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第十九章 「邀撃」


 無限の蒼穹――それを青年は睨んでいた。

 空への玄関へと続く、島への道程を辿る小舟の上、

「バクル……風だ」

「風……?」

「戦場の風だ」

 風――それは舟の舳先に立つ青年二人の、均整の取れた体躯を撫で、髪の毛をかき上げる。

 その青年一人――ツルギ-カズマは波乱を前にした緊張に抗うわけでもなく、あるいは楽しむかのように空へと目を凝らし続けていた。

 その傍に立ち、カズマを見守るように伺う青年のもう一人――

「そうか……カズマは経験したことがあるんだな。こんな状況を――」

 バクルの言葉に、カズマは微かに頷いた。「そう……遠い昔の話だ」


 そう――カズマは知っていた。

 知っていたからこそ、カズマは恐れなかった。

 風――何度も経験した風。

 風――戦場の風。

 風――その下でカズマは旭日の銀翼に身を預け、飛び続けた。

 風――その只中でカズマは多くの敵を葬り、そして多くの仲間を失った。


「もうすぐファッショル島!」

 と、緩慢な速度で泊地を進む連絡艇の船橋から、フォルツォーラ船長が言った。事実、目指すファッショル島の全容は舳先の二人からは指呼の先にまで迫っていた。その島の真上を駆け、上昇していくジーファイターの機影が二機、三機――


「カズマ!」

 と、バクルが空の一点を指差し叫んだ。指差した先、層雲の隙間から覗く蒼穹の一点――

「――っ!」

 突如浮かび上がった幾つもの煌きに、カズマは目を奪われた。それがラジアネス艦隊最大の前線基地目指して進撃してきた敵影であることなど、今更他言を要することではなかった。

「……?」

 遠雷の如く轟く砲声――時間を置き、それらは雲海の涯で弾ける様に生じる炎と黒煙とを生む。各島の防空陣地から撃ち上げられた高射砲の炸裂は、広大な空々に幾重にも連なって広がり、清浄なる空を醜く傷付け、そして彩る。


 砲声に抗うかのような大声で、フォルツォーラはレイナス甲板長に言った。

「このまま飛行場まで行くぞ!」

「船長、正気ですか?」

「乗りかかった舟だ。最後まで付き合ってやろうじゃないか!」

「了解、針路そのまま。速力落とせ――上昇!」


 舟はそのまま岸辺を乗り越え、混乱する飛行場へと舳先を向けて進んだ。その舳先の下で右往左往する人、人……そして車――衛兵の制止を無視して舟は飛行場に入り、そして停まった。

「着きましたよお客さん。料金は生き残ってからの後払いということで」

 と、レイナスが真白い歯を見せて笑った。バクルも笑い、応じる。

「請求書は、空母『ハンティントン』まで回しておいてくれ」

「了解!」

「……?」

 カズマの肩を、フォルツォーラが背後から叩いた。カズマが振り向いた先、フォルツォーラは硬い表情もそのままに言った。

「生き残れよ、絶対に、意地でも……!」

 カズマは頷いた。交叉する眼差しの灼熱――二人の間柄を語るに、もはやそれ以外の何物も必要ではなかった。


 二人は降り立った。降り立つや、未だ飛び立っていない航空機の並ぶ列線へと駆け出した。そこに隣接する発着指揮所、それが二人の最初の目標だった。

 闘志と希望――

 その二つに任せるがまま潜った指揮所の入り口――


「……!?」

 そこで、カズマの脚は止まった――



「――!?」

 その場に現れることすら予想だにしていなかった人影を、その円らな藍色の瞳の先に見出した瞬間、フラウはその大きな瞳を一層に見開かせた。

「フラウ!」

「……!?」

 一切の言葉と動きを魔法で停められたかのように、二人は互いを見詰めたまま呆然と立ち尽くした。空襲から逃れる術を求めて駆け込んだ指揮所、指示を仰ぎ、警備兵の導くがまま防空壕へ向かい今まさに此処を出ようとしたまさにその時、フラウは再びカズマを見出した――カズマもまた、フラウを見出した。


 叫ぶように、フラウは呼び掛けた。

「カズマ……!」

「よかった。二度と……会えないと思っていた」

「カズマ、行こう。」

 と、バクルが腕を掴んでいなければ、カズマは永劫、そこに立ち尽くしていたかもしれなかった。それ位に、カズマはフラウの眼前でその動きを停めていた。それでもバクルの誘いに我を取り戻し、飛行隊のロッカールームへ向けこの場を通り過ぎようとした刹那――

「お前か! うちのフラウを(たぶら)かしたのは!?」

 割れ鐘のような男の怒声に、カズマとバクルの動きが再び止まった。様子を察したルイ-コステロは立ち上がるや、もぎ取るような勢いでカズマの襟を掴み上げ拳を振り上げた。フラウの悲鳴も遅く、コステロの拳がカズマの頬を強かに打とうとした寸前で、バクルが割って入り止めた。


「お願いルイ、やめて!」

「喧嘩している場合じゃないだろう!」

 と、バクルはコステロを押さえ付けたまま、睨みつけるようにした。バクルの眼光とフラウの動揺を前に気圧され、拳を下ろし憤懣遣る方なく息を荒げるコステロを、フラウは今度は蒼白な顔もそのままに背中から抱くように抑える。コステロを宥め、押し留めることに成功すると、フラウはカズマに向き直って言った。

「カズマ……あなたも行くの?」

「ああ」

 手早く装具を調え、落下傘を引っ提げて指揮所の外に出たカズマとバクル、そしてカズマを背後より呼び止める声――

「カズマ!」

 指揮所から身を乗り出し、フラウは叫んだ。カズマは弾かれたように歩を止め、再びフラウの眼前で振り返った時には彼は、その口元に涼しい微笑を浮かべていた。


「……」

「また……会えるよね?」

 フラウの眼前で、カズマは何も言わずに頷いた。そしてまた歩き出す。それを呼び止める言葉を、少女はもはや持ってはいなかった。


 何故なら――

 今の自分の義務が、ただ「待つ」ということであるのを、少女は知っていたから――




 発進に備え整備員の手で点検を受けるジーファイターの列線へ向かいながらに、カズマはバクルと顔を見合わせた。バクルは笑い、言った。

「何なら、此処に残ってロマンスの続きでもやっててもよかったんだぜ?」

「……その前に、ひと仕事しないとね」

 二人は同時に白い歯を浮かべて笑った。それだけで十分だった。カズマが足を向けた先で、撃墜マークに飾られたミッドナイトブルーの艦隊仕様のジーファイターは、初めてこの島に降り立ったときと変わらない姿で乗り手をその操縦席に迎え入れる。腰を下ろし、三舵のチェックをするカズマの側、整備員がバンド固定を手伝いがしらにカズマの肩を叩き、言った。


「頼んだぜ、撃墜王(エース)!」

 軽く頷き、酸素マスクを飛行帽のストッパーに掛ける。そしてカズマは燃料注入ポンプを動かしながらにスターターモーターの始動スウィッチを、勢いをつけ捻り上げた。


始動(コンタクト)!」

 スターターモーターの唸り――

 爆音――排気管から勢い良く噴出す黒煙、それと共に覚醒したエンジンは飛翔への回転を刻み始める。急激に回転を早めるプロペラから視線を落とした地上、誘導に回った整備員が離陸可能のハンドサインを送ってくるのをカズマは見た。ブレーキを解き、反射的に押し開いたスロットルの導くがまま、ジーファイターはゆっくりと誘導路を進みだす。


 ……ふと、傍らを進むバクル機をカズマは見遣った。カズマの視線の先でバクルは、目を笑わせ手信号を送る。

『――カズマ、君が指揮を取れ』

『――有難う、還ったら奢る』

『――飲めやしない癖に』

 手信号で、軽口を叩き合いつつ進入――


 進入を果たした主滑走路に彼ら以外の機影は無く、そこで初めて無線機のスイッチを入れたカズマのイヤホンに、管制官の硬質な声が入ってきたのはそのときだった。

『――ウォッチ-タワーFより滑走中の二機へ、所属とコールサインを答えよ。繰り返す――』

 一息吸い込み、そしてカズマは空へ意思を固め、意識を向ける。

「こちら空母『ハンティントン』第187戦闘飛行隊(VF-187)所属、コールサインは……ゼロ!」

『――ゼロ、貴隊の離陸目的を答えよ』


 有無も言わさず、スロットルを押し開く――

 加速する滑走――

 浮き上がりつつある尾部(テール)――

 主脚が地上を踏み締める感覚が完全に消えた――


 そして――カズマは告げた。

「……ちょっくら天使とダンスしてくる。以上(オーバー)!」


 上昇――

 加速――風防を開け放った操縦席に飛び込んでくる、生暖かい空気の流れ。

 ハンドルを回し、主脚を収納する――

 数値を刻む速度計の針に合わせるかのように、フラップレバーを段階的に上げ――

 そこに、更なる通信――


『――ゼロ、状況を説明する。現在、泊地東方100空浬の空域において友軍機が戦闘中。貴隊は残余の友軍機と合流し、泊地上空の防空任務に当たれ。指示高度5000(エンジェル50)。新たな敵編隊(バンディッツ)が西方空域より侵入中。健闘を祈る』

「ゼロ、了解(ロジャー)!」

『――カズマ! 上空!』

「……!」


 バクルに促されるがまま見上げた先で固まる、カズマの眼差し――

 西方に広がる雲海の割れ目から覗く、陽光を受けて映える複数の煌きが、味方のそれではないことをカズマは一瞬で悟る。間隔を崩さず付いて来るバクルを顧み、カズマは言った。

「バクル、まっすぐに飛べ、上昇はまだだ! 何があっても機体を傾けるな!」

『――わかった!』

「一旦島の外に出るぞ!」

『――了解!』


 島の外に出る頃には、ジーファイターは戦闘に適した速度と上昇力を回復している――その計算が、カズマに直進を択ばせた。一方で、隣接する飛行場から発進したジーファイター、その他地域防衛軍(ADF)の戦闘機が、緩慢な速度もそのままに上昇せんと、基地上空で旋回を繰り返している。速度が足りず、高度は稼げていない。基地上空での防空という管制塔の命令に、愚直なまでに拘ったが故の対処――それを正す権限を、カズマとバクルは持っていなかった。


 二機は北東に針路を取りつつ加速を続け、タイド島の北端に達する頃には戦闘に十分な速力を得ていた。背後を振り返った先、敵攻撃隊の先鋒は、すでに上空防衛のジーファイター隊の頭上はるか上から迫りつつある――それが、カズマに針路変更を決断させた。

 そのとき初めて、カズマは機銃発射トリガーを固定するピンを引抜き、機銃弾の装填ボタンを押した。

 急旋回――タイド島上空の段階ですでに敵編隊と同高度に在り、さらに高度を上げたジーファイターは、敵より優位な高度に達する。このまま敵に向かって加速を続ければ、こちらは敵より完全に優位に立てる。


「――!」

 自らもカズマに準じ、その光景に接しながらもバクルは感嘆を隠せない。

 凡庸な操縦士ならば、眼前の敵に気を取られるが余り、的確な判断力を奪われ、劣位に在ることも顧みることなくそのまま敵に正面から接触しようとするであろう。

 卓越した経験とそれに培われた緻密な判断力――それがツルギ-カズマの現在に強さを与えていることを、バクルは今更ながらに悟る。


 その二機の眼下で生じる空戦の環――上空より被られた迎撃機隊を表すそれは、高速で突っ込んでくる敵影と交差するや、瞬時に白煙を吐く数機の機影を生み、機影のうち幾つかは忽ちにその銀翼に炎すら纏い空戦の環から脱落していく。その何れもが劣位から敵に向かった友軍機であることを二人は悟った。その間にも、続けて白煙を吐いた数機のうちさらに1、2機が炎に包まれ、雲海の遥か下へと吸い込まれるようにして消えた。


『――こちらイエロー3、小隊長は戦死。小隊の生存者は本機のみ。増援を!』

『――後ろに食い付かれている。助けてっ!』

『――カズマ、攻撃を……!』

「もう少し……もう少し近付け!」

 降下――加速は速度計の目盛り上限をあっという間に突破し、機内からは不気味な軋みすら容易に聞こえてきた。そしてカズマは降下しながらに、そして一瞥で空戦の全容を量る。


 敵は12機――それらの何れもがゼーベ-ラナだった。

 こいつの性能は知っている――

 どちらかといえばやり易い相手――

 下手に速度さえ落とさずに組めば、容易に食い付ける――


 一方で苦境にある味方は残り4機――その何れもが技量に乏しいことをカズマは悟る。

 敵と苦境への対処に自信を持っていたが故に距離はさらに詰まる。

 友軍機を追い回す敵の何れも、部隊章はおろか風防(キャノピー)のぎらつきに至るまで明確に視認できた瞬間――


「只今より突撃!――」

 左滑り――

 加速――

 翼端より噴出す水蒸気の帯――

 苦し紛れか、上に逃げたジーファイターを追い、銃撃を加えようと今まさに機首を上げた一機を照準に捉え、カズマは撃った。

「――!」

 命中―― 一連射でキャノピーが吹き飛び、ゼーベ-ラナは錐揉みしながら降下していく。その末路を見極める間も無く上昇、敵編隊の内数機が態勢を整え此方を追って上昇に転じようとするところを、上にいたカズマは見逃さなかった。

「――!」

 降下し追尾――

 更なる一連射――赤い光弾の槍は一機の左主翼を叩き折り、直後に炎上爆発させた。さらに一機がバクルの射撃で火達磨と化し下方へと墜ちていく――


 離脱――高度と速度を回復し、再び突っ込む空戦の環、その中でカズマはさらに一機のゼーベ-ラナに白煙を噴かせた。エンジンに命中させたと思った次の瞬間、それは背面に転じ、そのまま回復不可能な自転(スピン)に陥りつつ降下し空から消えた。


 上空からの思わぬ伏兵に直面し、敵編隊は乱れた――そこに、カズマは勝機を見出していた。敵の混乱はそれに接した味方に反撃の機会を与え、生き残ったジーファイター隊は主翼を翻すや、浮き足立つレムリア軍機に襲い掛かり、空戦の環は再びその勢いを増していく、そこに、飛行場を飛び立った増援の戦闘機も加わり、形勢は逆転した。


「――!」

 その乱戦の中、離脱に転じようとする一機を捉え、カズマは撃った。一連射――二連射目で光弾はゼーベ-ラナを発火させ、そして敵影は破片をキラキラと撒き散らしながらに雲を貫き、そして浮遊島の一隅に消えた。

「――!?」

 同時に背後に感じた気配――それを振り返りもせず、カズマは叫んだ。

「バクル、頼む!」


『――!』

 不意に、カズマの後背に迫る機影――それに照準を合わせるのと、カズマの声がイヤホンに飛び込んでくるのと同時だった。

 フットバーを右に蹴り、バクルは照準機の輝点をゼーベ-ラナの後背に合わせた。スロットルレバーのボタン操作で照準環が膨らむ。追尾の間に照準環が敵影の翼端を捉える。水平儀と連動し左右に振れるジャイロ照準機の輝点が敵機の胴体と重なる。操縦桿の引鉄を引く。

 二連射――急激な追尾機動で掛った荷重から逃れられずにいたゼーベ-ラナの胴体を容易くへし折った。破片を撒き散らしつつ二つに分たれた敵影が、各々が絡み合うようにして墜ちていく。

 今更ながらに覚える驚愕――撃墜とは、いともたやすく為せる事なのか?


『――バクル、お見事!』

「……」

 唖然として、バクルは前方を行くカズマを見遣った――あいつは、背後を顧みなかったのに、敵の存在を知っていた?

 同時に思い出したのは、訓練の合間に彼が言っていた言葉――


 ――カズマは確か、こう言っていた。

「――敵機は目で見つけるんじゃない。気配を感じるんだ」

 酸素マスクの下で、知らず浮かぶ苦笑――耳にしたその時は、軽い冗談の積りだろうと思っていたのに。

 その言葉の一端を、バクルは今になって理解できたように思った。

 そしてあいつは、先程の敵機を、わざと自分に撃たせたのだ……!

 バクルは思った――カズマは、戦闘機乗りとして常に成長――否、進化している。


『――バクル』

「……?」

『――損傷は?』

『無い。大丈夫』

「よかった……!」

 何時しか減速し、バクルと主翼を連ねながらに、カズマは眼下の光景に目を凝らし続けた。あれ程烈しかった空戦はすでに下火となり、攻撃に失敗した敵編隊を、勢いを取り戻した邀撃隊の一部が追尾にかかっていた。それに介入する機会も意思も、二人はもはや持ち合わせてはいなかった。


「……」

 眼下の港湾で炎を上げる数隻の船影に、二人は目を細める。被害が中小型の船舶に留まったのは明らかに僥倖だった。邀撃のタイミングが悪ければ、被害はこれ以上に拡大したかもしれない。かと言って、此方に被害が出たことは到底否定されるべきでは無かった。

 沈痛気味の気を取り直すように、バクルは言った。


「さあカズマ、還ろう」

「ああ……!」

 帰還を約しながらも、回線の向こう側で、両者は悄然とした互いの心中を察する。それでも次の瞬間には見張りを続けつつ、二人は編隊を組み直しファッショル島へ機首を巡らせかけた――

『――ウォッチ-タワーより邀撃隊へ、第一次邀撃隊「アプリコット」が苦戦の模様。至急援護に向かわれたし。繰り返す――』

「……?」

 勝利に続く、思いもかけない情勢の急転――愕然として、二人は互いを見合わせる。




 ――時は、やや遡る。

 敵編隊との接触時、リン-レベック-“サイファ”-ランバーン少佐以下、総数28機の邀撃編隊「アプリコット」が確信した高度の優位は、直後の基地上空への敵機来襲の報を得ると共に、瞬く間に崩れ去った。

 敵はこちらを待ち構えていた!――衝撃はそれを確信するより早く、一斉に増槽を落とし急上昇し攻撃をかけてくるレムリア軍機の機影となり、そのごく最初より崩壊した作戦はそのまま烈しい乱戦となった。


「……!」

 裂帛の気合!――「赤く黄色い鼻をした獣ども」の正面からの銃撃を、リン‐レベックは機体を滑らせてかわし、反す刀で背後を取る。

「……!!」

 照準に回避機動に移るゼーベ-ラナを捉えるや、力を篭めたトリガーを抑える指先――

 緊張の醸し出す荒い息遣いと共に空へ放たれた弾幕は、白煙を曳きながら延び、赤い輝きもそのままに敵影に吸い込まれ、その先で生じた炎は機影を包み込み四散させた。グラフトン、ハリス両大尉の率いる小隊もまた、精鋭部隊に相応しい冷静さを乱戦の内に回復し、安定した戦いを見せている。


「アプリコット-リーダーより全機へ――」

 自機の背後に迫る二機のゼーベ-ラナをバックミラーに睨み、リン-レベックの指示が飛ぶ。

「――キル-サークル! キル-サークルを維持せよ!」

 リン-レベックの二機編隊――分隊――が左旋回に入ったまま、一気にその間隔を開いた。開かれた間隔は、それを追う敵にとって、その獲物の隊列に割り込む絶好の機会に映る――


「もらった!」

 編隊後尾の一機に狙いを絞るゼーベ-ラナ二機、その瞬間をリン-レベックは見逃さない。リン-レベックは大回りに左旋回を続けながら加速し、そのままゼーベ-ラナの後背に距離を詰めるや一連射で一機のキャノピーを吹き飛ばし、さらにもう一機に白煙を噴かせ離脱させた。そこに、再びリン-レベックに迫る一機を、今度は加速した彼女の列機が追う。背後から延びる列機の射撃を前に、接近した敵機はそれ以上有効な射線に付くことが出来ず離脱を余儀なくされるのだった。“キャット”グラフトン、“マイティ”ハリスもまた、同様の左旋回に持ち込み、不用意に旋回圏内に入ったレムリア機を倒し、あるいは撃破していく。


『――こちらキャット、一機撃墜(キル-ワン)!』

『――こちらマイティ、一機撃破! 列機(ウイングマン)、しっかりと付いて来ているか?』

 通信回線に飛び込んでくる二人の声には、明らかな余裕があった。FASの各小隊は、機体性能の劣位を戦法と乗員の技術で十二分にカバーし切れている。その様子に、リン-レベックもまた烈しい旋回と上昇の連続とに身を委ねつつも、そこに満足と勝機の存在を覚える。



 ――それでも、苦闘の予兆はひたひたと彼女らの足元にまで迫っていた。

 最大の要因は、リン-レベックらFAS直属の飛行隊12機と、それ以外の飛行隊16機との、圧倒的な技量面での格差だった。その編成自体未だ新しい上に、戦闘が勃発するまでにFASの新戦術をものにするべく彼らに与えられた時間は少なく、そして彼ら自身、圧倒的な敵の強襲を前に萎縮し受身での戦闘を強いられることとなったのである。


 従って彼ら新兵たちは不十分な連携を崩され、突進するレムリア機に追われ、その末に数を減らしていくという「何時ものような」憂き目を見る運命に陥ってしまっていた。結果として、戦闘が始まって五分足らずのうちに、戦闘はリン-レベックたち少数と、それを取り囲むように襲い掛かる敵機群多数という構図が出来上がってしまっている。だがそれに古代英雄の叙事詩のような悲壮感を覚えるほど、リン-レベックと彼女の部下たちは惰弱ではなく、むしろ技量に揺ぎ無い自信を持っていた。勝利は諦めなければならないかもしれないが、生還は必ず果たせる。


「……っ!」

 何時止むとも知れぬ乱戦の最中、ふらふらと前方に飛び込んできた機影――それを(サークル)の中に不用意に飛び込んできた敵機と認識するや、リン-レベックの照準する(いとま)すらかなぐり捨てたかのような銃撃が敵機の胴体を、主翼を抉る。直後に飛ぶ力を奪われたゼーベ-ラナは背面に陥るやそのまま降下、その途上で発火し四散した。


 直後――

『――サイファ!!』

「……!!?」

 その絶叫に断末魔を思ったからこそ、見上げた上空――

 そこで、余裕に酔ったリン-レベックの鳶色の瞳は、引き攣るかのような硬直を強いられる――

 太い黒煙を引き摺り、蒼穹を裂くように急降下に転じるジーファイターの機影――それこそが上空より「キル-サークル」を突き崩しに掛かった敵機に“キャット”-グラフトンが捉えられ、愛機諸共その存在と未来を絶たれた瞬間だった。そしてリン-レベックは、同様に同僚の死に直面した“マイティ”-ハリスが編隊の連携を破り、上空に唐突に出現しグラフトンの命を奪った三対の環に挑みかかるのを見た。


「“マイティ”!! 編隊を崩すな!!」

 太く大きく、かつ真白い水蒸気の環に挑む、一条の軌条――外目にも(はかな)さすら感じさせるそれは、リン‐レベックの鳶色の瞳の先で、忽ち三重の環に絡めとられ、ハリスの抵抗は三旋回目で潰えた。

 破砕――それはあたかも小鳥が魔人の掌中にあるが如く翻弄されるかのような光景。 

 そして――蒼穹の一点で発火し粉砕された同僚の最期を目の当たりにした瞬間。


「――!!!」

 敗北――眼前に飛び込んできたその瞬間を信じられないものと看做したその瞬間、リン-レベックは目を剥いた。


 リン‐レベックの眼に溜まる、それまでとは異なる光――

『――特装機(エスクラス)だ……!』誰かが呻くのが聞こえた。リン‐レベックも一瞬放心し、口走る。

「あれが……特装機?」

『――特装機だ! レムリアの撃墜王だ!』

 共通回線に「特装機」の名が満ちる。恐怖で声を引きつらせる者もいる。ただ編隊を率いるリン‐レベックのみが、敢然として上空を仰ぐ。敵影が顔を出した太陽に重なり、遮光グラスであってもリン‐レベックをして敵影の把握に難渋させた。陽光を背景に禍々しく映える三機の敵影。遥か高高度でありながら、その加速は速く、荒々しい。只者の機動(うごき)ではないと見えた。


「アプリコット-リーダーより全機へ、上空に軌条(コントレール)3!……あいつに掛かるぞ!」

『――了解!』


 もはや、退路は無い。

 旋回しながらに上昇――無駄の無い機動を繰り返しながらに接近を図る二機のジーファイターは、忽ちにして獲物を見定めていた三条の空の「死神の荷車」の見定めるところとなる。




「ほう……地上人(ガリフ)の中には骨のある奴もいるんだな」

 旋回を続けるゼーベ-イグルの操縦席から、ベーア-ガラは舌なめずりした。暴力的な回転を刻むプロペラブレードの撓り、過給器用排気管より噴出す図太い排気煙――旋回を続ける愛機ゼーベ-イグルの巨体には、立ち向かう獲物を食らいつくしたかのような、破壊的なまでの勢いがあった。三機の旋回は高度を下げつつその回転数を上げていき、その度に不用意に荷車に巻き込まれたジーファイターを圧倒的な火力で葬り、喰らい尽くしていく。


 それはさながら――亡者の魂を積み、立ちはだかる邪魔者を容赦なくひき潰す死神の荷車。

 そして死神たちの望む獲物は、期せずして彼らの環の中に勢いを付けて飛び込んでくる――

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 喊声――リン-レベックが放った長い一連射は、蜘蛛のような右滑りで回避される。白煙を曳き空を裂く無数の弾幕――撃ったリン-レベックもそれが命中するものとは微塵も考えてはいない。敵の挙動を崩すための牽制の一撃、二度までも同僚の死を見せ付けられてもなお、彼女の思考は精鋭の名に相応しく冷徹だった。


「――全速で突っ込め!!」

 リン-レベックは荷車に潜り、列機もそれに続く――旋回の只中に追尾に適した距離を保って潜り込み、三機のうち一機をその射程に入れたことを感じ取った直後――


『しまった!』

 愕然――リン-レベックの眼前で三条に重なっていた環は急激に左右に展開し、そしてリン-レベックをその只中に囲い込む――高高度で平然とそれを成し遂げる機体の性能、ひいては機を操る人間の技量の威力だと彼女は察する。


回避(ブレイク)! 回避せよ(ブレイク)!」

 罠!?――絶句はリン-レベックから適正な操作に集中する余裕を奪い、それに起因する挙動の乱れは三匹の獣の見出し、点け込むところとなる。

 列機がグルジ-ノラドの射程に捉えられ、機関砲の一連射はそれを一瞬にして空を舞う炎の塊へと変えた。恐らくは自分でも知らない内に戦死したであろう列機の末路に思いを廻らせる余裕すら与えられず、囚われたリン-レベックはひたすら回避を強いられる――「キル‐サークル」以上に残酷で狡猾な、それは「死神の環」。


 逃れるべき旋回の環の外と方位とを塞がれたリン-レベックにとって、残された途はただ只管左旋回を続けることでしかなかった――おそらくは旋回に精力を吸い取られた彼女が、死神の誘いに身を委ねることを択ぶであろうその時まで――


「さあて……どこまで持つかな」

 ゼーベ‐イグル――

 彼らの目から見ても、必死なまでに左旋回を繰り返すジーファイターを、上目遣いに睨むベーア-ガラの目には、残忍な輝きすら宿っていた。彼らにとって、敵は獲物だった。


 我々は捕食者だ。

 空の野獣だ。

 我々にとって、獲物はその最後には捕食者の前に屈し、そして毒牙に掛かるべき存在でしかない!

 彼らにとって辞書的な意味での「敵」とは外ではなく、むしろその身内に存在した!


 徐々に……だが、確実に狭まりつつある獲物の背後までの距離――

「ヒヒヒヒッ!……さあ来い来い……そうだ……そうやってオレの口の前に来るんだ」

 奇声を上げ、舌舐めずりしながら、ガバト-ニーブルは追うジーファイターへ軸線を合わせるべく乗機を滑らせた。後は奴を照準に容れ、たった一秒ほどだけ引鉄(トリガー)を引けば全ては終わる――これまでの戦闘の経緯と敵の動きから、彼らはこのジーファイターが指揮官クラスの機である事を悟っていた。尚更逃がすわけには行かない。過去の経験から、彼ら三人は指揮官を喪った地上人(ガリフ)がいかに脆く、弱いものであるかを知っていた。



 望むものは、与えられる――重なる照準。

「――!!」

 バックミラーに映えた、急にその輪郭を浮かび上がらせた黒い機影から、自分の愛機が今まさに距離を詰められ、軸線を合わされようとしている事をリン-レベックは悟った。これ以上の高度維持に、限界が迫っている。速度もまた、落ちている――加速と遠心力に耐え続けた肉体が悲鳴を上げる。

「――!!」動けない。


 恐怖――

 混乱――

 絶望――

 落涙――

 震える奥歯――

 生きたいという欲求は軽々と闘志と軍人としての矜持をも超越し、操作を狂わせる。

『しまった!』

不用意に深く取ったバンク角は、主翼から気流の衣を剥ぎ取り、そして限界を超えたジーファイターから速度と高度を奪う――

「馬鹿が!」

 一瞬で窮状を察したガバトの嘲弄――

 詰る距離――

 照準が――完全に合わされた。


 逃れるための速度と抗うための力の両方を一気に失ったジーファイターの機内――

 敗北を、リン-レベックは悟った。

 もう、駄目。

 助けて――!

 恐怖に瞑った目――

 そのとき――



『何――!?』

『――カズマ!』

 新たに空に進入した友軍の声――

 不意に側面より空を滑る赤い光の(つぶで)――

「……!?」

 ――渇望する助けはリン-レベックの考えもしない形で現れ、空戦の環へと向かっていく。



投稿日間違えたOTL

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― 新着の感想 ―
[良い点] 長編連続更新ありがたや [一言] バクルの中のカズマの株も進化し続けている… それにしても囮の別働隊だけで40機以上も攻撃隊に動員してくるとは、恐ろしいですね
[一言] うぉーーーーー! ついにキルサークルのところまできたーーーー! 続きが早く読みてーーーーー!
[良い点] 来週かと思いきや、それでも続き読めて嬉しい嬉しい [気になる点] 惜しむらくはキャットとマイティにカズマの技量を見せつけることが出来ず二人が散ったこと [一言] 続きも楽しみに待っておりま…
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