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第十話 アクセプタンス

「フリッツ君、私ね。何かを忘れることが、できないんだ」


 リョーコのその言葉を理解するのに、さすがのフリッツもしばらくの時間を要した。


「忘れることができないって。生まれてから、ずっと?」


「物心ついてから、ずっと」


「そんな、まさか。起こった出来事を、すべて記憶しているということですか?」


 皿の上のフライをフォークでつつきながら、リョーコがぼんやりと話す。


「私は、病気みたいなものだと思っていたんだけれどね。そうなるように改変されたのかもしれないって、ある人が言ってたの」


 フリッツが、ぴくりと体を震わせた。


「……改変。誰がそんなことを、リョーコさんに」


「わかんない。それが本当の話かどうかも、怪しい」


 あのグラム・ロックの男。

 見た目からして、怪しいを通り越して奇抜だったし。

 あんなとりとめのない話、どこまで信じていいのやら。


「じゃあ、僕が咬んでも記憶が消去されなかったっていうのは」


 リョーコはわずかに顔を赤らめると、無意識に唇に指をあてた。


「まあ、そういう体質だったってことよね。もっとも君のキス、私に気を失わせる程度の効果はあったみたいだけれど。でも、私もアンナちゃんみたいに、あの悪魔のことなんて忘れちゃえばよかったのにね」


 リョーコはそう言って肩をすくめ、自嘲気味に笑った。

 フリッツは少し考えこんだ後で、申し訳なさそうに謝った。


「ごめんなさい、リョーコさん。嫌なこと聞いてしまって」


「え?」


「だって、どんな思い出したくない過去も、忘れることができないだなんて。ずっと苦しい思い、してきているんですよね」


 わ。

 なんで、フリッツ君が謝るのよ。


 リョーコは、広げた手をぶんぶんと振った。


「ああ、いいのよ全然、気にしなくて。そ、それにね、悪いことばかりじゃないのよ。私、今まで勉強して来たことなんか、すべて記憶してるんだから。私の筆記試験の成績を知ったら、フリッツ君、驚くわよ」


 フリッツはリョーコに気を使わせてしまったことに気付いて、ますます恐縮してしまっている。

 リョーコはそっぽを向くと、フリッツに聞こえるか聞こえないかというくらいの小さな声で、ぼそっとつぶやいた。


「それに。この前の事忘れちゃってたら、こうしてフリッツ君とも話せてないわけだし」


 それを耳ざとく聞きつけたフリッツの顔が、ぱあっと明るく輝いた。

 その笑顔はずるい。

 この厄介な自分の体質に、生まれて初めて感謝しちゃいそう。 


「と、とにかく。これに懲りたら、今後一切、キスをしようなんて思わないこと」


 フリッツは両手を上げて、降参のジェスチャーをした。


「そうですね。リョーコさんの記憶を消去するのは、現状あきらめた方がよさそうですね」


 よし。

 これで、キスについての疑問は解決っと。

 まあ、ファーストキスを奪われた件に関しては、決して納得したわけではないのだが。






 リョーコはレモンソーダを飲んで一息つくと、再び話し始めた。


「それじゃあ、もう一つ質問、行くね」


「どうぞ」


「あの悪魔って、何なの? 小さな子供たちだけを襲ったりして、何を目的としているの?」


 フリッツは、困ったような表情をして頭をかいた。


「わかりません」


「え。わかりませんって。じゃあフリッツ君、なんで悪魔と戦ってるの?」


「それは、この前お話ししたとおりです。守りたかったからですよ」


「ただ、それだけ?」


「それ以外に理由が必要ですか?」


 必要ない。

 まったくもって、ない。

 けれど。


「じゃあ、奴らの正体も、目的も?」


「わかりません。いや、知ってたのかな? どうでしょう、忘れちゃいました」


 忘れちゃいました、って。

 私、とぼけられてるのかな?


 記憶の底を探っているフリッツの表情は、しかしリョーコには、真剣であるように思えた。


「でも僕、悪魔との戦い方は覚えているんです。僕の血液を少量でも体内に叩き込めば、奴らの肉体は崩壊します。この前僕が悪魔にパンチを放った時、僕の手に血がついているのに気づきませんでした? あれは、僕が自分でちょっと傷をつけて、わざと出した血なんです」


 血液を、体内に叩き込む。


「そうか。だから素手で戦ってたんだ」


 理屈は全然わからないけれど。

 凄い。


「まあこの方法には限界があるので、別の方法を考案中なんですけれど」


 うーん。

 特に、嘘や矛盾点はなさそうだ。


「それじゃあフリッツ君は、悪魔の目的って何だと思う?」


 フリッツは、テーブルの上に身を乗り出した。


「奴ら、小さい子たちしか狙ってませんよね。それに、子供たちの髪の色。気付きました?」


「髪。そうだ、君と初めて会ったときのアンナちゃんの髪の色、銀色だったわね」


「そうです。そして、彼女の本当の髪の色は、栗色なんです。あの髪の色って、一定時間が経過すると、本来の色に戻るようなんですが」


「ん。じゃあ、いったいどういうことになるのかな」


 フリッツは、顎に人差し指をあてて考え込んだ。


 まったくこの美少年は、いちいち絵になるな。

 って、見とれてる場合か。


 フリッツはそんなリョーコを怪訝そうに見たが、言葉を選びながら話し始めた。


「ちょっと、まとめてみましょうか。まず、鈴の音が鳴る」


「鈴。そうだ、それがあったわね」


「そして、悪魔が現れて子供たちを襲う。その時、子供たちの髪の色は銀色に変化している。これ、どう思います?」


「……悪魔が鈴を鳴らして、髪が銀色に変化した子供を、何らかの理由で襲う」


 フリッツはうなずいて、感心したように言った。


「ご名答です、リョーコさん。悪魔たちは、何らかの特性を持った子供だけを探し出して殺そうとしているように、僕には思えるんです。あの鈴の音は、その特定の子供たちにだけ聞こえ、彼らを屋外に誘いだす役目も果たしているんじゃないでしょうか。もっとも、その特性が何なのかまでは、僕にはわかりませんが」


 リョーコにも、その話は納得できるものであった。


「そうか。でも、あの鈴の音はレイラさんたちには聞こえていなかったみたいだけれど。フリッツ君には、もちろん聞こえているのよね?」


「はい」


「私にも、聞こえた。それは何故かしら」


「それも何とも。僕たちにも、誘い出された子供たちと同じような、何らかの特性が備わっているのでしょうか」


 二人は、しばらく物思いに沈んだ。






 リョーコはグラスを見つめたまま、小さくうなずいた。


「いずれにしても、子供たちを襲おうとする悪魔を、放っておくわけにはいかないわね」


 彼女の言葉を聞いたフリッツは、即座に言った。


「リョーコさんは無理しないでください。危ないことは、僕がやります」


「え、でも」


「僕は、リョーコさんを戦わせたくありません」


 フリッツのまなざしに、リョーコはひるんだ。


「……どうして。わたしが、弱いから?」


 リョーコは、悔しさに唇をかみ締めた。


 あんな情けない場面を見られたんだ。

 無理だと思われても、当然だ。


 そんなリョーコの手を、フリッツは両手で優しく包んだ。

 その手は、やはり暖かかった。

 吸血鬼だなんて、信じられない。


「弱くても、いいじゃないですか」


 え?


「僕は、リョーコさんが優しい人であることを知っています。この前あの男の子が悪魔に殺されたとき、リョーコさんはそのことで苦しんでいた。弱さに苦しむのは、優しさを持っている証拠です」


「フリッツ君……」


「強さを伴わない優しさには意味がない、という人がいます。僕は、そう思わない。そんなのは、優しさを持たない人のいいわけです。僕は、自分は強いなんて言う人を、信用しない」


 リョーコの視界がにじんだ。

 今までの自分を、許してくれている人がいる。


「大丈夫、リョーコさん。人は、自分にできることをすればいいんです。もっとも僕は、人ではなく吸血鬼ですけれどね」


 フリッツは、あははと笑った。


「とにかく、何かわかったら報告しますから。リョーコさんも鈴の音が聞こえるんだし、よくよく注意してくださいね」


 彼は、念を押すように言った。


「間違っても、悪魔と戦おうなんて思っちゃだめですよ。奴らには、通常の攻撃はほとんど効果がありません」


 そう言ってフリッツは一息つくと、窓の外を見た。


「遅くなっちゃいましたね、そろそろ出ましょうか。おなか、いっぱいになりましたか?」


 リョーコは黙ってうなずいた。


 うん。


 張り裂けそうなくらい、いっぱい。

 おなかも、胸も。


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