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後編

 夕闇が二人を包み込む時間。薫とカフェからの帰り道。

 気がつくと、薫と勉強をはじめて1ヶ月ほどが過ぎていた。徐々に勉強の成果か、薫の学力は上がっていた。薫は時事ネタをまとめたノートを読みながら歩いていた。

「あんた、勉強もいいけどノート見ながら歩くと物にぶつかるよ」

「そんなのへっちゃら――」

 ゴンッ

 言い終わらないうちに標識に頭をぶつけてうずくまる薫。

「言わんこっちゃない」

「うぅ……」

 私は手を差しだすと、薫は私の手を握って立ち上がった。

「勉強で少しづつ成果が出てきているんだから、事故に遭ったら台無しだよ」

「うぅ、面目ないです」

 彼女は頭を下げた。

「まあいいけど……で、今日はどうする?」

「まだ勉強したいです」

 まっすぐな瞳に私はため息を吐く。今日も長くなりそうだ。

「分かったわ、また私の家で勉強しましょうか」

「はい!」

 元気よく返事をして、彼女は後をついてきた。


 ドンッ。

「さぁ、食べなさい」

 私の部屋で勉強をしていた薫は机の上に置かれた片手鍋を見て表情を輝かせた。

「わーい、夜食のラーメンだ!」

 時間が10時を回った所で、お腹も空いてきたので家にあった即席ラーメンを作ったのだ。

「薫、卵入れていい?」

「あっ、卵大好きです」

 彼女は嬉しそうに微笑む。私も何だか嬉しくなって卵を余分にもう一個割って鍋に入れて、箸で豪快にかき混ぜる。見る見る内に黄金色の卵が固体化して鍋の上に浮かんでくる。

「お・い・し・そう~♪」

 冷蔵庫に入っていたモヤシやキャベツ、ネギなどを適当に入れただけだったが彼女はそう言ってくれた。

「えっと、器が私の分しかないから、私は鍋ごと食べようかな」

 悲しいかな。友人が私のアパートに遊びに来た事なんて一度もなかったため、食器も私の分しかなかったのだ。彼女はブンブンと首を振る。

「食器洗ってもらうのも手間ですし、一緒に鍋から食べますよ」

 何だか、その言葉が嬉しかった。

 私達は姉妹のように寄り添って、鍋からラーメンを食べた。時々熱さにむせる薫を見て、背中を叩きながら心が暖かくなるのを感じていた。忘れていた、人とご飯を食べるのってこんなに楽しかったことを。

 

 気がつくと、時間は11時30分を過ぎていた。

「あっ、薫。もう終電の時間やばくない?」

「あっ!」

 彼女も時計を見て、驚く。

 アパートから最寄りの駅まで走っても10分かかる。しかも、食べたばかりで運動はちと苦しい。

「しまったぁ……私タクシーで帰ります」

 少ししょげている彼女を見て、私はまたしても自然に声をかけていた。

「泊まっていく?」

「えっ、そんな悪いですよ」

 彼女は申し訳なさそうに表情を曇らせる。

「こっからアンタの家までタクシーってかなりかかるでしょう」

「それはそうですが……」

「宿ぐらい貸してやるわよ」

「ありがとうございます」

 彼女は丁寧に頭を下げた。

 

 そして……二人ともシャワーを終えて食卓を囲む。

 彼女は私のパジャマを着て、手には梅酒の入ったグラスを握っていた。私は缶ビールを片手に握り彼女のグラスと合わせた。

「合格を願って」

「「乾杯~!」」

「さぁ、夜通し飲み明かすわよ」

「お酒。おいしいです」

「じゃあ、薫から今の彼の馴れ初め話を聞いていこうかな!」

「え~」

 そう言いながらも彼女はおずおずと話をしてくれた。今の彼氏とは初めて付き合ったとかで、同じサークルの一つ上の先輩という話だ。先輩は一足先に社会人になっており、会社が他県で遠距離恋愛、かつ彼も忙しい生活でなかなか連絡が取れないことが悩みという話だった。久しぶりに会えるクリスマスを楽しみにしていると微笑む彼女が、単純に羨ましかった。

「いいな、薫は。素敵な彼氏がいてさ」

「かすみさんだって、綺麗なんですから、どうなんですか?」

「私、私は……」

 口ごもる。口の中に苦い砂の味が広がった。それでも薫なら話してもいいいかな、と思った。

「高校1年の時にさ。はじめて付き合った彼氏で大失敗してから、恋愛はお休み中」

「そうなんですか」

「そう、同じクラスの奴でさ。あっちから告白してきて、私はそういうの奥手だったから。すっごい喜んだのに。私の束縛がひどくてさ。ふられちゃった」

 あの時の事を思い出すと、未だに胸の痛みが疼く。

 夜、携帯電話で話しているときだった。

『お前さ、俺のこと。すごい束縛するけど、信用できないなら別れた方が楽じゃない?』

 私は内心のショックを隠して、笑った。

『そうだね、私もアンタのことを信用できないから。そっちの方が楽だわ』

『……』

 彼は少し間をおいてこう言った。

『お前、見た目可愛いのに。性格きついよな』

 ――その日の夜に、私は前髪を3cm切った。

 本当は大好きだったのに、自分の気持ちをうまく伝えられなかった未熟さが嫌だった。強くなりたかった。

 でも、鏡に映った前髪が短くなった私は、本当に可愛くなかった。

「なんだかな……」

「うん?」

 私が短い前髪を触っていると、彼女がのぞき込んでくる。

「私、彼と別れて前髪短くして。それ以来、長くしていないんだわ」

「そうなんです?」

「そう、私も薫みたいにロングの髪が似合う女の子だったらいいのに」

「そうですか、私はかすみさんみたいに、身長が高くてモデルみたいで、前髪が短いボブも素敵だと思いますよ」

「……」

 私は、そっと両膝を抱えた。

 ……嬉しかったんだ。こんな可愛くない私を誉めてもらえて。

「泣いているんですか?」

「……泣いてなんかないわよ」

 鼻がつまったような声に薫は笑った。私の隣に来て、薫は色々と話をしてくれた。お化粧のこと、おいしい洋菓子のお店など、久しぶりに友達とこんなに話をした。不思議なことにまるで飽きなかった。気がつくと、私達はそのまま夢の中に落ちていった。



 しかし、12月に入って二人三脚も終わりを迎える。

 彼女が内定をもらったのだ。

 いつものカフェで彼女が少しだけ気恥ずかしそうに内定の通知を見せてくれた。

「……よかったじゃない」

「はい、これも全てかすみさんのお陰です」

 彼女が満面の笑みで嬉しそうに微笑む。ほんの少しだけその笑顔に胸がチクリと痛む。

「私はちょっと手伝っただけよ」

 彼女がブンブンと首を振る。

「いえ、かすみさんのお陰です」

 また胸がチクリと痛む。

「あとはかすみさんが合格するだけですね」

「そうね」

 彼女の激励が痛かった。

「じゃあいつものように面接の質疑応答表見ますね」

 彼女の笑顔が妬ましたかった。

「いや、もういいわ」

「えっ」

 私は席を立つ。

「……私ももうすぐ内定の連絡が入る予定なの」

 彼女は嬉しそうに立ち上がって頭を下げた。

「お、おめでとうございます!」

 そして私の両手をぎゅっと握ってくれた。

「よかったですね……」

 彼女の瞳に涙が浮かんでいた。

「……ありがとう」

 私は彼女の手をほどいた。

「だから、ごめんね。ちょっと家で通知待っていたいから。今日はこれで失礼するわね」

 彼女は何度も頷いた。

「分かりました。また連絡してくださいね」

 彼女の笑みに私は笑顔で頷けたかな?

 私は急ぎ足でカフェを出て、一目散に逃げた。

 両手を握られた温もりがまだ手に残っていた。私のために涙を流そうとした彼女の瞳が頭から離れない。

 ……嘘をついてしまった。下らない私の嫉妬とプライドのための最低な嘘。

 あの時と同じだ。

 大好きな彼氏に、強がってついた嘘。

 私はあの時から何も変わっていないんだな。

 カフェの外を出ると、真っ白い雪が降り出していた。彼女と私の関係を真っ白に染めて、知らない二人に戻してくれたらいいのに……。



 年末、私はゼミの先生に呼び出されて今後の進路について報告していた。未だに就職が決まらない私に気休めの『あなたは優秀だから』と励ます恩師に内心で笑っていた。優秀な人間はもうとっくに合格していますよ。私は自分が思うほど、ずっと駄目な人間だったんだ。

 大学構内は朝から降っていた雪で真っ白く染まっていた。構内には人はまばらだ。これから先、どうしようか。何も分からない。

 自宅に帰ろうとすると、校門前に見知った女の子が紙袋を持って待っていた。

 ……薫だった。

 私はすぐさま別のルートで帰ろうとするが、踵を返したところで足を滑らせて――無様に転んでしまった。薫は盛大に転んだ私を見つけて駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか?」

 全く最低だ。

「……どうしてここにいるの?」

「連絡が取れなかったんで、来ちゃいました」

「今日、私がここに来ることを知っていたの?」

「ゼミの先生から、今日来るって聞きました。先生、かすみさんのこと心配していましたよ」

 あの狸め。

 私は内心舌打ちをしていた。雪を払って立ち上がる。

「で、何の用? 未だに就活している私を見て笑いに来たの?」

「違います」

「じゃあ私の下らない内定の嘘をバカにしにきたの?」

「違います」

 まっすぐな彼女の瞳に私は目線を逸らした。彼女にこうして向き合っていることが苦痛だった。限界だった。

「もう……放っておいてよ!」

 私が声を荒げるのを意に返さず、彼女は紙袋からタッパを出して笑った。その中には巨大なきつね色のものが入っていた。

「就活にきっと『カツ』と思って、トンカツを揚げてきました」

 彼女はトンカツを見せて、満面の笑みを浮かべている。

「……」

 時が止まるのを感じた。

 全く、なんて馬鹿らしい。下らなくて最低な冗談。元気づけるためにやっているのだったら思い上がりも甚だしい。

 なのに、なんで……。

 なんで、こんなに胸が暖かくなるんだろう?

「あれ、かすみさん泣いているんですか?」

「……泣いてないわよ」

 そう言って彼女に背を向けると、彼女が回り込んでくる。

「泣いているんですか?」

「うるさい……! 泣いてなんか、いないわよ!」

 大声で彼女に怒鳴ると、彼女はまた笑った。

 それを見て先ほど胸の中にあった不安が空に消えていった。ちっぽけだったのは悩みや不安じゃなくて、私自身だったみたいだ。

「もう、行くわよ!」

「えっ、どこにですか?」

「私の家!」

「えっ」

「トンカツ食べるんでしょう!」

「あっ……はい!」

 彼女は笑顔で私の後にトコトコとついてきた。



 そして、時は流れる。

 会議室の中で、私はパイプ椅子に腰掛けていた。

 目の前の大学4年生の女性が緊張した面もちでこちらを見つめている。

 ずっと前は逆の立場だったっけ。

「緊張されていますね」

「えっ、あっ、はい!」

 元気よく答える彼女に私は微笑む。

「では面接を始める前に、立ち上がって深呼吸をしましょうか」

「えっ?」

 私が立ち上がると、彼女も急いで立ち上がり、深呼吸をする。数回それを繰り返すと、彼女の表情がいくらか和らいだ。

「どうです、少しは緊張和らぎましたか?」

「あっ、はい」

 もう一度私は微笑む。

 面接はその人の事を見る機会であるが、多くの受験生は緊張してうまくしゃべれないことが多い。それを少しでも和らげるのも面接官の仕事だ、と私は思う。

「では、面接をしていきます。氏名と受験番号をお願いします」

 その言葉にしっかりと意志のある瞳で答える彼女に、もう大丈夫だ、と感じた。

 他の面接官からされる質問の受け答えをメモしていく。時間は15分ほど、面接の終わりに私はいつもする質問を行った。

「最後にあなたから質問はありますか?」

 彼女は今まで質問に答えることに必死だったみたいで、少し考えてからこう答えた。

「あの、す、好きな食べ物はなんですか?」

 周りの面接官が少し戸惑う中で、私はこう答えた。

「トンカツです。理由は縁起がいいからです」

 私の微笑みに、周りの面接官も笑った。

 少し曇った雰囲気が明るく一新されて面接は終わりを迎えた。


 面接会場を出ると、先程の面接を受けていた女の子が申し訳なさそうに頭を下げてきた。私は、気にしないで、とゆくっりと微笑む。

 彼女と別れて、携帯が震えた。私は電話に出る。

「ああ、薫。うん、今日の夜? いいよ。旦那にはお総菜買っていくから気にしないで。お店? お店はそうね……」

 先程の彼女の顔を思い出した。

「私、トンカツ食べたいな」

 電話の向こうで彼女がいつものように笑っていた。


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