前編
コンビニから一歩外に出ると、殺人熱波の外気が襲ってきた。夕方だというのに、蒸し暑いなんてレベルじゃない。まだ初夏だというのに。この数年の気温の上がり方、おかしいんじゃないかな。
「あっづい」
すかさず、買ったばかりの棒アイスのパッケージをペリペリと剥がして、齧りついた。カップアイスも好きだけれど、私はかき氷系棒アイスが好きです。だってお手頃ですし。
本日のお供は、この夏限定の『銀シャリりんご酢味』。
りんごって秋じゃない? なんてツッコミを入れてはいけない。夏も冬も氷菓メーカーは奇想天外なアイスを考案し、発表する。期間限定、数量限定の言葉に踊らされるのは人類の性なのでしょう。私も例にもれず、毎回買い求めては悲喜こもごもな反応を繰り返しているクチです。
「うん! りんご酢の酸味が利いてて爽やか。りんご繊維のしゃりしゃり感もちゃんと生かされているし。これは好みかも! 銀シャリ部分の弾力も、アクセントとしてなかなか……」
成分表示を見れば穀物(米)なんてどこにも表記がないのに、所々アイスに混ざっている白い固形物。これが多分、銀シャリ。正体が気になるけれど、昨年のパクチーばくち味よりはずっと食べやすい。あれは本当にメーカーさんの博打のようでした。この先一生パクチーさんとはお友達になれないと、私に固く決心させるくらいの攻撃力。生産終了後も一部では闇で取引されて、プレミアがついてるとかいないとか。……解せん。
コンビニからの帰り道、アイスを食べながら歩く。お行儀は悪いけど、我慢出来なかった。
だって。
夕日暮れなずむ街で、アスファルトの上をのんびりアイスを食べながら家路に向かうなんて。
すっごく平和な日常って感じがするから。
「んん~っ。これぞ至福のとき」
自然と締まりの無い顔をしながら、アイスをもう一口囓る。キンッと頭にくる痛みさえ乙なものだ。
銀シャリりんご酢味。ネーミングはダジャレだけれど、美味しい。お酢の酸っぱさが、仕事あがりの身体に染み渡る。
そんな私の小さな幸せを脅かす一台の高級車。
背後からゆっくり近づく、確実に車検通らない系の黒塗りスモーク。最近の車は静かすぎて、隠密スキルが高すぎると思います。
足を止めてしぶしぶ振り返ると、横付けされた車の後部座席の窓が静かに下がった。
「お楽しみを邪魔して悪いが、もうすぐ時間だぞ?」
車中から響く低音の声。
濡れ羽色の黒髪に薄い色付き眼鏡をかけた男が、愉快そうにこちらを見上げている。僅かに琥珀を帯びた瞳と目が合った。
年齢不詳の男の口元は、笑みを浮かべていた。
「わかっています。アイスを食べ終わるまで、あと三分ほどお時間をください」
「別に構わん。私を三分待たせると、その分お前の借金がかさむしな」
笑顔を浮かべながらも、三分すら待ってくれない。せっかちというより、これはただの意地悪。私は泣く泣く銀シャリりんご酢味を片手に持ったまま、本革シートの後部座席に乗り込んだ。
どうして泣く泣くなのかって? 以前シートにアイスを零したら、ばか高いクリーニング代を請求されたんですよ。払えないからと、ツケにされました。利息が付くんです、怖い。結局今回も、私はシートにアイスをこぼして、借金を追加されました。
「貴方は鬼です、悪魔です」
「どっちも昔、部下に居た気がするなぁ」
顔を両手で覆ってさめざめと泣くふりをする私に、隣の男は笑ってつまらないツッコミを入れてくる。
とっても楽しそう! なんて横暴な。運転手さん、ヘルプ! あ、バックミラー越しに目が合ったのに、鮮やかに逸らした。ええ、ええ、そりゃあ雇用主は私の隣で足を組んでいる男ですものね。
学校で習った、売られる仔牛の歌を口ずさみたくなってきた。
「借金なんて、すぐに返してみせるんですから」
「ははっ、せいぜい頑張れ。半年前より着実に増えてるから、しっかりな」
「うううっ……!」
私の名前は薫崎 実綾。
普通の人間です。
――ちょっと不運にも異世界トリップさせられて、帰ってきてみたら、多額の借金背負って隣に座る男に脅されている、というだけの。
少しだけ運と間の悪い、ごくごく普通の人間です!
◇◇◇
薫崎 実綾。二十二歳。
職業は派遣の事務。
どうってことない容姿に、どうってことない学歴。地元高校をそう悪くない成績で卒業して、地元の中小企業に事務職の正社員として就職したのが四年前。
十八歳の時の話。
ザ、凡庸。
それがまあ、私の人生だったわけですよ。
でも入社から四ヶ月。
ある晩狭いアパートに戻って玄関を開けた途端、異世界とやらに召喚されてました。
唐突すぎません? あとこの展開、もう若干古いんじゃないかな。
冷蔵庫に賞味期限翌日までの贅沢プリンが入ってたのに。ちぇ。
異世界で、寄ってたかって初めましての人達に世界を救ってくれとか言われても、簿記三級に何が出来るというのだろう。経費科目の仕分けとか、貸借対照表の作成とか、世界を救うには役に立たない。電卓検定も持ってるけど、異世界に電卓がないし。算盤の記憶は小学生時代に置き忘れました。
あとそもそも、剣を持たされても、振るえるわけないよね。生き物切るとか刺すとか無理無理!!
救世主を召喚したはずが、やって来たのは十八歳の事務員。救世主要素、皆無。
失敗で諦めがついたのか、召喚した国は融和策に舵を切った。
そしてよく解らんまま、私は魔王にお嫁入りする王女様の護衛という名目で、召喚された城から追い出された。
役に立たないから、姫様の抱き合わせ商品扱いですよ。
広間で賜った、国王陛下の出立前のお言葉を意訳すると、こんな感じでした。
『婚姻と同盟の親書送ったけど、まだ返事来ないんだわ。もう直接行って説得よろしく!』
え? 敵地ど真ん中な魔王とやらの所にアポ無しで行って居直って、お姫様に押しかけ女房になれってことですか。
これ聞いて、お嫁に出されるこの国の第六王女様、涙目だったからね。ガチで。
言語が通じてるはずなのに、意思の疎通がアレな人達だった。ほんとつらい。
そんなこんなで半ば国から捨てられて、意気投合した第六王女のファリベル姫と私は、どうせ行かなきゃならんなら、とことん気に入られるように攻めていこう! という結論に達しました。今なら解る、あれはランナーズハイとかそういう、ちょっといっちゃってる状態だった。
私が召喚されたガイスホールという世界では、魔王率いる軍勢が圧倒的な優勢を誇っていた。人族の王が治める国々以外は、ほぼ全て魔王が掌握したり同盟を結んだりで、オセロゲームに例えると周りを黒で埋め尽くされて積んだ状態。そもそもひっくり返して一発逆転する素地が空いていない。魔王軍は無理に攻め込まないので、ポツポツと人の国が点在しながら残っている、離れ小島な有様だった。
私もファリベル姫も、魔族の事なんて詳しくなかった。でも、魔王軍はみんな服装が黒ばっかり。というか、表皮が黒で、彼らのテーマカラーっぽかったので、頑張って黒のドレスを用意した。人は見た目が九割って言うしさ。第一印象大事だよね。
それくらい、彼らとは意思疎通すら出来ていなかったのです。
そんな感じで、あくまで前向き、攻めの姿勢で私達は魔王城に向かった。
だがしかし! その後の展開がことごとく私たちを裏切ってくる。
今度こそ、別の国に勇者と呼ばれる青年が召喚され、人族の国々が盛り上がってしまったのだ。皆さんは団結して、起死回生を狙うことにしたらしい。魔王と同盟する雰囲気が一転、周りは途端交戦ムード。
残念ながら、快進撃を続ける勇者一行が魔王城に迫っていると私たちが知ったのは、ちょうど魔王城の門戸を叩こうとしている時。
知らせは微妙に間に合わず、最悪のタイミングでもたらされました。
勇者様ご一行と魔王城前で鉢合わせですよ。
魔王城の門前。
ここまでさしたる障害も無く、スムーズに辿り着いてしまったことにびびりながらも、ファリベル姫到着の先触れを買って出て、門番詰め所のドアノッカー(髑髏模様のドアノッカーがご丁寧に付いていた)を持ち上げた私は、勇者様ご一行の派手な男性達に声を掛けられ固まった。
私を魔王城生息の魔族認定した長髪神官に、先制攻撃で聖水を頭からかけられました。
魔王への好印象を狙おうと、全身黒の侍女服で身を包んだのが仇となったらしい。しかも私、髪も目も黒ですからね。ははっ。
もちろん魔族ではないので、ドレスと化粧が残念なことになっただけでしたけど。ちなみに被害金額は残念どころじゃ済みません。ドライクリーニングなんて、あの世界にはなかったです。
仕立てのドレス一着がいくらすると思っているんだ、あの長髪め。……おっと、本音が。
勇者が止めてくれなかったら、そのまま魔法使いに火球を投げつけられ、金髪の筋肉だるまに剣を振り下ろされる所でした。危なかった。
基本が先制攻撃な勇者の仲間たち、脳筋で怖すぎる。
勇者の青年に今の世界情勢を聞いてみると、ファリベル姫の母国であり私を召喚したジルリンド国は、時流を読み違えた訳じゃなかった。
さらにえげつなかった。
なんと勇者に、魔王を倒し攫われた第六王女を救い出してくれたなら、嫁にやろうと打診していたそうです。
ファリベル姫、攫われてないし。
何なら馬車の中で黒いドレス着てピンピンしとるわ。
二枚舌ですね! ダブルスタンダード、良くないと思います。
勇者と魔王を天秤にかけて、勝ち馬に乗ろうなんて危険すぎません?
サムズアップでいい笑顔をする宰相と国王の姿が目に浮かんで、ちょっとだけ殺意が湧いた。
ジルリンド国から連絡が来ないのも納得。
これ、馬車の中のファリベル姫になんて伝えよう。
私が真相を知ってげんなりしているところへ、これまた残念なことにボス戦が始まってしまった。
魔王の登場です。
ラスボスは普通、最上階または異空間で待ち構え、第三形態とかするのでは? もちろんゲームのフィクション知識ですが。
ガイスホールの魔王には、残念ながらこの情緒が当てはまりませんでした。
こめかみを押さえながら、脳内でこれからの算段をつけていた時に、上空から降ってきやがりましたよ。
黒水晶のように艶めく鱗で全身を覆ったドラゴンの姿。
魔王です。…………たぶん。
四枚の翼を広げて着地を調節した時の風圧で、私は軽々と浮いた。ふわっと。そのまま吹き飛ばされ、偶然魔王の足にドレスの裾が引っ掛かる形になってしまった。すぐ横にある前足の爪一本は、私の顔より大きい。磨かれた床のように黒光りする爪の側面には、恐怖に引きつった自分の顔が映っている。きっと、通常サイズの数倍の大きさを誇る古代竜ってやつですねー。
魔王はもちろん人ではない。千年近く君臨し続ける、魔族の王。
けれど、通常は言葉も通じる人型だと伝えられていたのに。聞いていたのと違う。おのれ、ジルリンドの宰相め。人型の片鱗なんてどこにもないじゃないのよ。
……姫様は、『これ』とどうやって結婚するのだろうか?
ちょっといらん心配が頭を過ぎった。
さっきも充分残念な状況だったけれど、今度こそデッドエンド確定です。死因が勇者様ご一行から魔王に移行しただけっていうね。
けれども、きっと周りで楽しくタップダンスを踊っているだろう運命を司る神様は、このくらいで私のトラブル人生を終わらせてはくれませんでした。
何故か魔王の前足に引っ掛かったまま始まるラスボス戦。
疲弊しながらも勇者に最後の力を託し、倒れていく勇者の仲間たち。彼等の力を結集して剣の封印を解き、輝く閃光で光の彼方の別次元へと魔王を吹き飛ばす勇者。わーすごーい。CGみたーい。と、ここまで来ると完璧他人事です。
一時間か、半日か。途中気絶したり、魂が半分あの世に旅立ちそうだったので、時間の感覚さえ分からなかった。だって私ずっと、ドラゴンの前足に引っ掛かってましたので。ええ。もう悟りの境地です。
次元に飛ばされて、この未確認生物の爪に宙ぶらりんになりつつ人生終了かと、諦めすらついていたのに。
「飛ばされた先で、魔王様の鱗を磨くのが生きる糧だなんてさあ!」
鱗の山のてっぺんに立ち、私は思わず鬱憤を叫ぶ。
あのまま車に乗せられて、走ること二時間。
ここは関東近郊の温泉地。
場所は鄙びた温泉宿の大浴場です。いやー声が響く響く……。
「なんだ、銀シャリりんご酢味をこぼしたのがそんなに惜しいのか。仕方ない、帰りに一本恵んでやろう」
鱗の山がのそりと動いた。
「うわっととっ。……違います。自分の境遇に対する不満の発露です。でも頂けるものなら遠慮無く頂く主義ですので、リッチバージョンの方でお願い致します」
私はTシャツ短パン、首元タオル姿で、手に持ったデッキブラシでバランスを取りながら答える。
ゴム長靴の滑り止めは、気休めでしか無い。
「りんご果汁増量か」
「銀シャリ三割増量です」
「なあ、以前から疑問だったんだが。お前の愛するあのメーカーは、本当に氷菓の会社なのか?」
「喧嘩を売っていらっしゃるのですね。ほほほほほ……とえりゃああああ!!」
呆れ気味の声に笑顔を返して、山……もとい、ドラゴン形態の魔王の背中付近から尻尾へと、デッキブラシと共に駆け抜ける。
今の魔王は魔王城でエンカウントしたラスボス形態。
貸し切りにした大浴場の床の殆どを占拠して、黒い物体が寝そべっている。尾が機嫌良くぱしゃぱしゃと湯船の水面を叩く。そのせいで室内なのに、湯けむり露天風呂状態です。
山間部の景色のような尾根を描く体表の上を、鱗の順目に沿うよう頭から尻尾に向かい磨いていく。
こびりついた赤黒い汚れを丹念に落とすと、黒々とした鱗は水分で妖しく光り出した。かける湯の色が透明になるまで、何度も繰り返す。
魔王は金色の縦筋の入った眼を気持ちよさそうに細めた。下から上にと目蓋が閉じかけている。眠そうだ。
こんなにガシガシ、無駄に力いっぱい磨いているというのにね!!
まさに非日常の光景。
普通の人が見たら、驚いて浴室の床で滑ること請け合い。いや、私だって初見なら余裕で気絶しますけど。何なら泡噴いて気絶しますけど。
これが私のアルバイト。
魔王様の鱗磨き係。しかも毎度温泉地まで出張。
とても時給の良いお仕事です。
けれど、肉体と精神に負担のかかる仕事でもあります。