隊長さんが決意しました
「今、私達が居るのがここです」
焚き火が照らし出した地図を指してルリアが言う。
『……』
ルリアの膝の上から半眼で地図を睨み付けるウィードは不機嫌そのものだ。
「なので明日からは……って、何ですか? まだ怒ってるんですか?」
不機嫌なウィードに気が付いたルリアが問いかけた。
『ガゥワ!』
返ってきた不機嫌丸出しの声に苦笑する。
「だから謝ったじゃないですか。でも、私は騎獣士なんですからあのくらいの事は日常茶飯事なんですよ? そんな、いちいち目くじら立てなくたっていいじゃないですか」
『ガルルル』
「あ!」
ルリアの言葉に低く唸ったウィードは膝の上から抜け出しギルの足元で丸くなった。
そんなウィードにルリアは困った様に息をついた。
何故ウィードがここまで不機嫌な様を隠さずに怒っているのかと言うと、事は数時間前まで遡る。
男達を倒した方法を話した後、少し遅めの昼食を摂ったルリアとウィードは日が暮れる前に薪を集めようと森の中に入って行った。
ウィードもサラウィルの子供の姿になって五日目ともなれば慣れたもので、偶に躓いてよろけたりしながらもルリアの後を着いて行き薪拾いの加勢をしていた。
そんな時、ガサリと藪を揺らして目の前に現れた魔獣に臨戦態勢をとったウィードとは対照的にルリアの瞳が輝いたのが全ての始まりであった。
「ルルブルだ!」
『ヴオォォォォ!!』
ルルブル、とルリアが言ったその魔獣は深緑の体毛に覆われた大きな獣だった。
猪の様に突き出した鼻と上下から生える鋭い犬歯。
体は熊に似ているが、そこから生える尻尾はとても太く蛇の尾によく似ていた。
そんな魔獣が、ルリアの倍はありそうな体を立ち上がらせ歯を剥き出しにして威嚇しているのだ。
残念ながら草食系に全く見えないその姿に、ウィードは体中の毛を逆立てて出せる限り精一杯の低い唸り声を出して負けじと威嚇した。
相手の意識が少しでも自分に向いている隙にルリアが逃げてくれればいいという思いからの行動だった。
……が、しかし。何を隠そうルリアは騎獣士であった。
中身が理性溢れる人間の男で、姿は可愛らしい子供であったとしても肉食系の魔獣に変わりはないサラウィルの子供の肉球を数時間飽きる事無く触り続けた無類の魔獣バカな騎獣士であった。
だからこそ、ルルブルが現れた瞬間に瞳を輝かせたルリアが逃げるなどある訳がなかったのだ。
「おお、大きいねぇ! 牙の感じから二歳くらいかな? ねえ、君お腹すいてる? 干し肉食べる?」
『ガウ!?』
そんな事を言いながら自分の前へ出たルリアにウィードは驚いた。
しかもその手にはちゃっかり干し肉が握られているではないか。
死にたいのかこいつは!?
と、ウィードが思わず思ってしまっても許されるだろう。
何とか後ろに下げようとルリアが提げている鞄に噛みついて引っ張ってみるが如何せん体重が軽すぎる為びくともしない。
そんなウィードの努力も空しくルリアは更に一歩ルルブルに近づく。
「ほら、おいで」
干し肉をヒラヒラと振って笑顔で言うルリア。
もう一歩、とルリアが踏み出そうとしたその時、ルルブルが腕を思いっきり振りかぶった。
「あ、」
やばい、とルリアが小さく呟く。その声音にはどこまでも危機感というものが欠落していた。
『ヴァァァァァ!!』
『ッ!!』
「おわ!?」
ルルブルの腕がルリアの頭目がけて振り下ろされたその瞬間、ウィードがルリアの頭を後ろ足で思いっきり蹴った。
前のめりになったルリアの頭すれすれをルルブルの鋭い爪が通過する。
「うわ、ギリギリ」
『グワゥッ!! グルルルルルル!!』
『ヴォァァァ!!』
他人事のように呟いたルリアの前に立ち必死に威嚇するウィード。
ルルブルも唸り声を上げて一歩距離を取り様子を伺っている。
「しょうがないなぁ」
そんな二匹を尻目にルリアは鞄の中を漁りギルに与えていた生肉を取り出した。
「ほら、取ってこーい!」
『ヴォァ!』
『ガウ!?』
ポーンと放り投げられたそれを瞬時に追ったルルブルが森の中へと姿を消す。
突然の出来事にウィードは何が起きたか分からずに瞬いた。
「ほら、行きますよ」
ひょいっとルリアに抱えられギルの元へと帰ってやっと正気を取り戻したウィードはルリアに下すよう訴える。
『ギャウワ!』
「え? 下りるんですか? ……仕方ないですね」
ウィードは、渋々自分を下したルリアへ四肢が地面に触れたその瞬間、再び今度は腹目がけて蹴りをかました。
「ウへア!?」
何とも形容しがたい奇声を上げてお腹を押さえたルリアが恨めしそうにウィードを見る。
「何するんですか!?」
『ガルゥワゥ!!』
「へ?」
『ゥワウ! ガルル、ガウ!!』
「……いや、分かりません」
何かを一生懸命に言っているウィードだが、残念ながらルリアには伝わらない。
ただ、何となくその様子からくみ取れたのは、
「もしかして怒ってるんですか?」
『ガウ!!』
ルリアの言葉に大きく頷くウィード。
そんなウィードの姿にルリアは首を傾げた。
「え? 何に対して?」
『ガウワ!?』
本気で分からないと言った風のルリアにウィードが信じられないと声を上げた。
『ガウ、ワウワ、ガウギャウガルル!』
「あー、と……? 待って下さいね、えっと……」
身振り手振りで伝えて来るウィードにルリアがその動きを見ながら考え込む。
「あぁ! さっきのルルブルの事ですか?」
『ガウ!!』
頷いたウィードが更に続ける。
「えーっと、もしかして、私がルルブルに何の警戒も無しに近づいた事を怒ってると?」
『ガウ!!』
「あー、成る程」
再び頷いたウィードにルリアもようやく彼が何を言いたいか理解して頷いた。
「隊長さんは私に逃げて欲しかったんですね」
『ゥワウ!』
「そうでしたか。それはすみませんでした」
『……』
ペコリと下げられた頭。
それを見るウィードの表情は釈然としない感じで眉間に深く皺を刻んでいた。
その場はそれで一応の収拾がついたがウィードは矢張り納得がいかなかった。
何にと聞かれてもはっきりと分からないのだが、先程のルリアの行動を思い返せば返す程、ウィードの中には何だか分からないモヤモヤが募っていくのだ。
そうしてルリアが簡易テントを張り焚火を焚いている間、ウィードは何に納得がいかないのかを考えた。
ルリアの行動を思い返し、ルリアの言葉を思い返し、何度も何度も考えて、そしてやっと分かったのだ。
分かると同時にまた、腹立たしくなってもきたが。
そして冒頭へと戻る。
『……』
先程までどうしたものかとこちらを見ていたルリアは諦めたのか今は再び地図を見ている。
そんなルリアの姿を見ながらウィードは一つ溜め息を吐き出した。
『……』
彼女はあの時、ルルブルと対峙した時、自分の命の事などこれっぽちも顧みていなかった。
目の前に迫る死の気配に、それでもけろりと笑って立っていたのだ。
彼女は、生に執着していない。
だから、ルルブルの鋭い爪が目前に迫っても動かなかった。
それで死んだらそれはそれで別にいいとでも思っていたのかもしれない。
危険性の高い野生の魔獣を相手にする事が多い騎獣士という職故にそうなったのか、元々彼女自身がそういう考えなのかは分からない。
それでも、ウィードにとって彼女のそんな姿勢は酷く腹立たしいモノであった。
騎士は国民の命を守る為に在る。
それが例え押しつけがましい行為だとしても、ルリアはウィードにとって“守らなければならない国民の一人”なのだ。
『……』
彼女が望もうが望まなかろうが関係ない。
ウィードはルリアを守ると決めた。
せめてこの旅の間だけでも、彼女の命は自分が守ると決めたのだ。
出来れば、彼女が少しでも自分の命を尊く思ってくれるようになる事を願って、ウィードは静かに目を閉じたのだった。