新しい日々⑨
「僕はたまごを持って行ってきますね」
「おれも喉乾いたー。カケルは?」
「うん。おれも」
夜と朝陽が台所に向かったので、カケルもその後を追った。夕食や休みの日の昼食は、台所の隣にある和室で食べる。そこを横切り、台所に行くとダイニングテーブルに座っている後姿があった。
「シズさん?」
テーブルに肘をつき、手を組み合わせて額を乗せてウトウトしていたらしい。ガラガラというドアを開ける音に気づき、髪をお団子状にひとまとめにした女性があわてて顔を上げて立ち上がった。
皺のきざまれた顔に、右の頬にシミが一つ。この女性こそが『シズさん』だ。この家に住み込みで働いており、主に食事の準備をしている。
「カケルお坊ちゃま、夜さん、朝陽さん、お帰りなさいませ。すみません」
「ああ、良いんですよ。座っていてください」
夜は優しくシズの背中に手を添える。
「たまごは冷蔵庫に入れておきますから」
コンロの上には鍋があり、流し台横の調理スペースにはまな板と包丁、切られた野菜が置いてあり、どうも夕食の準備中に休んでいたようだ。
「……すみません」
抑揚のない低く小さな声でシズは謝罪をした。
「大丈夫ですよ」
夜がたまごを冷蔵庫に入れ、その開いたドアにあった麦茶のボトルを手に取り、戸棚からガラスのコップを三つとって、朝陽が注いだ。朝陽は麦茶をカケルに差し出す。
「ありがと」
きゅーっと一気飲みをして、流しに空のコップを置く。朝陽も同じように置いた。
振り返ると、テーブルに置かれたボトルを夜が手に取り、コップをもう一つ出して中身を注ぎ、シズの前に置いたので彼女が礼を言っていた。
「朝陽」
自分の使ったグラスを持って来たとき、夜が鞄を朝陽に差し出した。
「二人とも先に部屋に戻ってください。ついでに、僕の鞄を持って行ってください」
「パシるな」
「パシります。お願いしますね」
にこっと有無を言わさぬ顔で笑う。
「へーへー」
朝陽は口を尖らせて夜の鞄を持って、台所を出る。去り際にチラ見すると、水を出して夜がコップを洗っていた。
優しい夜は、ちょくちょくシズの夕飯の支度を手伝っていたし、たまには彼女の代わりに朝ご飯を作ることもあった。シズはお世辞にも料理が上手いとは言えないので、夜が一緒にいると味の心配をしないで済むという意味で安心だった。
「寝てたよな。シズのばーさん」
「うん。寝てたね」
「昼寝たあ、いいご身分ですな」
二階に続く階段を上りながら、朝陽が嫌味を言った。二階は、子ども三人の部屋がある。カケルは一人部屋、向かいの少し大きな部屋は朝陽と夜が使っている。
カケルは襖を開けて中に入った。鞄を木造りの机に置いて窓を開けた。窓からは庭や、塀の向こう側に並ぶ家が見える。窓枠に座り、しばらく外を眺めていたが、その後机に座って宿題に取り掛かり始めた。
*
七時半になる少し前、下から夜の声がした。宿題も終わり、ベッドに寝転がって漫画を読んでいたカケルは起き上がった。
「ご飯ですよ。カケル様も朝陽も降りてきて下さい」
部屋から出ると、エプロンを脱いで畳みながら歩く夜の後姿が見えた。カケルの後から朝陽も出てきて降りてくる。ティーシャツにデニムのジーンズ、ぼさぼさ頭で欠伸をしている所を見ると、朝陽は昼寝をしていたようだ。
食事のテーブルに向かう。テーブルには既に、皿が二つ置かれている。深皿には牛肉と人参、いんげんの入った肉じゃが、もう一つの平皿にはだし巻き卵と大根おろしがある。
シズがご飯、夜が味噌汁を椀に入れている。朝陽と一緒に大きなトレーに取り皿と箸、二人から受け取った椀を乗せ、運んでテーブルに置いた。
「頂きます」
四人揃って座り、食べ始めた。シズが居ることもあり、無言だ。