お義父さんのラブコメ
私のおじいちゃん。 倉橋 紗由
私のおじいちゃんは、朝起きるのがものすごく早いです。
私がどんなに早く起きて居間に下りて行っても、おじいちゃんはもう起きてて、一人でアニメを観ています。
おじいちゃんが好きなアニメは魔法少女モノで、私も大好きなのでいつも一緒に観ています。でもおじいちゃんが特に好きなのは、人がいっぱい死んでみんな不幸になっていくような、暗くて重苦しいので、最近は『魔法少女マドカニワカ』とか観てて、私は、さすがおじいちゃんは凄いなあと思います。私もおじいちゃんみたいに、不幸になっていくようなお話を面白いと思うような、思慮深い人になりたいです。
それからおじいちゃんは私たちと一緒にご飯を食べて、私が学校に行った後、朝の散歩をします。お休みの日なんかは私も一緒に行けるけど、普通の日は一緒に行けなくてつまらないなあと思います。
私が学校から帰ってくると、おじいちゃんはよく、ゲームとかしています。私も一緒に遊びます。そうしていると、今度は秋那おばさんがお仕事から帰ってきます。
秋那おばさんはいつまでも結婚もせずに、パンツとブラだけのカッコでおじいちゃんにくっつくので、嫌いです。あと、なんかあるとおじいちゃんのお布団に入っていくので、嫌いです。この間なんか一緒にお風呂に入ろうとしておじいちゃんに怒られてました。いい年してそういう事をするのは良くないと思います。私が怒ると
「娘だからいいんだもーん」
と言います。でも、年が40歳以上離れてたらいいと思うけど、40歳以上離れてない場合はダメだと思います。
それから夜になって私は寝るのですが、おじいちゃんはまだ起きています。
おじいちゃんは私より遅くまで起きているのに、朝は私より早く起きるので、すごいです。でも、そう言えばおじいちゃんが寝ているのを私は見た事がなかったなあ、て思って、お父さんに聞いてもお母さんに聞いても、寝ているのを見た事ないと言ってました。
それで秋那おばさんならおじいちゃんが寝ているのを見た事あると思うけど、秋那おばさんはダメだと思ったので、お母さんに
「おじいちゃんの寝ている所を見てみたい」
と言ってみたら、お母さんは
「じゃあビデオに撮りましょう」
と言いました。
お母さんと一緒におじいちゃんに、
「寝てる所をビデオに撮らせてください」
とお願いしたら、おじいちゃんは
「見るくらいはいいけど、ビデオは恥ずかしいからいやだ」
と言ったので、私はそれでもいいかなと思ったけど、お母さんが突然土下座して
「お願いします」
と言い出したので、私もその横で一緒に土下座して
「お願いします」
と言いました。そしたらおじいちゃんが慌てて
「わかった。わかったから。土下座やめて」
と言ったので、私とお母さんは土下座をやめて、にっこり笑いました。
それから夜寝て朝起きたらお母さんが
「昨夜、ビデオ撮ったわよ」
と言ったので見してもらおうとしたら
「編集してないからダメ」
と言いました。私が学校に行ってる間にお母さんが編集してDVDにしてくれるって言ったので、私は学校に行ったけど、私は楽しみで楽しみで一日中そわそわしてました。
急いで帰ったら、お母さんが
「DVD出来てるわよ」
と言ったので、さっそく観ました。
本当はおじいちゃんは4時間くらい寝てたのに、DVDは1時間くらいにちょん切られてて、ちょと残念だったけど、その分、おじいちゃんのカッコよさや可愛さがしっかり表現されてて、すごくよかったです。私の宝物になりました。でも、編集前のビデオも、観たかったなあと思いました。
●
「倉橋さん、ちょっと」
担任の吉川涼子は、休み時間になって教室を出ようとした紗由を、廊下に出てから呼び止めた。
「なんですか、先生」
倉橋紗由という少女は、利発そうな瞳をした少女だった。その、意志の強い瞳を持ち上げて吉川を見上げてくる。
「あのね、急なんだけど。先生、倉橋さんのお家に家庭訪問に伺おうと思うんだけど」
「え、いやです」
児童に即答で拒否されて、吉川は言葉に詰まった。二の句がつげないとはなるほどこういう事かと、認識があらたになるような言葉の詰まり方だった。
「…いや、えっとね。いや、とか、そういう問題じゃないの。先生、少しお家の人にお話しを聞かないといけないからね」
ようやく頭の中で整理がついて言葉をつなげる吉川に、紗由は警戒するような目を向ける。
「それって今日の作文の事ですよね。おじいちゃんに会うんですか」
「そうね。出来たらお爺さんにも挨拶、させてもらいたいかな」
「困ります。吉川先生は絶対うちに来ないでください。あ、そうだ」
紗由の大きな目が、吉川の背後に視線を移して、廊下を遠ざかっていく別の女性教諭の背中をとらえた。
「岡崎先生ならいいです。どうしてもっていうなら、吉川先生の代わりに岡崎先生が家庭訪問したらいいと思います」
「いや、岡崎先生は隣のクラスの先生でしょ。どうして私はダメで岡崎先生ならいいの?」
「だってこれ以上お爺ちゃんの周りに綺麗な美人の人が増えると困るんです。だから吉川先生は来ないで下さい。どうしてもって言うなら岡崎先生に、うむぐっ」
吉川は咄嗟に、それ以上続けさせまいと慌てて紗由の口に手をあてた。昨今は子供に対する体罰の線引きが恐ろしく下がってきてて、こんな事でも場合によっては、教諭による児童への体罰と受け取られかねない。だが、本当に咄嗟の事で、そんな事にも頭が回らなかった。
「ちょっと倉橋さん」
小声で抗議する。
「そういう事あんまり大きい声で言わないで。先生、職員室ですっごく肩身が狭くなるんだから」
紗由は分かった、というようににっこり微笑むと、口を押える吉川の手を両手で外して、さらに声のトーンを上げた。
「そんなのは知らないけど、ただ私は吉川先生は若くて美人なのでおじいちゃんに合わせたくないだけで、だからその代わり岡崎先生に…!」
「わっ、こ、こら!」
慌てて再度口をふさごうとしたが、するりと切り抜けられてしまう。距離をとってから振り向くと、紗由は
「とにかく吉川先生は私のウチに来ちゃダメですから。失礼します」
ペコリと頭を下げ、返事もきかずに走って逃げてしまった。
「…もうっ!」と大きくため息をつく。
●
職員室に帰った吉川は、パソコンで学校の業務システムにログインして、倉橋紗由の住所と電話番号を引っ張りだした。
当該児童に「来るな」と言われて家庭訪問を中止する小学校教師はあまりいない。とは言え、小学生の児童にはっきりと「家に来るな」と言われるのはかなり、くるものがあった。教師として、というより、もう、一人の人間として辛い。内心ちょっと涙目だ。
だが負けるわけにはいかなかった。とりあえず親御さんに連絡をとって、家庭訪問の旨を通知しておかなくてはいけない。学年主任の許可はすでにとってある。
倉橋紗由の家に電話をかけた。電話口に出たのは女性の声だった。
最初は外向けの固い声だったが、担任の吉川だと名乗ると『あら』と突然軟化した声になった。
『先生でしたか。母の紗重香です。どうもその節は』
とそれから少し社交辞令の挨拶が入るが割愛する。
『それで、今回はどのような?』
と先に紗重香の方から本題を促されたので、それでは早速と吉川は、今日の作文の話から切り込んでいった。
「紗由さんの作文なんですが、もう読まれましたでしょうか?」
『はあ、お義父様の事を書いた作文ですね。ええ、昨日の夜、紗由に読ませてもらいました。あ、えっと、何か問題が?』
「いえ問題というか、その。紗由さんはお爺様の事がずいぶんと好きみたいで」
『ええ、そうなんです。本当にあの子、お爺ちゃんっこで、ちょっとお爺ちゃんっこ過ぎるかなとも思うんですが』
お爺ちゃんっこで済むレベル超えてんだよ、と内心でつっこむが、もちろん口には出さない。
「ええ。今日突然ご連絡させていただいたのは、まさにその事なんです」
『はあ…?』
電話の向こうで頬に手をあてて、不思議そうに首をかしげているのが見えるような返答の声だった。とりあえず理解してもらうのは後回しにして、まずは話を進める。
「それでですね、一度ご自宅に伺わせていただいて、お爺様にも同席してもらった上でお話し聞かせてもらった方がよいかと」
『はあ?』
そこまで言った所で一転して今度は最後まで言わさない勢いの固い声が返ってきた。
『お義父様も一緒にっていうのはどういう事でしょうか』
文末「でしょうか」で終わってるのに明らかに疑問符のついてないイントネーション。
「えっと、ですから、今後の紗由さんに対する対応の仕方についてですね」
『その事にお義父様は関係ありませんよね』
とやっぱり文末「よね」という呼びかけで終わってるのに疑問符がない。
いやいやいや、関係ないわけないじゃないですか。と突然緊迫し出した空気に、吉川の内心のつっこみも、狼狽え気味の丁寧語になってしまっていた。
『あの、失礼を承知で申し上げるのですが、お義父様と先生を合わせるわけにはまいりませんので、後日、日を改めて私からそちらにお伺いさせていただくという訳にはまいりませんでしょうか』
だから! 疑問符! もっと語尾を上げていこうよ、お母さん! それだと決定事項押し付けてるだけにしか聞こえないからっ!
「え、ええっと。紗由さんのお爺さんと私を合わせるわけにはいかないというのは、一体どういう…?」
『察していただけませんか? 先生のような若くて綺麗な女性を近付けたくないと言っているのです』
この母娘は…!!
そのどうしようもなさをどう表現したものか、吉川は絶句したまま、言語野を焼き尽くす勢いでシナプス内の電気信号をグルグルと駆け巡らせるのだった。




