隊長さんとアマト姉様
二人はその日、アマトの家に泊まる事となった。
アマトが用意したお茶で一服した後、人の中に行くのは嫌だとごねるルリアに無理矢理お金を手渡して半強制的に外へと出してお使いを頼み、残ったウィードには絵のモデルとなってくれる様に頼み、『どうせなら今日は泊まっちゃえば?』と人の言葉を話せないウィードに向かってニッコリと笑って提案したかと思えば、『はい、決まり!』と勝手に決定していたのだ。
ポカンとしているウィードに絵を描いていた手を止めてアマトは笑った。
「あなたが何処の誰で、どういった経緯であの子と共に居るのかは分からないけれど、あの子の事をよろしくね」
『……』
アマトの言葉にウィードは少しばかり警戒を強める。
彼女の言葉はまるで、自分が本当はサラウィルの子供ではないと知っていると言っている様に聞こえたからだ。
「そう警戒しないでちょうだい。いままで沢山の魔獣を見てきたから分かっちゃうのよ。別に詮索するつもりはないわ。ただ、どうかあの子を……ルリアを守ってあげてね。あの子の傍に居てあげて」
『……』
「あの子は自分は一人でも大丈夫って思っているわ。だけど、この世界で一人でも大丈夫な人間なんて居やしないのよ。皆、誰かに助けられて、誰かを助けて、そうやって生きている。誰かの支えになって、誰かに支えられて、そうやって生きていけてるの。だからね、あなたがあの子の傍に居てあげて、それに気付かせてあげて欲しいの」
『……』
それは自分には少し荷が重いのではないだろうかとウィードは思った。
自分とルリアはそこまで親しい間柄ではない。
一緒に旅をしていると言ってもそれだけであり、そこにどれ程の信頼があるかなど分からないし、寧ろ自分が人間に戻ってしまった時にその僅かばかりはあるかもしれない信頼が全く無くなってしまう可能性もあるのだ。
自分が傍に居たとしても、きっとルリアの考えを変えるには至らない。
寧ろ何の影響も及ぼせない可能性の方が高いのである。
自分の言葉に押し黙ったウィードにアマトは笑う。
このサラウィルの子供はそのコロコロ変わる表情で心のうちがとても読みやすい。
きっと本人は無自覚なのだろうが、魔獣の言葉が分からないアマトにとってそれはとても有り難い事だった。
「大丈夫よ。ルリアはあなたの事を信じているから。じゃないとここには連れて来ないわ」
『ガゥ?』
「ルリアがここに誰かを……まぁ、人じゃないけど、それでも自分以外の誰かを連れて来る何て初めてだもの。あの子は例え自分で育てた騎獣であっても私の元には連れて来なかったわ。来る時は何時も一人。ここを旅立った時が一人だったから、帰って来る時も一人でいいんだってあの子は言うけど、私は誰かを連れて来て欲しかった。あの子自身がここに連れて来てもいいと思える誰かと、笑顔で帰って来て欲しかった。それが今日叶ったのよ」
嬉しそうに笑ったアマトにウィードは全身の熱が一気に上がるのを感じた。
恥ずかしい訳ではない。嬉しいのだ。
その証拠に顔に力を入れていないとにやけそうになってしまうのだから。
ルリアが自分を信頼してくれている。
彼女が心を許している人物にそう言われた事がウィードは堪らなく嬉しかったのだ。
人間に対し嫌悪を顕にするルリアが、自分をきちんと"人間"として認識したにも関わらず、それでも信頼してここに連れて来た事がとても嬉しかったのだ。
「……」
何とも形容しがたい表情で何かを堪えているサラウィルの子供にアマトは不意に納得した。
「あなた、ルリアの事が好きなのね」
『……』
微笑ましくてつい言ってしまった言葉にサラウィルの子供は目を見開いて、口までも大きく開いてしまった。
「あら、違った? でもあなた、ルリアの事を本当に真剣に考えてくれるし、ルリアと仲良くなりたいって思ってくれているでしょう?」
『……』
それは、まぁ、そうだけれど、とウィードは心の中で頷く。
なんとなくほっとけないのだ、彼女は。
元の姿に戻る為と、その後無事に主の元に帰りつく為に彼女を利用する。
それは間違いではないし、そうする事に躊躇はない。
けれど、自分の命すら軽んじる彼女を守らなければと思ったのも、彼女に信頼されていると分かり嬉しく思ったのもまた事実だ。
けれど、守らなければと思ったのは、騎士団に名を連ねる者ならば当然の思考であり、彼女もまたこの国の国民だからであって……
それに、信頼を得ていればそうそう簡単に見捨てられる事もないから、人間の姿に戻れた時に置いていかれる心配が減るという事で……
まぁ、確かに笑った顔とかは可愛いけれど……
あぁ、後、魔獣を見つけた時のキラキラと輝く瞳が綺麗で……ってそうじゃない。そんな事思っていない!!
『ガウワッ!!』
「わぁ!?」
自分の思考を思わず声をあげてしまう程に全力で否定したウィードに、何時の間にか再び絵を描き始めていたアマトが驚く。
そんな彼女の反応に少し冷静になったウィードは変な思考を散らす様に頭を振って姿勢を正した。
別に好きなどではない。そんなんじゃない。
共に旅をするのだから少しくらい仲が良い方がやり易いだろうから、そう、だから信頼されるのは嬉しいし、途中で死なれては全てが水の泡だから、守らなければいけないのだ。
それだけだ。それ以外にはなにもない。それだけだ。
ウィードがそんな自己暗示を繰り返して暫く経った頃、疲れきった声音のルリアの帰宅の声が響いた。
「おかえりなさい、ルリア。お店の場所は直ぐに分かった?」
「えぇ、まぁ、直ぐには分かりましたが、あの人の多さはいただけません。姉様分かってて行かせたでしょう?」
「なんの事かしらね」
笑うアマトとは対照的に深い溜め息をついたルリアの視線が椅子の上で姿勢良くお座りをして微動だにしないウィードへと向いた。
「……あれは何をしているのですか?」
「うーん、本人が自覚していない核心に触れちゃったらああなっちゃったのよね。まぁ、もうしばらくしたら元に戻るんじゃないかしら」
「はぁ、そうですか」
「そういえば、あの子の名前はなに?」
「名前……たい、あ、いや、ウィードです」
『!!』
アマトにウィードの名を聞かれ一瞬"隊長さん"と答えようとしたルリアは慌てて彼の名前を口にした。
それに驚いたのはウィード本人である。
初めて呼ばれた自身の名前にそれまで少しうつむき加減だった顔を上げてルリアの方を見た。
お茶を入れに行ったアマトを見送っていたルリアが彼の視線に気付き苦笑を溢す。
「流石に姉様の前で"隊長さん"と呼ぶ訳にはいきませんので、ここに居る間だけでも名前で呼ばせて貰いますね」
『ガ、ガウ……』
ルリアの言葉に何とか頷いたウィードだったが、頭の中に繰り返し流れているのは彼女が呼んだ自分の名前だった。
顔に熱が集まるのが分かる。
いや、違う。これはあれだ。
何時も"隊長さん"としか呼ばなかった彼女がいきなり名前で呼ぶから驚いただけだ。
そうだ。そうに違いない。
「……」
一人で百面相しているウィードにルリアは不思議そうに首を傾げるのだった。




