万里長風
入学試験は終わったが、1日は終わっていなかった。今日は、宿を手配することが1番の目的だったことを、ジロウは失念していた。
「ところで、宿はどこになった?」
校長室を出ようとしたところで、姫が聞いた。
「試験の間にテルさんが手配してくれていると…いいな。」
「それは…ないな。」
「ないんですか。」
ジロウはがっくりと肩を落とした。でも、テルさんらしいといえば、テルさんらしい。そんなジロウの気持ちを汲み取ったかのように姫が言った。
「物理的に無理なんだ。この辺りには宿がないし、この世界では宿を手配するには、直接宿に出向くしかないんだ。」
「今から真都に戻って、宿を手配するということですか?」
「それも、無理だ。真都への門は、15時に閉まる。その周辺の宿なら、もしかしたら泊めてもらえるかもしれないが…ここから歩くには、距離があり、野宿は危険。ちなみに、空を飛ぶのは論外だ。本来なら、厳罰に処されることになる。もしシンがまた飛びそうになったら、止めてほしい。」
姫から怒りに満ちた冷気が流れてきたようにジロウは感じた。
「この国の移動手段って…馬車でしたっけ?」
「ああ、事前許可申請が必要な馬車。あとは、特定の場所に瞬時に移動できる権利を与えられている人がいる。」
「帝は、どこにでも行けますけどね。それに、空も多少は飛んでも大丈夫です。規則を覚えて楽しむといい。誰もが雲に乗れるわけではありません。」
三十一谷人副校長が言葉を足したところで、ノックが聞こえた。ノックというよりも、引き戸をガタガタと揺するような音で、ジロウは音だけで、ノックの主がテルであろうことが想像できた。
返事も待たずに、戸が開いた。
「テストどうだったー?」
テルの能天気な中に艶のある声が校長室に響いた。テルの傍らにはハレ。後ろには、サノもいる。
「あ…の…小学部からでした。」
テルに報告するとなると、ジロウは気恥ずかしくもあり、後ろめたくもあった。後ろめたくなる原因は、猫耳達との学園ライフに思いを馳せたことだった。テルと付き合っているわけでも何でもないのだから、後ろめたくなる必要など微塵もないのだが。極端にいうと、テルに対して、独占欲が出てきたということだった。自分のモノだと思うからこそ、自分が他に心が奪われたことに後ろめたくなった。
「私は、試験を受ける手配を頼まなかったかな?」
姫がゆったりと足を組みながら、テルを見据えた。
「言われたことだけをするのは、二流。」
テルは妖艶な笑みを口元に引いて、姫の視線を受け止めた。
「当面の宿泊先は?」
会話不能とばかりに、姫は両目の奥をほぐすように手を目に当てた。
「もちろん、ね。」
テルはサノの肩に手を置いた。
「えー、うち?まあいいけど。」
サノは初めて聞いた風で、驚いた顔をしたが、テルの扱いに慣れているのか、抵抗は一切しなかった。むしろ、夕食を一緒にと言われた時点から、薄々感じていたのかもしれない。もっといえば、交通手段がないのだから、テルが現れた瞬間から、あーうちに止まるんだろうなぁと思ったとしても不思議ではない。
「姫の夕食の予定は?」
「会食の予定あり。」
「三十一谷人副校長は?」
「私は帰ります。」
「じゃ、話がまとまったところで、解散。お腹すいたー。」
最終的に、テルがサクサクと話を進めて、解散を宣言してしまった。三十一谷人副校長は、「では、失礼します。」と校長室からさっさと出て行ってしまった。姫も諦めたように、立ち上がった。
「今日も慌ただしくてすまなかった。近いうちに必ず都合をつける。ゆっくり話をしよう。サノ、すまないが、2日ほどジロを頼む。ゆっくりと休ませてやってくれ。」
「いいわよー。」
姫は、サノの返事に頷くと、姿が徐々に薄くなり、キラキラとした光を残して、消えた。
「さ、行きましょう。学校から10分くらい歩くの。もう少し頑張って。うち、温泉も引いてあるから、すっごく癒されると思うわ。っていうか、温泉が引いてあるから、住んでるんだけどね。」
「三十一谷人副校長も、この辺りに?」
「いいえ、真都の外にお家があるわ。この辺に住んでるのは、私だけよ。この周辺は、この学校しかないの。この通りのお店は学生向けで、学生が勉強のために経営してたりする店もあるの。しかも学校がお休みの土日しか開かないし。かといって、土日は生徒ばかりで落ち着かないもの。夏休みとかの長期休暇はずっと閉まってるし。だから、基本的に他の先生方も、真都に住んでるわ。そうね、真都の外にお家を建てた三十一谷人副校長は変わり者よ。」
江戸時代の宿場のようなイメージそのままに、両側に木造の平屋や、二階建ての家が両側に並んだ通りを歩きながら、サノが説明した。
サノの手には、提灯が握られ、唯一の灯りだった。
両側の建物には、灯りもなく、人の気配も感じられず、ひっそりとして、ジロウには不気味に映った。
「じゃあ、今学校にいるのは。」
「生徒。後は、先生方が当番制で6人。でも、ほら、最初に会った検非違使という、警備員みたいな人が学校内や周辺を24時間守ってるわ。」
会ったというか、狙われたというか。ジロウは、遠い昔になりつつある今日の午後の恐怖を思い出した。こっちに来てからの1日を、とても長く感じていた。
「あの時は、都からも派遣された人が混ざっていたから、あれほど多くはないけど。それから、この学校には、結界も貼ってあるから、安全よ。きっと帝もそのことを考えて学校を選んだのね。愛ね。愛。」
「サノさんは、僕のこと。」
「聞いたわよ。お姉ちゃんに。ほんとひどいことするわよね。ごめんね。」
「いえ、選んだの僕なんで。」
「そう、だったら、もう言わないわ。あなたが頑張ったから、道が拓けたのね。」
「拓けたんでしょうか…。逃げだだけのような気がします。」
「ちょっと、逃げただなんて、言葉が悪いわ。道なんて、1つじゃないのよ。一生懸命生きられる場所を見つけなさい。」
暗いからだろうか、サノの言葉はジロウに染みたし、ジロウも素直な気持ちが出た。
馬に変形したハレの背に、テルは乗り、首にしがみつき「お腹すいた。」と、つぶやき続けている。
「ところで、ハレちゃんは、ジロちゃんの式神なのよね。」
「式神なんでしょうか。」
「ちょっとイレギュラーだけど、モノに生を吹き込むという点では式神ね。他に説明のしようがないし。」
「学校が始まったら、ハレはどうなるんでしょうか。」
「ずっと一緒にいられるわよ。式神や、眷属は小学部では1つ、中学部では2つ、高等部では3つまで。ただし、規定があって、もう少し小さめのサイズじゃないと無理だけど。」
サノの説明の途中で、ドサっという音と「痛いー。」というテルの声が聞こえた。
「あらあら、本当にこの子はジロのことが好きなのね。」
ジロの肩にリスの姿になった、ハレがちょこんと乗っていた。
「本当に不思議ねー。」
サノが右手人差し指をハレに伸ばすと、ハレはサノの人差し指に、頬をすりつけた。
「かわいい。たまらないわ。」
「放置しないで。」
「あらあら、姉さん、どこかケガしなかった?」
サノは、大げさともいえる仕草で、テルを立ち上がらせ、ケガの確認をした。
「大丈夫。」
テルは拗ねたようにブスッと答えた。
「ほら、もう着いたわ。ご飯の前に温泉に入りましょう。お酒もあるのよ。」
サノの指を指した先には、瓦屋根の平屋で、かなり大きな日本建築家屋が姿を現した。
「さすがー。」
テルは機嫌を直して、足取り軽くさっさとサノの自宅敷地内に入っていった。
ジロウは後ろを振り返った。お店の立ち並ぶ道を抜けた先から左手にずっと土壁が続いており、土壁が切れた奥にサノの自宅がある。つまり、この長く続いた土壁の中は、全てサノの自宅ということになる。さらに、ここが土壁の最終地点なわけではなく、折り返し地点なのだ。門を挟んだ、その先には再び長くで、土壁が続いている。その大きさに、ただただ、ジロウは口をあんぐり開けた。
「さすがー。」
テルは機嫌を直して、足取り軽くさっさとサノの自宅敷地内に入っていった。
サノが玄関の戸を開けるより先に、戸が開いた。
「おかえりなさいませ。」
小袖に羽織袴、短髪の男性が、腰を折って出迎えた。
「ジロ、月白よ。この家の全てを取り仕切ってくれているの。」
「お世話になります。」
月白は、値踏みでもするように、鋭い眼光を、ジロウに向けながらも「どうぞ、ごゆっくり、おくつろぎくださいませ。」と丁寧に返事をした。
「月白、彼は異界の子なの。この世界のことわからないから、うちにいる間、この子のお世話がかりを付けてくれない。」
「うちがいるやん。」
テルがジロウの背中から腕を回して、抱きついた。
「姉さんは説明下手でしょ。適当だし。早くこの世界に慣れるのが、彼のためよ。」
「えー。」
不満そうなテルに対して「私がつきましょう。」と月白が返事をした。
「いや、月白は、忙しいじゃない。」
サノは、遠慮しようとした。ジロウも、遠慮して欲しかったが「問題ありません。」と月白は押し切った。
畳廊下を進み、テルとジロウと、それぞれ部屋に案内された。案内された部屋は和室20畳近くあった。窓からは水の流れる音のする庭が、薄明かりに照らされて、ぼんやり浮かんだ。
浴衣のような簡素な着物を着た女性が二人、ジロウの部屋を訪れた。1人は手にお茶を持っており、もう1人は明日の着替えを持っていた。お風呂場の場所や使い方の説明と、夕食の部屋の説明をして、2人は部屋を後にした。
ジロウはお茶を飲んだ後、言われた通りに、お風呂場へ向かった。お風呂場の入り口には、月白が立っており、ジロウを見つけると、一礼した。
月白は、テルが昨日してくれたように、米ぬかの使い方などを、テルよりももっと丁寧に説明した。
お風呂は、内湯と露天風呂があり、両方とも10人でも20人でも入れそうな大きさで、檜造りで、良い香りが漂っていた。
露天風呂からは、庭が見え、黄色い灯りがふわふわと、蛍のように幻想的に飛んでいた。ただし、蛍というには、光が大きかった。
お風呂から上がって、ジロウは浴衣を着て、外に出ると、月白は、お風呂の前に立っており、すっとお風呂の脱衣所の方へジロウをいざなった。
脱衣所で、月白はジロウに浴衣の着方、帯の結び方を説明した。
夕食は、立派な床の間のある、多少こじんまりした、それでも20畳以上はありそうな部屋に、足つきのお膳が用意されていた。
テルは浴衣に着替え、すでに着みだれており、お酒や食事が進んでいた。
「お風呂、素敵だったでしょ。」
サノが手を振って、空いている方の席を指した。
ジロウは座ると、月白が、冷たいお茶を持ってきた。
穏やかに夕食は進み、テルは寝てしまい、お開きとなった。翌朝も同じ部屋で朝食だとサノが説明し、ジロは部屋に戻った。部屋にはふっくらした布団が敷かれて、すぐに眠りに落ちた。
翌朝、目を覚まし、昨日の夕食と同じ部屋へ行くと、1人分のお膳が用意されていた。
すぐに女性がやってきてお茶を入れ、ご飯をついだ。
「あの、テルさんと、サノさんは?」
女性に聞くと、月白が静かに部屋に入ってきており「テル様はお出かけです。主人は学校へ行きました。」と言い、ジロウは背後から突然声がしたことに驚いた。
女性は一礼して部屋を後にした。
「食事が終わりましたら、着物の着方をお教えいたします。その後は、1日ご自由にお過ごしください。屋敷内は自由に散策されて結構です。温泉もお好きなときにお入りください。」
「今、何時でしょうか?」
「今は10時頃です。」
「24時間ですか?」
「はい。ただし、きちんとした時間は都や学校でしか分かりません。おおよその時間は日時計で知ります。外にございますので、後でご覧になってみてください。」
着物の着付けを習ったあと、何度か練習しているうちに、お昼となり、月白がジロウを部屋に呼びにきた。
お昼になってもテルは戻って来ず、昼ごはんも一人で済ませた。
そして、ジロウは味わったことのない、暇を持て余した。
携帯もとうに電源が切れ、充電もできない。
家の中を散策したものの、遠慮がちに、散策してしまい1時間で終わった。
人の家では、いくら部屋をあてがってもらったとはいえ、鍵がかかるわけでもなく、大の字になって寝転がるには気が引けた。
電源の入らない携帯をジロウは何度も触った。
夜は、3人で楽しく夕食をし、再びテルは寝落ちし、お開きになり、部屋に戻ったものの、ジロウは眠れなかった。
ここ数日こそ、疲れていたために、簡単に眠りに落ちたが、ジロウは完全な夜型だし、携帯もパソコンもなく、灯りもないこの部屋では1秒がとても長かった。