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異界初日

ワタナベジロウは、寝ているのか起きているのか分からない、浅い眠りと深い眠りを小さく繰り返し、いくつもの夢を見た。

隣で寝ているテルが、肘枕をしてこちらを眺め、優しく笑っている顔も見たような気もした。

真っ白で艶やかな犬が優雅に森を走る美しい姿も見たような気もした。

学校のようなところで小学校低学年の子たちが、元気に笑っている姿も見たような気もした。

ジロウが、瞳をゆっくり開いた。

まだ眠そうで、どこか寝ぼけた様子だった。

ゆっくり寝返りをうち、隣に敷かれた布団、誰か眠っていた跡に気づき、彼は飛び起きた。

あたりを見回した。

両手を大きく広げたより、少し大きめの神棚があるだけで、何もない板の間の部屋。

壁は神棚のある一面だけで、残りの三面は木枠に磨りガラスが入った、障子のような戸が三枚ずつはまっているだけだった。

ジロウは口元に手を当てて昨日のことを思い出そうとした。

考えがまとまらない。

「落ち着け。」

そう言って、息を吸って、ゆっくり吐き出した。

昨日、大きな獣に追われて神社に逃げ込んだ後、テルに再会し、テルの手を取ろうとしたところで記憶が途切れていたことまで、ジロウは思い出した。

障子のようなガラス戸を横にずらすと、軋みながら開いた。

戸の外は、縁側になっていて、脛の高さまでの、手すりがついていた。

縁側と地面までは、1メートル程度の高さがあった。

左手少し遠くに鳥居が見えた。

ジロウは左手側に進むと、賽銭箱、参拝のときに鳴らす鈴、階段があり、階段下にジロウの靴も揃えておいてあった。

けれど、それよりも目を引いたのは、テルの後ろ姿だった。

軽く拳を握った右手を、顔の高さくらいまでにあげ、その拳と同じ大きさの真っ白な日に輝く鳥が、拳にとまっていた。

「テル…」

ジロウは名前を呼びかけて、とどまった。

ジロウの知っているテルと少々肩幅が…骨格が違うようだった。

けれども、声はテルに届いており、テルは振り返った。

「ジロ、目、覚めたか?」

野太い声がした。

テルの背丈は、昨日より伸びているようで、浴衣は昨日と同じなのだが、丈がだいぶ短くなっている。

「テル…さん…ですか。」

ジロウは泣きたい気持ちになった。

テルとの思い出が走馬灯のように流れ、その場に崩れ、座り込んだ。

「ジロ、大丈夫か、どこか痛むか?」

テルが走り寄ってジロウの肩に触れた。

ジロウにとっては、肩をがっしり掴まれたように感じた。

ジロウにとって、この世界で頼れるのは、テルさんしかいない。

むしろ、あの美しいテルさんを頼りたかった。

テルさんだったからこそ、こっちの世界にかけてみようと思ったのかもしれない。

ジロウは、そんな自分に気がついた。

そのテルさんが、なんだかゴツい。

この世界で夢見たバラ色の未来が少しくすんだ。

「い…いえ。本当にテルさんですか?」

ジロウにも答えは分かりきった質問だったが、テルの双子の兄弟というようなオチにならないだろうか…という願いを込めて聞く。

テルは少し考え込んで、思い至ったように、笑った。

「あぁ、この姿か?昨日、ジロが突然倒れてな、昨日の姿ではビクとも動かんでな、この姿で中に運んだんに。」

ジロウは「よいしょ」という声とともにお姫様抱っこされた記憶が朧げに浮かんだ。

「テルさんの本当の姿はどっちですか?」

テルさんの唇の柔らかさと匂いを生々しく思い出す。

「ウチの本当の姿か…難しいことを聞くな。ジロは女の姿のウチが好きか?」

「はい。」

ジロウは即答した。

本能のままに即答した。

そして、即答した自分に後悔した。

自分はクズだと思ったが、でも、あの美しさは毎日見ても飽きなかっただろう。

むしろ、飽きるまで毎日見ていたいと思った。

「ふふふ、くすぐったいのう。しばらくは無理だが、なるべく女の姿で過ごすとしよう。」

テルは少し照れたように笑った。

ジロウはテルの顔をまじまじと見た。

確かに作りは男だが、かなりのイケメンなことに気がついた。

学校の女子が彼を見かけると「キャーキャー」騒ぎそうな顔立ちだった。

学校の中で騒がれている先輩がいたが、それよりもはるかに顔が整っていた。

照れたように笑うテルの顔に、脈拍が早くなるのを感じた。

「そうだ。ハレが待っておるぞ。」

テルが振り返ると、真っ白な大型犬が尻尾を振りながら鳥居の側に座っていた。

尻尾で砂埃が待っている。

「ハレ?」

「覚えておらぬか?」

「筋斗雲ですよね?」

「そうじゃ。」

「あれは犬ですよね?」

「犬か?狼じゃないか?」

「そもそもテルさんの筋斗雲ですよね?」

そんな会話を繰り返している間も、真っ白な大型犬は嬉しそうに砂埃をあげながら、尻尾を振っている。

「それがね、うちが呼んでも来ないんよ。鳥居からは入ってこぬ。」

「見た目じゃないですか?」

そう言いながら、ジロウは靴を履いた。

「ハレ。」

ジロウが呼ぶと、忠犬ハチ公のごとく、真っ白な大型犬が飛んできた。

ハレに押し倒されながら、ハレを撫でていると、視界の端に見たことのあるスーツケースが目に入った。

「あれは。」

ジロウが起き上がると、ハレもじゃれつくのをやめて、ジロに寄り添った。

それでも、辛抱たまらんというように、ハレは二郎のほっぺを鼻でつついている。

「ハレが持ってきたの。異界の物なんやけど、触らせてくれぬ。」

「ハレ偉い。すごいぞ。」

ジロウはハレの首に抱きついた。

「それじゃあ、あれは。」

「僕が持って来たものです。」

テルは困ったような、でも少し嬉しそうな顔をして「フッ」と息を吐き出した。

「持ち主もわかったことやし、もう触っても怒らんな?」

テルはハレに言うと、ハレは許可を出すように尻尾を振った。

テルが鳥居側のスーツケースへ向かって歩き出す。

「どうするんですか?」

ジロウも立ち上がって、テルを追った。

「あのまま置いておくわけにもいかんし。とりあえず、中に入れよう。話はそれから。」

テルはスタスタと歩いて、スーツケースの側へ行く。

「自分で持ちます。」

テルはヒョイと持ち上げて「ん?」と振り返った。

「じゃぁ、こっちを頼む。」

スーツケースの側には、ボロボロだが、リュックサックもおいてあった。

テルは歩いてきた速度と同じ速度で、スタスタと本殿へ戻る。

ジロウは昨日、スーツケースを持ち上げることができなかった自分の腕を見た。

そして、ジロウはあることを思い出した。

自分は勇者になったのだということを。

細い腕は相変わらずだが、リュックサックを手に持つと…昨日と変わらず重かった。

むしろ、昨日より重い気がした。

ジロウは、リュックを抱えてスタスタ歩く自信がなく、少しでも軽く見せようと、ボロボロのリュックを背負おうとしたら、リュックが急に軽くなった。

ハレが下からリュックを支えていた。

嬉しいやら、情けないやらで「ありがとう。」と言うのが精一杯だった。

ハレは小さく「クゥー」と鳴いた。

テルは、本殿への階段を登り、縁側部分にスーツケーステルを置き、その側に足を投げ出して座った。

つんつるてんの浴衣は昨日と同じルーズな着こなしで、浴衣の割れ目から、太ももがのぞいている。

ジロウは視線の高さにあった太ももに思わず見入ってしまい、慌てて目をそらした。

男らしい太ももにも関わらず、動悸がした。

階段を登り、スーツケースのそばにリュックを置いた。

ジロウがリュックの側に座るか、テルの前に立っているか迷っていると「まずは、食べよ。」と、テルが、どこからか竹皮の包みと竹筒をジロウへ差し出した。

ジロウはテルから受け取ると、リュックの側に座った。

ハレはジロウの側に寄り添うのように座り、鼻先だけをチョンとジロウの太ももに乗せた。

ジロウは竹筒を縁側に置き、ハレを優しく撫でると、竹皮の包みに視線を落とした。

ジロウにとっては、竹皮の包みは初めてだった。

竹皮にかけられていた紐をゆっく外して、竹皮の包みを開けると、おにぎりが二つ、沢庵が二切れのっていた。

ジロウには、すごく美味しそうに感じられ、お腹が減っていたことに気がついた。

ツヤツヤしたお米に、下半分ほどに海苔を巻いたおにぎりを口に入れた。

子どもの頃食べたおにぎりを思い出す。

お米の匂いと味が口の中に広がった。

「美味しい。」

二口食べたところで「ハレも食べる?」と聞いた。

ハレは驚いたように顔をあげた。

ジロウは気づいていなかったが、テルも少し驚いた顔をし、そして優しい瞳をジロウへ向けた。

「おにぎりダメですか?」

ジロウはテルの方を向き、聞いた。

「分からぬ。なんせ雲がそこまで意思を持ってるのを見たことがない。」

「そうなんですか?」

「そもそも、筋斗雲の術は解けておる。」

テルは沢庵を口に入れながら答えた。

「え?じゃぁハレはどういう状況なんですか?」

「言霊かなぁ。」

「言霊?」

「ぬいぐるみが意思を持ったとか、それに似た状況やね。」

テルは竹筒を手にとった。

「へぇ。」

ジロウは、誇らしい気持ちが広がっていくのを感じた。

「食べれる?」

ジロウはハレに向かって、おにぎりを乗せた手を広げた。

ハレはおにぎりを口に入れ、美味しそうに食べた。

「あ、手。」

ジロウは広げた手を見ながら呟いた。

「手?」

テルが竹皮を小さく握りつぶしながら聞き返す。

「手を洗ってない。」

ジロウが言うと、テルは「くっくっ」と小さく笑って、「奥に井戸があるぞ。」と答えた。

「いえ、大丈夫です」

ジロウは恥ずかしい気がしながら、右手をズボンでこすって、二つめのおにぎりを勢いよく頬張った。

そして、半分まで食べると、ハレに残りを差し出した。

竹筒の栓を抜いて、口に当てて、恐る恐る飲んだ。

水のようだが、竹の香りが口の中に広がり、水にも甘みがあって、ジロウはこれほど美味しい水は飲んだことがなかった。

ジロウは手のひらに水を出し「ハレ」と言うと、ハレはジロウの手のひらを舐め水を飲んだ。

テルはジロウが沢庵まで分けて食べ終えるのを見て言った。

「それでは、一つ一つ話を進めていこう。まずは、ジロの妻だ。」

「妻!?」

テルがそう言って手を一つ叩いた。

本殿から1メートルほど離れた所に、モヤが生まれ形を成した。

「急に呼ぶ奴があるか。」

野太い声が答える。

「さっき、今日は時間があるって言っていたやん。」

「すまんが、急用だ。失敬する。花婿殿。」

ジロウと一瞬視線を合わせて、形は再びモヤとなり、消えた。

「忙しいヤツでな…ジロ、どうした。大丈夫か?」

ジロウは口をパクパクさせていた。

顔も心なしか青白い。

「……ツマ…ハナムコ…。」

ジロウは蚊の泣くような声で呟いた。

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