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終幕

1年がたち、2年が過ぎようとしていました。

リアは一人、中庭のクヌギの下に座って歌を歌っていました。


「ハミングバードの見る夢は それはとても楽し

 ごはんもおふろも寝るときも いつもあなたのそば」


「ハミングバードの見る空は いつも青く澄んで

 心まで晴れ渡るような それはあなたの瞳」


思い出すのは、もちろんトラウムのことです。


トラウムのいない月日を、一人で過ごすのはとても辛く寂しいことでした。

約束の1年でさえ、トラウムの顔を見ることもできず毎日が過ぎていくと思うと、リアは呼吸の仕方さえ時々忘れてしまう有様でした。

なのに、トラウムは約束の1年が過ぎても帰ってきません。


理由は、お屋敷の人たちのうわさを聞いて、わかっていました。

トラウムは、今、戦っているのでした。


トラウムとリアが出会ったこのお屋敷は、トラウムの生母がトラウムのために残したものでした。

トラウムの生母は、トラウムを産んだ後、すぐに亡くなってしまっていました。

トラウムの父は、その後すぐに再婚し、新しい妻とその妻にできた子どもと共に、別のお屋敷に暮らしていました。

トラウムはほんの赤ん坊のころから家族のいないこのお屋敷で、使用人たちに囲まれて暮らしてきたのです。

そしてトラウムが16歳になれば、このお屋敷はトラウムのものになるはずでした。


ところが、トラウムの父は、この立派なお屋敷を新しい妻の子どもにあげたいと思いました。

そして悪巧みをして、トラウムからこのお屋敷を奪ってしまおうとしたのでした。

幸い、トラウムの生母の指名した管財人は優秀で、トラウムの父の悪巧みを暴いてくれました。

とはいえ、まだ成人したばかりのトラウムと、長年事業を営みあちこちに顔が利くトラウムの父では、世間の信用も異なります。

このお屋敷の権利を争う戦いは、長引いていました。


リアは、トラウムがこのお屋敷を守るために戦っているとわかっていました。

トラウムがこのお屋敷を守ろうとしているのは、このお屋敷にリアが住んでいるからだというのも大きな理由のひとつだということも。

だから、リアはトラウムのことを信じていました。


帰ってきたら、リアをお嫁さんにする、と言ったトラウムを信じていました。

信じていましたが、悲しみはなくならないのです。


そして、ほんの少しの疑惑も生まれてしまうのです。


トラウムは、今もリアのことが好きでしょうか。

リアをお嫁さんにしたいと思ってくれているでしょうか。


15歳の年までずっと、トラウムの周囲にはトラウムに仕える大人の使用人しかいませんでした。

唯一の例外が、リアでした。

だからこそトラウムは、リアにあんなに心を寄せてくれたのではないでしょうか。


けれどトラウムは、学校に行きました。

学校にはトラウムと同じ年頃で、同じ人間である少年少女がたくさんいたはずです。

その中の誰かが、トラウムの特別にならないと、どうして言い切れるでしょうか。

あるいはたくさんの友人に囲まれたトラウムが、精霊であるリアはやはり人間ではないと……自分とともに生きていけないと考えないとは言い切れるでしょうか。


トラウムを信じると何度心に言い聞かせても、リアは不安でした。


「いつかあなたは 誰かに恋し わたしのことを忘れるでしょ

 それでもいいの そばにいたい だってわたしはハミングバード」


ぽろり、とリアの口からこれまでこぼれたことのない悲しい歌がこぼれました。


「トラウム。他の子が好きになっても、いいから。私のこと、お嫁さんにしてくれなくてもいいから。だから、ここに帰ってきて……」


リアは、クヌギの木の下でぽろぽろと涙をこぼしました。

待っている日々は辛く、信じることは難しいものです。

もういちどトラウムの顔を見ることができれば、もうトラウムのお嫁さんになれなくてもいい、とリアは思って泣きました。

ただただトラウムに会いたかったのです。


その時、リアの髪を誰かが撫でました。


「リアはばかだなあ。僕は、リア以外の子なんて、好きにならないよ?」


おそるおそるリアは顔をあげました。

目の前には、夢にまで見た空色の目が、優しくリアを見つめています。


「ただいま」


別れた時よりずっと逞しく大きくなったトラウムが、そこにいました。

すっかりリアより大きくなった手でリアの頭を撫でて、変わらぬ優しい目でリアを見つめて、トラウムが言いました。


「待たせてごめん。けど、これで名実ともにこの屋敷は僕のものだ。君の住んでいるこの屋敷を守れるくらい、僕は大人になったよ。だから、リア。僕のお嫁さんになってくれる?」


不安そうに、トラウムの表情が歪みます。

リアは胸がいっぱいで、言葉がでません。


だから「おかえりなさい」のかわりにトラウムに抱き付いて、「大好き」のかわりにトラウムに盛大なキスをしました。

するとリアの胸に、今まで歌ったことのない歌が芽生えました。

リアは突き動かされるように、その歌を歌いました。


「ハミングバードのささやきは それはとても甘い

 だってあなたのために歌う 愛の歌ばかりだから」


リアが歌うと、リアの体がぴかぴかと光りました。

そして一瞬強く輝くと、さぁっと光は消えました。


「……なんだ、いまの?」


リアを抱きしめたまま、トラウムがぼうぜんと言いました。

リアは、ぎゅっとトラウムを抱きしめて、言いました。


「祝福、みたい。最初で最後の」


リアは、自分の体が変わったことに気づきました。

今までハミングバードの精霊に、そんな能力があるなんて知りませんでした。

けれど脳裏にあの歌がうかび、それを口にしたとき、リアはハミングバードの精霊としての最後の力を使いました。


それは一族が古くから我が子へ、その胸の奥深くに封印しながら伝えてきた人間になるための「祝福」でした。


「人間に恋をしたから。私、人間になったみたい……」


リアは、新しい涙をぽろぽろこぼしました。

いつも胸にうかんでいたいくつもの歌が、もう思い出せません。

溢れるようにみなぎっていた精霊としての能力は、どのように流れていたのかも思い出せません。


リアはトラウムを愛していましたが、精霊であることをやめるつもりはありませんでした。

ハミングバードの精霊である自分を誇りに思っていたのです。


けれど、もうリアは精霊ではなくなりました。

そしてそれを悲しみながらも、喜んでいる自分がいることもリアは気づいていました。


むせび泣くリアを、トラウムは何も言わず抱きしめました。

トラウムもまた、ハミングバードの精霊であるリアをそのまま愛していました。

彼女に人間になってほしいと考えていたわけではありませんでした。

それでも、人となった彼女を抱きしめると、喜びを感じてしまうのでした。


喜びと罪の意識を抱いて、二人はぎゅうぎゅうと抱き合いました。

そしてその年のお誕生日に、リアはトラウムのお嫁さんになりました。








すべてのおとぎ話の結末と同じく、この物語も最後はお決まりの言葉で終わります。

「そして、二人は永遠に幸せに暮らしました」

精霊の女の子を愛した少年と、人間を愛して人間に変化した精霊の少女は、手を取り合って暮らしていきました。死が二人を別つまで。

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