ですればいいし、夜はバイトやらなんやらあったりで、帰ったら寝るだけのことも多いですから。それに余計な物がない方が、自分にとって本当に大切なものが、良く見えるような気がするんです」


 エリアスがうなずきながら、合いの手をはさんだ。


「なるほど。ミニマリスト、ってやつだな」


 聞きなれない言葉に、カレンが怪訝な顔をする。


「何ですか、陛下。ミニマリストって」


「生活に最低限の物だけを持って生活する人のことだ。俺たちがいたユークロニアでは、物が溢れていてな。食料、情報、娯楽。そういった過剰さに対するアンチテーゼとして生まれた、ある種の哲学と言ってもいい」


「そうか。陛下、異世界転生者でしたね。うーん、つい忘れがちになってしまいます。そうですか、陛下のいた世界って、そんなに豊かだったんですか」


 異世界への憧憬を口にしたカレンに、エリアスは複雑な表情を返した。


「物だけはな、カレン。いくら物質的に豊かになっても、異世界を侵略するなんていう、精神的な成長のない世界。ユークロニアってのは、時間の止まった理想郷って意味なのさ。存外、つまらないところだぜ」


 カレンは嬉しくなった。

 エリアスは、この世界が決してユークロニアに劣った場所ではないと、言外に彼女に伝えている。

 この世界を大切に思ってくれている陛下についてきた自分の選択は、間違っていなかった。


 エリアスは、だだっ広い部屋の中をぐるりと見回した。


「ヒルダ。君はドイツで、遺伝子工学の博士号を持っていたんだよな。科学の申し子の君が、ミニマリストとは。まあ、君には案外似合っている気もするが」


「おほめにあずかり光栄ですよ、陛下。もっとも私のほうは、陛下がユークロニアで何をしていたのか、知りませんけれど。『リスト』には、転生予定者の過去の経歴はあまり載っていなかったし。わけありの人が多いからですかね」


 ヒルダは、ちょっと面白そうにエリアスの反応を観察する。

 彼は、ふんと鼻で笑った。


「昔の話なんて、野暮さ。それよりも、この家がロザリンダに見つかっちまうってことはないのか?」


 カレンはわずかに背筋を伸ばした。

 エリアス様はロザリンダ様の事を、もはや姉上とは呼んでいない。

 陛下なりに、覚悟を、けじめをつけたということなのだろうと、カレンは理解した。


 エリアスの懸念を聞いたヒルダは、不敵に笑った。


「私、家では誰にも邪魔されたくないので。アカデミーの教授だった大魔導士に、コンシール、『隠蔽(いんぺい)』の付与魔法をかけてもらっているんですよ。ただし、これだけ大きなものを隠すためには、常に少量ずつのライフ・フォースを供給し続ける必要があるんですけれどね。だから私がいる時には、この家は誰にも見つかりません。そしてそれは、この家の周囲の森についても同様です」


 またしてもメリッサは驚いた。

 常時魔力供給してまで、自宅の存在を隠しているとは、

 まあそのおかげで、こうして追手から逃れることができているわけだが。


「なんとまあ、用心深いこと。そこまでして隠れたいなんて、何か後ろめたいことでもあるの?」


「ありませんよ、そんなもの。でも、大切なお友達が泊りに来ているときには、先輩だって邪魔されたくないでしょう?」


 ヒルダはそう言って笑うと、意味ありげにウィンクした。

 そばで聞いていたカレンは、顔を真っ赤にしてうつむいている。


 メリッサは、呆れたように肩をすくめた。

 本当に、自由奔放な後輩だ。


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