竹内
長かった正月休みも終わり、世の中は日常に戻っていた。結火は今日、東京国立博物館に来ている。ここは昔の日本の美術品、工芸品などを展示しており、結火の知的好奇心を刺激するのではと思い来てみた。
入ってすぐの所には、仏像などが展示してある。木彫りの技巧が優れているとは思うが、あまり興味は惹かれない。
次に工芸品。蒔絵などが置かれているが、細かい技法は素晴らしいというよりは病的なこだわりがむしろ鬱陶しい。
刀剣は良く分からない、所詮は人殺しの道具だ。
茶道具には少し興味をひかれた。朝鮮半島で使われていた庶民の日用雑器や、大きく割れた花入れなどに価値を見出すところは面白い。
日本画などの絵画は全く興味をひかれなかった。直に見る自然の風景、山、川、空など何であっても神の力が満ちており生き生きとして美しい、それを紙に写しても全く空虚なだけだ。
二階に上がってみると、平日だというのに人だかりしているところがある。人影から僅かに垣間見えるのは水墨画のようだが、ただならぬ雰囲気を感じる。全体を見渡すと所まで近付いてみると圧倒された。さっきまでの日本画とは全く違う。六曲一双の屏風にはただ墨で松が描かれているだけであるが、空気、霧、静寂、匂いまでも感じる。
(この屏風を見ただけでもここに来た価値はあったな)
結火は、人間の能力の奥深さを感じた。
結火は、帰りに河川敷に行って日が暮れるのを眺めていた。冬なので誰もいない。この時期五時にもなればもう薄暗い。
暗くなった河川敷を歩いていると、誰かが後ろからついてくるようだ。
だんだんと距離が縮まってくる。
男が、結火にとびかかろうとした瞬間、結火は振り返った。
驚いた男は慌てて逃げようとするがなぜか身動きが出来ない。
恐怖に怯えた男の顔を見たとき、結火は違和感を覚えた。
(これは?)
「ついてきなさい」
結火はそう言うと背中を向け歩き始めた。男は逃げることもできず、引きずられるように結火についていく。
結火は男を無理やり、『結火の部屋』に連れて来て、男を椅子に座らせた。
男は、二十代後半ぐらいだろうか、眼鏡をかけて、髪は伸びて少し見苦しいが、どこにでもいるような優男で、とても女を襲うようには見えない。
「すいません、すいません、許してください」
と涙を流しながら、おびえた表情で一生懸命謝っている。
結火は笑いながら、
「大丈夫ですよ、それよりあなたの問題を解決しましょう」
そう言うと、結火は立ったまましばらく無言になっていたが、
「結火、しばらくじゃったの」
突然、白髪、白髭の着物を着た、背の低い老人が現れて声をかけてきた。
「双天様、お呼びして申し訳ありません。この男なのですがどうも様子が変なのです。二つの霊が宿っているようなのですが」
双天は男の方を見るとすぐに、
「どうやら、他の霊が取り憑いているようじゃの」
双天が男に聞く。
「お前は自分の意思に反した行動を取った事があるじゃろ」
男はこの状況に戸惑いながらも、結火の方を見ながら、
「そうなんです、実はさっきもこの方を襲おうとして」
「フッハハハ、結火をか、結火に勝てる人間なぞこの世におらんぞ」
双天は大笑いした。
結火が双天に聞く。
「どうしてこのような事に」
「肉体に宿る霊については、わしにもよく分からん。この世界の事は、この世界のもので無いと解決できないだろう」
そう言うと双天は、着物の懐からスマホを取り出して調べている。
「双天様、それは?」
結火が聞くと、双天はスマホを見たままで、
「なんじゃ、スマホも知らんのか、これがあれば何でも分かる。後でその男にでも聞いてみるがよい」
しばらくして、
「おー、あった、あった、『除霊の事なら大神霊会』これなら近いぞ」
双天は男の方を向いて、
「若者、名前を何という」
「竹内朔太といいます」
「お前が今まで、自分の意に反する行動を取ってきたのは、お前に取り憑いている霊にせいじゃ、今から除霊に行く」
さっきまで、不安で元気の無かった、朔太の眼が輝いた。
「本当ですか、除霊すればまともになるんですね」
結火と朔太は電車で、大神霊会という所に向かっている。
朔太は不安になって結火に話しかける。
「名前からして、凄く怪しい感じがするのですが大丈夫でしょうか、とんでもない金額を請求されたりしないでしょうか」
「さあ、どうでしょうね。ところで、今回のような事は何度もあったのですか」
結火は楽しそうにしている。
「過去一度だけですが、実は会社の同僚に抱きついたんです。それが大きな問題となって会社を辞めることになりました。その子の事は何とも思ってなかったのに体が勝手に反応したんです。それから、知らぬ間にポケットに商品が入っていた事も。店内で気づいて元の棚に戻したから良かったものの、いつか犯罪を犯してしまうのではないかと思いびくびくしています。ですから今は、出来る限り家から出ないようにしているんです」
同じころ、州蓮は自宅のソファーでくつろいでいた。身長はさほど高くないが肥っており、体重は100kg近い。年齢は今年で六十五才になるが、肌つやがよく見た目は五十才程に見える。
彼は、大神霊会という団体を作って除霊などを行っている。宗教法人では無いが、彼の除霊により救われた者たちが、彼の事を心酔して信者となっており、除霊での収入の他に、信者へお札などのグッズを販売する事で、なかなか裕福な生活をしていた。
彼のやり方は、取り憑いている霊を霊媒に移し、霊と対話し霊に出て行ってもらうよう説得をする。いわゆる審神者である。
自宅は大神霊会の神社本殿の裏にあるが、妻と二人の子供とは別居している。
州蓮の両隣りには、若い女が座り、キャバクラのようにウイスキーの水割りを作って渡している。この女たちは、除霊の際の霊媒でここに五名が住み込んで州蓮の世話をしている。
州蓮の左隣には、ひと際若い女性が座っている。小柄で可愛らしく童顔のため高校生ぐらいにも見えるが今年で27才になる。名前を、戸田美鈴といい、並はずれた霊感の持ち主で霊媒として抜群の能力を発揮しており、彼女にはどんな難しい霊であっても降ろせないものは無かった。
その美鈴が突然がたがたと震え始めた。州蓮は驚いてその様子を見ていたが、すぐにその理由が分かった。
(やばい、凄くやばいものがここに向かって来ているようだ)
州蓮は直ぐに本殿に向かう。
「祭主様、どうされました」
州蓮の異変に気付いた女たちが、声をかけてくる。
州蓮は本殿の祭壇の前に来ると、祝詞をあげて神に助けを求めた。
結火と朔太は駅を出て歩いている。時刻はもう夜の九時になろうとしており、人気のない道を冷たい風が吹き抜けていた。
しばらく行くと、コンクリートで出来た大きな鳥居が見えて来て、大神霊会と書かれた額がかかっている。
鳥居をくぐると、鉄筋コンクリートで出来た大きな建物が見えた。境内はいくつか街灯があるものの人気が無く閑散としている。建物の明かりも消えているようだ。
朔太が結火に話しかける。
「もうこの時間なんで、誰もいないんじゃないでしょうか」
結火は、ちらっと朔太をみたが、そのまま無言で建物に向かった。
結火が建物の扉を開けると、州蓮は驚いて振り返った。
州蓮は、動揺をなるべく見せないようにして話しかける。
「あ、あなたは、どちらさまでしょう、どのような御用ですか」
結火が答える。
「この男の除霊をお願いしたい」
霊媒の女の一人が答える。
「除霊は五時までです。それから、事前に予約して・・・」
州蓮が途中で言葉を遮って、
「分かりました、す、直ぐにやりましょう」
霊媒の女は納得のいかない顔で州蓮の方を見る。州蓮は人気があり、一か月先の予約まで埋まっている。それに普段なら、気持ちよく酒を飲んでいるところを邪魔されたりしたらとても怒るはずなのに。
州蓮が祭壇に向かい、朔太と霊媒として美鈴がその後ろに並んで座る。結火は離れた所からその様子を眺める。
州蓮が、祝詞を唱えてしばらくすると、美鈴の体が前後に揺れ始めた。そしてばたりと前のめりに倒れこむ。州蓮が後ろに向き直って、美鈴に話しかける。
「あなたのご姓名は」
「・・・うぅ・・・」
「なぜこの男に取り憑いたのですか」
「・・・・・」
美鈴は顔を上げて、にやりと笑ったが何も答えない。
州蓮が、色々と聞くが何も答えない。州蓮は結火の方を見て、
「ほとんどの場合、霊自身が意図せずに取り憑いていますので、状況を理解させれば離れていきますが、この方の場合、霊自身の意志で取り憑いていますので、容易には行きません。残念ですが私の力ではどうしようもありません」
霊が取り憑くので最も多いのが、死んだ時死の自覚が無く浮遊しているうちに、霊媒体質の人に意図せず取り憑くケースである。こういった人に対しては、祭神の力で霊媒に霊を移し、審神者が霊と対話して死の自覚を与えることで霊界へ行ってもらう。しかし、まれに恨みなどで取り憑いていた場合には、霊を説得できずに除霊出来ないケースがある。今回はこれに近いように思えるが、恨みの念は感じられなかった。
結火はしばらく考えた後答える。
「この霊を私に移す事は出来ますか」
「そ、それは、可能ですが、その結果どうなるかは・・・」
そこまで言ってから、州蓮は思った。
(この得体のしれない女であれば、ひょっとしてうまくいくかも)
「分かりました、ではこちらへお座りください」
美鈴の隣に結火が座り、さっきと同じように州蓮が祭壇に向かって祝詞をあげていると突然、「パン」と大きくはじけるような音と共に、本殿内が閃光に包まれた。
驚く一同に、結火が答える。
「この女から出てきた瞬間、地獄へ送ってやりました」
州蓮が結火に向かって、
「あなた様は一体・・・」
結火は微笑みを浮かべただけでそれには答えず、
「それより、天照大神様へ祝詞を唱えておられましたが、どうも違いますね、確かに除霊する力がある事は認めますが、その力をあなたの欲望を満たすことに使っており、神聖さが感じられません」
州蓮は、暑くも無いのに汗をだらだらと流している。
「祭神を呼び出してください」
「え」
州蓮は、何か言おうとして結火の方を見たが、恐ろしくて逆らえなかった。
州蓮と美鈴が並んで座り、祝詞をあげてしばらくすると、美鈴が背筋をぴんと伸ばして姿勢を正し、結火の方をちらっと見るとすぐに視線を落とした。
結火は美鈴に近付くと、膝の上に置いてある美鈴の手を握った。美鈴は、ビクッとして結火の方を見る。
「狐ですね、随分と長生きをしてそれなりの力を身に付けたようですが」
結火は州蓮の方を見て聞く。
「知ってましたか」
州蓮はあわてて首を横に振る。結火は美鈴の方に向き直ると、
「日本霊界の最高神である天照大神様を騙るのは見逃せませんね」
美鈴は泣きそうな顔で俯いていたが、顔を上げて、
「お許しください。最初はそんなつもりではなかったのです。増えていく信者から尊敬や感謝の念を浴びているうちにどんどん傲岸になって行ったのです」
結火は州蓮の方を見る。州蓮は太った体を小さくしてしょげかえっている。
「あなたたちのやっている事は、この世界での役に立っていますのでこの力を奪う事はやめましょう。しかし、神に仕えるのならばそれなりの姿勢で臨んでください。天照大神様の名を騙るのを止めるのはもちろんの事、欲望に溺れた生活を正してください。」
州蓮と美鈴は弱々しく、「はい」と返事をした。
結火と朔太が帰ろうとするところを州蓮が声をかける。
「あなた様は一体」
「あのお方は・・・」
美鈴が言いかけたところで、結火が目でそれを制し、
「私の名前は結火です」
そう言って帰って行った。
それから一週間後、朔太が結火のもとを訪ねてきた。
「先生、先日はお世話になりました」
「ずいぶん明るくなりましたね」
「外に安心して出られるようになりましたので」
朔太がにこにこしながら答える。
「それで何のご用でしょう」
「昨日のニュース見ましたか、ここからそんなに遠くない場所で通り魔が出て人が殺されたんです」
「いえ、知りません」
朔太は、何も無い部屋を眺めながら、
「先生、テレビぐらい置かれた方がよいと思いますが、それより、州蓮さんからメールが来たんです」
朔太がそう言って、結火にメールの内容を見せる。
〔昨日通り魔で捕まった人が、三日前にうちに来たんですが、あなたと同じように除霊出来なかったんです。ひょっとして霊に操られての事かもしれません。結火様にどうしたらよいか聞いてもらえますでしょうか〕
すぐに結火と朔太は、大神霊会へ向かった。
大神霊会の本殿で、結火と朔太が並び、州蓮と祭神の降りている美鈴と向かい合って座っている。
直ぐに州蓮が状況を説明する。
「その人は、五十七歳の男性なのですが、やはり竹内さんと同様に何を聞いても答えず、不敵な笑みを浮かべるだけでした。たてつづけに二件もこんな人がやって来るなんて、もう三十年以上この仕事をやっていますがこのような事は初めてです。」
州蓮が、除霊の申込用紙と名刺を見せる。『一葉銀行大手町支店支店長 高田相三』と書いてある。
州蓮が話を続ける。
「このような社会的地位の高い人がこのような事件を起こすとは考えにくいので、やはり取り憑いていた霊の仕業だと思えるのですが、しかし、こんな事今まで聞いたこともありません」
結火が美鈴に聞く、
「あなたの名前は」
「汎猟と申します」
「では汎猟さん、先日の竹内さんに取り憑いていた霊と今回の霊は同じですか」
「いえ、違います。そして、竹内さんのよりもっと強い意志を感じました」
結火が答える。
「これは厄介ですね、地獄から悪霊を呼び出しているものがいるようです。直ぐに止めさせる必要があります」
探し出す方法を考えるが、良い方法を思いつかない。
結火が口を開く。
「スマホで調べたらどうでしょう」
結火はスマホの事は良く知らないが双天の言葉を思い出していた。
意外な発言に一同ぽかんとしていたが、朔太がそれに答えて、
「じゃあ、僕が」
といって、高田相三の事件の報道を調べていると、新しい事実がいくつか分かってきた。
自分の支店より金を盗みだした後、繁華街で二人を殺し、警察に捕まったという事であった。しかし、犯行時に記憶がないと言っている。
州蓮が口を開く、
「取り憑かれた霊がやらせたのでしょうか」
汎猟が朔太に聞く。
「あなたの場合、記憶が無くなると言った事は無かったでしょう」
「はい」
「肉体の中の二つの霊で葛藤がありますので、ここまでの事が出来るのは相当強い意志を持った霊ではないでしょうか」
これ以上情報も対応方法も思いつかないので、一旦解散することにした。
小松一旗は引き籠っていた。大学を卒業後銀行の営業となったが、日銀の低金利政策の影響で銀行の経営は悪化し始めていた。このため、営業には厳しいノルマが課せられ、一旗も夜討ち朝駆けの営業で頑張ったがなかなか成果が得られず、ついにはうつ病になって会社を辞めた。
病気自体はじきに良くなっていったが、支店長の怒鳴り声が今でも耳から離れず、再び社会に出て行く気力が無くなって、もう二年も引き籠りの生活を続けている。
一旗は、心の中で恨みの木を育てていた。初めは幼木であったが今では大木となって、もはや切り倒せないほどに成長していた。
(俺がこんな事になったのは支店長のせいだ。銀行も悪い。世の中も全部悪い。絶対に復讐してやる)
ほとんど自室にこもりきりで、一日中ネットに繋がる生活をしていたが、そんな中あるサイトを見ていてあることを思いついた。
『悪魔を召喚し、世の中に復讐する』
一旗には、ある才能があった。霊感が強く子供のころから幽霊が見えるし、話ができる事もある。しかし、周りに変わり者扱いをさせることを恐れて成長するうちに秘密にするようになっていた。
夜八時過ぎ、一旗は河川敷を歩いている。橋の下に差し掛かるとダンボールの囲いがあり、中でホームレスが寝ているようだ。
一旗は、ホームレスの方に近付いて行き、もどしそうになる悪臭をこらえて声をかける。
「おい、アルバイトしないか」
眠っていた、髭と髪が伸び放題の男は目を開け、
「う、なんだ?」
「座っているだけで、一日、一万円払うがどうだ」
ホームレスの男は、胡散臭そうに一旗の方を見ていたが、一旗がワンカップを二本差し出すと、まばらになった黄色い歯を見せて起き上がった。
「おい、まだか」
一旗の後ろにホームレスの男が続いて歩く、
住宅街から山の方に向かい、いくつかの藪を超えて、一軒の空家に入って行った。もう十年以上は空家になっていると思われ、庭の雑草は伸び放題で周りの家や道路からこの家は見えなくなっていた。
ダイニングの板張りの床は所々腐って抜けそうになっていた。ダイニングテーブルと椅子を隅の方にどけて中央を広く空けている。
一旗はそのテーブルの上に、電池式のランタンとコンビニの袋を置くと、酒や、ビール、つまみなどを取りだした。ホームレスの男の顔が輝く。
「とりあえず今日は、これで朝までここにいてくれ」
そう言うと一旗は出て行った。ホームレスの男は、早速、ビールを飲み始め、つまみを貪り始めた。
しばらくして一旗が戻って来ると、ホームレスの男は高いびきで寝ていた。酒の中に睡眠薬を入れていたのが効いたようだ。
一旗はネットで得た情報をもとに、部屋の中央に魔法陣を書き悪魔召喚を試みる。
儀式が終了すると、見た目に変化は無いがなんとなく部屋の空気が変わった気がする。霊感の強い一旗であってもこの時点で姿は見えない。
次に、眠っているホームレスの男を魔法陣の中央に引きずって行き、ナイフで胸部をめった刺しにして息の根を止める。
しばらくすると、死んだホームレスの男から幽体が起き上がって来るのが一旗には見える。
「悪魔よ、その幽体を纏え」
一旗がそう言うと、起き上がったホームレスの男の幽体がこちらを見て笑いかけた。そして、一旗に思念で話しかける。
〈おまえが呼んだのか〉
動揺しながら、一旗が答える。
〈あ、悪魔よ、な、汝の名は〉
〈ハッハハハハ、悪魔だって、まあそんなもんかも知れんが、二百年も前は人間だったんだぜ、あまりに悪い事ばかりしていたので地獄で罰を受けていたのさ、なんとか逃れられないかと地上から呼ぶ奴を待っていたんだ、俺みたいなやつが地獄にはうようよいて、たまたま俺と波長が合ったって訳だ〉
〈な、名前は〉
〈ん、そうだな、人間の時は、儀助といっていたがな〉
〈で、では儀助よ、我と契約を交わそう〉
〈あ、何だそれ、知るか、俺は今からこの地上を思い存分楽しむぜ、じゃあな〉
そう言うと、儀助は出て行った。
一旗が儀助の後をつけて行くと、儀助は居酒屋に入って行った。幽体を纏った儀助は霊感の強い一旗には見えるが、普通の人には見えない。
一旗もついてその店に入り、カウンターに座って儀助の様子を見ていた。すると、サラリーマン風の若い男の後ろに回ったと思うと男の中に消えた。
すると若い男の表情が変わり、急に酒をどんどん飲み始めた。あまりのピッチの速さに向かいに座る同僚らしい男が止めているが聞かない。直ぐに酔っ払って床に倒れこんでしまった。
次に隣の席の、若い女の方に入って行ったがこちらも直ぐに倒れこんでしまった。店内が騒然としてきたので、儀助は店を出て行った。
店の外で一旗に話しかける。
〈久しぶりなんで、一気にたくさん飲んじまった。あー酒は旨いなあ〉
それから三軒ばかり回って、
〈次は、女だな〉
そう言うと、ホテル街へ向かっていったので、一旗はあきらめて家に帰って行った。
失敗だ、あんなろくでもない奴、人の言う事を全く聞かない。
儀助は、ホテルの部屋を次々と回って、男の中に入ったり、女の中に入ったりして存分に快楽を味わった。
儀助は、そんな事を一週間ばかり続けていたが、だんだんと幽体が分解し始めた。
(これはまずい、幽体が無くなれば一分もたたないうちに地獄へ逆戻りだ)
そう思っている時に一人の男が通りかかった。
(よし、仕方がないあの男に乗り移ろう)
儀助は歩いていた男、竹内朔太に取り憑いた。朔太は気がつかない。
儀助は、新しい幽体が手に入るまで朔太の中にいることにした。何とかして手に入れるため朔太に人を殺させようと試みたが、さすがに抵抗が強く言う事を聞かない。酒を飲んだり、女に抱きついたりぐらいならできるがさすがに人殺しまでは無理だ。
一旗は空家に戻るとすぐに殺したホームレスの男を床下に埋めた。
それから数日後、一旗はもう一度悪魔を呼び出すために準備を行っていた。すでに別のホームレスはいびきをかいて寝ている。
一旗は前回と同じ手順で悪魔を召喚する。
最後にホームレスの男を殺すと、ホームレスの男の肉体から幽体が分離して起き上がる。
「召喚されしものよ、その幽体を纏え」
一旗がそう言うと、起き上がったホームレスの男の幽体がこちらを見て立ち上がり、一旗の前まで歩いて来て立ち止まる。
〈お前が私を呼んだのだな〉
落ち着いた口調で話しかけてくる。二回目なのでドキドキはするものの、大きな動揺は無い。
〈あなたのご姓名は〉
〈わしは、桐山作左衛門という名前であった〉
〈かなり昔の方でしょうか〉
〈随分昔のように思えるがどのくらいか分からない。足利将軍家も権威を失い、世は乱れておった〉
〈あなたも地獄にずっとおられたのですか〉
〈わしは武者であった。主君の命に忠実であるがゆえにたくさん人を殺した。永遠に罪を償えない事を悟ったゆえに、地上生活への渇望がここに呼んだのであろう〉
〈わたしの言う事を聞いてもらえますか〉
作左衛門は、無言になって考えている。
〈いいだろう、再び地上に呼んでもらった礼として、お前の願いを聞いてやろう〉
それから数日後の夜、空家の前に一台の車が停められ、立派なスーツを着た男が現れて後部座席からダンボールを三つほど取り出そうとしている。
車の音に気付いて一旗も空家から出て来てダンボールを下ろすのを手伝う。重いので二人がかりで空家に運び込む。
運びこんでダンボールを開けると中には札束がぎっしりと詰まっていた。
スーツの男が話しかける。
「全部で、4億はあるだろう」
作左衛門が、銀行の支店長である高田相三に乗り移って日曜日の支店に入って金を盗んで来たのであった。監視カメラの映像などにより明日になれば犯行はばれるだろう。
直ぐに作左衛門の乗り移った高田相三は出て行った。
(どうせ殺るなら悪党にするか)
相三は車を繁華街に走らせる。
飲み屋の看板が明るい通りに車を止めて歩く。
(夜なのにずいぶん明るいな)
多くの男女が行き交い賑わっている。
その時、通りの向こうから三人の人相が悪そうな男が歩いてくる。三人を見つけた女が挨拶をする。店の前にいる目つきの悪そうな男も、愛想笑いしながら挨拶している。
(あいつらにしよう)
相三は、三人の男の前で立ち止まり行く手を遮る。
「あ、おっさん何か用か」
ガラの悪い男が相三に声をかける。痩せて小さい相三は相手を見上げる。でかい、180センチ以上で体重は優に100kg以上はあるだろう。
それを見ても相三は動じず男の目をしっかりと見据えている。
「なんだ、こいつ」
そう言って男が相三をどかそうと手をかけようとした瞬間、男の首から血が噴き出した。
相三が懐に入れていた包丁を取り出し、男の首を一瞬にして切り裂いたのであった。首は繋がっているものの三分の一は切り裂かれ、手で出血を抑える事も出来ないほどの傷であった。
倒れてもがく男を見て驚く間もなく、もう一人の男の心臓を一突きにした。その様子を見た最後に残った男は慌てて逃げ出し難を逃れた。
騒然とする中、直ぐに警察が現れて相三は無抵抗で捕まった。その瞬間、作左衛門は相三から離れ、近くにいた警官に乗り移った。
「痛い、痛い、痛い」
高田相三は気が付くと、地面に抑えつけられており激しい痛みを感じた。
「やめろ、だれだ、痛い、痛い、離せ、誰だこんな事をするのは」
「動くな、怪我をするぞ」
相三が動こうとしてもがくほど強く押さえつけてくる。
相三はパトカーに乗せられて警察署へ向かっているが何の事か全く分からなかった。今日一日の記憶がすっぽりと抜けている。
作左衛門の並はずれた強い意志は、憑依した肉体を完全に支配するため、全く記憶に残らないのであった。
空家にいる一旗のもとに警官がやってきた。
驚く一旗に、
「わしだ、作左衛門だ」
作左衛門が経緯を話す。
「やった、やった、よくやった。あいつのおかげで俺の人生は狂ってしまった。これで仕返しができた」
一旗は、恨んでいた支店長に殺人の罪を被せることに成功し、大金までを手にする事が出来た。
喜んでいる一旗のもとへ作左衛門の乗り移った警官が無言で近付いて行き、突然警棒で殴りつけた。倒れこんだ一旗の頭から流れた血が顎を伝って床にぽたぽたと落ちる。
「なんで・・・」
驚き目を見開いて見上げる一旗へ、
「わしは、お前のような卑怯者は嫌いだ」
そう言うと警棒でめったうちにして一旗を殴り殺した。
それから数日後、空家で三人の遺体と、ダンボールに入った現金が見つかったとのニュースが流れた。
結火と朔太は大神霊会へ来ている。
結火が州蓮に聞く。
「死んだ小松一旗の霊を呼び出す事は出来ますか」
「おそらくいけると思います」
祭壇に向かって州蓮と美鈴は並んで座り、州蓮が祝詞を上げる。
しばらくして、美鈴の体が揺れ始め、前のめりにバタリと倒れる。
「寒い、寒い・・・」
「あなたは、小松一旗ですか」
州蓮が美鈴に問いかけると、倒れた姿勢のままで小さく頷く。
州蓮は、結火の方を向いて頷く。
州蓮が再び問いかける。
「今どこにいますか」
「分からない、暗い、暗い・・・」
小さな声で呟くように答える。
州蓮が結火に向いて話す。
「どうやらまだ死後の混乱の中にあるようですね、聞き出すのに少し時間がかかるかもしれません」
州蓮は根気よく話しかけ、少しずつ内容を聞き出した。一時間以上をかけてやっと事件の全貌が明らかになった。
結火が汎猟の降りている美鈴に聞く。
「桐山作左衛門が、まだこの世界に留まっている可能性がありますが、どこにいるか調べる方法はありますか?」
「いえ、名前だけではまず分かりません。そして、外に出ていれば見る事が出来ますが、誰かに憑依して魂の奥深くに潜んでいれば容易には見つからないでしょう」
「しかし、この様な事は過去にも起こったはず、何か解決方法があるかもしれません。それぞれのやり方で調べてみましょう」
結火がそう言うと、一同は頷いた。