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第十八章 「初陣」


 巡洋艦「レーゲ-セラ」――

 速度を上げ、航過する機影が三つ――

 その鋭角的な艦影を、少女は上空から1000フィート程高度を隔てた上空から見守っていた。戦隊上空を復航するべく左旋回に入ったゼーベ-ギガは傾き、そして安定した挙動を以て乗り手をその望む処まで導いてくれる。先頭を行く少女の機に続き、二機のゼーベ-ギガもまた緩やかな左旋回に入っているのが、バックミラーから判る。


「……」

 第三直 直衛戦闘機隊指揮官の任に就いて、すでに一時間――(フットバー)を踏込みながら、エルディナは(とき)を数えていた。そうでもしないと、任務がもたらす緊張に押し潰されそうになる自分がいる。

 悠然と旋回を終え、エルディナは側方の空域に目を凝らすようにした。四条の水蒸気が、エルディナの小隊より距離の離れた上方の空間を、エルディナたちと逆方向に延び、そして四条の軌条は延びながらにしてその間隔を一斉に開いていく――


 瞳の中に捕えた四機編隊――それは、直援戦闘機隊「副」指揮官のアドラン大尉の駆るゼーベ-ギガだった。副……とはいっても指揮官たるエルディナは詰まるところ「お飾り」であり、実質的な指揮権は戦闘経験だけはエルディナより四年の長がある大尉の手の内にある。エルディナとて、それは理解するところであった。


 側面から一転し、エルディナは後背を顧みた。完全な塁滴型風防とは違い、ファストバックのゼーベ-ギガ-ダルタでは、後方を伺うのに過分な労苦を強いる。主翼を傾け、身を乗り出すようにして目を凝らした先、列機を成す二機のゼーベ-ラナがしっかりと銀翼を連ねていた。不安故か、何度も確認したくなる。それは機体の挙動にも反映されるから、追従する二機からすれば、前を行く長機の未熟さが一層に際立って見えているかもしれない。


 その、二機の乗り手たるエルシーニ少尉とカスバ曹長――エルディナは自問する――今こうして歴戦の勇士たる二人の先頭に堂々と立てるほどに、自分は優秀な指揮官なのだろうか?……と。


 そして自問の内にも、敵影は迫っていた。

『――母艦(ムッター)より直援隊(キンデン)へ、先行部隊が機影を視認。前進し、制空せよ!』

「……了解(ジーガー)!」

 急報――エルディナは、その小さな胸の奥で心臓をジャンプさせた。喩え名目上とはいえ、指揮官として迎えた最初の実戦を目前にした緊張、それはやはり初心者――それも年端のいかない少女――に混乱にも似た逡巡を生んでしまうものだ。それでも、指揮官には決断し部下に自分の決断を反映させる義務があった。


 だが……

『――直援飛行隊長より全機へ、戦闘態勢を取れ!』

「……」

 あっさりと奪われた指揮権――それに落胆を覚える間も無く、追い打ちをかけるようなエルシーニ少尉の声をエルディナはイヤホンに聞いた。

『――エルディナ様、母艦にお戻り下さい。援護します』

「……?」

 困惑――それを覚えた直後に、少女は艦内、ひいてはその上級の大人たちが、自分の与り知らない処で何かを取決めていたことを悟った。何か――――それはもちろん、あのやんごとなき家柄の令嬢を、時が起これば一刻も早くに戦場から遠ざけんとするための「配慮」。だがそれは、当の少女にとっては自身の人格を蔑ろにされるも同然の仕打ちに他ならなかった。そして少女は、今こそ自分が彼らに抗うべき時であると心に決めた。


「フラウ-アインより母艦(ムッター)へ、本官も戦闘に参加します……以上」

『――フラウ-アイン。戦闘への参加は認められない。繰り返す、戦闘への参加は認められない。即座に母艦へ帰投せよ』

「そんな勝手……断る!」

 突き放すように言うのと、スロットルを全開にするのと同時。増速したダルタは一気に列機を抜き去り、そのまま艦隊の前面へと出て行く。長い直掩飛行で燃料を減らした“猫背のギガ(ギガ‐ダルタ)"の加速と上昇は、列機よりも速く、そして軽やかだ。


 そして――

「……!」

 雲を越えた先――

 眼前に現れた蒼穹を背景にした黒点の連なり――それが何を意味するのか理解できないほど、エルディナは愚鈍ではなかった。そして少女は味方から逃れるように加速を続ける余り、自分が知らず、味方邀撃編隊の最前に飛び出してしまっていたことに、その遭遇の瞬間まで気付いてはいなかった。


『しまった!』

 慌てて、少女はスロットルを絞ろうとレバーを握り締める。だがその時には、艦隊に接近するラジアネス軍の攻撃編隊は、そのミッドナイトブルーの機体と、胴体に浮かび上がる真白い数字まで視認できる距離にまで迫っていた。


 どうする!?――一瞬の逡巡の後、少女は減速しようとするのを止めた。編隊の一角を成す一機の敵の機影が、真正面に此方へ突っ込んで来るのをエルディナは見たように思った。照準を合わせている余裕など、少女からはすでに失われていた。


『――エルディナ様!』

「フラウ-アイン、これより突入します!」

 操縦桿の機銃発射ボタンに、力を篭めた。手応えの無い引鉄、後悔はその瞬間に訪れた。

『しまった……!』

 正面衝突の直前での上昇――安全装置の解除、それに続く機銃弾の装填――戦闘前に成しておくべきそれらの手順を完全に忘れてしまっていた自身に、上昇しながらにエルディナは焦り、怒った。


 敵中に突入したことへの緊張に苛まれながらの上昇――頂点で機体を水平に戻すや、エルディナは安全装置の解除と機銃弾の装填を為しながらに後背を確認した。後に続くのは最初から彼女につき従っていた二機のみ、だが本来獲物として自身の後を追うべき敵影の姿を、エルディナは一機たりとも捉えることが出来なかった。横転姿勢から上半身を傾けて頭上と化した地平線の雲海を睨む。上昇から加速を始めた機内に、加速度がじんわりと少女の肢体に圧し掛かり、少女は生き残る為にそれに耐えた。


『何故? どうして追って来ないの?』

 疑念を声に出す前に、イヤホンに届く列機の声をエルディナは聞いた。

『――エルディナ様! どうして敵機は追って来ないのですか?』

「……!」

 視界を確保し答えを見つけようと、エルディナはダルタを更に傾けた。エルディナと彼女の列機は上昇し回避に転じた結果として、艦隊に殺到する敵攻撃編隊に対し優位な高度を飛んでいた。もしこのまま敵編隊をやり過し、返す刀で彼らの後方に付けば、得られる戦果はかなりのものになるはずだ。撃つ機会は必ず廻ってくる。


 だが――直進が続き、エルディナの思考は廻る。

 何故――?

 何故――敵は追って来ない?

 接触の最中で少女が得たのは、直感にも似た確証だった。

 確証――それはあたかも、獲物を探る狼のごとき直感。


「上か!?」

 そう叫ぶのと、反転降下に移るのと同時だった。恐らくは攻撃機隊の上空で直援任務に就いているであろう戦闘機部隊から逃れようと降下に転じ、機首を向けた先――

『……!!』

 眼前に迫る機影――少女の記憶は、それを敵のBDウイング艦上攻撃機と認識する。そして機影は、少女も予期しなかったことに照準機一杯に収まっていた。回避? それとも射撃?――少女は、後者を択んだ。迷うことなど、もはや許されなかった。操縦桿を握る腕、機銃発射用の引鉄を抑える人差指に篭る力――


「当たれ!」

 気合――白煙を曳いて延びる礫状の火球は幾重にもBTウイングの機影に達し、その視覚で命中を感じ取った瞬間、少女は敵編隊最後尾の下へと抜けた。着弾の瞬間は見えなかった。

『――エルディナ様! お見事!』

「え……!?」

 愕然というより、唖然としてエルディナは後背を見遣った。その彼女の瞳の先で、飛行機の形をした一個の火球が、蒼穹の一点から剥がれる様にして落ちていくのを、少女は見た。


 ――当たった?

 ――墜とした? 本当に?

 ――信じられない光景は、何時しか少女から警戒心を奪っていた。それは余りに危険な兆候だった。


『――エルディナ様、後背より敵機!』

「……!」

 白煙を曳き、後背からダルタを追い抜くように降ってくる無数の触手のような弾幕、それが自分の後背に食い付いている敵機から放たれているものであることを悟るや、少女はフットバーを蹴って機体を滑らせ、追尾をかわそうと試みるのだった。その間も回転を続ける速度計の針は、目盛ではすでに400の大台を超えようとしていた。


『――援護します!』

 自分を追う弾幕が、少女の眼前から消えた。操縦桿を引こうとして、その重さにエルディナは失敗した。操縦桿越しに感じ取った愛機を苛む加速の渦――それは少女からすれば信じられない重さだった。眼前に見る見る迫る海原の紺碧が、少女を恐怖させ、一層に操縦桿に取り付かせた。


「いけないっ!」

 咄嗟に両脚を延ばして計器盤を蹴り、それを支えに少女は操縦桿に満身の力を篭める――

 そのときはじめて、少女はスロットルを極限にまで絞った。加速を少しでも抑えるための処置――


 動いた!――少しずつ、だが着実に機首は上がり、やがてダルタは完全に水平を取り戻した。

 助かった――?

 覚えた安堵と共に、反射的に見上げた上空――


「ハッ……!」

 頭上――

 蒼穹の蒼を背景に縦横無尽に延び、そして曲りくねり交叉する水蒸気の連なりに、少女は息を呑む――

 先刻まで自分たちしかいなかった空が、すでに多数機の入り乱れる戦場と化していることに、少女は今更ながらに気付く。



「……!」

 ――発端は、前方の雲間からいきなり出現してきた三機編隊だった。

 それらは味方の攻撃機編隊に銃撃を加えるわけでもなく、編隊の先頭と接触するやいきなりに上昇し、そのまま上空を全速で航過していった。攻撃編隊を指揮していたカレル-T-“レックス”バートランド少佐にとって、その瞬間に戦闘が始まったと言っても過言ではなかった。攻撃隊より1000上の高度差を置いて飛行していた彼直属の護衛戦闘機隊、その最後尾の一個小隊四機がその三機を追うように急降下に転じたのを見た瞬間、バートランドは声を張り上げてそれを制止ししようと努めた。少数の敵機に釣られて数の威力を損なうのは、レムリアン相手には自殺行為に等しい。


「第三小隊! マーカス大尉、戻れ!」

『レックス! 前下方より敵邀撃隊!』

「……ッ!」


 ケネス-“オックス”オービルマン大尉の声に、バートランドは舌打ちしつつ前方に向き直った。その彼の睨んだ先で、紅い銀翼を翻した敵機が多数、まさに味方攻撃編隊に突進しようとしている。まるで先刻の三機が、破滅の呼び水になったかのようだ。

「全機、増槽落とせ(ドロップタンク)!」

 主翼を翻し、バートランドは急横転から急降下へと乗機を下へ押し込むように操縦桿を捻った。指揮官が範を示せば、部下もそれに続く。そしてバートランドは急降下の姿勢から、正面から迫る一機の機影を捉えた。悠然と照準を付けられる距離ではなかった。


「もらった!」

 弾幕の一連射!――赤く輝く礫のシャワーは獲物を捕え、捉えられた紅い機影は黒煙を吐きながらに急横転に転じ降下していった。オービルマン大尉以下の部下もそれに続き、彼らの攻撃に捉えられた数機のレムリア機が、優位な高度からの攻撃に抗しきれず空から滑り落ちるようにして墜ちていく――その後に、際限ない乱戦がはじまった。


 ――バートランドの目論見どおり、敵戦闘機はこちらに引き寄せられる。

 ――生じる乱戦。

 ――その乱戦を突き、攻撃隊は敵艦隊に吶喊する。


「……!」

 後背の敵影を、バックミラーで睨みつつフットバーを踏み、操縦桿を倒し機体を滑らせる。その後背、タイミングを外された射弾が細い白煙を曳きながら空を掠り、レムリア機もまた再び射撃の機会を得ることも叶わず新たに後背に占位したジーファイターの銃撃を受け回避を強いられる。それでも新たな敵影を見出し、再び射撃位置に就いたところを、さらに再び後背に付かれ離脱を強いられる。再現無い輪舞に疲弊したところで、操縦士に逃げ場は無くなっていた。


 一方――

地上人(ガリフ)の奴ら!……手強い!」

 レムリア軍の空戦士にとって、それは今までに経験したことの無い感触だった。

 戦闘機の性能と搭乗員の技量は明らかに此方が優越しているはずだ。だが現在、彼らがこうして銀翼を交えている敵機には、彼らの味わったことの無い渋どさがあった。一機を捕捉すれば、必ずと言っていいほど後背より何処からとも無く迫ってくる敵機に狙われる。

 余りに絶妙な連携が生む渋どさ、渋どさは精鋭たるはずの彼らに焦燥を強い、募る焦燥は過誤を生む。


 その過誤に付け込まれ、レムリア機の損害もまた無視できぬほどに生じる。


『――よし、いける!』

 その前方に一機の敵影を追いながら、バートランドは自らの戦法の有効性を大方確信していた。最小戦闘単位を二機とするところまでは従来のやり方と同じ。だがその間隔を広げ、敵をその中間に誘い込むようにする。個々を囮にし、敵を囲い込むのだ。

『――隊長、早く撃ってください。もう限界です!』

「焦るな! もう少し!」

 照準器に嵌めた機影。そいつの黄色い鼻先には、敵が追う列機(ウイングマン)が飛んでいる。もしバートランドが追われる立場になった時、先行と後行は入替わりその列機(ウイングマン)の出番となる。

「……!」

 敵影の頭一つ先に照準を合わせ、バートランドは撃った。撓る弾幕はレムリア機を確実に捉え、被弾たレムリア機はその直後に破片を撒き散らしながら燃え上がり、そして安定を失った。感嘆――敵機を墜とすとはこれほどに容易く、呆気ないものなのか?



 同じく生じる回想――

 少佐、機織りの要領ですよ――あの愛すべきボーズは、母艦での空戦訓練の合間合間に意見を求める度、そう言っていた。

 ――分隊の前と後ろを入替えるんです。その間に敵機を挟み込めれば、敵機を墜とせなくとも墜とされることはありません。

 ――囮の役と撃つ役、本当に必要なのはそれだけで十分ですよ。


「ボーズのやつ……いい事言う」

 感慨の内にもジーファイターは新たな敵機を求め、雲海の只中を駆け巡る――

 それは後に「カレルズ-ウェーブ」と呼ばれ、レムリア軍戦闘機隊を震撼させることになる編隊空戦術の真価がこの空に問われた最初の瞬間が始まり、そして終わる。空に生じた罠にレムリア軍戦闘機隊が墜ち、惹き付けられている間に生じた空白を縫い、ラジアネス軍攻撃隊は艦隊に殺到した。



『――全機突撃態勢を取れ! 行くぞ!』

 攻撃隊指揮官、“クラック”クラレンス大尉の檄が通信回線に飛ぶ。計19機のBT、BDウイングから成る「混成」攻撃隊は一斉に個々の間隔を広げ、防御弾幕轟く空の回廊を疾駆していく――

侵入開始点(IP)通過。これより雷撃航程に入る!」

 いち早く攻撃態勢に入った一個小隊四機。だが彼らの攻勢はその腹に抱く空雷を蒼空に解き放つ寸前で挫折した――


「……!?」

 前上方から降り注ぐ火と鉄の豪雨に穿たれ、小隊長機が炎に包まれる。それに衝撃を覚える暇を列機は与えられなかった。小隊長機を葬った敵機に続き、その列機に上空より食い付かれ二番機、そして三番機が瞬時に火達磨と化す。一瞬の殺戮を逃れた四番機の背後に、桃色の銀翼を翻した一機の敵機がスピナーを向けたのはその時だった。


「ヒッ……!」

 白煙を曳く太い弾幕――それは後背よりBTウイングに追い縋り、そして尾翼を無残なまでに噛み砕く。操舵の自由を奪われた攻撃機はそのまま降下に転じ、それから二度と回復できぬままに水蒸気を曳き雲海を貫いていく――


 横転――再び占位。

 占位――再び突進。

 突撃態勢に入った攻撃機隊にとって、桃色の銀翼を生やした破壊は唐突に始まり、そして在るべき終焉へと向かった。それは最悪の終焉だった。桃色の敵機に率いられた三機編隊が編隊を縫い、蒼穹を駆けるや、鮮血の如くに白煙を吐き出し、あるいは破片を撒き散らす攻撃機の数は襲撃の回を増す度に増え、編隊はその規模と統制とを消耗していく。敵は、友軍のジーファイターに全て引き寄せられた筈ではなかったのか?



 ――敵機を墜とす必要は無い。とあの男、タイン-ドレッドソンは言った。

 ――戦闘機乗りが為すべき唯一の仕事、それは眼前の敵機の仕事を阻止すること、ただその一点に尽きる。

 猫背(ダルタ)を駆り、空を舞うエルディナの脳裏には、かつて彼女が最も疎み、最も従った男の与えたその教訓のみがあった。

 タイン-ドレッドソンの与えた教訓に拠れば、現在自分が為すべきは味方艦隊に迫る敵攻撃機隊を、その抱く空雷の有効射点にまで近づけぬこと――それは合理的な判断であるようにエルディナには思えた。

 個人的な撃墜機数に拘る余り、友軍との強調を疎かにすることなど、結果的に見れば自らの生存の可能性を著しく狭める結果をもたらす以外の何物でもない。だからこそエルディナは際限ない突進により敵の統制を乱し、敵の攻勢を挫折せしめる事に専念する必要があった。撃墜は、この期に及んで考えなかった。敵編隊に弾幕を蒔き、編隊を「壊す」。



「――!」

 一機の後背に就き、気合と共に放った一連射――白煙を曳いて延びる弾幕は敵機の分厚い主翼を強かに打ち、集中した弾着は分厚い主翼を割る。その直後に片翼を奪われたBTウイングは黒い破片を撒き散らしながら回転しエルディナの視界から消えた。最近識別表に載ったばかりの機影――新鋭機だと少女は思った。



『――エルディナ様! 後方より敵戦闘機(ジーコ)!』

「……!?」

 背後に付かれた!――絶句と共に倒した操縦桿の導くまま、降下に転じたダルタは余勢を駆って加速し、追い縋るジーファイターを引き離す。先程、敵編隊上空を航過した際に接触してきた敵の直援戦闘機だろう――つまりは、未だ此方のことを諦めてはいなかったのだ。


『――エルディナ様、援護します!』

「頼む!」

 降下しつつ、右方向に機を滑らせ機首を転じる。幅の狭い翼端から水蒸気が延びるのを横目に見る。速度ロスを抑えながらにエルディナがかつての後背に機首を向け終えたときには、彼女の忠実な列機二機は、四機の敵戦闘機とくんず(ほぐ)れずの格闘戦に入っていた。小回りのよさを生かし敵の後背を確保しようとする二機、それに対し四機の敵は空間を一杯に使い、高速を維持し二機を囲い込むように距離を詰めている。短い旋回半径に対し、速い旋回速度で対抗している――敵の技量が高いことを、エルディナは一瞥で悟った。


「……!」

 援護に入ろうと空戦の環に入ろうとしたエルディナの眼前で、一機のゼーベ-ラナが白煙を吐いた。エルシーニ少尉の機だと判った。

『――こちらエルシーニ、操縦系に被弾。操舵が重い!』

「フラウ-アインよりエルシーニ、許可する。帰投せよ!」

 眦を決し、エルディナは空戦の環に飛び込んだ。背後を取るやいきなりに左に滑り軸線を逸らす敵機の影、捕捉に失敗したことに悟るのと、自らの後背から前方に抜ける赤い光弾の連なりに気付くのとほぼ同時――

 考える前に右に滑り、そして反射的にスロットルを絞った――


「……!」

 エルディナを追っていたジーファイターにとって、敗北は一瞬で始まり、そして終わった。減速したエルディナの追尾に失敗し、前方に出た敵影を少女が照準に入れるのと、操縦桿の引鉄を押すのと同時だった。ラジアネスの戦闘機のそれより太い弾道が、後背からジーファイターの胴体、主翼、操縦席付近を貫く。被弾の振動と共に機体から剥がれ落ちる破片が、淡い陽光を受け不気味な煌きを放つ。白煙はそれが噴き出た直後に鮮血の如き火焔となり、派手な自転とともにそれは拡大し機体全体を覆った。


 もう一機!――一機撃墜の余韻に浸る間も無くスロットルを開き、エルディナは機を加速させた。その加速の差か、見る見るうちに迫る敵の後背――

 此方の接近に気付かず、上昇に転じようと機首を上げた敵影を照準機のど真ん中に入れた瞬間――


『――駆逐艦が!』

「……!?」


 反射的に見上げた遥か先の空――

 そこに広がっていた光景に、少女は我が目を疑う――

 推進力と浮力の両方を喪い、黒煙に包まれ今まさに雲海に沈み行く艦影が一つ――


 そして――

 艦体を傾斜させ、その後を覆うとしている艦影は、一隻だけではなかった。



 攻撃は成功した。

報告(リポート)――敵駆逐艦二隻撃沈、一隻撃破。巡洋艦一隻にも空雷命中を確認」

 空戦域を俯瞰するように高度を上げた愛機から、“レックス”バートランドは攻撃隊の戦果を噛締めるようにして見詰めた。その彼の細めた視線の先で、生じている火焔と黒煙は四つに達していた。敵艦隊の戦力の過半数に、攻撃隊は打撃を与えることに成功したと言える。


 だが――バートランドは考える。

 此方は運にも恵まれていた。具体的に言えば此方を迎え撃つべき直援機の数が少なく、友軍の護衛機で十分に対処できたことも、攻撃隊に活路を開く要員となったのだ。もし相手が過日にリューディーランドで干戈を交えた敵空母ならば、こういう風にはいかなかったろう。


 一方、戦闘機隊は――双方共に弾薬と燃料を平等に使い果たし、潮の引く様に静寂と空白の訪れた空戦域を、バートランドは嘆息とともに見下ろした。戦闘初期に敵の小隊を追って離脱した4機を除き、直援機との空戦に突入した8機は結局3機を失ったが此方は4機を墜とした。彼我の戦力差と性能差とを考えれば、これは満足のいく結果と言えるかもしれない。


 空戦を終え、生き残った友軍機が、次第に自分の周囲に集まってくる――さり気無く周囲を見回してそれらを確認し、バートランドはマイクを口元に充て命令を下した。

指揮官機(リード)より全機へ、集合(ジョインナップ)――時間だ。家に帰るぞ」


 長居する必要を、彼は認めなかった。



「逃げた……」

 捉えようとした敵影が遠ざかる――潮の引くように艦隊から離れ、そして去っていく敵機の群を、エルディナは呆然として見詰めた。

 先刻にもう少しで射弾を打ち込めたはずの敵機は、すでに彼女の射程外まで離脱し、そして彼の仲間と銀翼を並べ雲海の只中へと消えてしまっていた。そして敵の攻撃に炎上を続ける友軍の艦を見出した瞬間、少女からは追撃への意志は挫けてしまっていた。


 そして――

 不意に、奥歯がガチガチと鳴り出すのを少女は覚えた。体内から来る震撼は、それを覚えた瞬間から全身に伝播し、やがて少女は、機をまっすぐに飛ばすことすら覚束無くなった。今更のように覚えた烈しい緊張。初戦を生き抜いたという安堵の反動か、それとも戦闘中に必死で抑えてきた緊張に、遂に抗えなくなってしまったが故か、少女には判らなかった。


『――エルディナ様?』

「……」

『――エルディナ様?』

「……こちらフラウ……アイン。何か?」

『母艦に帰投しましょう。そろそろ燃料が……』

「……!」


 弾かれたように、エルディナは横を見遣った。何時の間にか傍にいた列機が一機、機体を寄せ主翼を接せんばかりにこちらに迫っていた。カスバ曹長の機だと判った。言われた通り、残燃料も心細い。

『――レーゲ-セラよりフラウ-アインへ、直ちに帰投して下さい』

「了解」


 呼び出しにも似た母艦からの通信――

 思い出したように少女は愛機を廻らせ、そしてたどたどしい記憶を紡ぐようにエルディナは帰路に就く。「最上級」たる彼女が戻らない限り、仲間は誰も戻れないから――



 敵の来襲が一度ではなく、二度目、あるいは三度目が次に来るであろうことはレムリア軍では艦隊司令から一兵卒に至るまで共有していた認識であった。

 まるで昨日今日始めて操縦桿を握ったかのような、たどたどしい操作で巡洋艦「レーゲ-セラ」の飛行甲板に滑り込んだのも束の間、少女は追い出されるようにして整備点検を受ける愛機から下ろされ、空戦士の休憩所に押し込まれるようにして通された。その直後、今更のようにして上がった三半規管の反乱に抗しきれず、エルディナは崩れるようにして休憩所の椅子に座りこんだ。


 目を血走らせ、乱れた髪もそのままにエルディナは俯くようにして座り続けた。艦橋からは再三、彼女の戦果を報告するように督促が下りていたが、それを聞く耳も、それを為す心の余裕もとうに少女からは失われていた。同じく帰還を果たしたエルシーニ少尉、カスバ曹長が少女に何か言葉をかけようとして、止めた。誰の目から見ても明らかな彼女の焦燥ぶりに気圧されたのか、あるいはそれを気遣ってのことかもしれない。それに彼らの出撃は今回だけではない。戦いは未だ続く。彼らは彼らなりに、その二回戦目に臨むべく心身を整えておく必要があった。


 混乱――

 緊張――

 恐怖――


「……!」

 今更のように、津波の様に一斉に襲い掛かってきたそれらの感情に抗しきれず、エルディナは膝を抱えるようにした。直後に漏れ出し、激しく流れ出す涙に、少女の心は今更のように揺れた。

そう、今更のように――

 

 少女は戦った。烈しく、そして勇敢に――そして生きて還ってきた。

 ――その行いが正しいのかどうか、少女にはもう判らなくなっていた。

 ――そして判らないままに、少女は自分がまた此処から飛び出さねばならないことを知っていた。


「……?」

 ワーグネルが足元に身を寄せ、エルディナの足を抱くようにしたのはそのときだった。その毛むくじゃらの姿を目にしたとき、知らず、エルディナの瞳に溢れるものが篭るのだった――その後に続く止め処ない嗚咽――

 エルディナは両手で顔を覆った。死を期して戦に臨むことの、何と困難で辛いことか!

 犬は、そんな(あるじ)の苦悩を見透かしても、どうにもできない事への無力さを痛感したかのように、ただ悄然と自分の主を見上げていた。



『――別働隊の戦果判明。直援戦闘機隊は来襲せる敵機12機を撃墜、8機を撃破。なお、エルディナ-リスタール-リエターノ少佐は4機を撃墜、3機を撃破せり!』

 戦闘空域へ向かう航空母艦「ダルファロス」の空戦士控室――

 タイン-ドレッドソンは、そこでこの日四本目の煙草を(くゆ)らしながらにその報を聞いた。タインのみならず、出撃を待つ空戦士たちの燻らす煙草の煙がさほど広いとはいえない室内に充満し、抑えられた照明とも相まって、ある種軍艦の中とは思えぬ、阿片窟のような異様な雰囲気を醸し出していた。何時もの光景だ。


「へえ、初陣で4機か、大したもんだ」

 傍らに腰を下ろすレラン-グーナ少尉が感嘆したように言った。一方で勢い良く紫煙を吐き出すと、無言のまま、タインはすでに吸殻の山に埋め尽くされていた煙草盆に未だ新しい一本を捻じ込む様にして消した。


「死ななかったのか……可哀相に」

「え?」

「自殺が望みのようだったから、早く消えてしまうものと諦めていた……だが、そうでもないようだな」

「隊長も、酷いことを仰る」

「酷いか? 俺はあいつに願いを叶えて欲しいと思っているが」

「あの娘も、本当は生きたいんでしょう。隊長も、それをお望みでは?」

「フッ……」

 タインは笑った。自らを賤しむ様な、それでいて犯しがたい強さを含む笑いだった。



「……この空じゃあ、生き続けたいならば殺し続けるしかないからな」

 分厚い天井に隔てられた無限の蒼穹――それを不敵に睨みながら、タインは言った。




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